北岡用語解説集
「北岡ワールド」を知るための「必携辞書」
最新情報 1: 今回、新しい試みとして、本用語解説集の「アーカイブ」のセクションで、今後、逐次、用語解説集に関連した北岡エッセイを、必要に応じて、アップしていくことにしました。さらに用語解説集を充実させていきたいと思っています。乞うご期待ください。
http://www.kitaokataiten.com/glossary/archives/
最新情報 2: 本用語解説集に含まれている情報は、国内の NLP 業界の「デファクト スタンダード (事実上の標準)」を設定することを意図しています。実は、現在、北岡は、「通信制の NLP 資格認定講座」の開講の可能性を模索していて、これらの手段を通じて、「NLP 業界の『水準の底上げ』と『徹底的浄化』」を、NLP 業界「外」から支援・実現していきたいという願いをもっています。
最新情報 3: 最近、本来なら有料メルマガにでも書くべきような、北岡の独自の見解・主張・発見を本用語解説集に直接掲載し始めました。このことに関する北岡の意図は、改めて、本用語解説集だけを閲覧するだけで北岡ワールドが理解できるような、いわば「小宇宙」のような場を創出したいと思ったことにあります (現在、遅々としてですが、この「小宇宙」の形成が、まるでジグゾーパズルのように、徐々に進展しているかとは思います (笑))。
最新情報 4: 本用語解説集の意図は、北岡の「NLP 公式サイト」の一部にはなっていますが、北岡の研究と興味の対象は、NLP にとどまらず、「心理学、哲学、宗教学」一般に及んでいることを広く世に示し、仮に本ページを NLP 業界外の方々が閲覧されても、充分納得される内容であり、「かなり興味がそそられる読み物」になっていることを知っていただく、ことにあります。
最新情報 5: 2016 年 11 月の「NLP 学習必携バイブル: 究極のリミッター解除ワーク」ビデオ収録公開を機に、北岡の最近の研究結果を反映するように、本ページの「北岡用語解説集」 (旧名は「NLP 用語解説集」) をさらに追加更新してみました。なお、「NLP 学習必携バイブル」ビデオ収録についての情報は以下を参照してください。
http://www.office-kitaoka.co.jp/kitaoka-coaching/
なお、北岡は、該当のビデオ収録のタイトルが今後「必携バイブル:人間が神になる構造モデリング ワーク」に変更される可能性も見据えていて、本用語解説集の内容が、「北岡ワールド」を理解するための、「必携バイブル」ビデオと対になった「必携辞書」として機能することを意図しています。本用語解説集は、今後、継続的に充実化されていくものとします。本用語解説集を見れば、「北岡ワールド」の概要がわかるくらいの内容にしようと思っています。
最新情報 6: 本用語解説集は、北岡の世界観を色濃く反映した、「『偏見』と私的見解」を掲載したページになっています。たとえば、Wikipedia は単なる左脳的知識 (「エピステーメ」 = 情報知識) の「死んだ」記録収集の場ですが、本ページは、北岡のこれまでの実際の人生経験を反映した、「生きた」右脳的知識 (「グノーシス」) が提供されていると思っています (言い換えれば、本ページには、Wikipedia 等からの引用はほとんどなく、ほぼすべて北岡自身のこれまでの体験に裏打ちされた独自の言葉での用語解説がなされています)。
(実は、翻訳業界では、「ビジネス/技術実用英語大辞典」 (海野編) という辞書があり、これは、「大御所の辞典」の定番訳からは (場合によってはかなり) 外れた名翻訳を無数に掲載した「名辞典」ですが、本用語解説集も、そういうポジショニングを目指したいと思っています。)
最新情報 7: 個人的には、欧米では、「NLP ピア」の多くは、本ページで解説されている用語・コンセプト・モデルのほぼすべてを実体験的に「グノーシス」として知っている前提で業界に来て、NLP を学習・実践している、と見ています。
この意味では、本ページにある用語・コンセプト・モデルの大部分ををまったく知らないか、知っていても Wikipedia 的な「エピステーメ」の左脳的知識しかない学習者がほとんどの国内の NLP・自己啓発系業界とは、雲泥の隔たりがあります。この隔たりは、文化的にカウンターカルチャーがいまだに綿々と生きているか、存在さえしなかった、かの差に起因していると思います。
その意味で、60 年代の米国の「カウンターカルチャー」に匹敵する運動を、「メタカルチャー運動」として、60 年後の日本で起こし、根づかせることが、私のビジョンになっています。
最新情報 8: 本用語解説集の「端緒」については、本ページの「斎木犀吉」を参照してください。
特定の経験の構造を表記するために使われる省略方法。「4 Tuple (タップル)」の概念は、経験はすべて、
(ただし、V =視覚、A = 聴覚、K = 触覚、0 = 嗅覚/味覚) の4 つの主要表出クラスの任意の組み合わせから成り立っていると主張します。
4T には 「4Te (VeAeKeOe)」(外部 (external) 発生の 4T) と「4Ti (ViAiKiOi)」(内部 (internal) 発生の 4T) の二つがあります。前者は「今ここ」、「現在意識」のことで、後者は「トランス、催眠」、「過去意識」のことです。
NLP の代表的なモデルの一つ。症状もしくは問題を生み出している意図を探り、その意図を満たす新しい行動選択肢を生み出すことで、元の症状もしくは問題を解消する無意識ワークです。
私は、どのように NLP 個人編集テクニックが機能するかについて、北岡「ARTS」モデルを提唱してきています (以下の図式を参照してください)。
http://www.kitaokataiten.com/glossary/images/arts.jpg
この図式の意味は、「個人編集テクニック (PET、Personal Editing Techniques)」では、 「アンカーリング」、「リフレーミング」、「TOTE」、「サブモダリティ」の四大機能がベースになっている、というものです。
このうち、「個人編集テクニック」のメカニズムを概念的に説明した「TOTE」以外は、単体の個人編集テクニックが存在しています。
また、興味深いことに、図式の「蛸足」のような各機能の一つが変化したら、 他の三つは自動的に連動して変化します (たとえば、「アンカーリング」が変ったら、「リフレーミング」、「TOTE」、「サブモダリティ」の三つが自動的に変化します)。
ハンス ヴァイヒンガーは、「『あたかも…のような』哲学 (The Philosophy of As If)」の書を著しました。北岡が理解しているかぎりにおいて、ヴァイヒンガーは、「人間は、『あたかも…のような』と思うこと自体で、そのことが『現実になる』」ことを提唱しました。この提唱は、北岡が独自に提唱してきている「療法的論理タイピング ミス」とも関連しています。
ちなみに、『「あたかも…のような」哲学』の著書は、1975 年の NLP 創始の端緒となった、ジョン グリンダー & リチャード バンドラー著の『魔術の構造』の末尾の参考文献目録にも挙げられていて、NLP の創始に強い影響を与えていることが窺い知れます。
「Better Alternative to an Negotiated Agreement」 (交渉同意のためのよりよい代替選択肢) の訳です。
このメソッドは、1978 年のキャンプ デービッドでのサダト、ベギン、カーター間での和平交渉で 2 週間のデッドロックの末、関係者がこのモデルを交渉に導入したとたんに一晩で中東和平交渉合意 (いわゆる「キャンプ デービッド合意」) が締結されたという事実で有名になっているメソッドです (日本では、「ハーバード交渉術」として知られています)。
BATNA は、関与当事者間 (人間どうしでも、自分の中にある心理学的パーツどうしでも、ありえます) の「高次のアウトカム (目的)」 (「テロス」と同じことです) の「擦り合わせ」を図るメソッドです。「誠実な影響」、「弁証法」とも関係しています。
最近の NLP 共同創始者のグリンダー氏が提唱している、自己実現および効果的なコミュニケータになるための五原則モデルの「SRCF/C」 (最後の C は、北岡の追加要素です) の三番目の要素です。
「カリブレーション」とは、外界を観察する際、先入感を排して、「ゼロ設定」をし直すことです。
NLP では、実際にこの技能を獲得できる演習が用意されています。
最近の NLP 共同創始者のグリンダー氏が提唱している、自己実現および効果的なコミュニケータになるための五原則モデルの「SRCF/C」 (最後の C は、北岡の追加要素です) の五番目の要素です。
NLP では、実際にこの技能を獲得できる演習が用意されています。
「Deframing Facilitation Technology (フレーム解除支援テクノロジー)」の略。ありとあらゆる枠 (フレーム、ボックス、パラダイム等) を超越した、真に自由なマインドの持ち主を作りだすことに主眼を置いた北岡ワーク プロジェクトの名称。
最近の NLP 共同創始者のグリンダー氏が提唱している、自己実現および効果的なコミュニケータになるための五原則モデルの「SRCF/C」 (最後の C は、北岡の追加要素です) の四番目の要素です。
NLP では、実際にこの技能を獲得できる演習が用意されています。
NLP 共同創始者のグリンダー氏によれば、人間の主観的体験は、コンピュータのモニタ上で起こっていることと同じで、仮想現実であり、人間コンピュータに入力された刺激が変形に変形を重ねた後の結果しか主観的には認識できません。グリンダー氏は、この人間モニタで起こっていることを「FA (First Access)」(人間が最初に世界とアクセスできるインターフェイス) と呼んでいます。FA は、NLP でいう「世界地図」のことです。
「F1 (Filter 1)」は、刺激の入力時から FA に至るまでの「変形プロセス全体」のことで、 「F1 (Filter 2)」は、FA の後に行われる VAK の「意識的なメタ操作」 (たとえば、胃の痛みを恋人に振られた痛みと解釈する、土木設計士が橋の設計図の一部を取り出して、別の場所に移動させる、といった五感を使った解釈もしくは操作) のことです。
ちなみに、グリンダー氏は F1 の端緒になっている入力刺激の向こう側に現実もしくは神が存在しているかどうかはいっさいわからない、という絶対的不可知論者の立場を取っていて、同時に、あれこれ言えるのは FA についてだけだという絶対的認識論者の立場を取っています。
昨今、日本の企業は、GAFA 文化、シリコンバレー文化から生まれたイノベーティブな企業の外観を模倣をして、シリコンバレーに「移住」したりしていますが、誰も、その文化が、思想的、理念的にどのようにして生まれたかの糸口、ヒントをいっさいもっていません。実は、その糸口、ヒントは、「シリコンバレー文化」は、60 年代の「カウンターカルチャー文化 (西海岸文化)」に基づいている事実にあります。さらに言うと、「カウンターカルチャー文化」の心理学としての権化こそ NLP なのです (なお、これらの事実を正当に認識している日本人はほとんどいません)。
実は、NLP 黎明期に欧米で NLP 四天王から直接直伝を受け、以後三十年間にわたり研究・実践してきている北岡が教える本場の NLP は、国内の「失われた 50 年」(すなわち、カウンターカルチャー全盛の 60 年代から現在まで) のギャップを埋めることができ、このため、国内で初めてスティーブ ジョブス級のイノベータを輩出する可能性が生まれています。
北岡の提唱する「仮説 (Hypothesizing)→ 実践 (Practicing) → 検証 (Reviewing)」の「HPR サイクル」のこと。「PDCA (plan-do-check-act) サイクル」の北岡バージョン。
「MPEG」は、動画の一コマ一コマを逐次送信することなしに、基本的に静止画像を継続して、動きのある箇所の情報だけを次のコマに送信することで、大幅にファイルの容量を小さくすることができる圧縮技術のことです。
同じようにプリゼンテーションの際も、中心視野で参加者の顔や目を逐一見る必要はなく、「周辺視野」で焦点をぼかせて、ワーク参加者全体を見続けながら、ある種「トランス状態」のままプリゼンを継続することができます。この際、周辺視野で、一人の参加者の足の動き等の、何らかの動きを検知したときだけ、トランス状態から覚めて、その動きのあった参加者に注意を向けて、その参加者と質疑応答することができます。
これは、内的変化は必ず外的変化をともなっていて、全体的に何の変化もない場合は、参加者の内部でも何も起こっていないが、いったん動きがあれば、その参加者の内部で何かが変化した印なので、プリゼンタはその参加者の心の動きに適切に対応する必要が出てくる、ということを意味しています。
該当の参加者がいったん満足したら、あたかも何も起こらなかったように、また周辺視野に戻り、トランスに再度入って、プリゼンを続けることができます。
北岡の見るところ、この方法がもっとも「省エネ」のプリゼン法です。
「前自我 (ノーマインド)」と「自我 (マインド)」を止揚統合して、「超自我 (メタマインド)」を生成することに主眼を置いた北岡ワーク プロジェクトの名称。
NLP 創始者のグリンダー氏が最近提唱している NLP の方法論です。これは、従来の OLD コード NLP の制約を克服するものとして提示されています。
NEW コード NLP では、意識的には何も考えない「Know Nothing State (何も知らない状態)」にいながら、無意識的な潜在性が 100% 引き出すことができます。
「Neuro-linguistic Programming (神経言語プログラミング)」の略で、1975 年カリフォルニア州サンタクルーズで言語学者のジョン グリンダーと数学者のリチャード バンドラーが共同創始した「実践的人間コミュニケーション心理学」です。欧米では大ブレークしてきていて、コーチングの元になっている方法論です。
NLP は、「世界地図 (人間コンピュータのモニタ)」上で起こっている「『主観的体験』の構造についての認識論的研究 (the epistemological study of the structure of subjective experience)」と定義できます。
NLP の共同創始者のジョン グリンダー氏は、あるテクニックが NLP テクニックとして認められるには、二つの条件がある、とおっしゃっています。
それらは、1) 実用性があること、2) プロセス モデルであること、です (後者については、「プロセス モデル」の項目を参照してください)。
北岡自身は、「コンテント押し付けモデル」のテクニックでも、「実用性」の条件さえ満たせれば、NLP テクニックと見なしてもいいのではないかと考えています。
NLP は、「テクニックの寄せ集めにすぎない」と言われることがあるようですが、これほど事実とはかけ離れていることはないことは、2000 年に NLP 共同開発者のロバート・ディルツとジュディス・ディロージャが NLP ユニバーシティから出版した『体系的 NLP と NLP 新コーディングの百科事典』全二巻の存在を知るだけで充分かと思います。この百科事典は、A4 のサイズで、各巻 800 ページ、計 1,600 ページの大書です。
この中で、以前、「NLP 相関図を作っていただけませんか?」というリクエストがあったので、NLP の誕生に影響を与えた人々、および NLP と姉妹、従姉妹関係にあって、NLP と相互影響しあっている学派および思索者を、以下のページの「NLP 相関図」として、まとめて紹介しています。
http://www.kitaokataiten.com/correlation_map/
一般的に、国内の NLP ピアは、自分が多額のお金を払って学習する方法論の学問体系の歴史、背景、原理原則、哲学にはほとんど興味ないようですが、これは、個人的には、極めて憂うるべき事態だと北岡は思っています (学習者の側からのこの背景、原理原則に対する興味のなさ、「思考停止状態」が、教える人間が言うことをそのまま真に受けて、実際その人間がまともな教師なのかどうかを判断できないでままいる最大の原因の一つになっているようにも思えます)。
私は、過去、英国滞在時代に NLP 業界内外の無数のトレーナーを見てきていましたが、その経験に基づいて、ジョン グリンダー、リチャード バンドラー、ロバート ディルツ、ジュディス ディロージャの教え方が「the very best」という結論に達し、それ以来、彼らを「NLP 四天王」と呼んできています (ただし、私は、バンドラーの NLP 創始時の「天才性」と「サブモダリティ」を発見した偉大性は認めていますが、1995 年に同氏のトレーニングを受けたとき「サブモダリティ」と「催眠トランス誘導」のテクニック以外は、特に何も学びませんでした)。
「NLP の限界性」については、本用語解説集の「アーカイブ」セクションにアップされている北岡の最近の書き下ろし「エッセイその二:NLP の限界性について」を閲覧してください。
私は、長い間、「NLP を施術する際の対クライアントのファシリテータ側の倫理性」は、「誠実な影響」があること、だけだと思ってきていました。
あるとき、長年の友人のジョン グリンダー氏に、このことについて尋ねたのですが、同氏から「『誠実な影響』は、NLP の倫理性と関係はない」旨の指摘を受け (私は、個人的には、同氏が「誠実な影響」の提唱者のことをあまりよく思っていないことがこの言質の裏にあると思っていますが)、さらに、「NLP においては、クライアントの問題の『プロセス』をどれだけいじっても、倫理的にまったくいっさい問題ないが、一度『コンテント』を触り始めたら、即、いかなる文脈でも、倫理性に抵触することになる」という、実に興味深いコメントをいただきました。
この意味では、NLP を使って、クライアントの問題に踏み入って、「人生相談」をしている国内の多くのファシリテータは、全員、非倫理的行為をしている、ということになります (笑)。
「NLP 実践者もしくは学習者」の意味です。
これは、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏と北岡とのプライベートの会話で、同氏が言われた格言 "NLP is a clash between state and context." の訳です。北岡自身は、これを「現実とは、状態と文脈の対話である」と言い換えています。
北岡の理解では、この言質は、現実というものは、ニュートン/デカルトの還元主義が示唆するように、始めから外に存在していて、我々がそこに生まれるということではなく、むしろ、量子力学が示唆しているように、瞬間から生まれて、瞬間に消えていくことを示唆しています。
つまり、我々は、まずある特定の (精神) 状態にいて、その状態をもちつつ、ある特定の文脈 (状況) に入ると、「現実」らしきものに出会うだけのことで、この現実は、状態と文脈に依存しているので、どのようにでも自由に変えることができる、ということが示唆されています。
非常に審美的に、簡潔に NLP を象徴した言質だと思います。
同じようなことが、パロアルトの MRI (精神研究所) のポール ウォツラウィックの『創出された現実』での以下の言葉で言い表されています。北岡には、この言葉は『般若心経』の「色即是空」と同じ意味合いだと思えます。
" 'Reality' is not something which is out there to be perceived through our sensory channels, but rather that which is being continuously and positively constructed by ourselves from moment to moment." (「『現実』は外界にあって私たちの知覚経路を通じて知覚されるものではなく、むしろ瞬間から瞬間へと私たち自身が継続的に、積極的に構築するものである。」)
従来の、意識的介入に頼った NLP 方法論。NLP 創始者のグリンダー氏は、最近、OLD コード NLP の制約を克服する方法論として、NEW コード NLP を提唱しています。
最近の NLP 共同創始者のグリンダー氏が提唱している、自己実現および効果的なコミュニケータになるための五原則として「SRCF/C」 (最後の C は、北岡の追加要素です) の二番目の要素です。
NLP では、実際にこの技能を獲得できる演習が用意されています。
北岡が独自開発した、「現実を仮想現実化 (RPG 化)」できる演習。西洋の 「NLP ピア」が、おそらく無意識的にごくあたりまえに実践していることを、北岡が「選択点」の概念をもとにして、モデリングして開発したテクニック。
なお、「選択点」のモデル自体は、北岡は 1988 年に初めてジョン グリンダー氏から NLP トレーニングを受けたとき学んだものですが、その重要性を再認識したのは、北岡が RPG ゲーム演習を独自開発した「後」でした。
言い換えれば、たしかに NLP は「選択点」のモデルを提唱してはいますが、「現象界にいる自分を現象界から『引き剥がして』、『メタの世界 (神的意識の世界)』に出した上で、選択点を作って行動選択肢を増やし、その後再度現象界に戻す」というメカニズムは、NLP に含蓄的に内在されてはいますが、RPG ゲーム演習が開発されるまで、北岡以外の誰も明示化できてきていませんでした。
最近の NLP 共同創始者のグリンダー氏が提唱している、自己実現および効果的なコミュニケータになるための五原則モデルの「SRCF/C」 (最後の C は、北岡の追加要素です) の最初の要素です。
NLP では、実際にこの技能を獲得できる演習が用意されています。
「SDMLB (State-Depending Memory, Learning and Behaviour)」 (「状態依存の記憶/学習/行動」) は、ミルトン H. エリクソン全集を編集したアーネスト ロシが提唱したモデルで、「ある特定の状態にアクセスすることで、その状態と似た自分自身の過去の状態すべてに関連した記憶、学習、行動すべてが一挙に、自動的に、瞬時に引き出せる」メカニズムのことを意味しています。
北岡が見るところ、SDMLB は、アンカーリングについてのもっとも適切な定義となっています。
北岡は、SDMLB によって「多重人格症」の現象のメカニズムを説明することができる、と考えています。
最近の NLP 共同創始者のグリンダー氏は、自己実現および効果的なコミュニケータになるための五原則モデルの「SRCF/C」を提案しています (最後の C は、北岡の追加要素です)。
これらの略語は、S (State 自分の状態管理)、R (Rapport ラポール形成)、C (Calibration、観察力) F (Flexibility 柔軟性)、C (Congruity 首尾一貫性) のことです。
「TD サーチ (Transderivational Search、横断派生検索)」は、NLP 用語の一つで、人工コンピュータが、一定の問題入力時に、その問題によって与えられた条件を満たさない他のすべての代替選択肢を連続的に排除していった後、最後に残った選択肢を解として選択する際に行う検索と等価と見なされる、人間の脳の機能の一つと定義されます。
すなわち、アンカーリングのプロセスを引き起こす外的要素 (NLP 用語で言うアンカーがある個人に特定の内的経験 (すなわち、特定の 4Ti) を生み出すとき、コンピュータのプロセスに似た TD サーチのプロセスがその人の脳の中で起っていると見なされます。
たとえば、自分の記憶に保存されている一定数の視覚イメージを 1 枚 1 枚連続的にチェックしながら、「今ここ」で起こっていることに似た子供のときの記憶を選んで思い出すときに、TD サーチが視覚的に行われます。 または、自身自身の指で織物を触りながらチェックして、その品質を特定しようとしているときに、これが触覚的に行われます。通常、TD サーチの全部分は、検索の最終的な「解」として意識に上る経験 (4Ti) 以外は、ほとんどすべては無意識のままとどまります。
「Think of」 と「Think from」は、成功哲学者のジョゼフ マーフィーの師匠のネヴィル ゴダードが提唱したモデル。前者は、ある状態について、その状態になっていない状態からそのこと「について」考えること。後者は、ある状態になっていると大いなる勘違いした上で、その状態「から」いろいろな物事について考えること。
「TOTE」は、「Test - Operate - Test - Exit」の略語です。「入力 → ブラックボックス → 入力」のメカニズムを説明するモデルとして提唱されています。
アウトカム「アイソレーション タンク」は、イルカのコミュニケーションと LSD のの研究で有名なジョン リリー博士が開発した「感覚遮断を通じた変性意識誘発機器」です。
これは、「サマーディ (三昧) タンク」等とも言われていますが、いわば棺桶のような金属製の箱 (最近は、流線型のプラスティック製の現代風デザインの装置も開発されています) の中に、子宮内の「羊水」と同じ比重の「エプソム ソルト」の液体 (塩化マグネシウムと聞いています) が入っていて、密閉された状態で、その中に裸で浸り、1 時間程度「感覚遮断」状態で、いわば「瞑想状態」を続けるといったものです。
ケン ラッセル監督、ウィリアム ハート主演の映画「アルタード ステーツ (変性状態)」 (1979 年製作) はジョン リリーをモデルにした映画で、アイソレーション タンクに入った後の主人公が、中南米のインディアンの聖なる薬 (幻覚剤) を摂取して幻覚を見て、その後タンクの中に再度入ったとき身体の DNA レベルの変化が引き起こされ、自分が類人猿に変容する、といった筋になっています。(この映画の公開当時、私は、主人公が見る幻覚の映像美が非常に印象的だと思いました。)
また、私が、しばらく前にはまって、全シリーズを見た米国 TV SF番組の「フリンジ」でも、アイソレーション タンクがストーリー上重要な要素となって紹介されています。
感覚遮断状態で 1 時間もいると、必然的に、外部からの刺激はないので、すべて頭の中で「幻覚」、「幻想」、「妄想」、「煩悩」等が起こり始め、すべては自分の頭の中で起こっている「マヤ」であることに気づき始めるので、私は、非常に効果的な瞑想・自己内省法になると見ています。数年前の国内でのタンク体験では、私は、最初自分が魚のように尾びれを使って泳いでいて、その後、両生類、爬虫類、哺乳類、人間と進化していく 「(両脳的) ビジョン」を体験しました。
私が知っているタンク経験者からは、「これといった超常現象は特に経験しないかもしれないが、『シンクロ』の頻度が尋常ではないほど増えた」といった感想をよく聞きます。最新の私の研究によれば、おそらく、人間の (通常は、過剰反応している)「扁桃体」の反応がスローになれば、「シンクロ現象」を含む「超超常現象」が起こりやすくなる、と私は今考えていますが、アイソレーション タンクの体験は、扁桃体をリラックスすることに大いに貢献するようです。
私自身は、1980 年代初めにアメリカ オレゴン州の私の師匠のコミューン内にあったサマーディ タンクに何度も入ったことがありますし、90 年代の英国滞在時代に、ロンドン市のクラパムコモン地区の施設でも利用したことがあります。国内では、都内の白金にあるようです (最近、市川海老蔵も利用している (タンクに入る前と後だけでしたが) 風景がテレビで放映されていました)。
最近の情報としては、岡山市に、私が数年前に英国ロンドン市で入ったタンクと同型の流線型の現代的デザインの最新モデル装置が存在しています。つい最近も、岡山市で個人セッションを開講した際、アイソレーション タンクを利用しました。
なお、アイソレーション タンクに関連した北岡エッセイ「アイソレーション タンクと扁桃体とヘルメス トリスメギストス」を本用語解説集の「アーカイブ」のセクションにアップしていますので、興味があったら閲覧してみてください。
http://www.kitaokataiten.com/glossary/archives/essay_01.htm
NLP 用語では「目的」、「行動の結果」を意味しています。
「阿頼耶識 (あらやしき)」のことです。過去現在未来の全宇宙の記憶すべてが記録されているとされる意識層のことです。
すべての部分に、全体が反映され、全体が含まれているという「ホログラフィー」的な考え方にも関連しています。
ある特定の内的経験を自分自身の目で、VAKO の知覚体験を「同化」しながら経験することです。「当事者意識」。反義語は「ディソシエート」。
「アップタイム」は、4Te、現在意識のことで、「ダウンタイム」は、4Ti、過去意識のことです。
10 万台のコンピュータの機能に相当すると言われている人間の脳はアップタイム状態のときに最高のパフォーマンスを発揮する一方で、ダウンタイム状態のときに最低のパフォーマンスを発揮します。
印哲の「アドヴァイタ (非二元論的) ヴェーダンタ」の創始者シャンカラチャリヤは、「アートマン (真我)」と「ブラーマン (宇宙原理)」の完全同一性を提唱しました。
北岡は、英語書籍を通じて、シャンカラチャリヤを徹底的研究しました。
北岡は、グレゴリー ベイツンの言う「ダブルバインド (二重拘束)」に陥って、「何をやってもうまくいかない状況」あるいは「『こうあるべきだと思う自分』と『実際に行動を取る際の自分』との間に常に乖離がある状況 (= 『入力 → ブラックボックス → 出力』モデルにおいて、どれだけすばらしい入力があっても、ブッラクボックス中の無意識的プログラミングが不適切なので、常に満足できない出力としての行動を思わず取ってしまう状況)」のことを「蟻地獄」と呼んでいて、北岡自身、幼少期から三十代まで、絶対に抜けきれない (と思った) 蟻地獄に住んでいました (定義上、北岡は典型的な「自己啓発難民」だったと言えます)。
北岡は、自分の精神的師匠の「ガチョウは外だ!」という教えと NLP の方法論を通じて、三十代半ばまでに、恒常的に蟻地獄から脱出することに成功しました。
NLP 的には、「意図と結果」モデルが北岡の蟻地獄からの恒常的な脱出のプロセスに決定的な影響を与えました。すなわち、このモデルによれば、「結果」としてのありとあらゆる行動 (精神的、心理的症状を含みます) には必ず「肯定的な意図」があるので、今現在問題となっている行動 (症状) の意図さえわかれば (それも、NLP では、意識的にわかる必要はなく、無意識さえわかっていればいいとされています!)、 その意図を満たす新しい行動選択肢を取ることで、元の問題となっていた行動を取る必要がなくなります。
たとえばですが、北岡は 5 歳のときに「引き篭もり」になりましたが、そのときに「自分を守る」という肯定的な意図がありました。その後、結果としての引き篭もりの行動 (症状) だけが残り、永続化されるようになったのですが、北岡は、5 歳のときにもった自分を守るという意図をまったく忘れていただけだった、ということが NLP を通じてわかりました。
いったん問題的症状の意図がわかったら、必ずしも引き篭もらなくても、「自分のまわりにエネルギー遮断壁を作る」、「人から尊敬されるような人になればいい」、「武術を学べばいい」(これらは、単なる例として挙げさせていただいています) といった行動選択肢を取ればよくなったので、「引き篭もり」の症状は解消されました。
この意味で、北岡の「テロス (最高位の価値基準)」は、「ボックスから永続的に出ること (= フレームの解除)」であり、北岡は、このテロスをもっている方であれば、誰にでも「不可能なことを可能にする方法論」を伝授することが可能になっています。
NLP は、人間にも、「パブロフの犬」で証明された「条件反射 (プログラミング) 」が存在していることを発見し、「アンカーリング」を提唱しています。アンカーリングをトリガーする刺激は「アンカー」呼ばれています。
北岡が見るところ、アンカーリングについてのもっとも適切な定義は、「SDMLB」モデルです。
幼児期から来ている「(やり残した) 未解決の問題」のことです。
北岡は、アンフィニッシュド ビジネスと、「プログラミング」、「カルマ (業)」等を等価と見ることがあります。
意識 (Consciousness vs Awareness)
英語の「Consciousness」と「Awareness」は、通常、両方とも、「意識」と訳されることがありますが、実は、「Awareness」は、「気づいていること」もしくは「覚醒していること」という意味の方が適切です。
北岡は、「Consciousness」は「脳機能が生み出す意識」で、「Awareness」は「必ずしも脳機能に依存しない『気づき』」であると見ています。
たとえば、英語では、「Unconscious unawareness」、「Conscious unawareness」、「Conscious awareness」、「Unconscious awareness」、という 4 つの別個の表現が可能です。これらは、通俗的に訳すと、「無意識的無意識」、「意識的無意識」、「意識的意識」、「無意識的意識」、となってしまい、日本語ではまったく意味をなしえませんが、それぞれ、厳密には、「無意識的非覚醒」、「意識的非覚醒」、「意識的覚醒」、「無意識的覚醒」とでも訳すべきものです。
北岡は、講義中にいつも「人間は、自分が意識化していない行動 (および思考) は、自動化、機械化されているので、絶対に変えることはできません。無意識的だった行動を一度でも意識化すると、『1) その行動をそのまま続ける、2) その行動を金輪際止める、3) 止めるかどうか後で決定する』の三つの行動選択肢が生まれるので、その後は、ありとあらゆる微細で柔軟なパフォーマンスを発揮できるようになります。NLP は、そういう無意識的行動の意識化、明示化のための史上最高の心理学的ツールです」と伝えてきていました。
通常、モデリングでは、他の人が行っていることを「意識的」、「左脳的」に分析しますが、NLP モデリングは、そのような左脳的分析は排除した、「無意識的」、「右脳的」モデリングがなされます。
北岡の見るところ、「カウンターカルチャー運動」の、おそらくもっとも重要な特徴は、この運動の提唱者たちは、「人間意識の拡張」の実験を行った、ということかと思っています。
60 年代、70 年代には、カルロス カスタネーダに象徴される「化学的変性意識の実験」がさかんに行われましたし、1975 年には、「意識拡張の心理学」と形容してもまったく間違いではない NLP が生まれていますし、「カウンターカルチャー運動」が終息した後も、「カウンターカルチャーの落とし子」だったスティーブ ジョブスによる 1984 年の画期的な「Macintosh コンピュータ」の開発・販売、1995 年の Windows 95 をきっかけにしたインターネットの世界的普及等を通じて、社会全般の「人間意識の拡張」が図られてきています。
その後も、北岡の理解では、極めて重要な文化的潮流してカウンターカルチャーが今なお影響を与え続けている形で、工学的に、社会的インフラとして、IT、VR (仮想現実)、AR (拡張現実)、AI (人工知能) 等のテクノロジーが生み出されてきていますし、最近の北岡の興味の分野である現代神経科学は、fMRI (磁気共鳴機能画像法) 等による発見に基づいた「意識の拡張」に関連した画期的で極めて興味深いモデルを提唱してきています。
印哲のヴェーダンタでは、「アートマン (真我)」五つの鞘で包まれていると提唱されています。これらは内側から外側に向かって、1) 至福、2) 知性、3) 記憶、4) エネルギー (気)、5) 肉体、です。北岡は、古代東洋の「五つの鞘」モデルと西洋最先端の NLP の「心身論理レベル」モデルは完全マッピングされると考えています。
なお、北岡は、五つの鞘の内容は、アンカーリングとしての「思考の癖」のプロセスの結果生み出されていると考えています。すなわち、「アイデンティティ」を含めて、思考の癖を学習解除、再学習することで、いかなるボックス (枠、フレーム、ループ、パラダイム) からも抜ける (= 自己同一化解除をする) ことは可能、と見ています。この「自己同一化解除」に必要なのは「メタ力」です。
「意図と結果」モデルについては、本ページの「蟻地獄からの脱出法」の項目にある解説を参照してください。
GAFA (Google、Apple、Facebook、Amazon) に代表される IT の巨大企業とスティーブ ジョブスに代表される革新的イノベータを多く生み出してきている「シリコンバレー文化」で言う「イノベーション」は、「今まで世の中になかった革新的アイデアの創出」を意味していますが、国内では、「イノベーション」は、「すでに存在」している革新的アイデアの「新しい適用のし方」と定義される傾向が強いと思われます。
北岡は、最近、欧米 (特に米国西海岸) の人々と日本人の「思考パターンの違いの完全マッピング」に成功してきていますが、このことは、国内で初めてスティーブ ジョブス級のイノベータを輩出する「可能性」が生まれたことを意味しています。
北岡は、ある本の中で、「紀元前 5 世紀の仏陀、8 世紀のシャンカラチャリヤ、19 世紀のラーマ クリシュナが、インドの三大聖人である」という一文を読んだことがあります。
日本では、仏陀が始めた仏教が浸透していますが、祖国のインドでは、むしろ歴史的に「排斥」されてきています。シャンカラチャリヤは、「アドヴァイタ (非二元論) ヴェーダンタ」学派の創始者ですが、北岡は、英国滞在時代、この哲学者を徹底研究しました。北岡は、ラーマ クリシュナは特に研究してきていませんが、その高弟のヴィーヴィッカナンダ、アベダナンダに影響を受けてきています。語弊を恐れずに言うと、仏陀は、(同時期のパタンジャリと並ぶ) 究極のラージャ ヨギ、シャンカラチャリヤは究極のジュナーナ ヨギ、ラーマ クリシュナは究極のバクティ ヨギと言えるかもしれません (本ページの「四つのヨガ」を参照のこと)。
「ヴィパサナ瞑想」は、通常は自分の外側で何が起こっていること (場合によっては、自分の内側で起こっていること) に注意を払う「観察瞑想」で、「サマタ瞑想」は、たとえば、聖人の肖像画を見つめながら行う「一点集中型」の「瞑想」です。前者は「周辺視野的瞑想」、後者は「中心視野的瞑想」と定義できるかもしれません。
NLP では、4Te (現在意識) での外側で起こっていることの「カリブレーション (観察)」が極めて重視されている一方で、「個人編集テクニック」は、自分のイマジネーション (4Ti) を使って自分の内側を観察するという意味において、NLP には、ヴィパサナとサマタの両方の要素が組み込まれています。
バロウズは、「ビートニック」の代表的論客でした (ビートニックは、50 年代から60 年代にかけて「前ヒッピー」的一大運動を引き起こした詩人、作家、音楽家等のグループです。この運動の他の代表的人物には、アレン ギンズバーグ、ジャック ケルワック等がいます)。バロウズは、『裸のランチ』の小説の作家としても有名ですが、ある論文編書の中で、「『中毒症状のない』、『意識を拡張』するライト ドラッグ」と「『中毒症状』しか引き起こさない、『破滅的』なヘビー ドラック」の区別について、極めて妥当で、かつ明快な定義を提唱しています (興味のある方は、「メタカルチャー メルマガ」を参照してください)。
カウンターカルチャーの歴史のある欧米その他の国々では、社会全般にわたって 60 年代から半世紀以上にわたって、この区別に関する「大人の議論」が喧々諤々と、綿綿と続いてきていますが、この「『意識拡張』のための一大文化運動」が「みごとに」欠落してきている日本では、ドラッグは、すべて、「十把一絡げ」に語られるので、いっさいまともな議論はできない状況です (私は、個人的には、この状況は、「意識拡張のための最先端」の心理学である NLP を語るにあたっては、かなり「危険な文化的状況」だと思っています)。
国内では、誰も、「GAFA 文化」、「シリコンバレー文化」が、思想的、理念的にどのようにして生まれたかの糸口、ヒントをいっさいもっていないようですが、実は、その糸口、ヒントは、「シリコンバレー文化」は、60 年代の「カウンターカルチャー文化 (西海岸文化)」に基づいている事実にあります。さらに言うと、「カウンターカルチャー文化」の心理学としての権化こそ NLP なのです (なお、これらの事実を正当に認識している日本人はほとんどいません)。
実は、NLP 黎明期に欧米で NLP 四天王から直接直伝を受け、以後三十年間にわたり研究・実践してきている著者が教える「北岡式 NLP」は、国内の「失われた 50 年」(すなわち、カウンターカルチャー全盛の 60 年代から現在まで) のギャップを埋めることができ、このため、国内で初めてスティーブ ジョブス級のイノベータを輩出する可能性が生まれています。
「内なる医者 (無意識シグナル)」テクニックは、グリンダー氏が開発した「6 ステップ リフレーミング」の簡易バージョンです。「内なる医者 (無意識シグナル)」を私が日本人向けに改良したテクニックを、私は「パンドラの箱を開ける」テクニックと呼んでいます。なお、私の理解では、グリンダー氏は、その開発した別のテクニックを 「内なる医者」と呼んできているようです。
1960 年代のカウンターカルチャーに呼応してアメリカで起こった、心理学の分野で人間の可能性の開発を目指した「ヒューマン ポテンシャル運動」のメッカとして、「エサレン研究所」がカリフォルニア州ビッグ サーに設立されました (北岡は、仮にカウンターカルチャー運動が存在しなかったら、ゲシュタルト、人間性心理学、エンカウンター、プライマル、リバーシングといった現代西洋心理療法も、これらの心理療法を基盤にして誕生した NLP も生まれえなかったと思っています)。
この心理学・ボディーワークを学ぶ宿泊研修施設である研究所では、オルダス・ハックスリー、アブラハム・マズロー、フリッツ・パールズ、アラン・ワッツ、カール・ロジャース、グレゴリー・ベイツン、ジョン・C・リリー、ヴァージニア・サティア、リチャード・アルパート、ティモシー・リアリーといった蒼々たる人物がセミナーまたは実験を行いました。
「エナンシオドロミア (Enantiodromia)」は、ユングが提唱した概念の一つです。通常、「転向」と訳されているようですが、北岡の解釈は次の通りです。
北岡の「Meta Mind Work」ワーク等で、たとえば、「信念体系統合」の実地の演習等で、好きな自分 (正) と嫌いな自分 (反) を「止揚統合」して、新しい自分 (合) を生み出し続けることで、「永遠なる自己拡張」を継続することができる、と説明していますが、このとき、「普通の状態では、このようなワンランク上の自分を求める『再統合』 (トランスパーソナル心理学の『超自我』あるいは北岡の言う『メタマインド』) に進まず、『好きな自分』だけを実現しようとして、『嫌いな自分』を無視あるいは見ないでおこう (北岡ワークでは、通常、『抑圧』という言葉を使いません) とするが、この場合は、再統合が達成されていないので、人生のどこか別の文脈で、『必ず』、無視されていた部分の自分が、『多重人格症』のように頭をもたげてくる」と付け加えています。
北岡は、(再統合されないままでいる) この無視された対極の自分が、遅かれ早かれ、必ず「乗っ取る」メカニズムは「極性反応」と呼んでもいいと思っていますが、このメカニズムを、ユングは「エナンシオドロミア」と呼んでいる、と理解しています。
「エナンシオドロミア」は、おそらく、他のユングの重要概念である「超越機能」や「個性化」と同様、左脳的な学者 (ユング研究家) の方々には、実際には何を意味しているか理解されていない可能性があると思います。
北岡は、「エピセテーメ」を、Wikipedia に代表される、「左脳的な蓄積型情報知識」と定義しています。反意語は「グノーシス」です。
エピステーメ的知識をいくら集めても、抜本的な人間的変化は起こりえません。「more of the same thing (同じものを増やすだけ)」だと思います。
NLP では、「演習」、「テクニック」は、ほぼ同義語です。NLP ワーク参加者は、ファシリテータが行う「デモ演習」をもとに、グループ演習を実際に行います。
苫米地英人氏の表現で、人は、まず「大いなる勘違い」をして、いったん自分はあることができるんだ、と信じ込んだら、自然とそのようなカリスマ性が他の人々に対して発揮され始め、まわりの人もそれに影響感化されて、その人の目的が達成されるように、自発的に助け始めてくれて、結果的にその目的そのものが実現する、という考え方。
ただし、この考え方は、「近道の方法論を見つけるだけでなく、日常の切磋琢磨的な、試行錯誤の時間と労力をさけるコミットメント」と表裏一体になっていて、どちらが欠けても、目的は達成されません。
現象界の裏に「隠れている」原理原則を研究する学問。「隠秘学」。
ちなみに、北岡の弟子名の「Guhen」 (意味は「Depth (深遠)」) で、サンスクリットの「Guha」から派生していますが、「Guha」は、「Hidden (隠れた)」という意味です。
通常、「行動 vs 思考」の対比がなされますが、NLP 的には、「思考」という、あたかも空中を浮遊している「波動?」を示すかのような用語は、「計測できない『名詞化』 (抽象名詞に近い NLP 用語です)』として、使用を避ける傾向があります。
NLP では、そのかわりに、「外的行動 vs 内的行動」の対比が使われます。
「外的行動」は、目に見える身体的、生理学的な行動で、「内的行動」は、いわゆる「思考」のことですが、これは、 (4Te と 4Ti を含む)「4T=VAKO」として、完全明示化 (公式化) することができます。
北岡は、このように「思考」が「内的行動」として完全明示化できることを知ったとき、「驚愕」しました。
「対抗文化」とも言われている 60 年代の米国西海岸サンフランシスコに端を発したヒッピー・ドラッグ文化に代表される、現代社会の基盤となっている文化的運動。
当時のカウンターカルチャー運動家たちが提唱した「既成の枠を超えた人間意識の拡張」の方向性が、一見カウンターカルチャーが、特に国内では (ヒッピーが広めた T シャツとジーンズのファッション以外は) 完全衰退しているように思える現代社会においても、工学的には、社会的インフラとしてのコンピュータ、インターネット、IT、VR (仮想現実)、AR (拡張現実)、AI (人工知能) 等のテクノロジーを生み出す基になっているという意味において、決して無視できない極めて重要な文化的潮流です。
心理学的には、(60 年代米国カリフォルニア州のヒッピーのメッカだったサンタクルーズで、当初セラピーの一派として創始された) NLP もカウンターカルチャーから生まれていることはまぎれもなく否定不可能な事実なので、北岡は、カウンターカルチャーを語らずして NLP を語ることはまず不可能である、と考えています。この背景は、「国内では、カウンターカルチャーは死語なので、日本人は知らなくてもいい」といった次元の話をはるかに超えた、「NLP ピア」なら絶対的に知っておく必要のある基本中の基本の必須知識です。
カウンターカルチャーについては、北岡は「北岡メールマガジン」で詳細に解説しているので、ぜひ閲覧してみてください。
北岡が最近独自開発した、「現象界」と「霊界」を自由に行き来できるようになる、魔術の要素も含んだ演習。秘儀牲が高いので、クローズドの場だけでノウハウ伝授されてきています。
通常「意識」と訳されることもある「Awareness」は、本来的には、「気づいていること」もしくは「覚醒」、場合によっては、「覚醒意識」と訳すべきです (興味深いことに、北岡のフルネームの弟子名 Swami Prabodh Guhen の Prabodh の意味は「Awareness」です。なお、Swami の意味は「Mr」で、Guhen は「Depth (深遠)」です)。
北岡は、「覚醒」は、現象界を超えた「『観照者 (Witness)』が気づいていること」と定義できると考えていて、この意味では、「覚醒」は (現象界にある) 脳機能に依存していません (脳機能が生み出す意識は「Consciousness」と定義することが可能です)。
北岡は、さらに「覚醒」を「別個に存在している事象どうしの間に関連性を見出す力」と定義することもあります。
なお、場合によっては「Awareness」は「悟り」という意味で使われる場合もあります。
北岡の師匠のバグワンは、ある講話で、「ガチョウは外だ!」という公案に関するストーリーを語りました。
このストーリーによると、「リコウ」という弟子がその師の元に行き、公案を与えられました (この話は日本で起こったとされていますが、「リコウ」の漢字名が未確認です)。
その師は、リコウに、「この瓶の中にガチョウの雛がいる。それに餌をやり続けると、最後には大人のガチョウとなる。今、ガチョウは瓶の中で身動きできなくなる。ガチョウを救おうと思ったら瓶を壊す必要があり、瓶を救おうと思ったらガチョウを殺す必要がある。両方を救うためには、どうすればよいか?」と尋ねました。
リコウは、師の元を去り、この公案について考え抜き、1 週間後に師の元に戻り、答えを伝えます。師は、その答えを退け、「この公案についてもっと瞑想するがよい」と言いました。リコウは立ち去り、1 週間後に師の元に戻り、別の答えを伝えますが、その答えもまた退けられます。師は、弟子に公案についてさらに瞑想するように命令します。この過程が何度となく繰り返され、最後に、リコウは答えの可能性をすべて考え尽くします。そこで、弟子は、最終的に師の元に戻り、「師よ、私には他の答えはもう思い当たりません。どうか本当の答えを教えてください」と言います。
これを聞いた師は、突然高らかに両手を打ち、そして「リコウ! ガチョウは外だ!」と叫びました。
これでストーリーは終わりですが、バグワンの解釈によると、リコウがすべての形而上学的思索をし尽くしたとき、その師は、単にその瞬間を利用して、両手を打って、その音で弟子に「実存的なショック」を与えることで、ありとあらゆる問題が発生しうる思考の中から目覚めさせて、問題がいっさい発生する可能性のない「今ここ」の瞬間に立ち戻させたことになります。
(もちろん、言うまでもなく、このストーリーは、NLP 的には「4Ti/4Te」の対比によって完全マッピングが可能です。)
北岡は、過去に精神的な「蟻地獄」に陥っていて、何とかそこから抜け出せた人間なのですが、「認知論的」にこの蟻地獄から脱出可能であると北岡に確信させたのは、実は、このストーリーでした。ただし、それを可能にさせる「実存的」な方法を見つけることは長年できずにいて、最終的にその現実的な方法論が NLP であることを発見したのは、この確信から数年経った 1988 年でした。
通常、現実と思われているものは、五感に入力されて、変換に変換を重ねた後に脳内の「モニタ」上に写っている主観的世界にすぎない、という意味で、すべて、仮想現実です。最近の北岡のワークでは、「ホログラフィー」とも呼ばれています。サンスクリット語では、「マヤ (幻想)」。
「活用」とは、エリクソン催眠の用語で、たとえば、催眠誘導セッションの最中に、通常そのセッションを中断するような事態が起こったときでも、その事態をうまく「活用」して、あたかもその事態が最初から誘導スクリプトにあったかのように、何もなかったかのように、誘導を進めて、逆に催眠誘導を深める手法です。
たとえば、催眠誘導時にドアがバタンと開いて、誰かが入ってきたとき、不慣れな催眠師であれば、催眠誘導を続けられなくなりますが、卓越した催眠師は、その状況を「逆手に取って」、「今バタンというドアの音とともにあなたは『一時的に』催眠から覚めましたが、そのことによっては、再び、ますます深い催眠状態に入っていくことができます」等と催眠誘導を続けることができます。
実際、数年前に開講した「エリクソン催眠/ミルトンモデル」ワークの講義中に、「卓越した催眠家にとって、自分とクライアントが二人とも火事や地震によって同時に死なないかぎり、『活用』できないものはないです」と説明した後、あるクライアントを相手に催眠誘導をし始めたとき、偶然、実際に震度 4 程度の地震が起こったのですが (笑)、「ごく自然に」、「今、地震で体が揺れていますが、そのことであなたはますます深く催眠に入っていきます」というふうに活用のデモンストレーションができました。
北岡の中では、「神」は、「悟り」、「覚醒」、「解脱」、「ニルヴァーナ (涅槃)」、「モクシャ」、「アートマン/ブラーマンの同一性」、「観照者」、「神的意識」、「絶対意識」、「サットチットアーナンダ (絶対的存在/絶対的意識/絶対的至福)」、「大いなるマインド」、「サムシング グレート」その他と等価です。
北岡は、「究極のメタ」、「究極の自己同一化解除」、「究極の柔軟性」を「神の三大定義」として提唱しています。
ちなみに、ニューソートのネヴィル ゴダードは、「自分の『天命』 (実際には、ゴダード自身は『desire』という言葉を使っています) を実現して、生ききっている状態が『神的意識』を達成している (神である) 状態であり、天命を実現しきれていない状態が『罪』の状態である。天命を実現しきれていない状態から天命を実現して、生ききっている状態に変容することが『罪の贖い (救済)』である」と定義しています。
ビジネス界で要求されるカリスマ性は、多くの人々に影響を与える、無意識的なレベルで作用する力のことですが、特に、NEW コード NLP および Meta Mind Work の「無意識活性化」の技能をマスターすることで、獲得可能です。
「Eye Scanning Pattern (ESP)」の訳語。眼球の動きを見るだけで、ある人が内部で視覚的、聴覚的、触覚的体験のいずれをもっているのか判定できる NLP モデル。
「北岡式 NLP」とは、グレゴリー ベイツンとジョン グリンダーの NLP ルーツを引き継いだ「本家本元の NLP」です。以下にあるのは、NLP には、二つのルーツがあり、一つは「心理療法を起源」とした NLP で、もう一つは、「文化人類学・社会科学」を起源とした NLP であることを示す「系図」です。
「北岡式 NLP」は、「右脳的体感型 NLP」と「左脳的分析型 NLP」超えた「左右脳交流・全脳学習型 NLP」と定義することができ、このタイプの NLP は、国内では、他の先生は教えることができていません。
北岡に、人生上で決定的に影響を与えた人々は数少ないです。
しいていえば、多感な十代半ば、高校時代に、北岡のその後の人生に決定的に影響を与えた人々がいました。1971 年に地方の小都市の高校に入学したとき、60 年代終わりに都会で起こっていた学生運動の波が北岡の高校にも訪れ、左翼学生運動家あるいはアナーキスト (無政府主義者) のグループ (多くが北岡より 1 年、2 年上でした) が北岡の周りにいて、北岡は、彼らからかなりの影響を受けました (この影響のため、北岡は、当時、自分自身を「Iconoclast (偶像破壊主義者、因習打破者)」と呼んでいました)。(ちなみに、その後、二浪して入学した都内の大学生活は、北岡にとって文字通り人生上もっとも「不毛」な時期でした。)
高校当時、北岡に文化的に影響を与えた北岡の「アイコン」は、カナダ人ロック アーティストのニール ヤング (彼を世界的にブレークしたのは 4 枚目のアルバム「ハーヴェスト」でしたが、当時、北岡は、それ以前の 3 枚のアルバムだけを評価していました!) と作家の大江健三郎 (北岡がもっともはまった小説は、『日常生活の冒険』 (当時、北岡の先輩の一人は、この小説に触発されて、1 年間高校を休学して、ミロネシアに赴き、滞在しました。本ページの「斎木犀吉」も参考のこと) とノーベル賞を受賞した『万延元年のフットボール』 でした) でした。
成人してから実際の人生上決定的影響を受けたのは、1983 年に米国西海岸で弟子入りした北岡の精神的導師のバグワン シュリ ラジニーシと 1988 年に英国ロンドン市で初めて NLP トレーニングを受けたジョン グリンダー氏の二人です。
北岡が 2001年に帰国する前、英国滞在時代にぜひともお会いしたいと思っていた日本人の思索家が一人だけいました。その方は、トランスパーソナル心理学者の吉福伸逸氏でした。実際に、同氏が亡くなる前年の 2012 年に、二度同氏の国内でのワークショップに参加させていただく機会がありましたが、同氏の 60 年代の「エサレン研究所」風のコンテントばりばりの感情吐露系のセラピー ワークには、正直、驚愕し、「落胆」し、「辟易」しました (同氏は「トラウマは絶対に治らない」とおっしゃっていましたし、北岡には「NLP などやめてしまえ」と叱り飛ばしていました。ただ、同氏に、同氏が『天使のおそれ』を共同翻訳しているグレゴリー ベイツンから NLP が生まれている、とお伝えしたら、その事実には、びっくりされていました。)
左脳的な読書を通じてかなりの影響を北岡が受けた人々としては、本ページの「精神世界の導師」に列挙されている方々がいます。
専門分野で獲得してきた技能をさらに磨き上げることです。
よく、「技能熟達には基本が重要」と言われますが、北岡は、「基本技能を『完全マスター』しさえすれば人間は誰でも天才になれる」メカニズムを解明し終えています (!)。
北岡は、たとえば、実に見事な演技をする歌舞伎役者がいたとしたら、その本人が何をしているかわからない観客にとっては、 その役者は、誰も真似のできない「超人」であるように見える反面、その本人にしてみれば、単純な 7 つの行動選択肢 (比喩としては、プログラミングが詰まった DVD) の中から一つを選ぶという行為を繰り返しているだけではないかと見ています。
すなわち、この役者は、 7 つの行動選択肢 (DVD) の中から一つを選ぶという行為を 7 回繰り返すだけで、観客に対して、すでに 823,543 通りの「柔軟な演技のし方」を見せることができるようになることになります。
言い換えれば、観客には、この役者は 823,543 通りの行動のし方を知っていると見える (言ってみれば、この役者は (823,543 を 365 で割った) 2,256 年分のバリエーションをもっていることになり、観客は何度同じ公演を見ても、二度と同じパフォーマンスを見ることはありません(!)) 反面、本人は、意識的または無意識的に、場面場面に応じて、7 つの行動選択肢の中から「その場に最も適した一つの選択肢」を 7 回選び続けることができるようになっているだけなのです。
ただし、これが可能なのは、あくまでも 7 つの行動選択肢 (DVD) の中は、練習に練習を重ねて、基本技能としてのプログラミング群が「チャンク化」 (「固定化」) されている場合だけです。
言い換えれば、7 つの DVD の組み合わせは誰にでもできますが、「練習に次ぐ練習に次ぐ練習」が必要な、極めて地道な作業である「基本技能としてのプログラミング群のチャンク化 (固定化)」は、天才にしかできないのかもしれません (笑)。
「羯諦羯諦、波羅羯諦 (ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい)」は、般若心経の一番最後の部分にある経典文です。「Gone, Gone, Forever!」と英訳されていて、北岡訳は「行って、行って、行きまくれ! 」です。
北岡は、「羯諦羯諦、波羅羯諦」を、「永遠なる、継続的自己アイデンティティの拡張」の意味として解釈することがあります。
北岡は、NLP 業界 (資格認定ビジネス) 内にいたときは、(自己啓発難民等が) NLP その他の自己啓発の方法論を通じて自分の「究極のリミッター解除」をして自由になるためには、「NLP 以前の瞑想、催眠、セラピー、化学的変性意識等をやりまくる必要があり、さらには、ぜがひでも自分を変えたいという『コミットメント』が必要だ」と、頻繁に主張してきていました。
ただ、これは、いわゆる単なる「精神論」で、北岡は、具体的なノウハウの手順を指し示すことができずにいたのですが、業界外に出て、個人セッションのクライアントのケース スタディをたくさん取る過程で、この精神論を、以下の条件として明示化することに成功しました。
1) 自分の人生上の「目的」の確定
2) 現実を仮想現実化できていること
3) 「扁桃体」を快にして、演習の自己適用を楽しくて楽しくてたまらなく思うこと
さらに、最近会ったヨガの先生は、以下の条件を挙げました。
4) 自分が変わることの恐怖の克服
確かに、私は、何度か、「『究極のリミッター解除』をした後、自分が暴走してしまう危険性はないのですか?」という質問をこれまで何回か受け、私は、「すべてコントロール下にあるかぎり、大丈夫です」と答えてきていましたが、この危惧も「自分が変わることの恐怖」と関係しているのかもしれません。
「共感覚」は、「Synesthesia」の訳語です。
「共感覚」は、「入力 → ブラックボックス → 出力」において、入力と出力の表出体系 (五感の体系) が異なっている場合を指します。
たとえば、音楽家は「譜面を見る」ことで「音が聞こえる」ので、「譜面を聞いている」わけですが、このケースは共感覚の一例です。
また、英語の場合、北岡は、スペルが正しいときは「気持ちがよく」感じる一方で、間違っているときは「なんとなく気持ちが悪く」感じるのですが、この場合は、「スペルを感じている」わけです。
北岡は、NLP の「スペル ストラテジー」モデルを通じて、実は、「スペルを感じる」ためには、「ブラックボックス」内で、実際に見ているスペルと頭の中に記憶されている正しいスペルを比較して、それらが合致するときは、出力の感触が肯定的なもので、合致しないときは、出力の感触が否定的なものになるということを知って (すなわち、通常口で説明できないとされている脳機能も、ほぼすべて、NLP を通じて、口で説明できるように明示化 (見える化) できる、ということを知って)、驚愕しました。
北岡は、「グノーシス」を、「右脳的に理解された体感型知識」と定義しています。反意語は「エピステーメ」です。
北岡は、グノーシス的知識はエピステーメ的知識より優れているとは思っていますが、ただ、グノーシス的知識だけでも、偏りがあることは否めません。理想的なありかたは、右脳的グノーシス的知識と左脳的エピステーメ的知識の相互往来が可能になる「全脳学習」です。
ファシリテータからセッションを受ける人のことです。以前、セラピーでは、「患者 (patient)」という用語が使われていましたが、現在では、「顧客」を意味する「クライアント (client)」が一般的です。「クライエント」とも表記されますが、「クライアント」の方が原語の発音に近いと思われます。
まず、そもそも論として、NLP 共同創始者のジョン グリンダーとリチャード バンドラーが NLP 創始後 6 年目の 1990 年 (もしかしたら 1991 年です) に「喧嘩別れ」している事実を、国内のNLP 業界の先生たちは生徒さんに伝えていないようですが、これは、海外では英語のインターネット情報としてすぐに知ることができるという意味においても、私は、「意図的な情報操作」だと思っています。
(なお、バンドラーは、1986 年に娼婦を殺人したという罪状で起訴され、1988 年に陪審員裁判で無罪を宣告されています。この事実は、英語の Wikipedia 等ですぐに確認できます。ちなみに、巷では、バンドラーは陪審員を催眠にかけて無罪を勝ち取った、とも言われています (笑)。)
グリンダーとバンドラーが喧嘩離れした理由については、私は、グリンダー氏に直接聞いたことがあります。同氏の答えは、以下のようなものでした。
「私は、バンドラーの口が [『フォーレターワード』等を使って] あまりにも悪いので、(彼が一人でワークをしているときはともかく、少なくとも私との共同ワークの際は) 口を慎むように、と注意したとき、彼も同意して、二度とやりません、と答えたが、その後、再度、悪態をつき始めたので、 私は、最終的に『切れて』、パートナーシップを解消しました。」
以上のことを含む NLP 裏話について、私は数年前に「誰も書かなかった NLP 創始者 についての裏話! 」というエッセイを書いています。このエッセイは、以下で無料ダウンロード可能です。
http://www.kitaokataiten.com/nlp_secrets/
「クンダリーニ エネルギー」とは、「ラージャ (サイキック コントロール) ヨガ」等で提唱されているモデルで、通常は眠っている蛇が立ち上がるように、通常はもっとも下部のチャクラで眠っているエネルギーが覚醒して、頭頂部の「クラウンチャクラ」からエネルギーが (天に向かって) 出て行って、「恍惚状態」を生成するエネルギーのことです。
クンダリーニ覚醒は「ミニ悟り」と言っていい状態で、交通事故で尾骶骨を打ったとき等、偶発的に起こることもあれば、この状態を求めて、瞑想状態、「化学的変性意識状態」等にいるときに起こることがあります (ただ、通常は、自由自在にこの状態にアクセすることは容易でにはできません)。
北岡は、「クンダリーニ覚醒の経験者」です。特に、1985 年の夏、米国西海岸のコミューンの吹き抜けの大道場で、私の師匠が考案した「クンダリーニ瞑想」というダンシング瞑想を行っていたとき、第二ステージで、自分が文字通り宇宙遊泳しているような状態となり、「究極の恍惚感」を感じ始め、間違いなく、クンダリーリ エネルギーが第七のクラウン チャクラまであがってしまったと感じました。
この恍惚感が単なる私の「幻想」ではなかったことは、その状態で、道場の脇の靴脱ぎ場で、当時同じ「脱催眠療法」のコースに参加していた米人女性三人とハギングしたとき、四人とも、いわゆる「昇天」してしまったことで確かめられましたし、また翌日、日常の生活の修行 (「カルマ ヨガ」) として、山でホウレン草を摘んでいたとき、30m 向こうからドイツ人女性が私のエネルギーを感じ取り、近寄ってきたので、この人とハギングしたときも、二人とも「昇天」したことで確かめることができました (なお、この状態は、約 3 週間程度続きましたが、その後、同じ状態が瞑想中に反復/再生成されることはありませんでした) 。
ゲーデルは、数学的に、完全な体系は存在しないということを証明しました。
たとえば、アリゾナの砂漠である人がヒッチハイクしていたとして、この人は自分の見ている世界を完全に表出することは可能ですが、この人自身を表出しようと思ったら、この人の後ろに立ってこの人を含んだ表出をせざるをえません。この「メタ」の視点からは世界を完全に表出することは可能ですが、再度この「メタ」視点を含んだ世界全体の表出をしようと思ったら、この視点の後に立って表出をせざるをえません。このように、どこまで行っても、完全な体系は存在しえません。
北岡は、永遠に後退する「メタ」視点の一番最後が「神」ではないか、という立場を取っています。
言い換えれば、苫米地英人氏は、ゲーデルの不完全性理論によって完全な体系がないということが証明されたので「神は死んだ」ことが証明された、と言っていますが、私は、唯一、「体系」と言われているものすべてを超越しているのが「神」だと見ているので、逆に、ゲーデルの不完全性理論によって神の存在が証明された、と考えています。
「ケース スタディ」は、ファシリテータとしての対クライアントの「フィールド ワーク」の実績である、と言えます。
北岡自身の、セラピスト、カウンセラー、コーチ、心理学者、哲学者としてのケース スタディは、2001 年に英国から帰国したときから今までの NLP 資格認定ビジネスでのコース開催経験と個人セッション施術の経験の中で蓄積されてきているものです。
これまで北岡がファシリテートしてきたケース スタディの数 (すなわち、クライアント数) は、「NLP プラクティショナー コース」(通算 26 期)、 「NLP マスター プラクティショナーコース」(通算 16 期)、NLP トレーナーズ トレーニング コース」 (通算 4 期)、ワークショップ、個人セッションを含めると、延数 1,500 人以上に及んでいます。
北岡のこれまでの研究によれば、世界中の正統な宗教は、ほぼすべて、究極的には、同じことを言っていて、それは、本ページの「『宗教』の定義」にある「潜在的な神性の顕在化」に集約されると考えています。
北岡は、この内なる神性の顕在化に関する教えが、少数の人々のための「核になる、内側の『目に見えない部分』の教え」すなわち「密教」であると考えていて、その教えに付随する「教義、教条、儀式、経典、寺院、形態」等は、大衆向けの「外側の『目に見える部分』の教え」すなわち「顕教」であると見ています。
「お布施」、「お唱え」、「願掛け」等は、もともとは密教的な意味があったにしろ、それらだけに頼って「悟る」ことはありえないです。その意味で、「形骸化した宗教」が、世の中に充満している、と言えます。
「現在意識」は、「今ここ」、NLP の 4Te、テレビ放映の「中継」等と対応していて 、 「過去意識」は、「催眠 (トランス)」、NLP の 4Ti、テレビ放映の「録画」等と対応しています。
最近のテレビでは、中継も録画も両方ともデジタルなので、機能的に区別することは不可能になっています。このため、中継と思っていても録画であることも、録画だと思っていても中継である場合があります。
NLP 的には、人間は、人生上、録画 (幻覚) を見ているのに、それが臨場感をもちすぎて、あたかも中継 (実際に起こっていること) であるかのように錯覚していることが頻繁にある、と考えられています。
人生において、録画 (4Ti)と中継 (4Te) を見分けことが、極めて重要な能力となります。
「NLP は、状態と文脈の衝突である」の項目を参照してください。
北岡は、量子力学者に従って、「混沌とした『量子力学のスープ』(印哲で言う『プラクリティ (物質原理)』) に意識 (『プルシャ (精神原理)』) を当てたら、その部分にホログラフィーとしての『現象界』 (『マヤ (幻想)』) が生まれる」という立場を取っています。
NLP 的に言うと、この「ホログラフィーとしての『現象界』 (『マヤ (幻想)』)」が、「世界地図 (人間コンピュータのモニタ)」上で起こっていることであり、FA であり、主観的体験です。NLP は、この「『主観的体験』の構造についての認識論的研究」です。
「外的行動 vs 内的行動」の項を参照してください。
「Micro Mustle Movements」の訳です。
「極微筋肉動作」とは、通常本人も気づいていない場合がある、身体的な、不随意的 (= 意識的には引き起こすことのできない) 筋肉動作のことです。NLP の「6 ステップ リフレーミング」やその簡易バージョンの「無意識シグナル」のような「意図と結果のモデル」に基づいた演習では、極微筋肉動作を使って、自分の無意識との交信を取ることで、場合によってはかなり重度の、身体的あるいは精神的問題の解消ができるようになっています。
「個人的天才」とは、巷に思われているように、レオナルド ダ ヴィンチやモーツワルトやピカソやマイケル ジャクソン等になることではなくて、「自分自身が携わっている各業界業界において、第一人者たりえるほどの個人的な最大限のパフォーマンスを発揮できるだけの特殊能力と技能をもっている人」を意味するにすぎません。
「Personal Editing Technique」の訳語です。NLP では、「個人の既存の行動/思考パターンを編集して、自分が求める行動/思考パターンを作り出す」ためのテクニックと定義されます。「NLP 演習」、「NLP テクニック」とほぼ同義です。
「コース」とは、通常、長期に渡る、資格を伴った講習を指します。資格のともわない研修は「セミナー」、「ワークショップ」と同義語です。
最近、日本でも知られているファシリテーション技法の一つです。NLP は、コーチングの元になっている方法論です。
ある目的を達成するためには、他のすべてを犠牲にしてもいいと思えるだけの心構え。
コミットメントがなければ、どれだけ「大いなる勘違い」をしても、どれだけすばらしい「SRCF/C」技能、「無意識活性化」技能を獲得しても、目的は達成されないように思えます。
北岡ワークの効果性の必要条件は、ワーク参加者側の「コミットメント」にあります。
2003 年 10 月創刊の北岡のメルマガの名称 (http://www.kitaoka.co/magazine/)。2016 年 11 月の時点で、新編 95 号まで発行されています。
それ以前の旧編 270 号のうち、17 号まで以下のサイトで公開されています。
http://www.kitaokataiten.com/nlp_magazine/backnumbers.html
非公開の号は、以下のサイトで購入可能です。
http://www.kitaokataiten.com/special/#genuine
「捉え難い明示性」に気づくことは極度に困難で厳しい課題である一方で、いったんそれが私たちの意識にもたらされたら、その後は、それに気づいていないようにしておこうとすることはほとんど不可能であることを示す「コロンブスの卵」と呼ばれる比喩があります。
この比喩によれば、コロンブスがあるとき、いくつかの卵が乗ってあるテーブルに友人たちと座っていました。彼は友人に、ゆでた卵と生卵を見分けることができるかどうか尋ねました。友人たちは、その質問について熟考し、お互いに相談して、最終的に、1 時間後に、できませんと答えました。その時コロンブスは、卵を回し始め、回転速度の違いでこれらの 2 つの種類の卵を区別することができることを示しました。このときになって初めて、友人たちは「ああ、非常に簡単なことです、私にもできます!」と言いました。
この話のポイントは、「ではなぜこの友人たちは、それほどまでに簡単なことをコロンブスのデモンストレーションの前にすることができなかったのか」に尽きます。
思うに、「エポケー (思考停止状態)」にある人 (私には、日本には、そういう方々が非常に多くいると思います) が NLP を学んで、「コロバンスの卵」的な「『洞察』の集中放火」を浴びても、「当たり前のこと」にしか思えないので、その意味での「NLP の偉大さ」はまったく理解できないと思います (私自身も、同じような悲哀を舐めてきているように感じています (笑))。
「内容 (詳細) とは無関係のワーク」という意味で、NLP の最大の特徴の一つです。
コンテント フリーのワークでは、クライアントは、自分の秘密をいっさい外に漏らす必要はなく、 同時に、ファシリテータはクライアントの問題の詳細を知る必要がありません。
北岡は、「サブモダリティ」テクニック等の紹介時に、「たとえば、Photoshop のようなイメージ エディタのソフトウェアでは、NLP のいう『視覚的サブモダリティ』 (カラー、色合い、明るさ、コントラスト、サイズ、その他) に相当する要素の調整が可能ですが、回転、色の反転、消ゴム、その他を含めて、ありとあらゆる作業に関して、『コンピュータでできることは、すべて、すでに人間の頭の中で起こっている』という言い方をすることがあります。
「斎木犀吉」は、大江健三郎の小説『日常生活の冒険』の登場人物で、主人公の友人の名前です。
北岡がいわゆる「哲学者」になったのは、高校時代決定的な影響を受けた『日常生活の冒険』 (この小説には、冒頭アフリカ北海岸の記述もあり、後半部では、主人公たちがロンドン、パリに赴くのですが、このような国と地域に、北岡は、後年実際に住むことになります) に登場する犀吉をモデリングしたからだ、とも言えます。犀吉は、単語帳のようなものをいつももっていて、どのような哲学的な質問をされてもそれを見ながら即座に答えられる青年でしたが、本用語解説集は、犀吉の単語帳の北岡バージョンとも言えます (笑)。
ちなみに、犀吉のモデルは、著者である大江の義兄の伊丹十三だと言われているようです。小説の中の犀吉も、現実世界の伊丹十三も自殺してしまったのは、興味深いことです。
北岡が、2000 年に英国で出版した CD-ROM ブック。原題は『CYBERBOOK: An Integral Epistemology for Enlightenment』。
この CD-ROM ブックには、北岡が提唱する悟りのための統合的「認識論」(自分が知っていることをどのように知っているかについての科学) を紹介する 108 の HTML ファイルが含まれている、東洋最古 (ヴェーダンタ) と西洋最新 (NLP) の正統な統合を試みるユニークなブックです。
以下のページで、本ブックの一部のページにアクセスできます (ブック (オリジナル英語版と私家翻訳日本語版所収) のオンライン販売もされています)。
http://www.kitaokataiten.com/cyberbook/
北岡は、「今ここ」で起こっている純粋な 4Te (現在意識) 以外の 4Ti (過去意識) もしくは「部分的 4Ti (たとえば VeAiKiOi 等)」は、すべて、「催眠・トランス状態」である、と定義しています。
『催眠療法』という本の中で、デイブ エルマンは、「催眠」もしくは「変性意識」について、極めて興味深い定義をしています。
すなわち、エルマンによれば、ある人の 1) 批判的マインドがバイパスされていて、2) 選別的意識が存在している、 とき、その人は、催眠状態に入っている、とされています。
言い換えれば、催眠状態とは、批判的な左脳的な意識が欠如していて、催眠実践家の声だけに注意が払われているときの状態である、ということになります。
催眠技法を取り入れた心理療法の一形態。
「幼児退行」、「前世退行」、「幽体離脱」、「遠隔透視」、「忘れられた記憶の回復」その他の、通常、超常現象体験もしくは変性意識下で可能になる「眠っている潜在的能力」を開拓することで身体的および心理的療法的効果を達成することを目的としたセラピー。
「世捨て人」のことです。60 年代のヒッピーもサニヤシンと定義可能です。ヨガ実践者や放浪する修行者 (「行者」) を意味する「サドゥー」も含まれえます。
北岡の精神的師匠のバグワン シュリ ラジニーシ (OSHO) は、その弟子を「ネオサニヤシン」と呼びました。
「審神 (さにわ)」とは、神道で、「上級審の声と下級審の声を聞き分けること」と定義されているようです。
北岡の「ノーマインド/マインド/メタマインド」モデルに従えば、「審神」を、「『マインド (意識)』に入ってくる情報が、下方の『ノーマインド (無意識)』から来ているのか、上方の『メタマインド (超意識、神的意識)』から来ているのかを聞き分けること」と再定義することができます。
北岡は、NLP の「6 ステップ リフレーミング」、「無意識シグナル」等の無意識ワークを習得すれば、ある意識外のところから来る「声」が下方の「ノーマインド (無意識)」から来ているのか、上方の「メタマインド」 (超意識、神的意識)」から来ているのかを区別できるようになる、と提唱しています。
ちなみに、「ホ・オポノポノ」では、上の神的意識から来る「インスピレーション」(北岡の言う「メタマインドからのメッセージ」) と下の無意識から来る「記憶」 (北岡の言う「ノーマインドからのメッセージ」) があり、「インスピレーション」は意識に直接降りてくることはできず、必ず「記憶」のフィルターを通って下からやって来るようになっているので、4 つのマントラを唱え続けて、「ガラスの表面」をクリアにして、実際にやってきているのが「記憶」なのか「インスピレーション」なのかを見極める必要がある、という興味深いモデルを提唱しています。
また、ホ・オポノポノ系に影響された NLP トレーナー (ジュリー シルバーソーン & ジョン オーヴァーダルフ。この二人は、自己啓発系で名が知れているジョー ヴィタリに NLP と DTI モデリングを教えた人々です) は、「『無意識 (ノーマインド)』のフィルターを通って下からやって来る『超意識 (メタマインド) からのメッセージ』は、夢、記号、象徴等の形でやってくるので、これらを読み解く(暗号を解読する) 必要がある」という、極めて興味深いことを示唆しています。
NLP の「サブモダリティ」個人編集テクニックでは、「VAKO」の五感の従属要素である「映像の大きさ、距離、明るさ、色 (視覚の場合)」、「音量、音質、速度 (触覚の場合)」、「暖かさ、重さ、湿度 (触覚の場合)」等を変えることで、内的精神状態を即時的に変えることができるようになっています。
なお、私は、1995 年にドイツでバンドラー氏のトレーナーズ トレーニング コースに参加しましたが、その際の同氏との個人的な会話で、「サブモダリティ テクニック」は同氏自身のホログラフィーに関する長年の研究と、人間の脳の機能のし方へのその応用に基づいていることが指摘されました。最近の私の神経科学関連の研究によれば、どうも、サブモダリティの一つ一つに特化した各種の神経細胞の存在が証明されているようです (!)。(今後の私の研究で最終的に確認していきたいと思っていますが) もしこのことが本当であれば、人間の脳をホログラフィーであると見なした上でサブモダリティを発見したリチャード バンドラーの、現代神経科学が生まれる何十年も前にもった直感的洞察は、実に見事で、偉大なものであると言わざるをえません。
「参照機構」(英語では「frame of reference」) とは、人間が何か目の前で起こっていることを理解するために頭の中で検索 (「TD サーチ」) する際にデータベースとなる自分自身のそれまでの経験的知識の総体のことです。
私は、参照機構を「左脳的知識を右脳的体験に落としこむと同時に、右脳的体験を左脳的に説明できる双方向の『全脳的な解釈力』」の意味で使う場合もあります。
たとえば、「全脳学習」の項目にある以下の指摘が、私の言う「参照機構」の意味をよく表しています。
「自分に起こっていることを左脳 (意識) が分析できなければ、右脳 (無意識) が認識できないことは、たしか、最近の苫米地英人氏の本の中で、例示されています。
すなわち、同氏が西洋人と屋内で話をしていたとき、風鈴とその音があったが、西洋にはその概念がないので、風鈴を認識することができず、その人の意識からも落ちていたが、『artificial ventilation (人工的換気装置)』というふうに形容してあげた後、その人は初めて風鈴を風鈴として認識し始めた、ということです。」
世阿弥の「離見の見」もしくは「幽体離脱現象」を可能にさせる NLP 個人編集テクニック。
スティーブン コヴィーが『7 つの習慣』で引用しているインド人導師の格言。北岡の言う「入力 → ブラックボックス → 出力」モデルと同じ意味をもっています。北岡は、この「スペース」が存在しない人は、条件反射のロボット人間であり、スペースに無限を入れられる人が悟っている人だ、と定義しています。
「自己啓発」の英語の原語は「Personal Development (個人的成長)」ですが、北岡は、この日本語の用語は、極めて「汚染」された言葉だと思っています。
北岡の個人的理解では、西洋では、70 年代以降、あまりにも行き過ぎたセラピーの一派である「Est (Erhard Seminars Training)」 (北岡自身、80 年代初めにフランスのパリで 10 日間の Est 合宿ワークに参加したことがあります) の方法論が巷で跋扈し、これが、ある団体 (イニシャル名は「L. D.」) 経由で日本に輸入され、この団体が開催したセミナーで、参加者が (過呼吸その他の症状を発症して) 何度も救急車で運ばれるくらいハードなセラピー ワークが行われたので、この「悪評」が「自己啓発」という言葉そのものと結び付けられるようになったと聞いています (この団体のセラピーがはやっていた頃、私は日本にいなかったので、この情報は又聞きですが、多かれ少なかれ正確な情報だと北岡は思っています)。
「自己啓発難民」、「真の成功哲学者」は、最近北岡が「新北岡遇辺メルマガ」の中で使ってきている「象徴的」な用語です。
究極的には、「自己啓発難民」は、「蟻地獄」に陥っていて、一つのボックス (ループ、枠、フレーム) の中で永遠に同じことを繰り返している人々です (北岡自身、幼少期から三十代まで「自己啓発難民」でした)。一方で、「真の成功哲学者」は、元々「蟻地獄」に陥らないか、もしくはそこから脱出する方法を知っていて、自分自身のボックス (ループ、枠、フレーム) を スパイラル式に) 永続的に超越拡張していくことができる人々のことです。
NLP では、姿勢を変えるだけで内的精神状態を即時的に変えることができる「姿勢編集」個人編集テクニックが存在しています。
北岡は、生後 4 ヶ月のとき脳性麻痺にかかり、後遺症として、左半身が不随になりました。5 歳のときと 10 歳のとき、心身障害児収容施設に入所しました。最初のカトリック系施設には半年間、二回目の施設には 2 年半入所しました。これらの施設では、幼児性愛的なものも含めた極めて重度のトラウマ (精神的外傷、PTSD) 体験をもつことになりました。中学入学時に「社会復帰」しましたが、精神的に「正常」になることは難しく、それ以来、三十代半ばにバグワンと NLP を通じて完全に自己救済するまでは、綿々と続く「蟻地獄」の中から抜け出せないままでいました。
若い頃、北岡が、日本脱出を試みたのも、東洋の悟りや西洋のセラピーに強い興味をもったのも、こういう背景をもとにしていました。
最近の北岡の NLP の枠組みを超えた、「現象界」と「霊界」の相互行き来を可能にすることで、「不死」を達成しようとする、NLP および Meta Mind Work、DFT 等の北岡独自ワークを止揚発展させたワークプロジェクトの総称。
この学問の目的は、1) 人間の魂の目的をどのように知るかの明示化、2) ブラーマン (魂の究極の形) に向かう分かりやすいステップ(地図)の構築、3) ブラーマンを顕在化するためのスケールする方法論の開発、にあります。
なお、「実践的顕魂学」の名称は、商標登録申請中です。
「自分自身の師匠を超えることのできない弟子は『できの悪い弟子』である」
レオナルド ダ ヴィンチが言ったとされている言葉です。
「守破離」と密接な関係があります。
北岡は、普通の社会生活のことを「娑婆」と呼ぶことがあります。「サンカーラ (この世の諸行)」、「仮想現実」のことです。
北岡が知っている「宗教」の定義のうち、もっとも的を得ていると思われる定義は、19 世紀のインドの聖人ラーマクリシュナの高弟のヴィーヴェッカナンダによる定義です。『ラージャ ヨガ』で、彼は以下のように述べています。
「精神は、その一つ一つが潜在的には神だ。
目的は、外部と内部の自然をコントロールすることにより、この神性を顕在化することにある。
このことを、日常の仕事、崇拝、サイキック コントロール、哲学のうちの一つ、二つ以上、またはこれらすべてを通じて行うがよい。そして自由になるのだ。
これが宗教のすべてだ。教義、教条、儀式、経典、寺院、形態等は、二次的な枝葉末節以外の何ものでもない。」
(この引用で、「日常の仕事」、「崇拝」、「サイキック コントロール」、「哲学」はそれぞれ、カルマ ヨガ、バクティ ヨガ、ラージャ ヨガ、ジュナーナ ヨガの 4 つのヨガの手段を表しています。)
「道を極めようとするときの成長過程を示した概念」として、茶道で使われる「守破離 (しゅはり)」という言葉があります。
すなわち、「守」とは、師の教えを守りながらひたすら基本を身につけることです。このことは、私が私のワークでいつも強調している「数少ない一定数の語学の規則、コンピュータ操作のし方、NLP の基本的モデルの徹底的、機械的な学習」と完全対応しています。
「破」とは完全習得した師の教えを基礎として自分の個性を活かし、自分自身のものを創造する段階です。
「離」とは、自由自在に行動しながら、今までの師の教えを超越していく段階です。これについては、私は、「自分自身の師匠を超えることのできない弟子は『できの悪い弟子』である」と言ったとされるレオナルド ダヴィンチの立場を引用することがあります。
私の NLP 学習の場合について語ると、80 年代後半から NLP 四天王の実際のワークをただただ観察し続けて自己同化し (「守」)、その後 7 年間英国の自宅にこもって毎日 10 個程度の「個人編集テクニック」を実践し続け (これも「守」です)、その後、無意識に任せてまったく「我流」の教えをしてきています (「破」)。(ちなみに、この我流性が、私のワークに触れる「玄人」のトレーナーには非常に新鮮に (そして「神秘的に」) 写るようです。)
「抑圧」、「昇華」という用語はフロイトを始めとする精神分析的傾向のある心理学で頻繁に使われる概念ですが、実に興味深いことに、NLP では、「人があることに気づいているかどうか」が問題にされるだけなので、「抑圧」も「昇華」も、NLP 用語にはありません。
さらに言うと、「人があることに気づいているかどうか」の観点から、NLP には「意識」と「無意識」の区別はありますが、「潜在意識」も「顕在意識」も、用語として使われていません (おそらく、「無意識」と「潜在意識」あるいは「意識」と「顕在意識」を明確に区別できる人はいないように思えます (笑)。結局のところ、これらの用語はすべて「名詞化」です)。
NLP では、「土地は地図ではない」、「コミュニケーションには、失敗はなく、ただ結果だけがある」、「すべての行動はコミュニケーション メッセージである」その他の「諸前提」が提唱されています。さらに、これらの左脳的知識を右脳的体験に落とし込むことができる「NLP 諸前提」個人編集テクニックが存在しています。
「シンクロニシティ (Synchronicity)」の略です。ユングが提唱したモデルで、「共時性」と訳されています。
現象界的には因果関係がない (ように見える) 状況で起こる「偶然の一致」のことですが、「隠秘学 (オカルト)」的には、宇宙にあるすべての要素は相互関係しているので、特に驚くべき現象でもありません (この現象は、ホログラフィーのモデルによっても説明がつきます)。
北岡は、最近独自開発した 「 RPG ゲーム」や 「Meta Meta Work」ワークにおいて、「神的意識の世界」と「霊界」と「メタの世界」をほぼ同じ意味で扱っています。
「Neuro-logical Levels (ニューロロジカル レベル)」の北岡訳。各レベルが順次、より心理的に包括的になり、影響力をもつようになる内的階層組織です。これらのレベルは重要度順に見て、1) アイデンティティ、2) 信念、3) 能力、4) 行動、5) 環境です。
北岡は、各心身論理レベルの内容は、アンカーリングとしての「思考の癖」のプロセスの結果生み出されていると考えています。すなわち、「アイデンティティ」を含めて、思考の癖を学習解除、再学習することで、いかなるボックス (枠、フレーム、ループ、パラダイム) からも抜ける (= 自己同一化解除をする) ことは可能、と見ています。この「自己同一化解除」に必要なのは「メタ力」です。
「信念体系統合」は、NLP 個人編集テクニックの一つです。本演習では、否定的な信念と肯定的な信念を止揚統合して、アイデンティティの永遠の拡張としての新たな自分を発見し続けることができます。
通常、私は、NLP 認定資格コースを開講していた頃、「死ぬ気で観察しろ」くらいの意気込みでデモ演習をしていて、また、一度見たら頭の中で、すぐそのまま演習を「イメージング再生」して人に施術できるだけの「トレイサビリティ (再生、反復能力)」の能力をコース参加者に要求していましたが (笑)、 これは、1988 年来私が「NLP 四天王」から学んだときの、教える側と教わる側の間の「暗黙の了解」としての首尾一貫した「学習ストラテジー」でした。
すなわち、過去、四天王から学んだとき、私は、いろいろなことを、意識では理解できないまま詰め込み式に学習させられました。
この「真の NLP の学習法」は、(日本的な)「左脳による完全理解主義」を捨てて、ありとあらゆる形で左脳を「オーバーロード (情報過多)」させる環境に自分をおいて、(パニックの中で) 左脳の働きを停止させ、自分ができるかどうかも、理解できているかどうかもわからない「ノーナッシング ステート」下で、ただただ無意識が必要な学習を自己同化するに任せる、というやり方です。
このような NLP 的な本格的学習法が実際に存在していて、それに則ったら、実際に、私は「天才」になった、そして、私は、自分のコースでそのような学習法を教えていた (朝の「朝礼」と呼ばれる 1 時間程度の左脳的講義で参加者の左脳を「オーバーロード (情報過多)」させ、その後に、右脳的な演習を実践的に体感してもらいました) のですが、国内の教育法とはまったく正反対で、日本人にはあまり馴染まなったようです。
言い換えれば、NLP は、意識的学習の学問ではなく、「無意識的モデリング」の学問で、日本の教育法とは、真っ向から相対立する「両脳、全能」的方法論なので、日本人には、「理解できているかどうかもわからない『ノーナッシング ステート』下で、ただただ無意識が必要な学習を自己同化するに任せる」のような無茶振りは、とうてい理解できないと思います。
改めて今考えると、こういう「ノーナッシング ステート」下で「扁桃体を快にして学習を続けらる人」が、その後伸びていくのだと思います。それ以外の人は、残念ながら、伸びないです (笑)。個人的には、これ以外に「大人の世界地図をもった人が伸びる」方法はないと思っています。
言い換えたら、無意識 (右脳、大脳辺縁系・脳幹部) が理解したら、とんでもないことが起こるが、意識 (左脳、大脳皮質) が理解しても、何も特別なことは起こらない、ということになります。
北岡は、あることが真理であることを確認する手段として、以下の 3 ステップ手順を提唱してきています (この手順は、ケン ウィルバーがその『目には目を』で提唱した「妥当なデータ蓄積の 3 要素」に基づいています)。
1.命令。これは、たとえば、「もしこれを行えば、それを獲得します」というような、(命令内容の妥当性を) 知っている者による指示です。
2.個別確認。命令に従った人が命令内容の妥当性を自分自身のために確認します。
3.共同確認。命令に従った一定数の人々が、命令内容の妥当性に関する自分自身の確認を相互共有し、この時点で、命令内容がこれらの人々が属するグループの中で真理として見なされるべきことになります。
科学的な真理の確認 (科学者は、同じ条件下で実行される反復実験で同僚が同じ結果を得ることに重く依存しています)、ユークリッド幾何学の公理、(「現代で最も偉大な 1 人のファッション デザイナー」ではないにしも) 「現代で最も偉大な複数のファッション デザイナー」 の確定、政治的運動の盲目的な追従等を始めとして、この手順はどのような領域においても機能しているように思われます。
このようにして確認された真理は、その妥当性を確認する人々のグループの中だけで妥当であることを強調しておく必要があります (ここには同語反復があります)。
ある特定の真理を確認するための上記の手順を考慮すると、この「科学の部門化」の時代に、1 つの体系内で専門家が発見した真理は、その体系の機能のし方を知らない部外者によっては容易に理解、受容されないかもしれない一方で、長期間充分に 1 つの体系内で研究する者は皆必然的にその体系内の普遍的結論 (すなわち、真理) に到達するはずである、ということが明らかになります。
人々が容易にお互いに意見を共にすることができない理由は、普遍的真理があまりにも難解であったり、理解するにはあまりにも捉え難いものであったりするからではなくて、むしろ人々は、部門化された各科学分野で確認できる「小さな」真理を「大きな」普遍的真理に統合するための手立てを (少なくとも現在のところ) もちあわせていないからです。
北岡は、仮にさまざまな真理が「論理階梯 (ロジカルタイプ) の理論」に基づいて適切に整理されることが可能になれば、複数の小さな真理を普遍的真理の中に統合することは可能であると信じています。
「スパイラル式良循環」は、「スパイラル弁証法」を意味する北岡の造語で、1) 「蟻地獄」から脱出して、2) 「現象界」と「霊界」の間の行き来 (「止揚統合」) ができるようになり、3) スパイラル式の「永遠の自己アイデンティティの拡張」ができるようになるプロセスを意味しています。
北岡は、このプロセスは、「療法的論理タイプの誤謬」を犯せば、可能になると主張しています。また、このプロセスは、最近の北岡の「RPG ゲーム」、「Meta Meta Work」で、実際に右脳的に体験、実現することが可能になっています。
さらに、このプロセスは、北岡が提唱する「実践的顕魂学」の教えの中核を占めています。
ちなみに、北岡が実生活のレベルで「スパイラル式良循環」を可能にしたことが、北岡自身の「どのようすれば自己啓発難民から真の成功哲学者への移行が可能になるか」の永遠のテーマに対する実践的、決定的な答えとなっています。
『誠実な影響』は、北岡が翻訳出版した、ジェニー ラボード著の、もっとも優れたビジネス向け NLP 入門書のタイトルです。
ラボードによれば、人間コミュニケーションにおて、相手の目的を無視して、自分自身の目的を相手に押し付けるのは「悪意のある操作」である一方で、自分と相手の目的を相互に刷り合わせして、同じ目的に自分と相手を誘導するのは「誠実な影響」です。
「誠実な影響」は、BATNA モデルと密接な関係があります。
北岡が過去に研究した精神世界の導師には、パタンジャリ、シャンカラチャリヤ、ヴィーヴェッカナンダ、マダム ブラヴァツキー、グルジェフ、ウスペンスキー、オルダス ハックスリー、アラン ウォッツ、ラム ダス、ケン ウィルバー、バグワン シュリ ラジニーシ、ネヴィル ゴダード、ウィリアム ウォーカー アトキンソン、ガリー ラヒマン、その他がいます。
NLP で、世界を適切に理解するために提唱される地図、公式のこと。「モデル」、「世界についてのモデル」と同義語。
コーチ、セラピスト等がクライアントに対して行う時間が限定されたワークのことです。
通常、「療法」と訳されます。セラピーは、心理療法 (Psychotherapy) と身体療法 (Physiotherapy) に分類可能です。本用語解説集では、前者の意味で使われています。
歴史的には、フロイトの精神分析がセラピーの始まりと認識していいと思われます。その後、精神分析の限界性を越えるべく、ゲシュタルト、エンカウンター、プライマルを始めとする無数の西洋心理療法の学派が生まれました。
NLP は、当初、1975年に、これらの西洋心理療法の学派を統合する方法論として生まれ、1980 年以降、一般的コミュニケーション心理学に変容してきています。
全脳学習 (左右脳交流学習)「Choice Point」の訳語。ある「仮想現実」の時点で、実は、人間は、条件反射的に動かされているのではなくて、3 つ以上の行動選択肢をもちうる、ということを提唱するモデル。
北岡は、1988 年に初めてジョン グリンダー氏から NLP トレーニングを受けたとき、この概念を学びました。実は、このことは、国内で教えた 12 年間の北岡の資格認定コースでは一度も明示化したことがないことですが (当時は、意識的には気づいていなかったからですが)、おそらく、北岡自身にとって、人生上あるいは認識論的考察上もっとも重要と見なすことができる NLP モデルが「選択点」です (おそらく、1988 年当時、北岡が NLP にはまった理由は、人生上「選択点」を発見したことにあった、と言ってもいいくらいです)。
北岡ワークは、左脳的知識を右脳的体験に落とし込み、右脳的体験を左脳的に微細に分析した上で、再度右脳的体験に落とし込むという、「スパイラルな『全脳』学習」の特徴をもっています。
自分に起こっていることを左脳 (意識) が分析できなければ、右脳 (無意識) が認識できないことは、たしか、最近の苫米地英人氏の本の中で、例示されています。
すなわち、同氏が西洋人と屋内で話をしていたとき、風鈴とその音があったが、西洋にはその概念がないので、風鈴を認識することができず、その人の意識からも落ちていたが、「artificial ventilation (人工的換気装置)」というふうに形容してあげた後、その人は初めて風鈴を風鈴として認識し始めた、ということです。
また、最近北岡が読んだ脳機能に関する書物によれば、極度の癲癇症の症状を解消するために「脳梁 (右脳と左脳を結んでいる神経群) 切断」の方法が取られたことがあったが、この手術を受けた患者の左目 (感情に近い右脳に情報が送られます) だけに「母親」という文字を見せたら、患者は、暖かい感じを全身に覚えたが、言語活動を司る左脳 (「母親」という文字の情報は左脳には送られていません) でなぜ暖かい感じを感じるのかは言えなかった、という実に興味深い臨床結果があったそうです。逆に、「殺人」という文字を患者の左目だけに見せたら、患者は、嫌な思いを全身感じたが、なぜ自分が嫌な思いをもっているのかは言えなかったそうです。
この臨床結果は、脳梁切断という例外的な病理学的な症状ケースの患者についてでしたが、北岡は、「健常者」にも、「左脳と右脳の交流がない」場合は、程度の問題はあれ、多かれ少なかれ、この「脳梁切断」後の患者と同じことが起こっているのではないか (= 自分がもつ感情が何をもとに生まれているかがまったく認識できないでいる)、という「空恐ろしい」見立てをしています。
以上のことは、エクハルト トールが提唱している「ペイン ボディ」とも、密接に関係していることは、明らかだと思われます。
ここに、全脳学習ベースの北岡ワークの意義と重要性があります。
また、最近、北岡は、ある本の中で、「『サブリミナル』的に脳に入力された刺激に対して無意識が反応することで引き起こされる行動について、意識はなぜその行動を取ったのか説明することができない一方で、実際は自分が選択した決定ではないのに、(「実験上のトリック」を通じて) 自分が選択したと思い込まされる場合は、あたかも自分がその選択をしたかのように、選択理由について滔々と説明する傾向がある」ことを証明する多くの神経科学関連の実験結果があることを知りました。
この状況は、上記の脳梁切断の手術を受けた患者の状況に近いと思いますし、また、ここに、「大衆操作」および「蟻地獄 (=自己啓発難民状態) からの脱却法」に関して決定的なヒントがあると思いました。
「多重人格症」とは、一人の人間の中に複数の人格をもったパーツが存在していて、ある人格が表に出ると、他の人格は脇に下がり、かつ、相互の人格間に意思疎通がない病理学的な現象のことです。
ただし、健常な人間でも、たとえば、「自信のない自分」はなかなか「自信のある自分」移行することは簡単にできない (この逆もまた真です) のですが、このことは、健常者も「マイルドな多重人格症」をもっているということを意味しています。
北岡は、多重人格症の現象のメカニズムは、SDMLB のモデルで説明することができる、と考えています。
「超越機能 (Transcendent Function)」は、ユングが提唱した重要な概念の一つです。北岡の解釈によれば、「超越機能」は、北岡自身が提唱している「『マインド』と『ノーマインド』を止揚統合して『メタマインド』を達成すること」を意味しているように思えます。
さらに、このメタマインドを獲得することで「ホーリスティックな自己」を達成する過程を、ユングは、「Individuation」(通常は「個性化」と訳されていますが、「自己実現」と訳すべきだと思います) と呼んでいる、と考えられます。
ちなみに、しばらく前に、大学院レベルで心理学を学んだという元学生の方とユングの話をしているとき、「私が以前いた大学院の先生方は、ユングの『超越機能』や『個性化』が何を意味しているか意見が分かれていて、誰もその意味が明確にわかっていないので (!)、修士もしくは博士論文を書くときは、そのような用語は使わないように、という学内のお達しが出ていた」とおっしゃったので (!)、私は、「そうなんですか、私の 『Meta Mind Work』ワーク等では、その二つのメカニズムを、左脳的に理解するのではなく、右脳に落とし込んで体感する演習がいくつかありますが、たぶん、そのことを体感できていない学者たちは、左脳的な議論だけに終始しているのでしょうね。その先生方に、ぜひ、私の実践的 『Meta Mind Work』ワークを実際に受講してもらいたいと思いますね」と申し上げたことがあります。
「エナンシオドロミア」の項目も参照してください。
「脱催眠療法 (デヒプノセラピー)」は、北岡が 80 年代に米国西海岸の自身の精神的師匠のコミューンで参加した計 7 ヶ月間 (1,700 時間) の催眠療法コースです (トレーナーは、スワミ サントッシュでした)。
このコースで、北岡は、ゲシュタルト、エンカウンター、プライマル、催眠療法、その他の現代西洋心理療法を体験し、その後の自身の「ファシリテータ (コーチ/カウンセラー/セラピスト)」の活動の基盤となっています。
特に、「脱催眠療法」では、アラン ウォッツ風に「古代東洋の瞑想と現代西洋心理療法の統合」が図られていましたが、北岡は、この図式をさらに発展させて、「古代東洋の瞑想と最後の現代西洋心理療法としての NLP の統合」ワークを長年にわたって提唱、開講してきています。
社会には、必然的に、様々な「タブー」があって当然ですが、国内には、「ポルノ (ポルノグラフィー)」、「化学的変性意識」その他のタブーがあるかと思います。
このうち、「ポルノ」については、1990 年代初めの「ヘアー解禁」以前では、公務員の税関職員が「水際作戦」で、『プレーボーイ』誌等に掲載されたモデルの写真の局部を、一人一人、手作業で黒く塗り潰していた (笑) という厳然たる歴史的事実を、今の若い人はいっさい知らないようです (私は、この事実が現在広く知られていないことは、極めて重要な意味をもっていると思います)。現在では、ポルノは、インターネット経由で、事実上解禁されていると言ってもいいかと思いますが、この状況から見ると、以前の状況は、なんと「強迫観念」で、「笑止千万」な笑劇だったかと振り返ることができると思います。
一方では、「カウンターカルチャー」の精神が綿々と生き続いている西洋の各国では、もう一つのタブーの「化学的変性意識」もどんどん「解禁」されてきていますが、国内では、いまだに事実上の解禁の気配がほとんどないことは、実に、興味深いことです。
私は、仮に国内で解禁されたら、「ポルノ」の場合と同様、「あの当時の人々はなんと『不合理』だったのか」というふうに過去を振り返るようになると思っています。
特定の観点または視点。NLP では、特定の経験を知覚する際取ることができる基本的ポジションには 3 種類あります。第一ポジションは、第一人称の視点とアソシエートした自分自身の目であることを経験するポジションです。第二ポジションは、他の人の立場になったかのようにあることを経験するポジションです。第三ポジションは、一歩後退して、オブザーバの観点から自分自身と他の人々の関係を知覚するポジションです。
NLP では、人間コミュニケーション等において、実体、人格はない、あるのは知覚ポジションだけだ、とも言われています。
「チャンク」とは、人間の脳が情報処理する際の情報の単位のことです。人間は一度に最高 7 ± 2 (5 〜 9) の情報単位を処理できる、と言われています。たとえば、「0312344321」の電話番号は 10 桁で、処理脳能力を超えているので、「03-1234-4321」というふうに、各々 7 ± 2 の情報単位を超えない 3 つのチャンクにまとめる必要があります。
なお、「チャンクアップ」とは抽象度を上げることで、「チャンクダウン」とは抽象度を下げることです。
「超常現象」には、「幽体離脱」、「憑依現象」、「遠隔透視」、「サイコキネシス (観念動力)」、「多重人格症」、「デジャブ (既視現象)」、「未来予知」、「前世退行」、その他の非日常的な現象が含まれます。
多くの人々は、主に子供の頃、「デジャブ」経験をもったことがあると思われますが、北岡自身は、中学生のとき、お昼休みにサッカーのプレー中に他のプレーヤーと頭がぶつけたとき、超常現象を引き起こす「変性意識状態」に入り、教室に戻った後、教師がこれから喋ることがすべて予めわかり、その教師が約 20 分間その通りのことを口にする、といった体験をもちました。高校生のときには、体育の時間のハードル競争の際、ハードルに足を引っ掛けて転倒したときも、頭を打って、かなり深い変性意識状態に入り、自分自身を見つめている自分になったりして、自分がいったい今どこにいるかわからない、といった「完全な時間と空間の歪曲」を体験したりしました。
最近、北岡は、それまで私家版販売していた、北岡が 2012 年に最後に開講した「NLP (プラクティショナー & マスター プラクティショナー認定) 資格コース」の DVD 商品を期間限定で特別販売しました。
その際、その商品の購入者のお一人から「この 資格コース DVD を使った資格コースは開講されないのですか?」という意味の質問を受けました。
北岡は、この質問を受けるまでは、資格コース DVD と北岡の団体の「資格認定」を紐付ける意図は、これまで特にありませんでしたが、現在、将来的に、「資格コース DVD と資格認定の紐付け」は、充分検討してもいい可能性であると思っています。
たとえばのアイデアとしては、「通信制の資格認定コース」を開講し、教材は該当の「資格コース DVD」で、「1) 北岡もしくは北岡が認めるトレーナーの講義を一定時間以上受講すること」と「2) 査定試験を受けて合格すること」を条件に、資格認定を与えるということは、充分可能な制度ではないか、と、思っています。
この「通信制の資格認定制度」の詳細と「教材込の価格」は、「前向き」に検討していきたいと思っていますが、個人的には、このような制度に興味をもたれる、地方在住の方々も数多くいらっしゃるのでは、と思っています。
ある特定の経験をしている自分自身を、あたかも他の人を見るように外側から経験することです。「部外者意識」。反義語は「アソシエート」。
NLP では、「テクニック」、「演習」は、ほぼ同義語です。NLP ワーク参加者は、ファシリテータが行う「デモ演習」をもとに、グループ演習を実際に行います。
NLP ワークで、ファシリテータが任意のクライアント役の参加者を相手に行う「デモンストレーション」の演習のことです。「モデリング」と呼ばれる場合もあります。ワーク参加者は、デモ演習を見た後、グループ演習を実際に行います。
「最高位の価値基準」のことです。 ジョン ディマティーニ氏は、人間どうしのテロスをすり合わせることできる「BATNA」の実践的方法論を開発しています。
コミュニケーション概念の「首尾一貫性」は、精神主義的な意味ももっています。すなわち、「同時的首尾一貫性」と定義される首尾一貫性は、通常、偉大な精神世界の導師が見せる非常に顕著な局面の一つです。一方で、これらの導師は、同時に、「連続的首尾一貫性の欠如」を見せる傾向があります。すなわち、彼らは、「今ここ」の瞬間にい続けることに集中しきっているので、今日言うことが昨日言ったことと抜本的に矛盾する場合があります。他方、「今ここ」の経験をまったく見逃している「凡人」は、皮肉なことに、「連続的首尾一貫性」を維持しようとすることにあまりにも固執しすぎている場合があります。
究極的に「同時的首尾一貫性」を達成している人は、瞬間瞬間を一期一会的に生き、かつ瞬間瞬間が各々完全に完結しているので、「いつ死んでも OK」の状態にいると言えます。ちなみに、この状態を作り出すのが「瞑想」の目的であるように、北岡には思えます。
フェルデンクライス整体学の創始者モーシェ フェルデンクライスの著書『The Elusive Obvious』の訳です。「コロンバスの卵」の項も参照してください。
(NLP 誕生以前の) 心理療法を含めた西洋の現代心理学の学派の間で、最も興味深く、有望なのはトランスパーソナル心理学でしょう(北岡自身、もし 1988 年に「ジョン グリンダー式 NLP」に出会っていなかったら、まちがいなく、トランスパーソナル心理学者になっていたと思います)。3 人の卓越した トランスパーソナル心理学者はケン・ウィルバー、チャールズ・タルト、スタニスラフ・グロフです。これらのトランスパーソナル心理学者のそれぞれの貢献と限界性を、ごく簡単な形で以下に要約します。
ケン・ウィルバー:東洋の奥義の叡智 (特に、ヴェーダンタの「五つの鞘 (= 意識レベル)」のモデル) を西洋心理学に紹介 (または統合) したウィルバーの貢献は高く評価されるべきです。意識のスペクトルに関する彼の解説は、西洋人が東洋の密教を非常に論理的な形で理解するのを支援します。彼自身のモデルの基本的な概念は、厳格な意味では新しいものではなく、長い伝統的な東洋の叡智のまさしくその核心部分です。北岡の意見では、ウィルバーの「アートマン プロジェクト」は、純粋に論理的な方法で悟り (またはブラーマン/アートマン同一性) を詳述しようとした西洋で最初の正統な (そして成功した) 試み、すなわち、論理を超えたことを論理的に説明しようした試みです。
チャールズ・タルト:タルトの人間意識に関する図表を使った解説は独創的で、「個別の意識状態 (d-SoC) 」と「個別の変性意識 (d-ASC) 」を理解するのを支援してくれます。彼は、人間の変性意識を効果的にモデル化/マッピングすることに関して最も成功した心理学者です。彼の理論的な局面により、あまりにも分析的、論理的になる傾向があるので、逆説的に、彼自身が経験的に「トランスパーソナルの領域」に入ることが妨げられることがあるかもしれません。
スタニスラフ・グロフ:LSD を含めた「化学的に誘発された意識状態」を通じたトランスパーソナルの領域に関するグロフの研究は非常に科学的で、適切に記録されています。彼が提唱するコンセプトの「凝縮経験システム (COEX システム) 」は、ユングの原型 (アーキタイプ) の彼自身の解釈版であるように思われます。彼は (正しく) 自分はフロイト派の精神分析を超えていると主張しますが、依然として (ユング派の) 精神分析の枠内で機能していることは否めません。LSD の使用が非合法化された後は、彼は、音楽と呼吸演習を使ったドラッグなしの「ホロトピック療法」を考案しましたが、この方法は、残念ながら、プライマルやリバーシングのような他の現代心理療法の学派と同じくらい制限的なものであると言えます。
ワーク内のデモ演習、あるいは、ある人が自分に対して行っているワークを一度見ただけで、頭の中で、すぐそのまま演習を「イメージング再生」して、かつ他の人に施術することができるような「再生、反復能力」のことです。
二重拘束は、単一の論理レベル (たとえば、特定の問題の内容または詳細のレベル) にとどまることを強いられ、逃げ場のない悪循環または「終わりなきゲーム」に悪循環に陥っている状態として定義されます。
二重拘束の単純な例は、母親がその子供に「自発的でありなさい」と言うときに見い出されます。この命令に従うためには、その子供は命令を基に「自発的」になる必要があるので、自発的ではなくなります。この意味で、その子供は 、自発的であろうとしてもしなくても、いずれの場合も、母親の意志を満たすことが決してできない逃げ場のない状態に陥っています。同様に、母親が、あまりにも依存している子供に「あまりおとなしくし過ぎないように」と言うときも、子供はその命令に従うために母親に背くことが要求されているという意味で、その子供には二重拘束が課せられています。
グレゴリー ベイツンの指導下の「メンタル リサーチ インスティチュート」 (MRI、精神研究所) の研究者たち (すなわち、パロ アルト グループ) は、このような二重拘束に陥った子供たち (そのような子供は通常、「もしそうしたら、怒られるだろう。もしそうしなかったなら、やっぱり怒られるだろう」と感じます) は、その二重拘束からの逃避手段として、たとえば外界とのすべてのコミュニケーションを閉ざす等の統合失調症の行動を提示し始めると主張しながら、統合失調症の主な原因を究明しました。
私は、英国から 2001 年に帰国したとき、国内に 60 万人のニートがいることに驚愕し、「ニート撲滅運動」を宣言したことがあります。以下その経緯を説明します。
私自身、1970 年代初頭の高校時代に、団塊の世代の人々が私に焚きつけた「学生運動、ロック ミュージック、ドラッグ カルチャー、カウンター カルチャー、精神世界等に関連した生き方」が私の「原体験」となっていて、国内でできなかったこのような生き方を、25 歳で大学を卒業してサハラ砂漠に渡った時代から、言ってみれば、「逆ガラパゴス諸島化現象」として、首尾一貫して求め、かつ実践してきていて、そして、その生き方の最終到達点が「カウンターカルチャーの『落とし子』である心理学」の NLP であったわけですが、この生き方を極めた後、2001 年に帰国したとき私が発見したことは、私にこのような生き方を煽動した「張本人」である団塊の世代の方々は、象徴的な事件としての 1969 年 1 月の安田講堂占拠事件の後、(長髪を切り) 大企業に就職して、いまや大挙して引退退職の途中で、その「言行不一致」の過程の中で、60 万人のニート族という「負の遺産」を残していた、ということでした。
すなわち、私は、団塊の世代の方々は、安田講堂陥落以降は、「若気の至り」を隠し、忘れようとすることに専念し始めた、と考えています。このことのよかった点は、その後、団塊の世代の方々が、おそらく「若い頃の『挫折コンプレックス』」を糧にして、1980 年代に「エコノミック アニマル」として世界で大活躍し、バブル期に世界を席巻したことですが、悪かったことは、バブル崩壊後は、何十万人というニートが生み出されたことに象徴される「病んだ精神」の時代を作り出したことです。
思うに、グレゴリー ベイツンの「ダブルバインド (二重拘束)」理論の観点から言っても、団塊の世代の「言行不一致」により、その子供もしくは孫の人々が「自閉症ぎみ」もしくは「引き篭もりぎみ」になって、世界でも類を見ないニート族の社会現象を起こしているのは自明の理のようにも思えます。
もちろん、どの世代の方々にも「言行不一致」が見られることは事実で、団塊の世代の人々だけを悪玉視することには不合理性もあるでしょうが、私個人としては、この方々が私を「代替の生き方」を求めて長期の海外生活をするようにプッシュした、という思いが強いので、この方々に NLP を知っていただき、実践していただくことを通じて、彼らの負の遺産であるニート族をなくすことで、「落とし前」を取っていただくことの支援をさせていただきたい、と思っている次第です。
「自閉症ぎみ」もしくは「引き篭もりぎみ」のニート族を支援する最高の方法論として NLP が使えることは、言わずもがな、です。
北岡は、本来的な「自己啓発 (Personal Development)」運動の源泉は、ウォレス D. ワトルズ、チャールズ ハーネル、ジョセフ マーフィー、ネヴィル ゴダード、ナポレオン ヒル、ジェームズ アレン、オリソン マーデン、ウィリアム ウォーカー アトキンソン (アトキンソンの著書の一つの副題は『本書は影響力がありすぎるので、一般大衆向けには発禁にすべきだと言う人もいます』になっています! なお、この本は一応和訳されています) 等が提唱した「ニューソート (新思想)」(成長の家の創始者の谷口雅春もこの運動から強い影響を受けています) にあると思っていて、かつ、「ニューソート」の現代的焼き直し版が、巷で流行ってきている「引き寄せの法則」であると理解しています。
ゆえに、真の意味で「引き寄せの法則」を理解するためには、ニューソートの正統な源泉を、それも英語で研究すべきである、というのが北岡の個人的な意見です。
睡眠に入る直前の、覚醒状態 (意識) と睡眠状態 (無意識) の間の垣根が取り払われた「無人地帯」的精神状態。北岡は、この状態で、目的達成の想像トレーニングやアファメーションを行うと、効果が絶大であると見ています。
「出眠時催眠状態」は、睡眠状態と覚醒状態の間の、同様な精神状態です。
「Epistemology」の訳語です。
認識論は、「自分が知っていることをどのように知っているか」についての知識 (または科学) と定義され、私たち人間の脳のメカニズムについての認識論的研究が NLP のようなコミュニケーション心理学の重要な基盤となっています。
すなわち、認識論により、私たちの日常生活で直面する問題の内容を決定するプロセス (またはパターン) を知ることができ (プロセスは内容より「一つ高い論理階梯」にあります)、問題の克服が可能になります。認識論的研究により、さらに、論理階梯の階層を登ることにより、「学習の学び方」を知ることができるようになり、そのことによりいかなる分野の学習プロセスを加速化することもできるようになります (私たちの学習プロセスまたはパターンを扱うので、学習する内容そのものはもはや重要ではなくなります)。
「認識的拡張主義」(「Cognitive Expansionism」) は、ユヴァル ノア ハラリ氏が『サピエンス全史: 文明の構造と人類の幸福』で使っている「認識的革命」(「Cognitive Revolution」) を北岡式に言い換えた用語です。
ハラリ氏によれば、15 世紀において、東洋の近代帝国主義者たちは、自国の領土を水平方向に広げることだけに苦心していた一方で、1492 年にアメリカ新大陸を発見したのは近代西洋帝国主義者たちで、この西洋帝国主義者たちの「航海の身の危険も顧みないで、自身の認識的アイデンティティを異次元まで拡張させる目的で、まったく別の処女地を開拓できた開拓者精神」のことを「認識的革命」(北岡の言う「認識的拡張主義」) と呼んでいます。以下に、明朝の船と新大陸を発見したコロンブスの船の比較図がありますが、北岡は、東洋と西洋の近代帝国主義者たちのマインドの大きさ/広さの「反比例的」な比較を比喩的に表しているように思えます。
北岡の理解では、近代ヨーロッパの歴史は、首尾一貫して、「認識的拡張主義」に基づいた歴史で、コロンブスのアメリカ大陸発見以降、アメリカ独立宣言、東海岸からカリフォルニアに向かった「ゴールドラッシュ」、奴隷解放、電球・自動車・飛行機・電話・ラジオ・テレビの発明、不幸な二つの世界大戦後の「核軍縮」、アポロ 11 号の月面着陸等を経ながら、1960 年代後半の「カウンターカルチャー」の「意識の革命」を契機として起こった、現代のインターネット革命、IT 革命、分子生物学 (DNA/遺伝工学) 革命、等の歴史の流れにも、この認識的拡張主義が綿々と継続されてきている、ということになります。
この何世紀にもわたる「認識的拡張主義」(この主義の 15 世紀以前の源泉については、北岡はまだ研究しきれていません) の 21 世紀版の産物が「GAFA」であったり、「LGBT」、「SDGs (持続可能な開発目標)」、「気候変動対策」、「脱炭素社会化」、「電気自動車社会」、「GAI (生成型 AI)/ ChatGPT」等の現在の日本の時事トピックだったりすることを知ることは、ある意味、畏怖の念さえ覚えさせる歴史的事実です。
「ネスティッド ループ」とは、催眠誘導等で、いろいろなストーリーを意識的に「入れ子」状態に何重にも重ねて、あるときはループをそのまま閉じないままにさせたり、あるときはずっと後で無関係のストーリーを話しているときに該当のループを閉じたりすることで、聞き手に深いトランス状態を引き起こさせるテクニックです。
このテクニックでは、あるストーリーを話しているときに、ある言葉から始めて突然まったく別のストーリーに移動して小ループを作った後で、そのループを閉じた後、何もなかったかのようにループの中断が始まった該当の言葉に続く言葉を言うことで元の大ループのストーリーに戻ると、そのクライアントが催眠誘導から目覚めた際、小ループで語られた内容は完全に記憶喪失しているということが起こります。
「あれでもない、これでもない」を意味するサンスクリット語。北岡は、この語を「自己同一化の解除」と訳しています。
すなわち、「瞑想」においては、「五つの鞘」 (「肉体」、「エネルギー (気)」、「記憶」、「知性」、「至福」) もしくは 「心身論理レベル」 (「環境」、「行動」、「能力」、「信念」、「アイデンティティ」) と「アートマン (真我)」と間の自己同一化の解除のプロセスを形容する語として使われています。
北岡は、NLP は、過去に経験したことのある特定の体験を生み出している脳内に分泌されている、ドーパミンその他の脳内麻薬を、実際にそのことを再度経験しなくても、頭の中で「再生成」できる方法論であると、考えています。
北岡の長年の研究によれば、通常「すべての精神状態を超えている」と言われている「悟りの状態」についても、(いったん、「ミニ悟り」なりを体験することさえできていれば)「実際にそのことを再度経験しなくても、頭の中で『再生成』できる」という結論が出ています。
特に NEW コード NLP で実現される、意識的には何も考えない「Know Nothing State (何も知らない状態)」。「ノウ ナッシング ステート」では、無意識的な潜在性が 100% 引き出されます。
NLP は、世界最高の催眠療法の権威のミルトン H. エリクソンを「モデリング」することで誕生しましたが、この際に、NLP 創始者のグリンダーとバンドラーは「ノウ ナッシング ステート モデリング」を行ったと言われています。
苫米地英人氏の初期の本の中に「二人の間に完全なホメオステータス (極めて強固なラポール) が成立されている場合、一人が内的世界に東京タワーと青い空を描くと、自然と、もう一人の内的世界に東京タワーと青い空が描かれ、かつ前者が青い空を緑にすると、後者の青い空も自動的に緑色に変わる」 (逐語引用ではありません) という記述があります。
北岡は、二人のコミュニケータの間でこのような状態が達成されているとき、その二人は「ハイパーラポール」関係にある、と定義することがありますが、苫米地氏は、さらに踏み込んで、「ある集団において、構成員全員がある一人の『カリスマ』をもった人に対してもつ集合的ラポール」のことを「ハイパーラポール」と呼んでいるようです。
なお、北岡の (個人間のラポールの) 定義であれ、苫米地氏の (集合的ラポールの) 定義であれ、北岡の「無意識活性化」ワークでは、「自分の内的表出書き換えを行うことで、他の人の内的表出書き換えを行う」ことにより「ハイパーラポール」を達成するテクニックが紹介されています。これは、「NLP とオカルトの狭間のテクニック」と形容しても過言ではないかもしれません (笑)。
北岡の精神的導師です。1983 年に米国西海岸オレゴン州のバグワンのコミューンで弟子入りしました。バグワンの「ガチョウは外だ!」という教えは、北岡に、「蟻地獄」は幻想だということを確信させました (その後、NLP は、この確信を 24 時間永続させることを可能にしました)。80 年代始めのコミューンでの 7 ヶ月間 (1,700 時間) の心理療法/催眠療法コースの参加経験が、その後の北岡のファシリテータとしての基盤を作っています。
北岡が師匠と最後に会ったのはバグワンと名乗っていた 1985 年で、その後バグワンは OSHO と改名しています。
バグワンについては、北岡は「北岡メールマガジン」で詳細に解説しているので、閲覧してみてください。
「化ける」とは、北岡は、「業界内で第一人者になること」と定義しています。「個人的天才になる」と等価です。「自己啓発難民から真の成功哲学者へ変容する」ことも、同じ意味です。
「化けるための三条件」は、1) 目的設定、2) 現実の仮想現実化、3) 扁桃体を「快」にしながらの演習の自己適用の継続、です。
北岡は、15 年間の国内での NLP 業界内での講義を通じて、国内の NLP を含む自己啓発系のワーク参加者には、これらの三条件が欠けていることを発見しました。
北岡が最近独自開発した「 RPG ゲーム」モデルは、現実の仮想現実化を可能にするノウハウで、同じく北岡の独自開発の「Meta Meta Work」は、扁桃体を「快」にしながら演習の自己適用を継続することを可能にするノウハウです。
最近、私は、Google 検索エンジンの開発に携わった日本人の方が「Virtual Reality (バーチャル リアリティ)」は、実際は、「仮想現実」と訳されるべきではなく、「実質的現実」と訳されるべきだとおっしゃっているのを聞きました (実際、研究社の新英和大辞典の「virtual」の最初の翻訳項目は「(表面上または名目上はそうでない) 事実上の、実質上の、実際 (上) の」となっています)。
ということは、私は世間の翻訳に「騙されてきて」いましたが、本来的には、「バーチャル リアリティ」は「実質的現実」で、世間で言う「現実」は「名目上の見かけの現実」ということになります (!)。
そうであれば、私のワークは、「人々が現実と信じているものは見かけの『仮想現実』でしかなく、その裏に『本当の現実』があるのだということを、全脳的に実感していただくためのワーク」と定義し直すことができます (!)。
言い換えれば、私のワークは「現実の仮想現実化ワーク」ではなく、「仮想現実の現実化ワーク」だったということです (!)。
このことは、私には、かなりの「パラダイム シフト」的事件です (笑)。
「パラダイム シフト」は、トーマス クーンが提唱した用語です。
「パラダイム」は、ある学術界その他の組織内で受け入れられている『業界の常識』、『暗黙的な前提』」等を指していて、クーンによれば、科学の発達は、いわゆる「常識の積み重ね」で成り立っているのではなく、「常識 (パラダイム) を覆す新たな常識」が生まれることが繰り返されることで成り立っています。
たとえば、ニュートン/デカルトの「還元主義」は 17 世紀に生まれましたが、このパラダイムは、20 世紀に提唱され始めた「量子力学」のパラダイムとは相容れるものではありません。
興味深いことは、抜本的なパラダイム シフトが起こったとき、そのパラダイムが「大衆レベル」まで下りていくのに、数百年はかかるように思われることです。
よって、2001 年の帰国後、私が出会った「日本人が現実を仮想現実化できていない (= 一つの『三次元の現実』があると信じている)」事実は、日本人は 400 年前の常識に基づいて (!) 世界を見ていることを示していることになります。
同様に、量子力学の常識が「大衆化」されるまで、後 300 年はかかるように思われます。
グリンダー開発の「内なる医者 (無意識シグナル)」を私が日本人向けに改良したテクニックの名称です。
「ヒア & ナウ (今ここ)」は、二十代後半から三十代前半の北岡が「蟻地獄から脱却」できたプロセスにおいて、もっとも影響力のあったコンセプト (あるいは「モットー」もしくは座右の銘) です。
それまでの北岡は、フロイト式の「過去のトラウマの原因を特定して処理さえすれば現在の問題は解消する」というモデルにあまりにも囚われすぎていて (そのために、大学時代、マルセル プルーストの『失われた時を求めて』を原書 (仏語) で読んだりしてしまいました。結果的に、何も救われませんでしたが (笑))、過去ばかりに目がいっていて、「今ここ」を完全にミスしていました。
なお、フロイトは、一般的に、無意識を初めて発見した、ということになっていますが、これは、完全な神話のようです。その意味からも、フロイトの功罪関しては、「罪」の方がはるかに大きいと思います。
「ヒア & ナウ (今ここ)」については、ラム ダス (リチャード アルパート) 著の『ビー・ヒア・ナウ』は、カウンターカルチャー系のバイブルでした。
個人的には、北岡の師匠 (バグワン シュリ ラジニーシ) の禅公案「ガチョウは外だ!」が、北岡の自己救済を可能にしました (北岡の母親は、人生上北岡がこれだけ変わった一番の要因はバグワン先生だった、と以前指摘したことがありました)。
たとえば、エクハルト トールの教えは「ヒア & ナウ (今ここ)」に終始している感がありますが、北岡は、個人的には、バグワンの教えを敷衍したもの、と理解しています (ちなみに、トールの訳本『超シンプルなさとり方』 (特に前半部の第1部) は、「『今ここ』を最重要視する教え」に関する「必携書」だと思います)。
北岡は、「昨年 (2018 年) 秋のある大発見」として、なぜ欧米 (特に米国西海岸) の人々が近年 GAFA (Google、Apple、Facebook、Amazon) に代表される IT の巨大企業とスティーブ ジョブスに代表される革新的イノベータを多く生み出してきている一方で、国内では真のイノベーション運動を起こせないのか、についての欧米人と日本人の「思考パターンの違いの完全マッピング」に私が成功しました。
この発見に続いて、北岡は、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」というテクニックを独自開発しました。クライアントの方は、この演習を通じて、自分の中に眠っている「ピーク エクスペリエンス」 (あるいは天命もしくは「ワクワク感」) を再確認、再体験していただくことになり、その上で、その「最高の状態」を永続的に保ちながら、今の人生を見直すことができるので、人生の意味合いと景色が劇的に変わることになります。
数年前に、「自己啓発」業界で、ロンダ バーンの『ザ シークレット』がベスト セラーになり、同書が提唱する「引き寄せの法則」が巷に広く知られるようになりましたが、「引き寄せの法則」は、「『ニューソート』の現代リバイバル版」と形容しても間違いないと思います。
「ヒッピー」という言葉が、国内では、「カウンターカルチャー」と同じく、死語になっている事実は、北岡にとっては実に悲しいことです。
ヒッピーは、1960 年代初頭に西海岸サンフランシスコのヘイト アシュベリー地区に集まり始め、1967 年の「サマー オブ ラブ」現象を契機に、「反体制 (カウンターカルチャー)」的な生き方を提唱した人々のことです。彼らは、主に大麻や LSD 等の「幻覚剤」を通じて、既成概念を超えた「代替的な生き方」を模索し、新しいライフスタイルを提案しました。伝統的な制度に反発し、縛られた社会生活を否定し、ベトナム戦争に反対し、自然への回帰を志向し、東洋的宗教への関心を寄せました。ヒッピー運動のキーワードは、長髪、ロック、マリファナ、サイケデリック、反戦、自然食、禅、密教、瞑想、フリーセックス等でした。
北岡は、精神的には、1970 年代初めに、地方の小都市で、学生運動、カカウンターカルチャーの波に晒され、多感な十代半ばを過ごした高校時代以来、首尾一貫して、ヒッピー的な生き方を貫いてきて、「もっともヒッピー的伝統を貫いてきている日本人」とも形容されたりもします。
「ヒッピー」、「カウンターカルチャー」が国内で死語になっていることはいたしかたないにしても、現代社会において、工学的には、社会的インフラとしてのコンピュータ、インターネット、IT、VR (仮想現実)、AR (拡張現実)、AI (人工知能) 等のテクノロジーを生み出す基になっている文化的潮流がカウンターカルチャーだったという意味において、北岡は、「ヒッピーが提唱したカウンターカルチャーのリバイバル」の必要性を主張したいと思っています。
ただ、60 年代への「退行」は意味がないと思うので、数年前から構想してきている「メタカルチャー運動」を「カウンターカルチャーのリバイバル」の意味で提唱したいと思っています。
視覚、聴覚、触覚 (感情)、嗅覚、味覚の五感のことです。
原語は「Representational System」、略して「Rep System」で、北岡は「表出体系」と訳すことにしています。
「表象体系」、「代表体系」といった訳語が使われる場合がありますが、「代表体系」は明らかに誤訳です。これは、「Visual Representer」という用語があり、この用語は「視覚的表出者」とは訳せても、「視覚的代表者」ではまったく意味をなさないからです。
北岡は、国内の NLP の紹介のされ方の問題は、一部、専門用語の翻訳のされ方に原因がある、と考えています。
ファシリテータが行う「人に変化をもたらせるセッション」のことです。
通常は、「フォーラム等で参加者の心の動きや状況を見ながら、実際にプログラムを進行させる人」といった意味ですが、北岡は、「agent of change」 (人に変化をもたらせる人) という意味でこの用語を提唱したいと思っています。
「ファシリテータ」は、人に変化をもたらせる人としてのコーチ、カウンセラー、セラピスト、コンサルタント、トレーナー、プリゼンタ、その他の士業の方々すべてをカバーすることになります。
他にも「セッション ギバー (session giver)」という言い方もありますが、一般的ではないようです。
「プラシボ効果」とは、たとえば、薬剤的効果のない砂糖水をある特定の効果のある薬品として患者に与えたら、あたかもその薬品の効果が現れたように、症状の改善が見られるという「催眠効果」のことです。
ある被験者に「これは高熱の金属です。火傷をします」という催眠暗示を入れて、その腕に普通のコインを置くと、そのコインを取り外したら実際に火傷の後が残った、という催眠現象もありますが、人間は、ほぼすべて「仮想現実」に生きているので、「潜在意識」(この用語は NLP では使いませんが) が「あたかも (As If) 現実だと思ったこと」は、実際にその通りになるのは、誰も否定できない事実ではないでしょうか。
ちなみに、北岡は、現在、「前頭葉 (意識)」と「扁桃体 (無意識)」との間の対話を可能にさせる演習を開発中ですが、そのことをかかりつけの整体師の先生に伝えたら、「もしそれが可能なら、心理的・身体的問題が解決できますよね」と言われ、また「プラシボの問題も解決しますよ」という非常に興味深い、この時点では北岡には「謎めいた」コメントをもらいました。
「ブリーフ セラピー (Brief Therapy)」は、クライアントの問題の内容を扱うのではなく (永遠とセラピストに通う必要のある精神分析やカール ロジャーズ式傾聴テクニックが、「コンテント志向セラピー」と言えるかもしれません)、問題を作り出している「プロセス (文脈)」の焦点を合わせることで、短時間で問題を解決することを目指す「短時間療法」のことです。
「ブリーフ セラピスト」の例としては、催眠療法の最高権威のミルトン H. エリクソンのワーク、パロアルトの MRI (精神研究所) の心理療法家のセラピー、NLP ワーク等が挙げられます。
「ブリーフ セラピー」の代表的な例としての NLP が生まれた背景には、1975 年当時は、トラウマをもったベトナム帰還兵が大挙して帰国していた頃で、問題の内容を根掘り葉掘り聞く精神分析的、もしくは当時のコンテント志向の心理療法ではとうてい埒があかなかった、という歴史的事実がありました。
「ブリーフ セラピー」は、「コンテントフリー セラピー」とも密接に関係しています。
特定の企業や団体、組織に排他的に属さないで、自らの才覚や技能を提供することにより経済的に独立している、特に士業の人々のことです。
コンピュータでは、キーボードの入力に基づいてプログラミングが機能し、その演算結果がモニタ上で表現されますが、NLP は、人間の脳も同じように機能することを発見し、人間脳内のプログラミングを「アンカーリング (群)」と呼び、モニタ上の仮想現実を「世界地図」と呼んでいます。
古代印度哲学のヴェーダンタも、数千年前にすでにこの人間脳のメカニズムを発見していて、「入力 → プログラミング → 出力」を「入力 → サムスカーラ (プログラミング) → ヴリッティ (思考形態)」というふうに表現していました (「入力」をどの言葉で表現していたかは、北岡は調べきれていません)。
「プロセス モデル」と「コンテント モデル」の識別区分は、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏によるものです。
「プロセス モデル」とは、モデリングに際して、左脳的分析を排して、モデリング対象を、「帰納法的」に、右脳的に、試行錯誤的に DTI モデリングして、その対象と同じパフォーマンスを発揮できるようになった後、そのモデリング内容を左脳的に「見える化」、「明示化」、「公式化」することで生み出されるモデルのことです。
一方で、試行錯誤的な DTI モデリングの過程を経ずに、アプリオリ的 (先験的)、演繹法的、左脳的な分析を基に提唱されるモデルは「コンテント (押し付け) モデル」と呼ばれています。
ちなみに、グリンダー氏は、ロバート ディルツ氏が提唱する「心身論理レベル」を、「コンテント押し付けモデル」として、否定しています。ただ、北岡は、「心身論理レベル」は、古代インドのモデルである「五つの鞘」の焼き回しバージョンで、元々古代インドの哲学者たちはおそらく「プロセス モデル」として「五つの鞘」を提唱していた、と理解しているので、グリンダー氏に、「コンテント押し付けモデルでも、たまたま人間の脳機能を適切に表出している場合は、どう思われますか?」と質問したら、同氏の答えは、「それはそれで OK です」というものでした。
かりに自分の環境、行動、能力、信念、さらにはアイデンティティ (すなわち、「心身論理レベル」) を変えることができるということを知ると、非常に相対的な視点を持ち始めますが、この点に関して、非常に興味深い学問的研究があります。
すなわち、日本で最も卓越した文化人類学者の一人である西江雅之教授は、かつてその講義で、以下のような文化人類学の研究の結果を報告しました。
文化人類学者の研究チームがインタビューと現地調査を使って、さまざまな文明の比較研究を行いました。彼らはまず日本の学生たちに「日本の文明とアフリカのブッシュマンの文明のどちらがより優れていると思いますか? またなぜそう思いますか?」と尋ねました。
学生たちのほぼ異口同音の答えは、簡単に予想できるように、「もちろん、日本の文明です。日本人は超高層ビル、高速の新幹線、コンピュータ等を作ることができますが、ブッシュマンには可能ではありません」 というものでした (ところで、これらの学生たちは日本人全体を指していましたが、彼らのうち誰も、これらの物を一人で作ることができないことを指摘するのは非常に興味深いことです)。
しかしながら、この研究チームは、ブッシュマンの文明も継続して研究して、その現地調査を通じて、ブッシュマンは地上に残された糞を調べるだけでキリンの群が何頭、いつ、どの方向に向かったかを言うことができることが判明しました。
また、彼らは、コップ 1 杯の水で顔と体と服を洗うことができ、地平線上にある物体をはっきりと見ることができることも判明しました。これらのことすべては、日本人にはとうてい達成できないことであることは明白でした。このため、この観点からは、ブッシュマンの文明は日本人の文明より優れていると見なすことができました。
その研究の科学的な目的のために、これらの文化人類学者は、できるかぎり「客観的な」結果を生み出すために 2 万の比較 (基準) 項目を使用しましたが、該当の 2 つの文明を比較した徹底的研究の結果、1 万項目の基準に従えば日本人がブッシュマンのより「優れて」いて、残りの 1 万項目に従えば後者が前者より「優れて」いたということがわかりました。このため、これらの学者は、これら 2 つの文明のいずれも他より優れていると言うことはできない、すなわち、それらは等価であるという論理的な結論に達せざるをえませんでした。
さらに、彼らは、世界じゅうの文明にこの研究方法を適用しましたが、任意の文明 A と B を比較したときはいつも、1 万項目の基準に従えば A が B より優れていて、逆もまた真であるという同じ結論に常に到達しました。これは、すべての文明が等価であるということを意味しました。
ここで、私自身は、現代文化人類学のこの驚くべき発見を少し誇張して、20 世紀に住んでいる人々は有史以前の時代に洞穴に住んでいたいわゆる原始人とも等価であると主張したい傾向にあります。さらには、人間、動物、植物、アメーバを含めたどのような生体系も、独立した、自己統制システムであるかぎりにおいて、互いに等価であると見なされるべきであるという可能性を受け入れる傾向にあります。
このような相対主義は、NLP の大原則とも通じるものであり、さらに、実際に、NLP の諸前提の一つに「個人の内的または外的行動の価値と適切さが問題にされることがあっても、その存在価値は常に肯定的に評価される」というステートメントがあります。
「ペイン ボディ」は、エクハルト トールが提唱している用語で、トールは「ほとんどすべての人々が自分のエネルギーの場でもっている幼児期の感情の痛みの蓄積」と定義しています。
「ペイン ボディ」は、「イナー チャイルド」と同一視されることもあるようです。
北岡は、最近自身が続けてきている新しい「扁桃体の研究」とこれまでの NLP のノウハウを組み合わせたら、この「ペイン ボディ」の問題は、完全解消できると、現在考えています。
ちなみに、最近、トールの訳本『超シンプルなさとり方』を読みましたが、この本では、「ペイン ボディ」は、「自分の中で生きつづけている過去の『痛みの残りかす』」、「心とからだに生きつづけている、過去の経験による痛み」、「一時的に内面に居座ってしまった、自由に流れず、滞留してしまった生命エネルギー」等と定義されています (ちなみに、この本 (特に前半部の第1部) は、「ガチョウは外だ!」の禅公案が示唆する「『今ここ』の重要性」について語った名著だと思います)。
トールによれば、「ペイン ボディ」と対比されるのは「イナーボディ」と呼ばれているようです。「イナーボディ」は、思考を観察することを通じて、思考と自己同一化した「無意識的状態」から脱却して、感じることができるようになる、自分の中にある「大いなる存在」 (実は、「Witness (観察者)」、「観照者」、「メタ」のことです) に (仮に同一にではないにしても) 非常に近いものです。
ラポールを短時間で確立するためにコミュニケータが使う方法。
「ペーシング」は、自分の行動の特定の特徴をコミュニケート対象者の特定の特徴とマッチングさせることで、行動のマッチングまたはミラーリングのことです。
「リーディング」では、ペーシングした後、相手と違う行動を取って、相手がそれにフォローしたら、相互にラポールが確立できていると確認できます。
ヘーゲルが提唱した「正と反を統合することで合を生み出す」メカニズムです。日本語では、「止揚」 (あるいは「止揚統合」)、「揚棄」などと訳されている「Aufheben」というドイツ語は「上に上げる」という日常語です。NLP の「信念体系統合」のテクニックは、正反合の弁証法に基づいています。
通常の日常的意識状態から外れた「非日常的意識状態」のことです。「トランス状態」とも言われます。場合によっては、「催眠状態」と定義することも可能です。
西田文郎氏によれば、スポーツ選手等が、通常極めて過酷な練習を続けることができるのは、大脳辺縁系の部分にある扁桃体を「快」にしながら情報を脳に入力できるからです。
扁桃体を快にするには、大脳新皮質への「プラスの思考」、大脳辺縁系への「プラスの感情」、脳幹への「プラスのイメージ」の入力が必要である、とされています。
なお、北岡は、最近、西田氏が「本能反射領域 (IRA)」のモデルを提唱し始めたとき研究したと思わる (しかし、そのソースは明かしていない) 「扁桃体の専門家」の名前を特定することに成功し、「扁桃体の研究」を続けてきています。
「Bodhisattva」のことです。
イハレアカラ・ヒューレン提唱しているハワイの伝統に基づいたスピリチュアル方法論です。
「ホ・オポノポノ」では、上の神的意識から来る「インスピレーション」(北岡の言う「メタマインドからのメッセージ」) と下の無意識から来る「記憶」 (北岡の言う「ノーマインドからのメッセージ」) があり、「インスピレーション」は意識に直接降りてくることはできず、必ず「記憶」のフィルターを通って下からやって来るようになっているので、「ごめんなさい・ありがとう・許してください・愛しています」の 4 つのマントラを唱え続けて、「ガラスの表面」をクリアにして、実際にやってきているのが「記憶」なのか「インスピレーション」なのかを見極める必要がある、という興味深いモデルを提唱しています。
幼児期から形成されてきている自分自身の既成概念の枠 (世界地図、枠、フレーム、ループ、パラダイム等) から外に出て、創造的になることです。
北岡は、NLP は、「ボックスから出る」 (言い換えれば、「蟻地獄から脱出する」) ための最強の方法論であると見ています。
「心身論理レベル」も参照のこと。
「ホメオスタシス」は、「恒常性維持機能」と訳されていて、「Le plus ça change, plus c'est la même chose.」 (フランス語で、「どれだけ変わっても、同じことになる」。英語では、「more of the same thing (同じものを増やすだけ)」) の状態と言われています。
すなわち、人間の体は、常に、血圧、心拍数、リンパ腺、発汗作用等、ありとあらゆる生体機能に大きな変化が見られていますが、これらの機能の変化は、すべて、体の体温を一定の温度の平熱に保つことに貢献しています。
苫米地英人氏は、「ホメオスタシス」の用語を、「臨場感」、「ハイパーラポール」を説明するために使っているようです。
マイケル タルボット著の『投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待 (The Holographic Univerrse)』で、量子力学者のデイビッド ボームが「全宇宙のすべての要素が相互関係している」ことを示すために使った 3 つの比喩が紹介されていますが、そのうちの一つがホログラフィー画像です。
たとえば、リンゴのホログラフィー画像を作るためには、一つのレーザー光線を二つの光線に分け、最初の光線をリンゴに当てて、反射させ、その反射光が二つ目の光線と交差させた際に生じる「干渉パターン」をフィルムに記録します。このフィルム自体には、意味のない波のようなパターンが見えるだけですが、このフィルムにレーザー光線を当てると、元のリンゴの 3D 画像が再創造されます。通常の写真の場合、写真を半分切り取ると、その分の情報が消失しますが、ホログラフィーの場合は、フィルムをどれだけ小さく切り取っても、その一部に、解像度が落ちるとしても、全体の情報が残っています (すなわち、「部分の中に全体が含まれて」います)。
「本能反射領域 (IRA、Instictive Reflex Area)」は、西田文郎氏が提唱している用語で、いわゆる「感情脳」と言われている、扁桃体を含む「大脳辺縁系」部分を意味しています。
この用語は、西田氏自身の造語ですが、同氏は、どのようにしてこの用語を作ったのかの背景とプロセスは説明していません。
「マインド」は、「脳機能、思考」のことです。瞑想家は、瞑想を通じてマインドを落として、「ノーマインド (思考のない状態、空・無の状態)」を達成することを勧めます。
通常は、この二元論が論じられていますが、北岡は、この二元論を超えた「非二元論的メタマインド」を主張しています。
通常、「魔術」の原語は「Magic」ですが、「最大の黒魔術師」と称せられているアラスター クロウリーは、「クロウリー式魔術」を「Magick」と形容しました (北岡は、実際には、クロウリーは、ヨガ、ヴェーダンタ、カバラ (ユダヤ密教) 等における極めて重要な正統な研究者であると見ています)。
クロウリーは、「Magick」を「(人間の) 意思に従った形での変化の引き起こし方について研究する専門的学問 (the Science and Art of causing Change to occur in conformity with Will)」と定義しています。
北岡は、この意味での「魔術」の種明かしをした方法論が NLP だと主張することがあります。この場合、「魔術 − 透過性 = NLP」の公式が成り立ちます。
マクスウェル モルツは、元々は美容整形師で、美容整形の手術を受けた後、人生が劇的に変わる患者とまったく変わらない患者がいることに気づき、それをもとにして『サイコサイバネティクス』を著しました。同書にある次の一節は極めて示唆に富んでいます。
「最初機械と機械的原則の研究として始まったサイバネティクス (人間工学) が、ユニークな創造的存在の威厳を復活させているのはかなり皮肉なことだ。人間の精神または魂の研究から始まったはずの心理学は、最終的には人間から精神を奪ってしまったからだ。...サイバネティクスの科学は、『人間』は機械ではあると言うかわりに、人間は機械をもち、使っているということを私たちに教えてくれる。」
すなわち、人間活動の「意識」の存在および思考プロセスそのものも否定するまでに及んだスキナーの行動心理学が極端な形で代表している (最終的な結果だけを求める) 実用主義的傾向によって可能になったという意味で、行動主義的側面が強い NLP は、その研究から「人間性」、「感情」、「情緒」、「道徳性」のような要素を除外して、人間を事前プログラミングされたロボットに似たものであると見なしているのではないか、と見なされることもあります。
しかし、非常に皮肉なことに、人間の精神と行動の活動を、それらがどのように事前プログラミングされているかの観点から研究するサイバネティクスや、NLP を含めたコミュニケーション心理学のような現代科学は、人間は無思考のロボットであるという結論には至っていません。
「見える化」は、北岡の中では、「明示化」、「公式化」、「モデル化」、「種明かし」、「透過性」とほぼ同義語です。英語では「Transparency」ということになると思います。
北岡は、NLP は「史上最強の『見える化』の方法論」であると見ています。
もしかりに、国内で NLP がそういう評価を受けてきていないとしたら、その原因は、国内の NLP トレーナーには、文字通り「NLP でどうお金を儲けるか」の専門家しかいなくて、「見える化」を達成できる認識論者としての「モデラー」がほぼ一人もいないという事実にある、と北岡は考えています。
(ちなみに、「見える化を達成できる認識論者としてのモデラー」は、もちろん、従来の常識を超えた、新しいパターンを作り出していける人のことなので、国内には、「常識を強化」する「枠にはまった」NLP ピア (先生も生徒も) しかいない、ということになります。残念ながら、このことは、本来の NLP の精神と真っ向から対立しています。)
人間マインドの中で、意識化されていない部分すべてのことです。通常、呼吸、心肺機能、消化、発汗、排泄、筋肉・関節運動、血流、言語生成等、ほぼすべての人間の機能は、無意識が行っています。
NLP では、「意識と無意識」の区別しかなく、「顕在意識」も「潜在意識」も用語としては使わない、非常にシンプルな図式になっています。
北岡は、愛着を込めて、「無意識ちゃん」と呼ぶことがあります。
通常、モデリングでは、他の人が行っていることを「意識的」、「左脳的」に分析しますが、NLP モデリングは、そのような左脳的分析は排除した、「無意識的」、「右脳的」モデリングがなされます。
特に、NEW コード NLP や北岡が開催している Meta Mind Work 等で実現することができる、無意識的な自分の潜在性を 100% 引き出すプロセス。
「名詞化」は、「メタモデル」テクニックの項目の一つです。
「名詞化」は、日本語では、「抽象名詞」に近く、プロセスがイベント語になっているものです。たとえば、「愛」は、「誰かが誰かをなんらかの形で愛している」というプロセスから主語と目的語と修飾句が落ちた「イベント語」になっています。
名詞化は、「メタモデル離反」の一例ですが、しかし一方では、ミルトン モデルの一部で、名詞化を多用すると、これを聞く相手は、「TD サーチ」をせざるをえません。北岡によれば、「TD サーチ」の幅とトランスの深度は比例しているので、名詞化を多用された相手は、通常、深いトランスに入ります。
北岡は、「瞑想」を「『五つの鞘 (すなわち心身論理レベル)』との自己同一化の解除を行う行為」と定義しています。すなわち、人間においては、「肉体」、「エネルギー (気)」、「記憶」、「知性」、「至福」 (心身論理レベルで言う「環境」、「行動」、「能力」、「信念」、「アイデンティティ」) の五つの鞘が「アートマン (真我)」を包んでいますが、瞑想とは、そのアートマン (本当の自分)が、自分は五つの鞘のいずれでもない、それらを超えた何かであることを実感するための行為が瞑想であると言えます (ヴェーダンタでは、この「それらを超えた何か」を「観照者 (Witness)」と定義しています)。
なお、「『五つの鞘』との自己同一化の解除」は、サンスクリット語では「ネティネティ (あれでもない、これでもない)」と呼ばれています。ちなみに、最近お会いした、扁桃体にも詳しい、あるヨガの先生は、「瞑想とは扁桃体をリラックスさせる方法論である」という名言を吐かれました。
この先生によれば、「扁桃体の暴走」は、最長でも 90 秒しか続かないが、それ以上持続している場合は、集中的ヴィパサナ瞑想等を通じて前頭葉を活発化させることによって、扁桃体の過剰反応を鎮めることができます。
NLP では、4Te (現在意識) での外側で起こっていることの「カリブレーション (観察)」が極めて重視されている一方で、「個人編集テクニック」は、自分のイマジネーション (4Ti) を使って自分の内側を観察するという意味において、NLP は、ヴィパサナ瞑想等およびサマタ瞑想等と等価であるという見方も可能です。
一方で、NLP は「催眠の進化バージョン」と呼ばれていて、通常深い催眠状態でしか達成できない効果を、通常の日常生活レベルの軽い変性意識状態下で達成することを可能にした方法論です。
この意味で、北岡は「瞑想 = NLP = 催眠」の三位一体説を唱えています。
「Witness (観察者)」、「観照者」のことです。
世阿弥は、「離見の見」という概念で、舞台上の役者が、自分の外側の「メタ視点」に出て、そこから自分自身のパフォーマンスをリアルタイムで自己編集することの重要性を強調しました。
北岡が、数年来、構想、提唱してきている新しい「文化運動」。以下にあるのは、http://www.meta-culture.co にある「メタカルチャー宣言」の引用です。
「フロイトの精神分析が欧州で影響力を誇っていた 1924 年に、アンドレ ブルトンがその影響下で人間の深層心理を表現する芸術運動を始めるべく『シュールリアリズム宣言』を発表した。そして、欧米で精神分析以降の心理学が現代西洋心理療法の形で発展をし続けた後、1975 年に、『打ち止め』的学派として NLP が生まれてきている。しかし残念ながら、『精神分析 → シュールリアリズム』に対応する『NLP → □』の部分が今なおミッシング リンクとなっていて、いまだに新しい芸術運動が生まれてきていなかった。
現在、すでに 21 世紀へと突入し、『20 世紀のピカソとともに二次元のアートは終わった』と言われている現代芸術の分野において『新芸術運動』の誕生が切望されている。そこで、『量子的飛躍』を果たした実践的コミュニケーション心理学の NLP によって、そのミッシング リンクを埋めることができるとここに宣言する。
『メタカルチャー』という名称は、これまでに存在した『アングラ』『サブカル』『ポップカルチャー』『カウンターカルチャー (対抗文化)』『オルタナカルチャー (代替文化)』といった既存の『フリンジカルチャー (非主流的文化)』すべてを統合し、かつそれらを『超えた (= 「メタ」) 文化』を意味する。
『メタカルチャー』とは、アート、ファッション、音楽、映画、演劇、芸能、舞踏、スポーツ、心理学、セラピー、ドラック、セックス、精神世界、魔術、オカルト (隠秘学)、瞑想、催眠等、さまざまな『フリンジカルチャー』的要素と革新的方法論である『メタの方法論』の NLP が止揚統合され、今までに存在し得なかったような芸術形態を継続的に創出していくものである。
『メタカルチャー』の発信源は日本であるかもしれないが、今後、世界からの賛同者を募ることで、世界的な運動になっていくものと強く期待している。」
北岡は、「ノーマインド (前自我)」と「マインド (自我)」を止揚統合した「メタマインド (超自我)」を提唱しています。
通常は、「ノーマインド vs マインド」の二元論が言及されますが、北岡は、その二元論を超えた「メタマインド」があると主張しています。
「メタマインド」の視覚イラスト化、映像化の情報が、以下の「北岡世界の CG アニメ化に成功!」ページにあります。
http://www.kitaoka.co/page/meta-mind.html
「メタモデル」とは、最初に開発された NLP テクニックです。
NLP 共同創始者は、当時「療法の魔法使い」と言われていた、ゲシュタルト療法創始者フリッツ パールズ、家族療法医ヴァージニア サティア、催眠療法の権威ミルトン H. エリクソンをモデリングして、いかに効果的な対クライアントのやりとりができるかに関する一式のツールとしてメタモデルを開発しました。
「メタモデル」は、コミュニケーションの相手を催眠・トランスから覚ますテクニックである一方で、「ミルトン モデル」は、相手を催眠・トランスに入れるテクニックです。通常は、「メタモデル」と「ミルトン モデル」を相互に、シームレスに駆使することで、コミュニケーション相手が抵抗できないような「誘導」が可能になります。
ちなみに、NLP 創始当初、「メタモデル」開発者に、グリンダーとバンドラー以外にも、フランク ピューセリックがいました。この意味で、ピューセリックは、「三人目の NLP 共同創始者」と称されることもあります。
メンタル ヴィゴラス (Mental Vigorous) 状態
自分が求めるアウトカムがあたかも今ここで起こっているかのように錯覚 (大いなる勘違い) をして、扁桃体が快になっていて、ドーパミン等の脳内麻薬が出ていて、やる気満々の状態。この状態は、天才脳、No.1 脳を作るための必須条件です。
グリンダー氏によれば、「最も数少ない要素で、充分な情報を表出するモデルが『最も洗練化されたモデル』です」。
たとえば、人間は五感をもっていますが、人間は、化学者やワインのソムリエ以外は嗅覚 (O) と味覚 (G) をあまり使っていないので、「5T (タップル、要素)」というよりも、O に G を含ませた「4T (VAKO)」のモデルの方が「最も洗練化されたモデル」である、ということになります。
NLP でいう、「個人的天才」といわれている人のパフォーマンス レベルを (形態模写をする人のように) 無意識的に自己同化して、その人のパフォーマンスを発揮できるようにすること。および、公式化したそのモデリングの方法論。
NLP で、世界を適切に理解するために提唱される地図、公式のこと。「世界地図」、「世界についてのモデル」と同義語。
ちなみに、「NLP には、(左脳的な) 理論も仮説もない。あるのは (右脳的体験において) 何がうまくいくかについてのモデルだけだ」と言われています。
NLP では、通常、深い催眠状態に入らなければ達成できない「幼児退行現象」を、「サブモダリティ」テクニックを使って、通常意識下で即時的に生成できるようになっています。
北岡は、「ヨガ」をシンプルに「悟りに至るための方法論」と定義しています。日本で「ヨガ」と言うと、アクロバティックな「ハタ ヨガ」しか指していませんが、実は、数多くの多様なヨガの学派が存在しています。
「ヨギ」は、「ヨガの実践者」の意味です。
「四つのヨガ」は、ラーマ クリシュナの高弟のヴィーヴェッカナンダが言う「カルマ ヨガ」、「バクティ ヨガ」、「ラージャ ヨガ」、「ジュナーナ ヨガ」で、それぞれ、「日常の仕事」、「崇拝」、「サイキック コントロール」、「哲学」の「ヨガ (悟るための方法論)」を表しています。
すなわち、カルマ ヨガでは、より高い意識状態に達するための手段として、日常の仕事を活用します (この意味で、禅はカルマ ヨガであると形容できるかもしれません)。バクティ ヨガは、精神世界の求道者による崇拝、礼拝の局面を強調するヨガです。ラージャ ヨガは、精神修行によって内的なマインド コントロールを達成する方法を探索します。ジュナーナ ヨガは、私たちの真の自己 (アートマン) と普遍的自己 (ブラーマン) がまさしく同一であるという真の知識だけを通して普遍的意識を達成しようと試みます。
これらの 4 つのヨガのうち、一つが他より優れているというわけではありませんが、北岡の個人的な志向性はラージャ ヨガとジュナーナ ヨガにかなり傾いています。
「抑圧」、「昇華」という用語はフロイトを始めとする精神分析的傾向のある心理学で頻繁に使われる概念ですが、実に興味深いことに、NLP では、「人があることに気づいているかどうか」が問題にされるだけなので、「抑圧」も「昇華」も、NLP 用語にはありません。
北岡が 80 年代に米国西海岸で参加した 7 ヶ月間の催眠療法 (「脱催眠療法」) のトレーナーは、NLP で言う「無意識」、北岡の言う「無意識ちゃん」を「四歳児 (Four Year Old)」と呼んでいました。
これは、人間の行動思考パターンは、だいたい 4 歳までに決まってしまうという前提に基づいています。該当のトレーナーは、「小さな風船に X、Y、Z の文字を書いて、膨らませたら、文字の大きさは変わるが、パターンは変わらない」と表現していました。
場合によっては、「四歳児」は「イナーチャイルド」と同一視してもいいかもしれません。
NLP によれば、どのような人間の技能にも、4 段階の能力があります。
自動車の運転の例を使うと、これら 4 段階の能力は、1) 車の運転法がまったくわからない段階である「無意識的無能性」、2) 自分がうまく運転することができないことに気づくようになる段階である「意識的無能性」、3) うまく運転するために継続的に意識的な注意を払う必要がある段階である「意識的有能性」、4) 脇に座っている友人に話しかけながらでも問題なく運転することができる、すなわち、車の運転のプロセス全体が無意識的 (または、機械的) になる段階である「無意識的有能性」、です。
ビジネス界で要求されるリーダーシップ性は、「多数の人間を一人の人間に従わせること、またはその技術と才能」を指しますが、特に、NLP の「SRCF/C」の技能をマスターすることで、獲得可能です。
「リフレーミング」は、NLP テクニックの一つで、日本語の「発想の転換」のことです。ボトルに水が半分ある場合、現実は変えられないにしても、「水が半分ある」という「楽観的」立場を取ることも、「水が半分しかない」という「悲観的」立場を取ることも、可能です。
NLP では、「あるのは視点だけで、視点を変えたら、いわゆる『現実』は変わる」とされています (いかなる「現実」も「仮想現実化」できる根拠がここにあります。)
NLP には、「6 ステップ リフレーミング」という代表的な個人編集テクニックがあります。
ちなみに、私は「リフレーミングできない問題は一つもない」と提唱しています。
通常、「論理タイプの誤謬 (論理タイミング ミス)」は、統合失調症の人は、メニューに載っているカレーの写真をカレーと思い込んで、メニューを食べようとするときのメカニズムを定義していますが、北岡は、同じメカニズムを「療法的」に使うことで、たとえば、「蟻地獄」から脱出して、「スパイラル式良循環」の自己解放、自己救済を達成できる、と主張しています。
「臨場感」とは、「現在意識 (中継状態) 」にしろ「過去意識 (録画状態)」にしろ、「トランス状態」に入った上で、それがあたかも今起こっているかのように「鮮明性」をもって体験することです。「ライブ感」とも言えます。
さらに、臨場感をもたせるには、具象的すぎる催眠誘導言語 (メタモデル) を使っても、抽象的すぎる催眠誘導言語 (ミルトン モデル) を使ってもだめで、ちょうど頃合いのよい催眠誘導のし方が必要であると言われていますが、コミュニケーション相手に臨場感をもたせる北岡自身の方法論は、相手がトランスにいるということがわかったらメタモデルを使ってトランスから目覚めさせ、覚醒しているということがわかったら、ミルトン モデルを使ってトランスに入れる、というものです。このことによって、相手の「リアリティに揺らぎ」を引き起こし、深い変性意識が生成されることによって、臨場感が生まれます。
臨場感については、北岡には、今ここの現在意識状態である 4Te にいるときの臨場感と、完全なトランス状態である 4Ti でいるときの臨場感の二種類があるように思えます。
おそらく、意識と無意識の両方がリアリティだと思ったとき、4Te もしくは 4Ti の臨場感が最大になるように思えます。
また、北岡には、臨場感をもって、ありありと体験する過去意識 (録画状態) が存在する一方で、臨場感がなく、何も起こっていないように見える現在意識 (中継状態) も存在するように思えます。
故船井幸雄氏は、ある本の中で、「以前『霊界』と言われていたものは、今は『無意識』と呼ばれている」という名言を吐かれています。
北岡は、「霊界」と「神的意識の世界」と「メタの世界」をほぼ同じ意味で扱うことがあります。
原語は「Logical Type」。通常、「論理階梯」と訳されています。
「論理タイプの誤謬」を参照のこと。
「Logical Typing Error」の訳語 (「Logical Type」は、通常、「論理階梯」と訳されています) です。北岡は「論理タイピング ミス」とも訳しています。
たとえば、統合失調症の人は、メニューに載っているカレーの写真をカレーと思い込んで、メニューを食べようとするとき、「論理タイプの誤謬」を犯している、とされています。
「療法的論理タイプの誤謬」も参照のこと。
国内では、「セミナー」、「研修」という用語が通常使われていますが、それらと同義語です。「コース」は、通常、長期に渡る、資格を伴った講習を指します。
「私とは『最大の名詞化』である」
この格言は、NLP の父の一人であるグレゴリー ベイツンによるものです。
ベイツンは、この格言で、「私」というものは、実体がない、単なる社会的に必要な通称にすぎない、ということを示唆しています。このことは、印哲系の瞑想家たちが、「瞑想は、自己同一化をそぎ落としていくプロセス (『ネティネティ』) であり、『本当の私』とは、玉葱の皮を剥いていった後、最後に残るものだ」と言っていることと相通じています。
北岡自身は、これに関連して、「『私』とは『思考の癖』の総体である」と言うことがあります。