以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 93 号 (2008.8.6 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「瞑想について」の情報がカバーされています。
1) 瞑想について
先週の土曜日、私は、ある一日瞑想会に参加してきました。
この瞑想会は、最初のダンシング瞑想 (「クリンダリーニ瞑想」) 以外は、一日中座ったまま行う瞑想でしたが、長年ヨーロッパにいた私には、足を組んだままいることがほぼ不可能でした。(後で、主催者から、日本にいるのだから慣れるようにとは言われましたが、個人的には慣れるつもりはあまりないですね (笑)。)
私自身、これまでありとあらゆる種類の瞑想を体験してきたつもりでいましたが、一日中座ったままの瞑想を行ったのは、今回が初めてでした。
瞑想会が終わった後に獲得した精神状態は、「ドラッグフリー」の「ナチュラルハイ」といったものでした。
終わった後の感想としては、以下のものでした。
1) 瞑想会の主催者は、通常は外に向かっている意識を、瞑想中は中に向けるように、という指示を何度も出していたが、このことと、NLP でいう (外の世界の) 4Te のカリブレーション (観察) とは、一見矛盾するように見えても、実は矛盾していない。
すなわち、上の「通常は外に向かっている意識」とは、外的刺激のアンカーリングの犠牲となって、目的なしに、散漫にさまよっている注意のことを言っているのであって、たとえば、規律ある形で自己観察して、自分の内的世界をただ単に起こっていることを見るように、外的世界で起こっていることを観察することで、結果的には、アンカーリングの現象もコントロールできるようになる。
2) 瞑想会の主催者は、「思考を単に見つめること」を力説していたが、このことは NLP の外的世界のカリブレーション能力を内的世界に適用すること、と定義できる。
3) 昼休みの間、食事する際に課せられた課題は、たとえば、食事を食べる間その味そのものになる、というものだったが、これは、NLP 的には、自分の内的世界の体験を五感の知覚ベースの言葉で表出することとほぼ等しい (前者は言語化せず、後者は言語化する、という違いはあるにしろ)。
4) 一日中の瞑想の後に得られる「深い変性意識状態」は、もしかしたら、単に軽い瞑想状態をアンカーリングする場合の NLP テクニックでは再生できないかもしれないが、長時間瞑想した後得た精神状態を NLP でアンカーリングすることは可能のように思われる。
5) 上の 4) のように、OLD コード NLP では、 アンカーリングでは長時間瞑想した後得た精神状態を (新たに) 「生成」することは不可能のように思われるが、一方で、長時間瞑想した後得た精神状態と NEW コード NLP で (ほぼ瞬時に) 得られる「ノウナッシングステート」は、「極めて」類似した精神状態のように思われる。
以上が、私の一日瞑想会の感想でした。
ちなみに、私は、本メルマガの第 77 号で以下のように書いています。
「[過去の北岡の資格] コース モジュールで非常に興味深いことが起こったので、報告したいと思いました。
複数の参加者が私に『瞑想と 4T の関連性について教えてください』という質問をプライベートでされたので、私は、講義中に以下のように説明しました。(4T という基本的 NLP モデルと 4Te と 4Ti の違いの説明についても、現在 Web 上で公開されている旧バー ジョン「これが本物のNLPだ!」 (全 17 号) を参照してください。)
『瞑想が必ずしも 4Te であるとは思いません。ただし、4Te だけに注目するヴィパサナ瞑想という方法論が存在します。実は、真の瞑想とは 4Te と 4Ti を超えた「観照者」と同一化するプロセスであると言えます。』
さらに、私は、この点に関連して、『私が 1983 年にアメリカで弟子入りしたインド人の師匠は、「瞑想は男性的で、左脳的です。一方、催眠は女性的で、右脳的です。これは、瞑想は (男性的に) ただ一人でその精神状態に入っていける一方で、催眠は、(女性的に) 他の催眠家の支援を借りてその精神状態に入っていくからです。しかし、その行き着く先の瞑想状態と催眠状態は、実は、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態です」と述べていましたが、私の過去 25 年の体験と実験から言って、(この言質が正しいという結論が出てきていないかわりに) 間違っているという結論もいまだに導き出されていないので、私は、現時点では、おそらく、私の師匠の主張は正しいと考えています』と発言させていただきました。」
一日瞑想会を終えて、以上の引用内の私の意見は、深まりはしろ、否定されることはなかったと、報告することができます。
さらに、私は、私は、本メルマガの第 90 号で以下のように書きました。
「NLP に関しても、西洋では、精神分析以降 60 年間? の心理療法の伝統の中で、多くの人々が療法セッションの間に『内省』または『内観』を行う習慣がすでについていますが、日本人はそれをやってきていないので、なかなか NLP が理解できないという状況があることが判明しています。
たとえば、NLP 演習を行って、自分を自己観察するとき、自分が実際に体験していることが自分自身の内側で起こっているのか外側で起こっているのか判断できない方々に何度か出会ったことがあります。この状況は、西洋では、考えられないことです。
私は、『禅瞑想の国』であるべき日本の若者が自分を見つめることができていないからこそ、このようなニートの問題も起こっている、という結論をもちつつありました。
なお、[知り合いの] 瞑想家に、以上のことを伝えたら、『20代のとき、瞑想により不可思議なエネルギー体験(クンダリーニの上昇等)があり、マインドの用意がなく狂気に陥ったことがあるので、瞑想の危険性はよく分かります』という意見をいただいたので、私は以下のように答えておきました。
『私は、「瞑想」という用語で、主に『ヴィパサナ瞑想的な自分自身の思考と行動の自己観察』を意味しています。つまり、プラーナヤマ瞑想や最近話題を呼んでいるようであるマカバ瞑想のような、呼吸法その他を伴った「特殊瞑想」の場合は、ちゃんとした指導者のもとで行わないと危険である可能性がある一方で、「単なる自己観察的な瞑想」には危険性はありえない、という立場です。』
ということで、単なる自己観察 (ヴィパサナと呼んでいいと思いますが) としての瞑想は、万人がすべきことである、この瞑想が足りないことが今の日本のニートの問題を生み出している最大の原因である、という私の意見が、今後日本で常識化していくことを心から願っています。」
ということで、今後の私のワークとしては、瞑想と NLP (= 催眠) を組み合わせたワークを中心に行っていきたいと思っています。
そうすることで、内観、内省法を失った現代日本人がもう一度「禅の国」を蘇らせることができると確信しています。