以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 77 号 (2007.10.9 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、先週末に開始された日本 NLP 学院大阪第 6 期プラクティショナー コースの報告に関する情報を中心にお伝えします。


1. 大阪第 6 期プラクティショナー コースについて

今週末に大阪第 6 期プラクティショナー コースが開始されました。このコースについては、10 月 20 日開催の第二モジュールからの参加も、まだ可能です。

以下に週末開催の第一モジュールの内容について何点か報告します。

a) 個人編集テクニックの四大機能について

以下の内容は、最近の私のプラクティショナー コースでは何度か参加者にお伝えしてきていますが、本メルマガ上では、本邦初公開の情報です。

私の初期のプラクティショナー コースでは、参加者の大半から、第一モジュールから第三モジュールあたりまで頭から湯気が出る状態で混乱するが、第四モジュールあたりからやっと全体像が見え始める、という感想をいただいてきていました。

このこと自体は、「『藁にもすがりたい』混乱状態の中で、 自分自身で新しい学習回路を開発していく」という NLP 本来の学習形態にそったものですが、だいたい 2 年くらい前のコースあたりから、私自身が、参加者がこの全体像を形成することを支援するであろう図解モデルを提示してきています。

そのモデルは「個人編集テクニックの四大機能」というもので、以下のような図式となります。(このピクチャーファイルはインターネット上 (www.creativity.co.uk/creativity/jp/magazine/images/pet_func.jpg) にアップロードされています。)

この図解の意味は、私がプラクティショナー コースで約 40 個、マスター プラクティショナー コースでさらに約 40 個教える「個人編集テクニック」 (「個人の既存の行動/思考パターンを編集して、自分が求める行動/思考パターンを作り出す」ための NLP テクニック演習という意味です) には、以下の四大機能がある、ということです。(これらの機能の個々の説明については、現在 Web 上で公開されている旧バー ジョン「これが本物のNLPだ!」 (全 17 号) を参照してください。)

1) アンカーリング
2) リフレーミング
3) TOTE
4) サブモダリティ

このうち、アンカーリングとサブモダリティに関しては、単体の個人編集テクニック演習が存在していますが、リフレーミングと TOTE に関しては、(一方の人が言う言質に対してもう一人の人がその言質をリフレームするという、ごく簡単な演習を例外として) 単体の個人編集演習はなく、単なる機能説明としての概念です。

この図解の意味あいは、個人編集テクニック演習を行うと、 アンカーリング、リフレーミング、TOTE、サブモダリティのプロセスがすべて見事に (場合によっては劇的に) 変化する、ということです。

また、非常に興味深い点は、これらの 4 つの「足」 (私は、これらを「弾力性のある伸縮ゴム」と呼んでいますが) のうちの任意の一つだけを (引っ張って) 変化させても、あとの 3 つがすべて自動的に (引っ張られて) 変化するという点です。(たとえば、アンカーリングのプロセスを変化させると、残りのリフレーミング、TOTE、サブモダリティの三つのプロセスも、即、自動的に変化します。)

このように個人編集テクニックを捉えることは、NLP の全体像をもつことを促進することは間違いありません。

なお、 この図解モデルは、私独自のアイデアです。

b) アンカーリング演習について

今週末開催された大阪第 6 期プラクティショナー コースの第一モジュールでは、いくつかの NLP 基本演習が紹介されましたが、その中の「アンカーリング演習」を私がデモンストレートしているときにある発見がなされたので、報告します。

これは、 スタンダードな「アンカー潰し」演習で、まず、クライアント役の方に、自分のピーク パフォーマンスを再体験してもらい、その体験を左手の揉み手と関連づけて「アンカー」する手順です。

この際に、私は、ガイド役の人にクライアントの左肩を軽く触ってもらい、このようにして外部からの触覚的アンカーも同時にインストールするようにしています。これは、自分だけの触覚的アンカーだけでは、自分自身の精神状態の変化に気づきづらいという人 (NLP 初心者) がいることを考慮した上での追加補足的手順です。

二つのアンカーがインストールされていることが確認された後、クライアントは、そのピーク パフォーマンスを持ち込みたい「否定的」な体験を考え、その最中に両方のアンカーを起動して、リソースをその文脈に持ち込んで、その体験がどう変化するか確認します。

(ところで、最近、私はアンカーによってこのような肯定的なリソースを否定的文脈に持ち込む際、「まずコンピュータ ゲームのモニターの下部中央に自分の『アバター』 (分身) がいるのを想像してください。現在、そのアバターは非常にネガティブな自分で、そのまわりの環境も否定的なものです。その後に、『アンカー』を起動することで、モニターの外にいるスーパーマンのようにパワフルな自分が、CG 効果として、現在モニター内にいる否定的な自分に入り込んで、変身します。その際、自分のまわりの同じ環境がどのように変化するかを見てください」といった比喩的な指示をクライアントに与えるようにしています。)

今回の大阪プラクティショナー コースの第一モジュールでは、デモのクライアント役になっていただいた参加者には、自分のピーク パフォーマンスに再体験してもらう際、もちろん、私は、アソシエート状態で、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じながらその体験を知覚ベースで思い出していただきました (これは、もちろん、ディソシエート状態で再体験して、その体験をアンカーしても「まざまざと自分の感覚で体験」する状態を引き出せないからです)。

この後、確立した本人のアンカー (実際には、すでに本人が使っていた右手の指の摺り合わせを使いました) と私がクライアントの肩を触るアンカーを、その方の否定的な体験に持ち込みましたが、その結果は、劇的というよりもどちらかと言うと「あまり変化がない」というものでした。

その後、その方が席に戻り、参加者全体に対して演習手順を説明しているときに、私にはたと思い当たる節があり、デモをされた方に、「アンカーを持ち込む先の『否定的』な体験は、もちろん、アソシエート状態で思い出しましたよね」と質問すると、「いいえ、自分は、自分自身を後ろから離れて見ている (ディソシエート状態の) 場所にいました」という回答が引き出されたので、「これだ!」と思いました。

同じ方に再度参加者の輪の中央に出てきていただき、もう一度否定的な体験を今度は「アソシエート」した状態で思い出していただき、その後二つのアンカーを起動すると、今回は比較的大きな変化が生み出され、満足のいく結果が得られました。

最後に、私は、この実際の演習内容を、「NLP では脳内の機能が充全にマッピングされているので、仮に演習等で期待したとおりの結果が生み出されない場合でも、そこには『必ず』論理的に説明できる理由がある」ことの一例として指摘させていただきました。

c) 私が私の言質で意味することと意味しないことの違い

私は、週末の大阪コース モジュールで、ベイツンの「The difference which makes differences (差異を作り出す差異)」について言及しました。

これは、「差異」の中には、どれだけ違っていても何の変化も生み出さない差異もあれば、極微の違いで劇的な変化を生み出す差異もある、という意味です。(このことは、同じ論理階梯 (= 論理レベル) 内の「水平的」変化は、大きな違いを生み出すことは期待できない一方で、異なる論理階梯への「垂直的」変化は、 しばしば劇的な違いを生み出す、と言い換えることもできます。)

「大きな差異を生み出す極微の差異」の一例としては、私は、バンドラー & グリンダー著『あなたを変える神経言語プログラミング (Frogs into Princes)』のまえがきにある話を引用させていただきました。

この話によれば、汽船のボイラーの修理を依頼された技師は、迷路のようなパイプを眺めて、蒸気の漏れる音に耳を傾けたり、パイプに触れたりした後、鼻歌を歌いながら作業服からハンマーを取り出し、小さなバルブをたたきました。それだけで、エンジンは再び快調に動き始めました。所要時間は 15 分でしたが、技師からもらった請求書の額が 1,000 ドルであることに驚いた汽船の持主が、明細を要求したところ、送られてきた明細書には、以下のように書かれていました。

ハンマーでの一撃の費用 0.50 ドル
一撃する場所を見つけるための費用 999.50 ドル
計 1,000 ドル

このような小さな差異を見つけることが、プロになるための必要条件と思われます。

私は、また、この「差異を作り出す差異」については、私の著『5 文型とNLPで英語はどんどん上達する!』の中で言及されている「自分が理解できない文に出会ったときに、その文が理解できない理由は、そもそもその文自体が構文的に間違っているので、それ以上読解しようと試みる必要がないからなのか、それとも、その文は構文的に正しくて、見慣れない単語を辞書で調べたり、スペルミスを正したりさえすればその文がちゃんと理解できるようになるからかなのかを、的確に自分自身で判断できる能力」 (108 ページ) と関連づけて話させていただきました。

つまり、 「そもそもその文自体が構文的に間違っているので、それ以上読解しようと試みる必要がない」ことと、「その文は構文的に正しくて、見慣れない単語を辞書で調べたり、スペルミスを正したりさえすればその文がちゃんと理解できるようになる」ことの差異が的確に自分自身で区別できる人は、学習している該当の外国語の「達人」の域に達していると評価されるべきです。このような学習の達人者は「目に見えない差異」を習得した人であるとも形容することができます。

このことと関連して、このコース モジュールで非常に興味深いことが起こったので、報告したいと思いました。

複数の参加者が私に「瞑想と 4T の関連性について教えてください」という質問をプライベートでされたので、私は、講義中に以下のように説明しました。(4T という基本的 NLP モデルと 4Te と 4Ti の違いの説明についても、現在 Web 上で公開されている旧バー ジョン「これが本物のNLPだ!」 (全 17 号) を参照してください。)

「瞑想が必ずしも 4Te であるとは思いません。ただし、4Te だけに注目するヴィパサナ瞑想という方法論が存在します。実は、真の瞑想とは 4Te と 4Ti を超えた『観照者』と同一化するプロセスであると言えます。」

さらに、私は、この点に関連して、「私が 1983 年にアメリカで弟子入りしたインド人の師匠は、『瞑想は男性的で、左脳的です。一方、催眠は女性的で、右脳的です。これは、瞑想は (男性的に) ただ一人でその精神状態に入っていける一方で、催眠は、(女性的に) 他の催眠家の支援を借りてその精神状態に入っていくからです。しかし、その行き着く先の瞑想状態と催眠状態は、実は、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態です』と述べていましたが、私の過去 25 年の体験と実験から言って、(この言質が正しいという結論が出てきていないかわりに) 間違っているという結論もいまだに導き出されていないので、私は、現時点では、おそらく、私の師匠の主張は正しいと考えています」と発言させていただきました。

その後、講義後に、ある参加者は極めて興味深いいくつかの質問を私にしました。

まず、「では瞑想は男性がすべきで、催眠は女性がすべきなのですか」という質問がされたのですが、実は、私の上記の言質の最重要点は「瞑想状態と催眠状態は、実のところ、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態だという私の師匠の言質は、現在までおそらく『類推的』に言って、正しいであろう、と (極度の懐疑主義者である) 私が考えている」ことにあって、その他の師匠の言質の内容は、私の単なる引用であって、私はその内容の責任を取るつもりはありません。(また、そもそも、「男性的」、「女性的」という言葉はあっても、「瞑想は男性だけがすべきで、催眠は女性だけがすべきだ」などという意味合いは、どこにも表明されていません。)

この方は、さらに「左脳は男性的で、右脳は女性的なのですか?」と質問されたのですが、この点については、このエリアの考え方については、単に私は最近の (心理学、NLP、催眠等の分野ですでに常識となっているように思われる) 「脳分離理論」に基づいているだけです。

たとえば、私が翻訳した『Magic of NLP』では、脳の左半球には、知性、デジタル、抽象、分析、線状、合理性、客観性、連続性等の特徴があり、右半球には、直感、アナログ、具象、全体性、非線状、直感性、主観性、同時性等の特徴がある、とされています。(134 ページ)

この二つの質問によって、質問者は催眠も瞑想もあまり経験のない方だということがわかったので、「私の内的世界は、全体性をもっていて、あるパーツと他のパーツはすべて関連性をもっているので、私が、ある部分的な言質をするとしても、他の多くの部分を前提にしているので、その部分だけを取り出して独立した形で云々することはできないし、とても危険なことだと思います。この辺の私の各言質の有機的なつながりを理解するためには、それなりの経験と参照機構をもっていただかないといけません」と助言させていただきました。

ちなみに、上記の「実は、私の上記の言質の最重要点は『瞑想状態と催眠状態は、実のところ、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態だという私の師匠の言質は、現在までおそらく「類推的」に言って、正しいであろう、と (極度の懐疑主義者である) 私が考えている』ことにあって、その他の師匠の言質の内容は、私の単なる引用であって、私はその内容の責任を取るつもりはありません」の部分は、専門的に言うと、ミルトン モデルの「範囲の両義性」離反と呼ばれているケースの一例なのですが、この点を含めて、この出来事は、「差異を生み出す差異」がわからないまま、私の言質を耳にすると、とんでもない誤解が聞き手に起こっている可能性を示唆するものでした。

このような誤解を避けるためには、1) 「差異を生み出す差異」がわかるようなレベルに達するまで、学習を続けて、充分な経験と参照機構を築く、ことと、2) (私の講義内容であれば) 何度もコースを再受講してみて、どの文脈において私の部分的な言質がなされているかを確認すること、等が必要になるかと思いました。

なお、私がコース中に「瞑想」について言及するたびに、参加者の方々から「瞑想するにはどうすればいいですか?」といったナイーブな質問を受けることがよくありますが、このトピックは短時間で語れるものではなく、また、私自身、現在は、瞑想を教えることにではなく、あくまでも NLP を教えることに 100% コミットしているので、軽々しく答えることはできない立場にあります。

確かに、私は、NLP 演習を熟得して、頭の中で瞬間的に NLP テクニックを行うことで、通常の瞑想テクニックにおいて 1 時間かかって得られる精神状態と同じ状態が得られる、という意味において、NLP はパタンジャリ以来の 2500 年間の瞑想の伝統を超越したものだ、といった主張をすることもありますが、一方では、このことを実感するためには、ある程度の期間以上の瞑想の実際の体験が不可欠になるでしょうし、もう一方では、私としては、この主張の詳細解説等は、私のもう一つのメルマガである「北岡泰典メルマガ」の紙上で行っていきたいと思っています。

d) NLP の左脳的な説明

今回のコース モジュールで、私は、「私の講義は、非常に左脳的な面もあり、NLP テクニックがどのように機能するかについて、ほぼすべて左脳的に説明できるようになっていますが、国内の他の NLP 団体の教えは、右脳中心の講義で、左脳的な話はほぼ皆無とであるというふうに聞いています」という意味のことを発言させていただきました。

(実は、私は、左脳と右脳の両方をカバーでき、その両方の包含範囲の角度は、ほぼ 180 度であろう、と自負しています。私の左脳的知識の右脳化の方法論は、左脳的知識を「徹底的に」 VAK の五感体験に落とし込むことにあります。この方法論は、「マインドの中に入ってくるもので、まず知覚経路を通じて入ってこないものはない (Nothing comes into the mind without first entering through the senses.)」というイギリス経験論者のジョン ロックの信条に基づいています。)

この点に関しては、欧米では、確かに NLP のテクニカルな面だけを教える右脳的な NLP ピアも非常に多くの数存在していますが、NLP 学習者がさらに理論的な、左脳的な説明を求める場合は、そのレベルで NLP を教えることのできる NLP トレーナーも同時に存在しているので、そのようなトレーナーから学べばいいわけですが (例としては、グリンダー、ディルツ、ディロージャの名前を挙げることができます)、日本では、そのようないわゆる「上級」 NLP を教えることのできるトレーナーの数は極めて少ないと、私は見ています。

まさにこのことを念頭において、私は、20 年滞在した英国から 2002 年に NLP を教えるために帰国したわけでした。

作成 2023/12/13