以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 47 号 (2006.1.17 刊) からの抜粋引用です。
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今回も、北岡泰典公式ワークショップ シリーズ、その他の最新情報についてお伝えします。
1. 「北岡泰典公式ワークショップ シリーズ」第六回ワークショップ参加者募集
2005 年 11 月より開講されてきている「北岡泰典公式ワークショップ シリーズ」の第五回ワークショップ「ワークその 1「汝自身を知れ」、 レクチャー 1.5 『掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦/Gone, Gone, Gone Forever』」は、 2006 年 1 月 11 日にホテル ヴィラ フォンテーヌ汐留コンファレンス センターで、成功裏に開催されました。
仏教経典の『般若心経』の末尾にある「掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」は、「Gone, gone, gone forever (行って、行って、永遠に行く)」と訳せますが、この一節は、私たちが「現実」と信じるものは、実際には、現実そのもの (神秘のままとどまる「土地」である世界全体) ではない「地図」にすぎない、ということを提言しています。この「地図」 (すなわち、私たちの信念) は継続的に改訂、拡張、洗練化することが可能であることが、NLP 個人編集テクニックの「信念体系統合」演習等の実演を通じて、検証、実証されました。
次回の第六回ワークショップは、「レクチャー 1.6 『マインドでマインドを超えられるか』」というタイトルで、2006 年 1 月 25 日にホテル ヴィラ フォンテーヌ汐留コンファレンス センターで開講されます。
通常、「脳機能 (小文字の「mind」) で意識 (英語で言う大文字の「Mind」) を超えられるか?」といった問いは、物議をかもし出しますが、古代インドのラージャ ヨギ (マインド コントロールの道の実践者) たちは、顕微鏡で細胞を観察し調査する場合のように、すべての迷信と先入観を排除しながら、客観的な科学的方法論を使って自分自身の内的世界 (内なる自己) を観察、分析することが可能で、さらに、このような科学的な観察と分析を通じて自分のマインドを超えることが可能である、という意見をもっていました。
この一見不条理なメカニズムは、19 世紀末のドイツの数学者が発見した「有限の数による無限の定義」によって論理的に擁護されていることが、考察、検証されます。
さらに、「マインドでマインドを超えられるか」は、NLP の共同開発者の一人のロバート・ディルツが『NLP のルーツ』の中で優雅に示唆している「NLP のような認識論的モデルは、私たちの経験についてのモデルであると同時に、このようなモデルについて考えるというまさにその行為を通じて私たちの経験の一部になるという意味において、ユニークなモデルである」という表現と密接に関係していることが考察され、この点は、NLP 個人編集テクニックの「パーソナル ヒストリー チェンジ」演習等で実際的に実感できることが検証されます。
ワークショップ詳細は以下のとおりです。
開催日時: 2006 年 1 月 25 日 (水) 18 時~21 時
開催場所: ホテル ヴィラ フォンテーヌ汐留コンファレンス センター
http://www.villa-fontaine.co.jp/shiodome/
トピック: ワークその 1「汝自身を知れ」
レクチャー 1.6 『マインドでマインドを超えられるか』
募集人数: 20 名
参加費: 事前振込み 1 万円、当日支払い 1 万 2 千円
参加申込みサイト: www.kitaokataiten.com/work/top.html
(注意: 参加申込みの混雑が予想されますので、申込みはお早めにされるようお勧めします。)
2. ニュー コード NLP 再考
先週末は、東京第三期マスター プラクティショナー コース モジュールがありましたが、ここでは、「バンドラー式サブモダリティ変更演習」、「変性意識のアンカーリング演習」、「ストラテジーの引き出し演習」、その他が学ばれ、さらには、NASA ゲームを含んだ「ニューコード変化フォーマット演習」も実演されたので、かなり内容の濃いモジュールとなりました。
このモジュールでは、最近のグリンダー氏による「ニューコード NLP ゲームの形成妥当な変数の定義」が紹介されました。これは、以下のような 7 つの項目です。
1. 演習の難易度がプレーヤーのレベルに合っていること
2. 全表出体系が関与していること
3. 全知覚入力経路が活性化されていること
4. 同時的平行プロセスが起こっていること
5. 両方の脳半球が活性化されていること
6. コーチによって注意深く監督されていること (あるいは、[コーチが不要なように] ゲームに構造的要素があること)
7.リズミックな活動があること
なお、この「ニューコード NLP ゲームの形成妥当な変数の定義」の本メルマガでの公表の許可をグリンダー氏に求めたところ、以下の同氏のメッセージを同時掲載することを条件に許可していただきました。
「NLP パターニングの適用は、『参加型スポーツ』です。それは、NLP の実際の実践能力を達成するという、学習者の側のコミットメントと、個人的規律を必要とします。
特に必要なコミットメントは、無意識の反射的反応になるまで NLP のパターンとフォーマットを強制的に練習するというコミットメントです。
もちろん、皆さんには、意識的にはこれらのパターンとフォーマットを完全に「忘れ」、自分の前にいるクライアントの要求に応えることの重要性を想起させていただきます。
NLP の適用段階には、自転車に乗ることを学ぶプロセスほど複雑なパターンは存在しないことを忘れないでください。ただし、自転車に乗ることについて話をしたり書物を読んだりすることは、あるいは、自転車乗りの物理的過程についての知識を習得することも、自転車に乗ることを学ぶこと自体とは無関係です。書物を脇に置いて、世界の中で行動してください!
ジョン グリンダー
NLP 共同創始者
ニューコード NLP 共同創始者
ボニー ドゥーン、カリフォルニア
2006 年 1 月」
すなわち、グリンダー氏は、当初、ニューコード NLP のトレーニングを受けていない人に「ニューコード NLP ゲームの形成妥当な変数の定義」を書面で伝えても、肯定的な効果はなく、むしろ悪影響しかない、と考えていたようですが、私が、「本メルマガの読者には私の NLP コース等でニューコード NLP を実際に体験している方もいますし、もともと、本だけで NLP を学ぼうとしている (『本を読むだけで自転車に乗ろうとしている』) 信じられないほど無謀で、絶対不可能な試みをされている方々がいるので、この定義を公表することに関しては『損失よりも利益の方が大きい』です」と伝えたところ、同氏から、上記のメッセージの同時掲載を条件に、定義の公表の許可を得た次第です。
また、「特に必要なコミットメントは、無意識の反射的反応になるまで NLP のパターンとフォーマットを強制的に練習するというコミットメントです」というメッセージは、よく私が耳にする「NLP 演習は自分の日常生活で繰り返して実践する必要があるのですか?」という質問に対する、NLP 創始者からの非常に明瞭な回答になっているか、とも思います。
3. 変性意識について
ニューコード NLP 演習では、「ノウイング ナッシング (Knowing Nothing) ステート」が重要要素として使われますが、これは、いわば、「ナチュラル ハイ」の状態と定義しても間違いではないかと思います。
この状態は、五感が解放されて、すべての入力に敏感に反応することができる状態ですが、通常の意識状態では、VAK のコーディネーションが非常に狭い帯域でしか行われておらず、しかもそのパターンは固定してしまっている一方で、この特別の状態に入ると、まったく新しい VAK のコーディネーションのパターンが生まれるので、「ナチュラル ハイ」的な深い変性意識の状態が生み出されるように思われます。(ちなみに、同じような「ナチュラル ハイ」がいわゆる特定の「ドラッグ」で生み出されうるのも、同じ原理に基づいているように思われます。この意味で、NLP は、外部のドラッグ摂取にいっさい依存しない「(ドーパミン、エンドルフィンといった) 脳内麻薬」を作り出す方法である、と言っても、それほど過言ではないように思えます。)
私は、最近、この「ノウイング ナッシング ステート」を「アップタイム トランス」と呼ぶこともありますが、定義上「アップタイム」は 4Te を、「トランス」は 4Ti を意味するので、この用語を聞く方々に混乱を引き起こしているようですが、「ノウイング ナッシング ステートは、インフルエンザを患っていたときの状態とよく似ています」と言った方もいたのですが、インフルエンザの症状が象徴する「ダウンタイム トランス」とも言える状態と区別するためにも、便宜上「アップタイム トランス」という定義を使えば、 「ノウイング ナッシング ステート」の意味合いがある程度までは伝わるのではないでしょうか?
もう一点興味深いことは、「ノウイング ナッシング ステート」では、ある意味で、意識と無意識の境界線が曖昧になる、とも言えますが、このプロセスを通じて、「意識と無意識」間 (ニュー コード NLP の端緒と言われているグリンダー氏著の『どんどん下に重なっていく亀 – 個人的天才になるための必要条件』では、「一次的注意と二次的注意」と定義されています) の相互協力とコ-ディネーションがうまく取れるようになる点です。
キリスト教の聖書だったかにある「右手は左手のしていることを必ずしも知る必要はない」という金言について、ある本でベイツンが言及していますが、通常は、意識と無意識が相互に介入しあっているからこそ、私たちは、全体性、整合性の取れない自己しか達成できていないように思われますが、このように、「ノウイング ナッシング ステート」を通じて、「意識と無意識」間に健康な相互コミュニケーションが起これば、意識も無意識も相互に信頼しあって、相手が行っていることにいちいち口出ししたりすることもなくなり、相互に適所適材にお互いが得意な課題を任せあうようなホーリスティックで首尾一貫した関係が生み出されると思われます。
4. 天才になるための障害
私は、常々、(個人的) 天才になるためのリソースは、万人がすでにもっていて、天才と凡才が生まれるのは、リソースを活用する際の「レシピー」の違いにしかない、と主張し、また、そのリソースは、NLP のような方法論で否定的に白い雲すべてを取り除いた後に、私たち一人一人が体験する「青空」そのものです、とも示唆してきています。
このことに関連して、たとえば、以下の 4 つのこと (これ以外にも列挙できるかとも思いますが) が、天才になるための障害となっているように思えます。
1. 意識の介入
2. 首尾一貫性の欠如
3. コミットメントの欠如
4. 創造性の宝庫である「ノウイング ナッシング ステート」を含めた変性意識 (催眠) 状態の無活用
このうち、「意識の介入」と「首尾一貫性の欠如」の障害は、上記の 3 項目でも示唆したように、「ノウイング ナッシング ステート」を活用すること自体で、克服可能のように思われます。
作成 2023/11/13