以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 46 号 (2006.1.9 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、北岡泰典公式ワークショップ シリーズ、その他の最新情報について、お伝えします。
1. 「北岡泰典公式ワークショップ シリーズ」第五回ワークショップ参加者緊急募集
2005 年 11 月より開講されてきている「北岡泰典公式ワークショップ シリーズ」の第四ワークショップ「ワークその 1「汝自身を知れ」、 レクチャー 1.4 『NLP は瞑想に取って代われるか!』」は、 2005 年 12 月 28 日にホテル ヴィラ フォンテーヌ汐留コンファレンス センター 18 階特別大会場で、成功裏に開催されました。
この第四回ワークショップでは、通常、瞑想と言われている方法論は、ほぼすべて例外なく 2,500 年前のヨギのパタンジャリが著した「ヨガ ストラ」に基づいていますが、25 世紀ぶりに人類に訪れた革命的方法論である NLP が、この瞑想の方法論に取って代わることのできる、現代的なツールであるかどうかが、考察、検証されました。
第五回ワークショップは、「レクチャー 1.5 『掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦/Gone, Gone, Gone Forever』」というタイトルで、2006 年 1 月 11 日にホテル ヴィラ フォンテーヌ汐留コンファレンス センターで開講されますが、現在キャンセル者がありますので、本号により、若干数の参加者追加募集をしたいと思います。
この緊急募集に興味のある方は、緊急に以下のサイトにアクセスしてください。
http://www.kitaokataiten.com/work/top.html
第五回ワークショップ詳細は以下の通りです。
たとえば、仏教経典の『般若心経』の末尾にある「掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦」は、「Gone, gone, gone forever (行って、行って、永遠に行く)」と訳せますが、この引用は、私たちが「現実」と信じるものは、実際には、現実そのもの (神秘のままとどまる「土地」である世界全体) ではない「地図」にすぎない、ということを提言しているようです。今回の第五回ワークショップでは、この「地図」 (すなわち、私たちの信念) は継続的に改訂、拡張、洗練化することが可能であることが、NLP 個人編集テクニックの「信念体系統合」演習等の実演を通じて、考察、検証されます。
開催日時: 2006 年 1 月 11 日 (水) 18 時~21 時
開催場所: ホテル ヴィラ フォンテーヌ汐留コンファレンス センター
http://www.villa-fontaine.co.jp/shiodome/
トピック: ワークその 1「汝自身を知れ」、レクチャー 1.5
『掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦/Gone, Gone, Gone Forever』
募集人数: 10 名
特別参加費: 当日支払い 1 万 2 千円
参加申込みサイト: http://www.kitaokataiten.com/work/top.html
2. ニュー コード NLP について
本メルマガの最近の号で、ジョン グリンダー氏の最近提唱しているニュー コード NLP の説明を行ってきていますが、何点か、さらに私が気づいたことに言及したいと思います。
a) 旧コード NLP とニュー コード NLP の差異につきましては、本メルマガの前号で以下のように記述させていただきました。
「旧コードとニュー コードのもっとも大きな差異は、旧コードでは、変化ワークの中でクライアントが選択する『現在の状態』も『求める状態』もクライアントの意識が選定する一方で、ニュー コードでは、 まず『ノウイング ナッシング ステート』を作り出して、その状態で『問題となっている、またはピーク パフォーマンスを発揮したい文脈』に入っていく点にあります。
旧コードについては、グリンダー氏は、『これらの決定は、クライアントが意識的に行います。これらは重要な決定で、旧コードがこれらの責任をクライアントの意識に委ねるのは、極めて不幸なことです。というのも、このような決定を行うのに関して最も能力が欠けているクライアントの部分は、まさにその人の意識的部分であるからです』と述べていて、また、『私は、これらの古典パターンをコード化し、奨励することに責任のあった二人のうち一人であった事実に、個人的責任感を覚えます。率直に言って、これらの欠点は、著しく不幸なコード化のエラーです』とまで言っています。(これらの引用は、2001 年出版の『Whispering in the Wind』より。)
同氏によれば、ニュー コードの『ノウイング ナッシング ステート』からは、無意識を基盤としたリソースに直接アクセスできるので、旧コードの場合のような、クライアントの制約された意識が選定する『求める状態』 (これも意識的に制約された状態となっています) といった制限が克服されることになります。
ちなみに、今回英国に行く前までは、私は、ニュー コードの論理的説明に 100% 納得していない部分もありましたが、今回の英国の特別トレーニング中のグリンダー氏の一言で、完全納得がいきました。
同氏によれば、『旧コードでは、クライアントが (アンカー崩しのようなテクニックにより) 求める状態が得られたとしても、単に現在の状態にいる「アンハッピー ロボット」が「ハッピー ロボット」になるだけで、文脈に拘束された機械的な人間であり続けることには変わりないままである一方で、ニュー コードでは、「ノウイング ナッシング ステート」に入ったクライアントが現在の文脈に入り、無意識からのリソースを利用してその文脈を変えることを学習した後は、そのクライアントは、将来他のどのような類似した文脈に入っても、事前には予測できない、常に新しい行動を生成していけるような「自由な人間」となれる』ということです。」
この旧コード NLP とニュー コード NLP の差異を私なりに図式化してみると、以下のようになるように思われます。
b) 前項 a) と関連して、最近の私の NLP ワークで、複数の方から、「ニューコード NLP では、旧コード NLP の場合のように目的の状態を VAK でありありと表出することはないということですが、あくまでもこれは意識的には表出しない、ということで、無意識的には本人は、『無意識的に求めている状態』を VAK で鮮明に事前に表出しているのではないですか?」というような質問を受けました。
この質問に対する私の回答 (上記の「旧コード NLP とニュー コード NLP の差異」の図式と首尾一貫していますが) は、「私自身の経験に照らしても、グリンダー氏の『ニュー コードでは、「ノウイング ナッシング ステート」に入ったクライアントが現在の文脈に入り、無意識からのリソースを利用してその文脈を変えることを学習した後は、そのクライアントは、将来他のどのような類似した文脈に入っても、事前には予測できない、常に新しい行動を生成していけるような「自由な人間」となれる』という主張にしたがっても、ニューコード NLP では、本人が意識的にも無意識的にも、自分が行き着く目的地について事前的表出することはいっさいないと思います」でした。
思うに、この質問は「旧コード NLP 的な方法論の内部」の観点からなされているようです。ちなみに、私は、上記の回答の後、「ところで、非常に興味深いことですが、旧コード NLP では、求める状態をありありと VAK 表出しなければその状態は達成できない、または達成しづらい、と言われていますが、そのような『アウトカム ステート』の文字通りの完全な表出は現実的にはもともと不可能だ、と言う人がいますし、私もその意見に同意します」と付け加えさせていただきました。
c) 以上のことに関して、私は、現在、旧コード NLP では、「新しい行動がアンカー」され、そしてそのために、クライアントは (アンハッピー) ロボットとしてあり続ける 一方で、ニュー コード NLP では (ノウイング ナッシングの) の「状態がアンカー」され、そしてそのために、クライアントは任意の新しい文脈に入るときに、(その状態が生み出す) 自分の行動を予め予想することができない、という見解をもっています。
この見解が正しいかどうかは、今後、グリンダー氏に確認してみたいと思っています。
d) (特にグリンダー氏の最新書『Whispering in the Wind (風の中のささやき)』 (2001 年) で提示されている形での) ニューコード NLP では、「F1 -> FA -> F2」の図式が使われます。
F1 は、神経学的フィルタリングのことで、FA は「First Access (一次的アクセス)」の略語ですが、FA は、グリンダー氏によれば、外界からの感覚入力が F1 で変形された後に、私たち人間が最も直接的に経験できる内面的世界のことです。F2 は、その直接的経験に対する言語的フィルタリングまたは操作のことです。(グリンダー氏によれば、この F2 操作は必ずしも言語的 (D) だけでなく、純粋に視覚的 (V)、聴覚的 (A)、触覚的 (K) のいずれかでもありえる、ということです。)
おそらく、FA は、たとえば、『Magic of NLP』等で規定されている「深層構造」に、F2 は同じく「表層構造」に対応するものと思われます。NLP では、伝統的に (おそらく「旧コード NLP では」と言い換えても言い過ぎではないかと思いますが)、人間の世界地図構築 (= モデリング) 過程の分析に関しては、「一般化」、「削除」、「歪曲」の三つの人間の普遍的モデル構築過程の規則と、「神経学的制約」 (これは、上記の F1 と対応しています)、「社会的制約」、「個人的制約」の人間モデリング構築の三つの制約のようなツールしか提供されていなかったようですが、ニューコード NLP では、グリンダー氏は、「完全な認識論者」として、外界からの感覚入力が F1、FA、F2 と進むにつれて、どのように、またどのような法則に基づいて「変形 (transform)」されていくのかの解明に非常に強い興味をもっているようです。
もちろん、もしこのような 17 世紀の「イギリス経験主義者」たちがはるかかなたにかすかに夢見たであろう「人間の主観的体験のモデル構築過程の明示的完全マッピング」が可能になるとしたら、人間意識のさらなる進化の意味あいにおいて、真の意味で革命的なイベントになると思われます。直感的には、私には、グリンダー氏が「ニュー コード NLP」という語を使うとき、このような方向性 (つまり、認識論的に言って、「打ち止め状態」的な完全帰結) を特に強調しているように思えます。
ニュー コード NLP では、旧コード NLP では言及されなかった、このような人間の主観的体験のモデル構築過程の明示的完全マッピングのための追加ツールが用意されています。
一つ目は、チャンキングには「論理的包含」と「全体/部分」の二種類が存在するという事実の指摘です。つまり、「乗り物」の概念をチャンクダウンするときに、「飛行機」、「船」、「車」等が得られ、さらに「船」をチャンクダウンして、「汽船」、「ボート」、「ホーバークラフト」等が得られる場合は、「論理的包含」の規則が適用されている、と言えます。一方で、たとえば「船」の概念をチャンクダウンするときに、「船首」、「デッキ」、「船尾」等が得られ、さらに「デッキ」をチャンクダウンして、「甲板」、「ボルト」、「ナット」、「接着剤」等が得られる場合は、「全体/部分」の規則が適用されている、と言われます。
もちろん、人間の主観的体験のモデル構築過程において、チャンキングの機能が危機的な役割を果たしていることは自明で、その意味で、通常はチャンキング過程において、「論理的包含」と「全体/部分」の二種類の規則が意識化されることはまずなく、さらに、この二つの規則が「でたらめに」適用されることで私たちの主観的体験が構築されているのではないか、ということを指摘することには空恐ろしい意味あいがある、と言えます。
さらに、二つ目のツールとして、グリンダー氏は、チャンク (つまり、集合) を創造する際にも、 「外延的 (extenstive)」と「内包的 (intensive)」の二種類の規則が適用されていることを指摘しています。
つまり、私たちが、「赤い服を着た人」を列挙的に一人一人ピックアップしながらチャンクを作る場合、「外延的」方法が使われている、とされますが、この方法を取った場合、ある建物、その地区に存在する「赤い服を着た人」を列挙していくことはできても、市全体、国全体、世界全体の「赤い服を着た人」を列挙してこのチャンクを完全にさせることはまず不可能です。
一方で、内包的規則では、「この町で、この今の時点で赤い服を着た人」といった具合に、一人一人すべての要素を列挙しなくても一定のチャンクの要素を完全定義することは可能になります。
学習加速の観点から言えば、内包的な集合の創造法の方が、劇的に学習時間を短縮することは自明ですが、一方で、外延的な方法がより適切である文脈も存在するように思われます。
おそらく、人生をうまく渡っている人々は (無意識的に) 「論理的包含」と「全体/部分」の二種類のチャンキングと、「内包的」と「外延的」な二種類のチャンク作成法を「適所適材」に使い分けできている人々のように思われますので、これらのツールを使えば、これらの人々の「うまい処世術」の完全マッピングも可能となり、そのマッピング結果の一式の明示的手順を踏めば、たとえ処世術がうまくない人々も短時間で処世術のうまい人間になれるように思われます。
3. ロンドン紀行
昨年 12 月初めに、私と石川正樹氏が英国に行き、グリンダー氏の特別トレーニングを受けましたが、その「ロンドン紀行」が石川氏の最近のメルマガで記載されていますので、そのまま以下に引用したいと思います。
「11月下旬から今月初旬にイギリスで開催されたジョン・グリンダー先生の
ニューコードNLPおよびNLPコーチングの特別研修プログラムに参加して来ました。
(北岡泰典氏とアラスタ・プレンティス氏と一緒でした。)
忘れないうちに、ご報告しないと!
ということで、ロンドン出張レポートその2をお送り致します。
「石川さん、ロンドンのどこに行きたい?案内するよ!」
北岡さんがそう切り出したので、私は思わず
「タビストックセンターに行きたい!」
そう口に出していました。
そういうと北岡さんは
「え?そうすると、あそこに入院するの?」
ですって。
彼の中では、タビストックセンターはただの精神病院としての
位置づけしかなかったようです。
タビストックセンターとは
ヨーロッパの精神分析の総本山で、
社会科学の研究でもとーっても有名なところなんです。
単なる精神病院ではありません。
タビストックセンターの近所に長年住んでいた北岡さんでも
知らないことがあったんですね!(笑)
タビストックセンターでは、北岡さんと二人で仲良く記念撮影。
そこでも、タビストックセンターの守衛さんに変な目で見られました。
よっぽど珍しいのでしょうか。。。
もしかして、入院患者が記念撮影している!とでも思われたのでしょうか?
タビストックセンターのすぐ隣が、精神分析の祖、ジグムント・フロイトの
記念館(フロイトミュージアム)になっています。
そこで、フロイト像の前でまた記念撮影。
フロイトは晩年の1938年、ナチス・ドイツに追われてウィーンからロンドンに亡命。
その当時の住居がフロイトミュージアムになっているのです。
北岡さんがこの近所に居を構えていたということは、
偶然ではないような気が(勝手ながら)しています。
(本人はその事実に気がついていませんでしたが(笑))
続いて向かったのは、ハムステッドという住宅地。
ハムステッドはロンドンでも指折りの最高級住宅地で、東京で言えば田園調布。
北岡さんが住んでいたのは、この地区の住宅のペントハウス。
その部屋からはロンドンが一望できる、とってもすごい場所です。
北岡さんは、この地で変性意識の研究に没頭していたんですね。
本邦初公開!
怪しげな二人の記念写真です。
http://www.ishikawamasaki.com/archives/2006/01/london.html
ロンドン市北部にある高級住宅地の近くにあるハムステッドヒースへ。
そこは芸術家の集まる、おそらく「ロンドン最高の瞑想の森」で、
その鬱蒼と茂る森の中を瞑想しながら歩き続けました。
もちろん観光客などは一人もおらず、
散歩している近所の方々とすれ違うのみです。
北岡さんは、何年間もこの森を一人歩き続け、瞑想し続けていました。
この森での思索が北岡泰典の基礎を作ったということが実感できます。
一般の観光客は、まず訪れません。
フロイトも散策したんだろうね、と二人で語りながら肩を並べて散策しました。
>>>つづく>>>」
なお、石川氏の本メルマガ (「ビジネスの現場で役立つ!NLP実践テクニック」) は、以下のサイトから購読可能です。
http://www.mag2.com/m/0000146805.html
作成 2023/11/12