以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 35 号 (2005.8.16 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、3 点ばかりお伝えすることがあります。
1. 『北岡泰典公式 Web サイト』開設される!
現在、 『北岡泰典公式 Web サイト』 (あるいは『北岡泰典ドットコム』ともいうべきサイト) が以下のアドレスに新規開設されました。
http://www.kitaokataiten.com/
このサイトは、私の国内での NLP 活動について情報を逐次広範囲の人々に発信していくという目的をもってオープンされました。
日本では、現在、コーチングがはやっていますが、研修内容としては、NLP のミニチュア版というようなコーチングも多々見られるようです。すなわち、コーチング業界では、現在「NLP コーチング」が大きな話題になっているようですので、この「NLP コーチング」の分野も見据えて、今後この公式サイトを通じて、北岡の多角的な活動についての情報を発信していきたいと思っています。
(なお、近々私のプロモータである JMA 側から正式発表がある予定ですが、来年 2006 年のゴールデン ウィーク中に、NLP 共同創始者であるジョン グリンダー氏が再来日されて、トレーナーズ トレーニング コースの他にも、「NLP コーチング」資格認定コースを開講する予定になっています。NLP 創始者が正式な「NLP コーチング」の認定書を出すのは、少なくとも日本では (そしておそらく世界的に見ても) 初めての機会となりますので、この認定コース修了者は、今後、コーチング業界でも非常に有利なステータス (と技能) を獲得することになると予想されます。)
現在、『北岡泰典ドットコム』サイトには、私のワークを知っている方にとっては目新しい情報はまだアップロードされていなかと思いますが、「北岡泰典とは?」のページにある「北岡は、英国の会社、Creativity Enhancement Ltd. 社の代表取締役社長です。同社は、能力向上トレーニング、異文化コミュニケーション コンサルタンシー、通訳、その他の業務サービスを提供しています。また、同社の会長は、ウィンストン・チャーチルの親族で、英国上流階級とも広いコネクションをもっています」といった、今回初めて公表する情報も何箇所かあります。
このサイトでは、今後、 私の NLP 活動についての詳細情報を、特にまだ私のワーク、あるいは NLP 自体についてあまり知識をもっていない広範囲な人々に向けて継続して発信していければ、と思っています。特に、「本物の NLP」を (潜在的に) 求めている人々の数は無尽蔵であると思えますので、業界外の市場拡張の一助になれば、とも思っています。
もし読者の皆さんで、そのような (「業界内の小さなパイ」の分け合いではなく) 業界外の市場拡張に興味があり、『北岡泰典ドットコム』サイトとの相互リンクを希望される方がおられるようであれば、私の方にメールを送って、その旨を伝えていただければ幸甚です。
2. 「ガチョウは外だ」 NLP 演習
今回の東京マスター プラクティショナー コースで行った演習のうち、本メルマガの 33 号で紹介した「ガチョウは外だ」という禅考案をまさしく体現するような効果を示した演習がありました。
その演習は、NLP ユニバーシティのロバート ディルツが開発した「生成 NLP 公式」 (原語は「Generative NLP Format」) と呼ばれる演習です。 この演習では、フロアに「第一ポジション過去」、「第一ポジション現在」、「第一ポジション未来」 、「第ニポジション過去」、「第ニポジション現在」、「第ニポジション未来」 、「第三ポジション過去」、「第三ポジション現在」、「第三ポジション未来」 の、人称と時制を二つの座標軸にした計 9 つのポジションからなる「格子」を置きます。ただし、第一ポジション関連の 3 つのポジションは真ん中の列に置き、第ニポジション関連の 3 つのポジションは左側の列に、第三ポジション関連の 3 つのポジションは右側の列に置かれます。
演習の手順としては、演習実践者は、この格子の真ん中の「第一ポジション現在」に、まず問題を抱えたまま立ち、他の 8 つのポジションに順次移動して、あたかもそのポジションの自分になったかのように感じながら、一人一人その問題解決に役立つであろう助言を真ん中の自分に対して与え、その都度「第一ポジション現在」の自分に戻って、逐次それぞれの助言を聞いて、今の自分の状況がどのように変化するかを体験するというものです。
この演習のデモ実践のときにボランティアになっていただいた方の「第一ポジション現在」での問題としては、「閉塞感を感じて自由がない。コンクリートの筒の中にいるようで、そこから抜け出せない」といったもので、「おそらくはここから抜け出す方法はないでしょう」ということだったので、私は、この演習の (真ん中のポジションにいる自分に対してその周りを取り囲んでいる他のポジションの自分が助言を与えるという) 構造上、とっさに「ひょっとしたら、これは例の『ガチョウは外だ』演習と呼んでもいいくらいのテクニックかもしれません。もし仮に『出口なし』の今の状態から抜け出せたとしたら、すばらしいと思いませんか?」と言いましたが、この方は「そうですね」と同意されたので、デモ演習を開始しました。
演習中、この演習が意図されている効果として、知覚ポジション (すなわち、人称) と時制を変えながら自分の問題を違った視点から見ることができるにつれて、このボランティアの方は、徐々に、「今、コンクリートの筒の幅は薄くなりました」、「その筒は穴が開きました」、「今筒は崩壊して、なくなりました」といった具合に、「瓶の中のガチョウ」が徐々に瓶の外に出て行くという、非常に興味深いプロセスが起こりました。
個人的には、最初はかたくなに「脱出するてだてがまったくない」と言っていた方が、演習の最後には、脱出する方法を見つけ、あるいは、自分を囲んでいるコンクリートの筒が、実は「もともと自分が想像したもの」に過ぎなかったことに気づかれたようなプロセスを目の当たりに見て、私は本気で、この演習はまさしく「ガチョウは外だ」演習と命名してもいいのではないか、とも思いました。
3. 自由度の違い
今回のコースで、私は、量子力学の「不確定性理論 (または原理)」(「the Theory of Probability」) を元に、一人一人の人間の (絶対的な) 自由度にはいろいろ範囲の差があることを指摘させていただきました。
すなわち、不確定性理論は、原子の最小構成要素は粒子と波の両方の性質をもつことができることを示すために使われます。言い換えれば、観察力のある科学者は、仮定上の原子の粒子が特定の瞬間にどの「不確定性」フィールドに存在するはずであると指摘することができる一方で、その科学者はその粒子の正確な位置を特定することは決してできません。(「不確定性フィールド」とは、「何か」が間違いなくその内側にある一方で、その外側にある可能性はまったくないような枠組みのことです。)
この理論によれば、以下にアップロードされている、アンカーと「ゾーン」の関係図がさらに明確に理解できます。
http://www.creativity.co.uk/creativity/jp/magazine/library/anchor.htm
すなわち、 ある人の変性意識を含めた精神状態の「場」は、アンカーの位置と紐の長さ (端的には、アンカーリングをどれだけ容易に、即座に起動できるかを含めた、アンカーの強度と対応していると言っていいと思われます) によって「絶対的」に事前決定されますが、その精神状態が「具体的」にはどういうものかの詳細は、誰も知ることができず、その場の中のどの位置にいるかはまったく本人のみに依存しています。
その意味では、この本人は、ある時点でどのような精神状態をもつかについては、「まったくの自由」をもっていますが、同時に、その精神状態が可能性として取れる形態 (すなわち、「場」) は、予め規定されているという意味で、その自由度は「制約」されています。
つまり、私のお気に入りの CD-ROM の比喩を使うと、たった 1 枚の CD-ROM の選択肢しか使えない人の柔軟性または自由度は、7 枚の CD-ROM を状況に応じて自由に使い分けることのできる人よりもはるかに制約されていますが、その本人は、微分的にあるいは小数点的に永遠に微小レベルでの詳細を違わすことができるという意味では、2 人とも「同じ絶対的自由度」を享受していると言えます。
このことが不都合を起こす状況は、同じ比喩を使うと、7 枚の CD-ROM を使える人も、1 枚しか使えない人も、相互コミュニケーションの場はたった一つの同一のコンピュータ モニタ上でしかない、という事実によって例示されます。
すなわち、 7 枚の CD-ROM を使える人がどれだけ柔軟な行動を示して、モニタ上で自己表現したとしても、1 枚の CD-ROM しか使えない人が同じモニタを見た場合、モニタ上に表現される内容を自分自身の価値基準で相手の行動を判断することしかできないので、この相手の (自分以上の) 柔軟性、自由度を理解することは不可能です。(このことは、三次元の情報が二次元のモニタ上では失われてしまう、という事実と密接に関係しています。)
この人が相手の柔軟度、自由度が理解できるのは、相手と同じ数以上の CD-ROM を使いこなせるようになったときだけです。
以上の「自由度」についての説明は、「不確定性理論」の他にもグレゴリー ベイツンの「論理階梯理論 (the Therory of Logical Types)」等に基づいていますが、「自由はどれだけ自由か?」あるいは「無限はどれだけ無限か?」といった一見不合理に見える問いも実は、論理的に整理し解明できるところに、NLP がどれだけ革命的な方法論であるか、の抜本的な理由があります。
コース中に、「NLP 創始以来 30 年が経っていて、先生は、いわば、創始から 15 年くらい前までの NLP モデル、テクニックに基づいて講義、演習実践していますが、その後に、新しい NLP は生まれていないのですか?」といった質問を受けましたが、私は、「このような自由度の違いといったことを論理的に語れるようになった点に、NLP の (アリストテレス以来始めて可能になった) 量子的飛躍があるのであり、次に (おそらく 2,500 年して) 再度量子的飛躍を達成する学派が生まれるまでは今の NLP は超えられることはないはずなので、このような 『NLP のルーツ』だけに専念して教えることに、私は問題を感じていません」と答えさせていただきました。
ただし、この点については、ディルツ考案の上記の (私が命名した) 「ガチョウは外だ」演習は比較的近年の NLP 演習である、という点と、最近のジョン グリンダー氏は「新コード NLP」を打ち出していますが、これは NLP の発展を実質的に阻害している、過去 30 年間 NLP ピアの間で行われてきている 「NLP の応用」ではなく、NLP の真髄である「NLP モデリング」を重視する傾向が極めて強く、今後の NLP のさらなる発展に大きく寄与できるように思える、という点を特記しておく必要があるかと思います。
作成 2023/11/1