以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 33 号 (2005.6.7 刊) からの抜粋引用です。

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先月末までに、日本 NLP 学院の第二期大阪プラクティショナー コースと第四期東京プラクティショナー コースの第一モジュールが終了しました。

この「NLP 紹介」モジュールのテーマは「NLP の背景と基本的モデル」で、コース参加者は、NLP の基本的な歴史的背景と、「NLP の諸前提」、「表出体系」、「4 T」、「 眼球動作パターン」、「カリブレーション」、「アンカーリング」といった NLP の基本的モデルを学びました。

コース中には、基本的な (しかし、長年 NLP に関わってきている私にとっても非常に興味深い) 質問がいくつかコース参加者から尋ねられ、私がその回答を提示しましたが、今回は、その一部を読者の皆さんに紹介したいと思いました。


1. 「コミュニケーション相手の外的行動をカリブレーションしているとき、その人の話を聞いていないことがその人に悟られてしまいませんか?」

この質問は、私が「NLP は、それ以前の『コンテント志向』とはまったく一線を画した『コンテント フリー (内容とは無関係)』の方法論である」ということを説明した上で、コース参加者に、ある人の外に見えている姿勢、動作、仕草、言葉使い、眼球動作等を通じてその人の内的状態と思考が的確に特定できる「カリブレーション」演習を参加者間でグループになって行ってもらった後の質疑応答時に、尋ねられました。

まず、指摘すべきことは、人間は、(NLP 等を通じて) 訓練すれば、コミュニケーション相手の会話内容と、その人の姿勢、動作、仕草、言葉使い、眼球動作といった「外的行動」の両方に、同時に意識していることが可能になるという点です。これは、NLP では「マルチ タスク プロセッシング (複数のタスク同時処理)」と呼ばれている技能です。

通常、この技能は、左脳と右脳を結んでいるブリッジ部分である「脳梁」という器官が太いときに高められると言われています。また、一般的には、女性の方が男性よりも脳梁が太い、それゆえに、女性は同時に多くの仕事を遂行できる傾向が高い、とされています。私の個人的経験では、NLP トレーニングの中で、左脳的知識を個人編集テクニック演習等を通じて右脳に落とし込み、さらには、その右脳的知識を NLP 的な分析的、論理的知識によって「左脳化」することで、NLP 実践者の脳梁は徐々に太くなり、マルチ タスク プロセッシング能力も飛躍的に強化されます。もちろん、このことにより、右脳と左脳の「ホーリスティック (全体的) な交流」が可能となり、その人の内的世界は非常にバランスの取れた、豊かなものになります。

ちなみに、人間は果たして真の意味で、同時に複数のことを意識化できるのか、という問いが存在します。私の意見では、人間の脳はコンピュータと同じように機能しているように思えます。すなわち、コンピュータと同じように、同時タスク処理が起こっているように見える反面、実際には、一度に一つのタスクをこなし、複数のタスク間を高速に行き来しているだけにすぎないように思われます。

この質問について指摘すべき 2 点目は、アメリカの心理学者メラビアンが説いた、話し手のコミュニケーション要素は、表情やしぐさ等の非言語的部分が 55%、声の大きさ、調子等、話し方の部分が 38%、話す内容の言語的部分が 7% 占めるという「メラビアンの法則」に関連しています。

すなわち、NLP 以前のファシリテーション ワークの方法論は、たとえば、ブリーフ セラピー (短時間療法) を提唱した、カリフォルニア州パロ アルトの MRI (メンタル リサーチ インスティチュート) 等の方法論を除いて、ほぼすべて、ファシリテータにクライアントの問題の「内容」の言語的要素について注意を向けるようにしかさせていなかったのですが、NLP のカリブレーション演習では、ファシリテータのクライアントの問題の内容に対する注意力を、「正常」な 7% まで落とすようにする一方で、クライアントの姿勢、動作、仕草、言葉使い、眼球動作といった非言語的要素とその話し方に対する注意力を 93% (55% + 38%) まで高める訓練が可能になるだけです。

3 点目に指摘すべきことは、通常、コミュニケーションの相手は、(NLP のようなトレーニングを受けていないかぎり) ほぼ常にといっていいほど、トランス (一種の催眠状態です。NLP で言う「4Ti」のことです) の中に入っていて、外界の観察やカリブレーションをすることができない状態にあるので、こちら側が過剰に心配するほど、相手にこちら側がその人の話を聞いていないことを悟られることはない、と考えていいと思われる、ということです。


2. 「ある非常にパワフルな内的状態をアンカーすることで、突然人格が変わってしまう、といったバランスを失った事故は起こりえませんか?」

私は、このことは起こり得ない、と思います。私は、本メルマガの第 4 号で、1988 年から 1995 年までの 7 年間、毎日一定数の個人編集テクニックを行ったと示唆し、

「この間、テレビ ゲームの『パックマン』の比喩を借りると、NLP 以前の心理療法テクニックでは、パックマンが食べるべきキャラクターが無数に存在していて、 パックマンに食べられてもそれらのキャラクターが再度ぞろぞろと生き返ってく る (ロビンスの比喩で言う『やかんの蓋が自動的に再び閉まる』) ようなものだったのですが、NLP 個人編集テクニックの場合は、一度食べられたキャラクターが生き返ってくることはけっしてなく、キャラクターの数そのものが確実に着実に減っていくことを経験して文字通り驚愕を覚えました。数年間の個人編集テクニックの実践の後は、それまで解消されることのなかった、複雑にもつれた大きな凧糸の結び目のようであったトラウマも最終的には完全克服されてしまいました。(なお、ここで言う『パックマンが食べるキャラクター』は、ゲシュタ ルト セラピーの『アンフィニッシュド ビジネス』と同義語です。)」

と書きました。この期間の当初、私は瞑想の修行もしていたので、非常に知覚の鋭敏性が研ぎ澄まされていたので、最初の日は、おそらく約 2 万個のパックマン (アンフィニッシュド ビジネス) に気づきました (1 日は 84,600 秒なので、このことは、約 4 秒に 1 秒の割合でアンフィニッシュド ビジネスが起こったことを意味します)。その後は、徐々にその数が確実に減っていき、7 年後には、最終的にはほぼゼロとなりました。

ですので、たとえこの「2 万個」が比喩的な数字であったとしても、通常、人間はありとあらゆる種類の無意識的なアンカーリングの「餌食」になっていることは間違いないので、どれだけパワフルであろうが、たった一つの新しいアンカーリングで、「人格」の全ゲシュタルトが突然完全に変容することはありえないと見てさしつかえありません。

確かに、バンドラー風に、「ブリーフ セラピー」のセッションの最中に、クライアントの行動が突然、全体的に矯正されて、それ以降、クライアントの行動パターンが完全に変更される場合もありえますが、この場合は、少なくとも、クライアントの無意識を相手に「エコロジー チェック」をして、無意識全体に該当の行動パターンの変更を受け入れさせる作業がそのセッションの前になされている必要があります。

そのような事前の無意識の同意がない状態では、矯正された行動パターンも、遅かれ早かれいずれは、また過去の行動パターンに逆戻りしてしまう可能性も否定できませんし、いわんや、新しくインストールされたアンカーリングが全人格を突然変容させるといったことは通常の条件下では起こりえません。


3. 「VAKO で表出しないまま、特定の言葉をアンカーすることは可能ですか?」

この質問の意味は、アンカーリングの対象となる内的体験を、まず VAKO (すなわち、五感体験) によって表出することなしに、初めから言葉によって (つまり、デジタルの左脳的体験を通じて) 表出することでアンカーすることは可能ですか、ということでしたが、この質問は、非常に興味深いと同時に、含蓄されていることには「危険性」があると思いました。

確かに、NLP において、自分が達成したい求める状態をアンカーしようとするときは、頭の中で内的体験として「想像」するという意味では、このアンカーリングの対象も左脳のデジタル的体験であることには変わりありませんが、求める状態を効率的、かつ有効にアンカーするためには、VAOK の全表出体系を使って、あたかもその体験が今ここで起こっているかのように「想像」する必要があります (ちなみに、このとき、本来は避けるべき、トランスの一形態である 4Ti が効果的に、療法的に使われていることは、興味深いことです)。

もし、このとき、アンカーリングの対象として、抽象的に、たとえば、単に「お金持ちになりたい」といった VAKO で表出されない状態を選んだ場合は、無意識がどの方向に向かって進めばよいか不明瞭なので、その求める状態が実際に現実世界で達成される確率は非常に低くなってしまいます。

同様の意味で、アンカーリングの対象をあらかじめ VAKO によって表出することなしに、初めから、単なる抽象的な言葉 (デジタル体験) をアンカーするということは、「左脳的な情報をまず右脳に落とし込むことなしに再体験しようとする」ことなので、私は、この質問者に対して、「このようなことはぜひとも避けるべきで、さもないと、何の実際の変化も引き起こせないような単なる『耳年増』的な状況になる可能性があります」と答えさせていただきました。

確かに、右脳的知識とは隔離されて左脳的なデジタル世界に住んでいる「頭でっかち」な人々 (ある方から、日本の現状の教育体制からは、このような子供、若者があまりにも数多く生まれている、と聞きました) は、もしかしたら、「左脳的情報の (右脳的表出で裏打ちされない) アンカーリングの天才」なのかもしれません。


4. 「4Te をアンカーすることは可能ですか?」

私は、上記の質問 3. とも関連しているこの質問を非常に興味深いと思いました。

すなわち、4Te とは、内部生成の 4T (すなわち 4Ti) のない、知覚体系がクリーンでオープンになった、知覚鋭敏性が最大限化されている、「今ここ」の外界からやってくる入力情報だけに意識化している状態ですが、この用語の定義上、その状態 (「今ここ」で起こっていること) は、VAKO 表出が可能な過去の記憶ではなく、かつ、4Te はどのような内容でもありうるという意味で、「コンテント フリー」なので、アンカーリングの対象にならないと考えるべきです。

むしろ、私は、よく私のコースの参加者に「アンカーでないものを言ってみてください」と尋ねた上で、「森羅万象はアンカーです」と指摘しますが、もしかしたら、唯一アンカーでないものは 4Te だけであると、結論づけてもいいくらいかもしれません。

しかしながら、たとえ仮に 4Te 自体がアンカーリングの対象にならないとしても、4Te の状態にアクセスしやすい複数の 4Ti の状態を間接的にアンカーすることは充分可能なように思われます。

このように、無数にある 4Ti を間接的に扱うことで継続的に 4Te の状態を達成しようとするメカニズムは、NLP の個人編集テクニックの演習において、「空間ソーティング」を使って、観察者のポジションである「メタ ポジション」を活用し続けることによって、直接的にではないにしても間接的に「観察者」、「観照者」の能力が向上されていくメカニズムと似通っています。

ところで、精神世界では、「ガチョウは外だ!」という公案に関するストーリーがあります。

このストーリーによると、「リコウ」という弟子がその師の元に行き、公案を与えられました (この話は日本で起こったとされていますが、私は、「リコウ」の漢字名が確認できていません)。

その師は、リコウに、「この瓶の中にガチョウの雛がいる。それに餌をやり続けると、最後には大人のガチョウとなる。今、ガチョウは瓶の中で身動きできなくなる。ガチョウを救おうと思ったら瓶を壊す必要があり、瓶を救おうと思ったらガチョウを殺す必要がある。両方を救うためには、どうすればよいか?」と尋ねました。

リコウは、師の元を去り、この公案について考え抜き、1 週間後に師の元に戻り、答えを伝えます。師は、その答えを退け、「この公案についてもっと瞑想するがよい」と言いました。リコウは立ち去り、1 週間後に師の元に戻り、別の答えを伝えますが、その答えもまた退けられます。師は、弟子に公案についてさらに瞑想するように命令します。この過程が何度となく繰り返され、最後に、リコウは答えの可能性をすべて考え尽くします。そこで、弟子は、最終的に師の元に戻り、「師よ、私には他の答えはもう思い当たりません。どうか本当の答えを教えてください」と言います。

これを聞いた師は、突然高らかに両手を打ち、そして「リコウ! ガチョウは外だ!」と叫びました。

これでストーリーは終わりですが、ある精神世界の導師の解釈によると、リコウがすべての形而上学的思索をし尽くしたとき、その師は、単にその瞬間を利用して、両手を打って、その音で弟子に「実存的なショック」を与えることで、ありとあらゆる問題が発生しうる思考の中から目覚めさせて、問題がいっさい発生する可能性のない「今ここ」の瞬間に立ち戻させたことになります。

(もちろん、言うまでもなく、このストーリーは、NLP 的には「4Ti/4Te」の対比によって完全マッピングが可能です。)

私は、本メルマガの過去の号で何度か、自分は過去に精神的な蟻地獄に陥っていて、何とかそこから抜け出せた人間である、と述べてきていますが、「認知論的」にこの蟻地獄から脱出可能であると私に確信させたのは、実は、このストーリーでした。ただし、それを可能にさせる「実存的」な方法を見つけることは長年できずにいて、最終的にその現実的な方法論が NLP であることを発見したのは、この確信から数年経った後でした。

作成 2023/10/30