以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 31 号 (2005.4.21 刊) からの抜粋引用です。
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先月は、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏がトレーニング パートナーのカルメン ボスティック サンクレア女史とともに初来日され、21 日に東京ビッグサイトでビジネス向けワークショップを開講されましたが、今回は、その「余波」等について考えてみたいと思います。
1. グリンダー氏の国内初のワークショップについて
先号のメルマガでもお伝えしましたが、ワークショップ参加者の中で、グリンダー氏のワークの内容が初歩的すぎると感じられた方もいらっしゃったようですが、その一方で、同氏のプレゼンテーションのレベルに驚かれた方、あるいは、グリンダー氏にお会いできたこと自体を心から喜んでいらっしゃる方も多数おられたようで、同氏の国内初のワークショップの目的は、一応達成されたと見てもさしつかえないのではないでしょうか?
ちなみに、私自身は、NLP の創始者のグリンダー、リチャード バンドラーの両氏と、その二人の「精神的ガイド」であった、20 世紀最高の (あるいは、場合によっては、近代西洋最高の) 認識論者と私が見なしているグレゴリー ベイツン氏の 3 人の名前は、今後数十年後には、 20 世紀の「無意識の心理学の父」であるシグモント フロイト以上のものとして歴史に残ることは間違いない、と見ていますので、この機会にグリンダー氏にお会いできた方々は誠にラッキーであった、と言えると思います。
現在、私の団体は、来年以降に国内で開催予定のグリンダー氏のトレーナーズ トレーニングの詳細内容について、同氏と交渉中です。詳細が最終決定され次第、本メルマガを通じて、皆さんにお伝えしたいと思っています。
また、私の団体名は、「英国 NLP 学院日本校」から「日本 NLP 学院 グリンダー & ボスティック認定校」に変わりますが、この名称変更も追って正式発表させていただきます。その際には、学院の Web サイト (http://www.nlpjapan.com/) も全面更新される予定です。
2. グリンダー氏の 60 年代の活動について
グリンダー氏のワークショップの当日 (実は、当日の朝グリンダー氏とともにワークショップ会場入りする直前に待機していた裏通路で)、私は、高校生時代 (1971年当時)、15 歳のときに、文化的に閉塞した関西のごく小さな地方都市で、ジェリー ルービンという「イッピー」 (米国西海岸文化において、ヒッピーの後に出現した、「Youth International Party (若年国際党)」の党員) の「Do It! (やっちまえ!)」という本を読み、衝撃を受けた覚えがあり、その「反体制的傾向」が 35 年後に、こうやって NLP を実践していることにつながっているのです、と同氏に立ち話として伝えたところ、なんと、同氏が、実は、自分は、1960 年代に当のルービンと一緒に活動していたイッピーで、SDS (民主的社会のための学生党) の一員で、ベトナム反戦運動等を行っていた、とおっしゃられたので、私はほぼ腰を抜かしました。
もちろん、私は、NLP の内在的な「因習打破的」な傾向のために、グリンダー氏は、NLP を創始する以前の 60 年代は、おそらく「左翼的」な活動をしていたのでは、と無意識的に推測してはいましたが、35 年前に、田舎の町で、私の「オルターナティブ (代替) な生き方」を完全に決定付けた本の著者とグリンダー氏が昔友人であったとは、夢にも思いませんでした。
私は、高校時代、左翼的学生運動にも関わった「遅れてきた青年」 (1971 年に地方都市で学生運動に参加した、という意味です) で、小説的には、大江健三郎の「日常生活の冒険」、「個人的体験」、「万延元年のフットボール」の世界に生き、音楽的には、ニール ヤングの「ヘルプレス」、「サザンマン」、「ダウン バイ ザ リバー」 等に耽溺した青年でした。
また、当時、アングラ雑誌で、ラム ダス (リチャード アルパート) という元ハーバード大学の心理学者がインドの導師に会った際の出来事等を読み、瞑想や催眠等を含む「変性意識」の研究にも本格的に興味をもち始めたのも、感受性の豊かなこの高校時代でした。(催眠自体に出会ったのは、私が、5 歳のときに入所していた、肢体不自由児を収容するカトリック系施設でしたが。)
以上のような、 「原体験」ともいっていい、文化的背景 (特に、ルービンの「やっちまえ!」) を元に、私は 15 歳のときに、将来最終的には NLP という学問によって閉じられることになる「内的模索のループ」を開き始めたのですが、先月、グリンダー氏の口から直接、「私はルービンの友人だった」と聞き、巡りに巡ったそのループがやっと 35 年後に閉じられたような気もしました。
思うに、グリンダー氏も、40 年近くも経った今、日本のごく小さな地方都市の出身の日本人から「私は、35 年前に (あなたの友人であった) ルービンの本を読んで、人生が変わりました」といった言質を聞いて、ほぼ驚愕したのではないでしょうか。
3. 私の過去の催眠体験
上記の項目では、先号のメルマガでお約束したように、私の過去について「カミング アウト」したつもりでいますが、この話題についてもう少し、続けてみたいと思います。
上記に「催眠自体に出会ったのは、私が、5 歳のときに入所していた、肢体不自由児を収容するカトリック系施設でした」と書きましたが、当時、仲間のある子供から「羊が一匹います。ニ匹います。三匹います…」といった催眠誘導を受けた後、「今、あなたは立ち上がります」という暗示を受けたのですが、私は立ち上がらなかったので、まわりにいた子供たち皆から冷笑された記憶が今でも鮮明に残っています。この事件が、私の催眠現象との最初の出会いでした。
その後、私は 9 歳のときに別の養護施設に入所しました。小学校 4 年の秋から 6 年卒業時までその施設にいたのでこの 2 年半の間はまともな小学校教育を受けないままでした。(中学校は普通の学校に戻りましたが、どういうわけか学業に遅れが出る、といった問題は起こりませんでした。)
この施設には、いわゆる「ガキ大将」がいて、 私より 2 才年上のこの子供は「夢遊病」の症状をもっていました。すなわち、この子供は、他の子供たちに、夜中の何時に起こしてくれと頼み、子供たちは彼をその指定された時間に起こすのですが、翌朝、「なぜ起こさなかったのか」と怒りました。あるとき、隣の学校に火事が起こり、校舎が全焼したときも、彼は他の子供に起こされ、その火事を目の当たりに見たのですが、翌朝、「まったく覚えていない」ということでした。
さらに、私が中学生、高校生の頃は、この体と身長でサッカーのゴール キーパーをしていましたが、 他のプレーヤーと頭をぶつけたときなどは、「変性意識状態」に入り、教室に戻った後も、教師がこれから喋ることがすべて予めわかり、その教師がその通りのことを口にする、といった体験をもちました。あるときには、体育の時間にハードル競争をしましたが、このときハードルに足を引っ掛けて転倒したときもかなり深い変性意識状態に入り、自分がいったい今どこにいるかわからない、といった、完全な時間と空間の歪曲を体験したりしました。
このような子供の頃からの「変性意識状態」への興味から、高校当時、将来催眠を使ったセラピストになりたい、という明確なビジョンをもったのですが、後の人生で、その専門領域は、催眠ではなく、NLP であることが判明した次第です。
以上、項目 2 と 3 で、私の過去の「原体験」的な出来事に言及しましたが、15 歳のころから今に至るまでずっと、首尾一貫した一本のラインを歩んできている、と自分には思われます。私は、自分自身を「5 歳の頃からの変性意識の研究家」と形容する場合があります。
4. なぜ NLP が日本で定着してきていなかったかのもう一つの理由
私は、本メルマガを通じて、「なぜ NLP が日本で定着してきていなかったか」について、いろいろな可能性としての理由を述べてきていますが、おそらくは、その最大であろう理由については、まだ言及していてきていないと思います。
その理由は、NLP は学会を元にした大学レベルでの「権威付け」がなされてきていない、という点です。
たしかに、江戸時代から日本に入ってくる西洋知識は、ほぼすべて書き物として輸入されてきていて、ほぼ常に権威のある学者が理論的に擁護する左脳的知識として受け入れられてきているので、書き物として表わした時点で意味を失い、かつ、権威のある学者も存在しない、本質的には右脳的知識である NLP を前にして、まったくどうしてよいかわからない日本人だらけであることは、合点がいきます。
この事実がいいことか悪いことかは別にして、私が直接グリンダー氏に「1975 年当時、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で言語学を教えていたわけですから、どうして大学の枠組みを使って、NLP を学問的体系として伝えようとしなかったのですか?」と質問したとところ、「その選択肢は、当時問題外だった。 もし大学の枠組みの中で体系付けようとしたら、既存の心理学派すべての制約と限界を受け入れる必要があったが、その条件下では、NLP は絶対生まれえなかった」という趣旨のお答えをいただきました。
このグリンダー氏の言質をどう理解するかは、一人一人に任されていると思いますが、その含蓄する意味合いは、非常に、非常に深いと考えます。
5. アンカーリングによる嗅覚的経験の抹消
私は、先週末、北海道の札幌で「キャリア カウンセラー」に NLP を教えました。この 1 日ワークショップの最後のテクニックとして、定番の「アンカーリング」演習 (過去の肯定的な体験を、自分が左手で手揉みをすると同時に、ガイド役がその左肩を触るニ重の刺激でアンカーリングする演習) を参加者の皆さんに行っていただきましたが、お一人の方から、「今まで嫌だと思ってきていた臭いが、この演習で消え去りました」というフィードバックを受け、私は、驚き、また、アンカーリングのパワルフさを再認識した次第でした。
通常、アンカーリングによって肯定的な経験を否定的な経験と「統合」する場合、VAK の 3 つの表出体系に関する経験が劇的に変化する、といったケースは多々見られますが、O、特に嗅覚に関する体験も劇的に変化する、というケースに出会ったのは、個人的には、これが初めてでした。
このケースに出会うまでは、「他の感覚体系とは異なって、嗅覚は脳の視床を通過しないので、他の体系が経る視床によるろ過の対象に」ならないので、「嗅覚的入力は他の体系と同じ神経学的プロセッシングを経て脳に至らない」 (これらの引用は、北岡訳の『Magic of NLP』から) と理解してきていたので、アンカーリングによって嗅覚的体験を、意識的、無意識的に変化させることはできない、と考えてきていましたが、実際には、嗅覚的体験もアンカーリングで変化できる、と、現在考え始めています。
作成 2023/10/28