以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 28 号 (2005.2.21 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、私の新翻訳書出版と、各 NLP 資格コースでなされた興味深い質問の一部について言及します。
1. NLP ビジネス入門書『 ビジネスを成功させる魔法の心理学』
本メルマガで何度か言及してきている、ジェニー Z. ラボード著『ビジネスを成功させる魔法の心理学: Influencing With Integrity』の私の翻訳書が出版されました。出版元はメディアート社、定価は 2000 円+税、ISBN は 4-916109-90-2 です。
本書の奥付の発行日は 2月 25 日ですが、もうすでに書店の店頭に並んでいるようです。また、Amazon でもすでに書籍紹介が始まっています。オンライン書店の「セブンアンドワイ」(セブンイレブン系) では、本書の「お客様薦め度」は満点のようです。
なお、本書は「ビジネス、経済」系に分類されているようで、表紙帯のコピーも交渉ノウハウ本であるような印象を与えていますが (紀伊国屋書店等では、「ビジネス/交渉術」のセクションに置かれているようです)、もちろん、内容は、通常の人間関係のコミュニケーション能力の向上についての本なので、スポーツ、芸術、セラピーを含むすべての活動分野に従事する方々にも充分応用できる内容になっています。
本の紹介サイトを以下の URL にアップロードしました。
http://www.creativity.co.uk/creativity/jp/influence/
本書による NLP のビジネス界への本格的紹介と、3 月 21 日の NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏のビジネス ワークショップ「NLP リーダーシップで才能を開花させよ」の開催を機に、過去 30 年間に西洋各国で起こったような NLP の社会全体への爆発的普及が日本でも起こりそうな予感もします。
2. マスター プラクティショナー コース第 4 モジュール
今月開講された東京第一期マスター プラクティショナー コース第 4 モジュールでは、英国 NLP 学院専任トレーナーのポルトガル人、リタ ベロさんの NLP ユニバーシティの最近のテクニック紹介がなされ、私が通訳をしました。
(ところで、同コース参加者の宿題を読ませていただきましたが、皆さんの NLP に対する有機的、ホーリスティックな理解が、プラクティショナー コースの頃と比べても飛躍的に深まっているようで、驚きましたし、うれしく思いました。)
ベロさんの、「プラクティショナー コースとマスター プラクティショナー コースの違いは、大まかに言って、前者はディルツの心身論理レベルの下位 3 つ (環境、行動、能力) を扱い、後者は上位 2 つ (信念とアイデンティティ) を扱う点です」という説明は、私は個人的に非常におもしろいと思いました。彼女が紹介した、主に信念を変えることに焦点が合わされたいくつかの NLPU のテクニックも、非常に興味深いものでした。プラクティショナー コースのときと同様、私のスタイルとは異質の教え方を紹介できて、うれしく思いました。
ベロさんの通訳は、私が行いましたが、一部の参加者からは、私の通訳スタイルに「満足されない」方もいらっしゃったようですが、今後機会を見て、別途通訳を入れてみて、皆さんに「実験」していただくことも良案かと思います。(ベロさん自身も、私の通訳レベルを高く評価しているので、個人的には、私のスタイルが実験の後に結果的には再評価されるであろう、と信じてはいますが。)
3. NLP は独立した学術的学問になりえるのか?
今回のマスター プラクティショナー コース モジュールでは、参加者から「NLP が学問となりえるには、統計データが必須だが、NLP には統計関連情報が少ないので、一部の『お宅』的小グループのインサイダー知識で終わってしまう可能性がある」といった趣旨の指摘を受けました。
これに関連して、ベロさんは、「西洋では、精神科医の方々も NLP を学んでいて、また、学問的に NLP を研究している研究所もある」と語っていました。
私の考えでは (今まで何度も述べたことの繰り返しにはなりますが)、NLP は「生きた学問」であり、左脳的な「耳年増」的な「噂」としての情報をいかにして「皮膚感覚」に落とし込んで、右脳的に、実存的に経験できるか、だけに焦点を合わせた方法論です。
ですので、1970 年代半ばにカリフォルニア大学サンタクルーズでジョン グリンダーとリチャード バンドラーが NLP を創始したとき、体制としての主流的学問へ反旗を翻して、あくまでも「代替 (Alternative) 路線」を取る目的で、同大学を拠点にして学問の一派として NLP を発展させる道をあえて取らなかったと思われます。同大学を拠点にすることも、そう望めばできたはずです。(ちなみに、グリンダー氏は完全な学者肌ですが、バンドラー氏が大学教授として大学で教える姿は、まず想像不可能です。)
NLP は、「主観的経験を研究する学問」で、瞑想の先生から瞑想術の奥義を学ぶような形で、実際の演習を通じて「口頭伝授」式に学ばないかぎり、絶対にその全体的技法は伝わないというまぎれもない事実が、NLP が左脳的な知識だけに基づいている統計データを重視しない理由になっています。
ただ、最近では、 リチャード ボルスタッドの「RESOLVE: 自分自身を変える最新心理テクニック」等では、NLP に関してある程度の統計データが紹介されています。私自身、仮に NLP が「口頭伝授式」の学問であったとしても、NLP が独立した学術的学問になる可能性については、反対しませんし、逆に歓迎したいと思います。もし万一、私自身が国内外の大学で NLP を教える機会がもてるとしたら、非常に光栄なことと思うでしょう。
4. フィーリングは Ke か?
今回、あるプラクティショナー コース生から「NLP では、フィーリングはいっさい扱わないのですか?」という (私にとっては驚くべき) 質問を受けたので、私は「NLP は、(たとえ「間接的」だとしても) フィーリングを扱います。そうでなかったら、過去蟻地獄から抜け出したいと思っていた私は、NLP などに関わってきているはずはありません。もし NLP にフィーリングがなかったのなら、私自身がフィーリングを持ち込んだことでしょう」と答えました。
この「誤解」は、部分的には、私が 表出体系の「4T」 の K (Kinesthetic、元々の意味は「運動感覚」) を「触覚」と訳していることに起因していると思われます。K は「体感覚」とも訳しても OK でしょうが、五感の「触覚」に対応させるために「触覚」を使用してきています。
この点については、私が訳した「Magic of NLP」では以下のように説明されています (68、69 ページ)。
「触覚表出体系はいくつかの重要な要素に区分されます。肉体からの感覚入力は『体性』感覚として分類されます。これに含まれるものとしては、温度、接触、痛み等についての『外受容』感覚、私たちに体の位置、振動、体内の痛み、圧力等についての情報を与えてくれる筋肉、腱、関節から来る『固有受容』感覚、体内器官から来る苦痛と満腹感等の『内臓』感覚の三つがあります。
私たちの言語では、しかしながら、もう一つの「フィーリング」、つまり、私たちが『感情』と呼ぶものが確認されています。ある人が「傷ついた」と言う時、その人は自分の皮膚の圧力または痛みのことを意味しているかもしれませんし、あるいは感情と呼ばれる、なんらかの「内的状態」のことを話しているのかもしれません。
実際のところ、それらの二つの意味は非常に類似したものです。感情的に「傷つく」ということは、いくつかの体性感覚の複合体を経験することだからです。たとえば、目と顔のまわりの緊張、姿勢の変化、内部筋肉の繊維、腱、関節の緊張が存在するかもしれませんし、さらに圧迫、収縮といった形で内臓からの情報入力をともなっている場合もあります。この感覚入力が他の思考過程と結合した時、感情的に「傷ついた」という表現が生まれます。私たちが感情と呼ぶこれらのフィーリングは、体性感覚と密接な関係があるので、それらは『派生フィーリング』(記号化は「Kd」)と見なすこともあります(訳注:「Kd」は「Kinesthetic Derived」の略語です)。」
「Magic」で示された Kd は、定義上、内的生成の Ki ですが、該当のプラクティショナー コースで、フィーリングが Ki であると説明したとき、数名の方が、「フィーリングが『単なる Ki』であるというのは、自分自身の内的地図にそぐわない」といった意味の反応を受けました。
ある方は、「私が今目の前にいる人に恋心をいだいたとしたら、(それは今ここで感じられていることなので) Ke ではないですか?」という意見を述べられました。これに関しては、私は以下のように答えました。
「この脳がコンピュータだとしたら、脳は、外界から刺激 (コンピュータでは「キーボード入力」) を受けて、一定数のアンカーリング (「プログラミング」) を通じて処理して、一定の内的または外的反応 (「モニタ上の出力」) を生成します。確かに脳のモニタ上で起こっていることは、今ここで起こっていることかもしれませんが、それはあくまでも『仮想現実』で起こっていることであって、真の意味で (外界の) 現実として起こっていることではありません。」
いずれにしても、この「仮想現実」で起こっているフィーリングは、内部生成の K (すなわち、Ki) であることは間違いありません。
ちなみに、このエリアの認識論的研究は、「悟りの研究者」も興味をもっているエリアで (一例としては、仏教の法句経 (Dhammapada) がその研究例として念頭に浮かびます)、非常に重要で、興味深い分野です。
さらに、NLP ユニバーシティのある文献では、「身体統語 (Somatic Syntax)」に関連して、以下のような非常に興味深い指摘をしています。
「身体統語の主張の一つに、体自体が一つの『表出体系』である、というものがあります。体を、単に脳と行き来する入力、出力信号のためのある種の機械的な器と見なすかわりに、身体統語は、情報の表出と処理のための手段であると見なします。
典型的な NLP の観点では、自分の周りの世界についての私たちの情報はすべて、感覚によって脳に中継され、脳内で情報が集中的に表出、処理されます。胃の周辺の腸神経系に関する最近の研究では、大脳皮質の複雑な構造に対応する構造をもった洗練された情報処理ネットワークが、体中に分布していることが明らかにされています。
身体統語によれば、私たちは、他の表出体系と同様に、体を使って世界についてのモデルを構築することができます。私たちは、自分の体の各部分の関係の中に、自分の周りの世界および自分の個人的経歴の重要な関係を表出することができます。たとえば、母親と父親の関係についての自分の知覚が、右手と左手の関係の中に、または、胸と胃の関係の中に表出される場合があります。
すべての表出体系は、情報を入力、処理、出力できるだけでなく、少なくとも 2 つの方法で情報を表出することができます。これらは、『文字通りの表出』と『比喩的表出』です。すなわち、私たちの各知覚体系は、表出している現象に関して直接的に対応するマップまたはさらに比喩的に関連しているマップのいずれかを作成することができます。たとえば、私たちは、自分の体の細胞を顕微鏡で見たように視覚化することもできますし、あるいはタコまたは『パックマン』ビデオ ゲームのように視覚化することもできます。同様に、私たちは、脳を文字通り『ニューロンのネットワーク』として形容することも、『コンピュータのようである』と比喩的に形容することもできます。同様に、私たちは、特定の感情の症状を一式の触覚的身体感覚として経験することも、胃の締め付けとして経験することもできます。
表出体系としての私たちの体は、同じように二重の能力をもっています。私たちは、特定の状況に対する文字通りの反応としての動きを表現することも、ダンスのようにさらに比喩的な表現を創造することもできます。(このことは、ジュディス ディロージャの『ダンシング SCORE』公式の基盤です。) たとえば不安の状態は、不安のフィーリング (顔や肩の筋肉の緊張等) を伴う身体的な効果を再生することで文字通りに表出されることも、あたかも危険なことから隠れるかのように両腕で頭と目を覆うことで比喩的に表出されることもあります。私たちの他の表出様式の場合のように、比喩的表出は、(複数のレベルの情報を有しているので) しばしばさらに意味をもち、さらに影響力がある場合があります。文化人類学者のグレゴリー ベイツンによれば、身体統語が特徴付ける表出のモードは、大部分の動物の主要コミュニケーション方法です。たとえば、大人の狼は、叱責または優位のサインとして、子狼に対して母親の狼が使う場合と同じ行動を使いながら他の大人の狼に対処する場合があります。」
個人的には、4 つの表出体系 (4T) 以外に、身体をもう一つの表出体系と見なすことは、「洗練されたモデル」ではない (= 必要以上の数の要素を使っている) とは思いますが、確かに、このモデルは、「フィーリングが『単なる Ki』であるというのは、自分自身の内的地図にそぐわない」と感じる人々には合点がいくモデルであるようにも思われます。
作成 2023/10/25