以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 25 号 (2004.12.23 刊) からの抜粋引用です。

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今回も、徒然に筆を運ばせることにします。


1. 私の次の翻訳書出版の件

本メルマガの 23 号で言及させていただいた私の次の翻訳書の出版予定日は、当初の 2005 年 1 月から 2 月中旬まで延期されました。1983 年に執筆出版され、私の考えでは、欧米のビジネス界に NLP が広まる最も大きなきっかけの一つとなったこの本は、米人 NLP トレーナーのジェニー ラボード女史著の『誠実な影響』(原題は、『Influencing With Integrity』) です。邦題は『ビジネスを成功させる魔法の心理学 ~Influencing With Integrity~』と決定しました。

20 年前に欧米で起こったように、この本を機に、日本のビジネス界に NLP が広まっていくことを心から願っています。2005 年 3 月 21 日に東京ビッグ サイトで開催が予定されている、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏のビジネス向けワークショップ、「NLPリーダーシップで才能を開花させよ」の評判もなかなかいいようなので、この二つのイベントが NLP のビジネス界による受け入れに対して相乗的効果を発揮するものと期待されます。

なお、私の (いわば、大江健三郎風の) 文体には、賛否両論があるようですが、この新翻訳書の場合は、私の現在の資格コース在校生を含めて何人かの方々に校正をお願いしたので、かなり読みやすい文体に変わっているのでは、と思っています。また、これらの校正者の方々からは、「非常にいい本だ」という前評判をいただいていることも、ここで付記させていただきます。


2. NLP と催眠

本メルマガの 17 号でも扱った、このトピックについては、何点か興味深いことが語れるか、と思います。

まず、私は、自分自身を、20 年来の「変性意識の研究家」と形容することがありますが (もちろん、「催眠」は変性意識状態の一種です)、その研究の結果、「ごく軽いトランスを使った NLP ワークからもたらされる『療法的』効果が、夢遊病者的な深い催眠状態を使った催眠ワークと同程度または、場合によってはそれ以上のものであることが判明する場合もある」 (17 号からの引用) という結論に達しています。

このことが起こることを可能にするメカニズムはどういうものかを常々考えてきていましたが、最近読んだ、場合によってはミルトン H エリクソンと並べて言及されることのあるように思われる催眠療法家のデイブ エルマン著の『催眠療法』で、 ある人が催眠状態に入っていることの定義は、その人の「批判能力がバイパス」された上で「選別的思考が可能」になった状態である、という一節に出くわしました。 (「選別的思考」とは、意識の焦点がある一つのことだけに合わされるような変性意識的な思考状態を意味します。)

考えてみるに、たとえば、NLP の個人編集演習を行うクライアントは、相応のコミットメントがあり、そのため「批判能力がバイパス」されていて、また、演習に集中することで「選別的思考が可能」になっているためこそ、NLP では、非常に軽い日常的なトランスを使いながらも、非常に大きな療法的効果が生まれると、結論づけられるように思われることに、気づきました。

エルマンのこの催眠の定義は、非常に興味深いと思います。

また、12 月の私の NLP マスター プラクティショナー コース モジュールでは、私は、「ミルトン モデル」を含めた、催眠関連の演習、デモ実践を行いましたが、特に、どのような人でも比較的容易にトランスに誘導できる「三重トランス誘導」テクニックは、コース参加者からいいフォードバックをいただいたようです。また、私が、ある人を最も短時間でトランスに誘導できる方法であると見なしている「最短トランス誘導」テクニックをデモ実践しましたが、このテクニックも、コース参加者に深い印象を与えたようです。両方のテクニックとも、コース参加者にとっては初体験であったようです。

特に、三重トランス誘導では、非常に深い情緒的な体験をされた方もいて、「このような深い体験は NLP では達成できないのでは?」といった感想を言われる方もいましたが、NLP を学ぶ前に約 2000 時間くらいの心理療法を経験し、英国で催眠の学校 (「催眠と上級心理療法スクール」) を卒業した私の経験としては、ある変性意識の中でたとえどれだけ「ぶっとんだ」 (英語の「far out」の訳ですが) 体験をもったとしても、NLP のアンカーリングで、その体験を自由自在に再現できる、すなわち、意識的にコントロールできる、というのが私の立場です。このことは、以下の比喩がよく表わしています。

「あるとき、孫悟空は、仏陀を前にして、『これから世界中を征服しながら、宇宙の果てまで飛んできます』と言って、長い冒険に出ました。世界中を征服し、ありとあらゆる空間を飛行して、宇宙の果てと思われた場所に孫悟空は最後に到達しました。その宇宙の果ては、V 字型になった崖で、その向こうには深く暗い奈落が広がっていました。孫悟空は、宇宙の果てまで来たことの記念として、その V 字型の地形の付け根の部分から奈落に向かって小便をしました。その後、また長い時間をかけて、元の場所に戻り、仏陀の前に再び現れました。孫悟空が『私は、確かに宇宙の果てまで行ってきました』と豪語したとき、仏陀は、冷笑して、その右手の掌を孫悟空に示しました。仏陀の手の中指と薬指に付け根は、少し濡れていて、小便の臭いがしました。」

ところで、ありとあらゆる変性意識の体験を自分の掌の上の体験にしてしまうほど強力なテクニックである NLP の「アンカーリング」については、私のあるプラクティショナー コースで、このモデルをパブロフの条件反射と対比させながら紹介しているときに、一人の参加者から「では、アンカーリングを『思考学的条件反射』 と形容してもいいのですね?」と質問を受けました。NLP では一般的に、パブロフの立場と明確に区別するために「条件反射」という語はいっさい使いませんが、この質問は、非常に興味深いものだと思いました。このモデルを「非常に通俗的に」説明する必要があるかぎりにおいては、アンカーリングを「思考学的条件反射」と定義することは、あくまでも「非公式」な定義ですが、一理あると思います。


3. 経験のマトリックス

私と NLP の最初の出会いは、1987 年頃、ロンドン市内のコーベント ガーデンにある「ニールズ ヤード」というセラピー/代替治療系のショップ街の「セラピー ルーム」で、ある英国女性の NLP プラクティショナーから個人セッションを受けたときでした。現在、この女性に関する情報が手元に残っていませんが、彼女がそのとき私に言ったことで、一つだけ鮮明に記憶に残っていることがあります。

彼女は、以下のようなイラストを画いて、私に次のように説明しました。

「人間の経験は、『経験のマトリックス』と呼ばれる無意識的な機構からなりたっていて、私たちは、この中で何が起こっているかはいっさいわかりません。ただ、一瞬一瞬において、このマトリックスの中に入力されるデータとそこから出てくる出力データが継続的に発生しています。そして、ある時点で特定のデータが入力されても、そのデータがマトリックスで処理されて、いつ出力データとなって出てくるかは誰にもわかりません。たとえば、今日、道路を渡っている老婆を助けてあげた後、その老婆が 10 年後に私にお礼のお金を送ってくる場合、表面的には、その二つのイベントには関連性はないように見えますが、実は、このマトリックスを経て、時間をかけて一番目のイベントの因果関係の結果として二番目のイベントが発生しているのです。」

この NLP プラクティショナーは、どこからこのモデルを引用したかは不明ですが、このモデルは、いわゆる「ブラック ボックス アプローチ」 と合い通じるところがあり、非常におもしろし概念だと思います。 (なお、「ブラックス ボックス アプローチとは、第二次世界大戦中に開発された、戦場で敵の電気/電子機器を捕捉したときに、その機器を物理的に分解すると爆発する危険性があるので、その危険性を避ける目的で、その機器の内部の構造を、内部の電気的配線等の詳細はいっさい問わずに、単に入力端子と出力端子のレベルでの入出力差の相関関係だけを検討しながら解析しようとするアプローチです。NLP も、実はブラック ボックス アプローチの一種であることが判明します。)


4. 私の過去の経歴について

これまでの私のプラクティショナー コースで、 私の過去の経歴についておもしろい質問を、2、3 受けたので、ここでご紹介します。

たとえば、私は、「あなたは若い頃、世界を飛び回っていたようですが、お金持ちの御曹司ですか?」という質問を受けたことがあります。答は、ノーです。

また、それと関連して、別の方からは、「昔、サハラ砂漠にいたそうですが、その頃どうやって生計を立てていたのですか?」と聞かれたこともあります。 私は、1981 年から 85 年にかけて計 3 年間サハラ砂漠に滞在しましたが、これは、現地に進出している日本の大手企業で、フリーランスのフランス語通訳として働くためでした。当時の報酬は非常によく、現地の滞在費用とお小遣い、年二回のビジネス クラスでの一時帰国の条件の他に、銀行口座に振り込まれる月額で数十万円の通訳料をそのまま貯めることができました。私は、当時、貯めたお金を、米国で長期の心理療法コースを受けたりして「自己啓発」のために使い、使い切った後また、サハラ砂漠にお金を稼ぎに戻るという生活を続けていました。

さらに、その後、英国に住み始めた後は、1990 年代には、ロンドンで、日本と英国の投資家グループのための通訳、コーディネータ、アドバイザーとして働きました。1991 年前後には、そのグループの関係者として、故ダイアナ妃の従妹とウィンストン チャーチルの親戚の方が日本に来たときには、その随行者となりましたが、滞在先の帝国ホテルでは、赤絨毯の待遇を受けました。現在も、このチャーチルの親戚の方とはお付き合いがあり、私の英国の会社の会長をしていただいています。この方は、アイルランドにお城を共同所有していますが、このお城は、2年ほど前に、ポール マッカトニーが再婚式を挙げた場所です。

個人的には、このような英国の「ハイソサエティー」の方々ともお付き合いできるようなステータスを築けたのは、直接的、間接的に NLP を学んだおかげだと信じています。

作成 2023/10/22