以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 142 号 (2010.4.2 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「個人的天才になるための必要条件ワーク感想」、「北岡新 NLP FAQ、その三十三」のトピックがカバーされています。
1) 「個人的天才になるための必要条件」ワーク感想
先日、mixi の日記に先号のメルマガの一部を転載引用したのですが、「個人的天才になるための必要条件」ワークショップに参加されていた方からの感想がコメントとして寄せられていました。
本読者の方々にも興味深いものだと思ったので、その感想とそれに対する私のコメントを以下に引用させていただきたいと思いました。
参加者感想
「『個人的天才になるための必要条件』WSでは、お世話になりました。
北岡先生の何か気迫のようなものを感じました。
北岡先生の英語の能力については、以前からすごいと分かっていたので、当日はあまりびっくりする ことはなかったのですが、右手によるタイプ打ちについては、当日、目の当たりにして、単に速く打てるとうだけのものでなく、変換等について工夫をされてい るのを見て、努力する部分と工夫する部分を組み合わせることによる効果を実感しました。
武道を例にすると、最初は型を練習し、反射的に動けるようになり、その武道の動きの深層が身についたら、相手の出方で、型以外の状況でも、反射的に体が動 くというのを聞いたを思い出しまし、3つ以上の特技(天才性)を持つことにより、DDS(最深層構造?)に到達することができるとの話については、考えさ えられました。
ありがとうございました。」
私のコメント
「上のコメントに感謝します。
そうですね。私の『天才性』はあくまでも『個人的天才性』であって、『プロとして通用する一定以上の技能の持ち主』として、私の実演を見ていただければよかったのかと思います。
この技能を通じて、たとえば、私の片手での翻訳速度が、『健常人』の三倍は速い、と英国の翻訳エージェントに言わしめ、かつ、3 ヶ月で 45 万ワードの翻訳をしたことのある事実は消えませんし、逆に、私の実演は、『この程度』の技能でそのようなことが可能なのだ、ということの証明だったかもしれませんね。
もちろん、実演時にお見せした、『ウルトラ C 的なテクニック』を使わないと、片手でのタイプが健常者よりも三倍速くなるはずがないことも、ご理解いただけたと思います。(要は、すべてマジックには種があるということですよね。) 」
2) 北岡新 NLP FAQ、その三十三
Q75 (142): いい NLP の先生と悪い先生の見分け方についてコメントしてください。
A75 (142): そうですね、この質問は、本メルマガの第 110 号の FAQ5 とほぼ同じですが、再度、別の角度から回答してみたいと思います。
この質問は、「本物の NLP」を教えることができるトレーナーと「似非の NLP」を教えるトレーナーの見分け方と関連していますね。
私にとって、「本物の NLP」とは左脳的知識と右脳的体験の「全スペクトラム」をカバーしている NLP のことで、右脳的体験だけを教える NLP も、左脳的知識だけを教える NLP も、両方とも、「似非 NLP」と形容されるべきものです。
西洋では、左脳的に語れるが、右脳的体験に落とし込むことのできないトレーナーが無数にいるようで、ジョン グリンダー氏にとっては、日本でもかなり名前が知られている某トレーナーも、場合によっては、ロバート ディルツも「左脳的」と形容されることがあるようです。
すなわち、西洋では、NLP は左脳的に体系立っていて、NLP ユニバーシティのディルツとジュディス ディロージャは、1,600 ページを越える「NLP 百科事典」を編集出版しているくらいですが、本来的には、本物の NLP を教えるトレーナーは、北岡公式サイトの「NLP 相関図」ページにある思索家、特にグレゴリー ベイツン、「地図は土地ではない」の金言を使い始めた一般意味論者のアルフレッド コージーブスキー、「宇宙船地球号」の言葉を広めたバックミンスター フラー等を研究している必要性があると思います。
私自身は、ベイツンは研究しましたが、コージーブスキー、バックミンスター フラー、それに、グリンダー氏が NLP に最大の影響を与えたと主張されている言語学者のチョムスキー等は、まだ研究しきれていません (そのかわりと言ったらおかしいですが、印度哲学の研究はかなり徹底的に行ってきていて、特に、「真我であるアートマン」と「絶対神であるブラーマン」の 同一性を説いた非二元論的ヴェーダンタ哲学を創始した哲学者、シャンカラチャリヤについては、サンスクリット語から英訳されている本はすべて研究しまし た)。「その程度」の私が教える講義が、国内では、左脳的すぎる、難解である、等と評価されているのは極 めて皮肉なことですね (というか、国内で西洋レベルの左脳的 NLP を教えているトレーナーはほぼ皆無で、私にとってはとても残念なことですが、おそらく左脳的なトレーナーは私だけであると言っても、あながち過言ではない と思います)。
その一方、国内では、NLP はビジネス、コミュニケーション、セラピー等に特化した NLP だけが存在していると言っても誇張ではないと思いますし、「広く、浅いもの」を求める国内の市場向けの「浅薄な NLP」に変形してしまっています。
この状況は、本メルマガの第 110 号等でも指摘させていただいた以下の指摘の、日本人は現象的な結果としての方法論 (ツール) を輸入することには長けているが、その根本的な背景となっている哲学や生きざまを輸入することはしない、という図式が、NLP の状況にもそのまま当てはまっています。
「天外司郎氏が茂木健一郎氏との対談 (講談社ブルーバックス『意識は科学で解き明かせるか』、2000 年) の中で (茂木氏の、日本の問題点は、本当の意味のカウンターカルチャー革命を経験していない点にある、アメリカ人は基本的な教養として、カウンターカルチャー体 験を持っている、日本にはそれがなくて、意識の変性状態のようなテーマを研究するときの非常に大きな欠落になっている、という内容の発言に対して) 『日本の社会の大きな問題点は、カウンターカルチャーを経験していないことです』と述べています。」
私は、左脳的知識と右脳的体験のホーリスティックな統合を目指して、2002 年の帰国以来、本メルマガを発行し、首尾一貫して「本物の NLP」を教えてきているつもりですが、ベイツンも、コージーブスキーも、バックミンスター フラーも、チョムスキーも広く知られていなく、ほぼ存在していないような文化的土壌の中では、私のワークが正当に評価されてきていないのは、当然と言えば 当然すぎる状況でしょう。
本メルマガは第 12 号までは英訳されていますが、もし全体が英訳されたら、該当の参照機構のある西洋人に読まれたら国内とは雲泥の差のある評価を受けることは間違いない、と確信しています。このことが今後歴史的に証明されることを期待している次第です。
結論的に言うと、NLP ワークで演習を行い、参加者から左脳的な質問を受けたとき、「そういう左脳的質問はナンセンスです。NLP は体で体感するだけで OK です」というふうに答えるトレーナーは、おそらく、左脳的参照機構をもっていないので答えたくても答えられない場合がほぼすべてなので、「右脳一辺倒」の 偏った NLP を教えていると結論づけてまず間違いありません。
さらに言うと、NLP が生まれる元となった催眠とセラピーの徹底的な実践的経験と理解がない NLP ト レーナーは、「底が浅い」という意味合いで、「悪い先生」と結論づけてもいいと思います。
一方では、私は、「左脳的知識」と「右脳的体験」の両方を教えてきているという自負があ りますが、私の左脳的説明は、「あくまでも」右脳的体験を深めるためのものでしかありません。たしか、最近の苫米地英人の本の中で、西洋人と屋内で話をし ていたとき、風鈴とその音があったが、西洋にはその概念がないので、風鈴を認識することができず、その人の意識からも落ちていたが、 「artificial ventilation (人工的換気装置)」というふうに形容してあげた後、その人は初めて風鈴を風鈴として認識し始めた、という記述があったと思いますが、私の左脳的説明は、 文字通りすべて、そのような、さらに微細な右脳的体験をもつことができるための「ラベリング」でしかありません。
さらに、私がどれだけ左脳的な話 (NLP で言う「4Ti」です) をしていても、いつでもどこでも即その話を止めて、瞬時にノーマインド (4Te) に抜けることができる自信をもちながら、左脳的な話をしています。
思うに、いつでも左脳的マインドを右脳的マインドに「屈服」させることができる能力も、「いい先生」の資質の一つだと思われます。
以上のような私のホーリスティックな NLP ワークに興味のある方は、4 月 17 日開始の、私がフルタイムで開催する最後のプラクティショナー コースに参加されるよう強くお勧めします。
Q76 (142): 先生の人生を変えた転機について語っていただけますか?
A76 (142): そうですね、私の人生は、子供の頃記憶がもてるようになった頃から 25 歳までは、まさに今の「引き篭り」の走りのような、鬱屈した人生でしたね。
生後 4 ヶ月のときに脳性麻痺に罹り、5 歳と 10 歳のときに施設体験をして、極度のトラウマをもち、その後中学校から大学卒業時まで、まともな「社会復帰」が不可能で、精神病と神経症の間の「ボーダーラ イン症候群」に悩まされてきていたのは、本メルマガでも、すでに何回か書かせていただいているかと思います。
簡単に言うと、中学校時代は、シンナーを吸う「不良児」の時代でしたし、高校時代は、団塊の世代の人々に焚きつけられた「反体制児」の時代でした。私は、文化的成長が高校二年の 1972 年で止っている、「永遠のヒッピー」と自己形容することがあります。
その後、二浪して入学した大学時代は、私にとって、文字通り人生でもっとも不毛な時期で したね。この時代に、「日本脱出」の戦略を模索し、その準備を行い、また、「これほどきつい精神的な病いを治せる心理学はおそらく世の中に存在しないであ ろうが、もしも見つけられるようであればそれに命をかけてもいい」という決意をした次第でした。
私の人生の最初の転機は、在学中の 23 歳のときに渡ったフランス夏季語学留学であり、自分がこれほど「水を得た魚」になれるとは夢にも思ったことのないほどの自由感を人生で初めて味わいました。
その次の転機は、大学卒業と同時に仏語通訳として渡ったサハラ砂漠での通算 3 年間の滞在でした。このことについては、本メルマガの第 4 号で、以下のように書いています。
「大学卒業と同時に北アフリカのサハラ砂漠に行き、80 年代前半に通算 3 年間そこに滞在しました。世界最大の砂漠のど真ん中で国内大手企業のフリーランス仏語通訳に従事しましたが、目的は、『瞑想』的な、あるいは『変性意識』 的な体験をもつことで自己変革を達成することでした。確かに、砂漠の生活そのものは非常に過酷なものでし たが、自然の光景は真の意味で雄大で、言葉の表現を超えたものでした。たとえば、数百メートル以上の高さがある崖の頂上に立ったとき、不毛の土地を見渡し て、遠い過去の川の流れの跡も見ることができ、その場所全体が何万年も前には海面下にあったことを知りました。というのも、その崖の頂 上ではたくさんの海の貝の化石を拾い上げることができたからです。また、不毛の砂丘の真ん中で大きな朝日が東から昇っているのを見たとき、同時に西の地平 線上には同じく大きな黄色の満月がありました。 このような壮大な景色の中で、私は人間存在の微小さを感じないではいられませんでした。」
また、サハラには、ローマの遺跡が複数あり、チムガッド遺跡では、半円形のコロセアムに 立ったときは、二千年前の観客の声が聞こえたような気がしましたし、石畳には馬車の車輪跡が二本残っているのを見て、驚愕したりしました。(ちなみに、こ の遺跡の写真は、数年前の「ニュートン」雑誌で紹介されていました。)
今から思うと、アフリカ北岸のアルジェリアは、私が好きだった大江健三郎の小説「日常生 活の冒険」の冒頭のシーンの場所でもあり、また、カミュの小説「異邦人」の舞台でもあります。さらに、私が最近研究している英国人の神秘家が私が訪れたこ とのあるビスクラという町等に 20 世紀初頭に実際いて、砂漠で瞑想や意識の実験等をしていたことを知って「戦慄」を感じたりもしました。私が泊まったホテルにこの神秘家が泊まっていた可能 性もあると思います。
次の私の転機は、私の精神主義的師匠に会い、アメリカ西海岸のオレゴン州のコミューンで弟子入りした 1983 年です。このことについては、本メルマガの第 120 号等で以下のように書いています。
「実際、あれだけ親と社会に対して反抗的で、人生を悲観的に見ていた若者が、現在では、 その親と和解するまでになり (実は、健常者である私の妹は今だに母親を許せないでいるようですが)、人生を完全に謳歌するようになるまでの変容が、私の人生で実際に起こったのです が、このことを可能にさせたのは、私の人生において、弟子になるときに『完全自己放棄 (トータル サレンダー)』を私に求め、私にそれをさしめたバグワン [シュリ ラジニーシ] ただ一人です。その意味で、数年前に私が母親に『いったい誰が私をここまで変えたと思いますか?」と尋ねたときの彼女の答えの「バグワン先生ですよ』は、 すべてを言い表しています。」
次の転機は、1988 年に英国で NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏との出会ったときでしたね。
要約して言うと、私は、精神的師匠から、間違いなく、どの方向に行けば「自己解放」が達 成できるかは、教わったのですが、私の師匠には、その方向を突き進み続けることを可能にさせる「方法論」がなかったことに気づきました。後に、まさしく、 その方法論が NLP であったことが判明したわけです。同時に、大学時代に私がもった、「これほどきつい精神的な病いを治せる心理学はおそらく世の中に存在しないであろうが、 もしも見つけられるようであればそれに命をかけてもいい」という決意の答えも NLP であったことが判明しました。
ただ、私にとっての NLP は、私の究極の懐疑主義でも否定できない何か、であるだけの話なので、仮にこれ以上の方法論が世の中にあるのであれば、私には即 NLP を捨てる準備はいつでもありますね。
以上が、私に訪れた人生上のいくつかの転機でした。参考になったでしょうか?