以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 141 号 (2010.3.27 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その三十二」のトピックがカバーされています。
1) 北岡新 NLP FAQ、その三十二
Q73 (141): 先日開催された第三回「NLP と瞑想」および第一回「個人的天才になるための必要条件」ワークショップについて語ってください。
A73 (141): そうですね、3月 21 日開催の第三回「NLP と瞑想」ワークショップは比較的少人数の参加者でしたが、非常に興味深いワークでしたね。
私の場合、このようなワークを行う際、マニュアルのコンテンツはたとえ同じでも、毎回毎 回参加されている方々の人数とクオリティ等に合わせて、実際の講義内容が、前回とはまったく異質なものになる可能性が非常に高いですが、今回も、すでに第 一回に参加されていた方がいらっしゃって、「今回の内容は、まったく別のワークショップに出席しているような印象です (「お得感」があります)」という意味の発言をされていました。第二回目の参加者で、「たぶん内容は同じだろう」と考え、三回目への「再受講」を見送った 方もいらっしゃったかと思いますが、もし再参加していただけていたら、この再参加者と同じような印象をもたれたであろう、と考えています。
ちなみに、本メルマガの前号で、「『NLP = ジュナーナ ヨガ/ラージャ ヨガ』の観点から、この [『NLP と瞑想』] ワークショップは、今後『NLP とヨガ』のワークに発展していく可能性も秘めています」と書かせていただきましたが、後述のように、実際に、今後は「NLP ヨガ」 (仮称) と名称を変えさせていただく予定です。
一方、3 月 22 日開催の「個人的天才になるための必要条件」ワークショップでは、前半部では、「アメリカン クラッカー モデル」を含めた、私の「個人的天才になるための公式」が左脳的に説明されました。
その後、 「内的対話を止め、無意識に精通することで、意識が無意識的パーツを統合するオーケストラの指揮者のように機能することが可能になる」演習が紹介されまし た。通常、私は、ほとんど独自のテクニックを考案したことはありませんが、このテクニックは、第一期トレーナーズ トレーニング コースで披露した私が「開発」した「内的対話を止める演習」を、本ワークショップの目的上、拡大応用したものでした。デモ演習に参加していただけたクライ アント役の方からは、演習の最中、「今、どんどん内的対話なくなってきています」という非常に印象的なフィードバックをいただきました。演習後、私は、現 在、「脱 NLP 資格コース」の方向性に進みつつあるので、今後は、ある意味、「自由自在」に、自分のテクニックを編み出し続けさせていただくかもしれないという可能性を 示唆させていただきました。
ワークの最後の部分では、私の「個人的天才性」を「証明」する目的で、プロジェクタを使って、「和文英訳・右手だけによる直接タイプ打ち」の実演をさせていただきました。参加者の皆さんからの反応は「すごいですね」といったものだったので、実際に NLP を有効的 に使えば、巷で言われているように、「人心操作 (この目的は本来の NLP からは外れていると思いますが)」、「セールスの技法」、「対人ラポール力向上」、「コーチング」、「セラピー」といった目的だけでなく、(NLP が当初誕生したときの本来の目的であったと言ってもいい) 「普通の人を個人的天才に変える」目的にも活用できることが、私なりに証明できたかと思っています。
本メルマガの読者の方々の参考までに、私が実演した、即興の「和文英訳直接タイプ打ち」 の実演の一部を以下に引用してみたいと思います。限られた時間で、皆さんの目の前で行ったという条件下 (所要時間は、数分以下でした) なので、本来の私の力をすべて出してはいないかもしれませんが、それでも、私が一定以上の英語の執筆能力をもっていることはお分かりになっていただけるか と思いました。(一箇所だけ、二行目の「in」が誤植だったので、「is」に変えています。それ以外には、実演時の文章に手を加えていません。)
1) ワーク中に一参加者が私のパソコンに送信されたサンプル和文 (これは第一回「NLP と瞑想」のワーク後感想です)
骨董の目利きを育てるには、「本物」と「偽物」の見分けかたを教えるのではなく、ひたすら「本物」だけを見せるのだそうです。
そうやって感性を磨くことで、「本物ではないもの」もわかるようになるのだとか。
今回の「NLPと瞑想」ワークショップに参加させていただいてNLPも瞑想もひたすら「本物」だけを見せていただいた、と思います。
このワークショップで学ぶ目的はみなさん違うと思いますが、全員が得たかったものをそれぞれに落とし込んで持ち帰ることができる。
1対複数のワークショップなのに、です!!
「本物」を見てしまったからには、もう磨き続けるしかありませんね。
2) 北岡が即興で英訳直接タイプ打ちした英文
I heard from Mr Kitaoka that it is paramountly important not to teach how to distinguish the genuine from the false, but to continue to show other people what is “real” in a consistent way, in order to cultivate real people who have the very ability to appreciate the real values of precious things.
He further told us that, by means of cultivating our own sensitivity, we may come to appreciate what is not real.
After having participated in this workshop “NLP and Meditation”, I find now that I have been shown only what is real about both NLP and meditation.
While I think that each participant of this workshop had come to it initially with their own respective outcomes, I am sure that each of them was preciously given the “know-how” to put their own learnt knowledge into practice in their own real lives.
This did happen despite the fact that this workshop was given from one person to many!
I am now persuaded into thinking that I will have no other way but to continue to polish my own inner treasure, once I have seen and experienced the real!
いかがでしょうか?
最後に、私 は、私が英国で出版した CD-ROM 本の『サイバーブック』の「参照文献」ページをプロジェクタに映して、私の英語執筆力が、過去私が読んだ、300 冊程度の英語の哲学書と心理学書のリストに基づいていることを見ていただきました。私の意図は、これくらい英語を読み込まなければ、英語の読解力、執筆力 は身につかないことを示すためでした。(ちなみに、私は、昨今はやっているフォト リーディングは、100% 内容を論理的に把握できないという意味で、あまり勧めませんね。私の過去の読書法は、「黙読による熟読」でした。黙読と言うと、誤解する人がいるようです が、英語の文章のスペルだけを目で追うのではなくて、頭の中で、内的対話 (通常は、自分自身の声ですが) を使って発音しながら読んでいくことです。また、私は、これらの「学術書」を含めて英語の本は、一回しか読まないことも、私の特徴ですね。)
ちなみに、こ の程度の文章執筆力、読解力が達成できるもとになった、私が過去に獲得した「ノウハウの全面的開示」として、私は、ダイヤモンド社から『5 文型とNLPで英語はどんどん上達する!』の本を出版させていただいたのですが、極めて残念なことに、この本についての Amazon 等の書評は、概してかなり否定的です。しかし、この否定的な書評を書かれた方々が私の本来の英語力を知ることがあれば、たぶんご自身の意見も変え、書評も 書き変えられるのではないかという確信をかなりもっているのですが。
このことについては、本ワークショップの一参加者の方から以下のメールが送られてきました。
「天才とは99%の努力からなるものだということがひしと理解できました。
頭が下がります。
そして自分を省みて、反省しきりです。」
これに対して、私は以下のように返信させていただきました。
「貴コメントについてですが、今までの私の『努力』を『努力』と思ってはいない自分が私の中にいますね。
『努力』とは、自分の好きではないものをいやいいやするというニュアンスがありますが、私の場合には、
1) 自分がやっていることが『360 度中の 5 度』の角度に入っているということを (事前に) 知っていたので、必ず報いがあるという、(メタプログラムで言う) away ではなく toward のポジティブな態度で前進し続けることができた。
2) 自分の好きなことをやり続けてきていたので、むしろ、『趣味と実益』を兼ねた『暇つぶし』だった (!)。
3) 私は、首尾一貫して、『コア (中核となる学習部分)』のエリアで全面的に『努力』し、『フラッフィー (それ以外の枝葉末節的な学習部分)』のエリアでは『流して』きている。(このことを行えば、必然的に天才ができ、その逆を行えば、普通人ができる、とい うことが言えるかと思います。)
といったことが当てはまっていたことに、貴コメントをいただいて、改めて気づきました。
結局は、まさに『好きこそ物の上手なれ』ですかね。」
また、ある参加者から以下のワーク後感想が送られてきています。
「まだ数えるほどしか北岡先生のワークショップに参加させていただいていませんが
このワークショップははじめから雰囲気が違っていました。
物凄い気迫を感じるのです。
おそらくこのワークショップをしている間に
北岡先生の凝縮された人生が一気に駆け抜けるのだと思います。
北岡先生の4つの個人的天才が実を結びそれがワークショップとして
熟し芳香を放つ、幸いにも自分はその場に居合わせることが出来たという思いです。
一般的にはカウンセリングは問題をなくすのではなく
枠組みを変えて問題を問題ではなくするのだと言います。
その場合、例えばピアノを弾くとか勉強ができるようになる等の
技能をともなったり結果を出さなければ意味がないと言われるような場合に
「個人的天才」は可能なのだろうかという思いで参加し
質問もさせていただきました。
その時に先生から「VAK + B (Body) もしくは S (Somatic)」、「Somatic Syntax」
という お答えと「パフォーマンス <- 状態 <- 姿勢<- 呼吸」というお答えをいただき
さらにチャンクモデルによる行動選択と自己訓練の演習をしていただき
ウキウキしながら帰宅しました。
帰宅後早速試してみたのはもちろんです。
そして今こうして振り返ってみるとワークショップの間中ユングの普遍的
無意識、集合的無意識の概念が頭をよぎっていたことに気が付きました。
またひとつ考えるヒントをいただいたような気がします。」
なお、今後の 企画ですが、今回の「NLP と瞑想」 + 「個人的天才になるための必要条件」ワークショップ パッケージを 6 月の第一の週末に再度開講したいと、現在考えています。この場合は、後者は、今回の内容が踏襲される予定ですが (といっても、参加者の人数と質によって、内容がガラッと変わる可能性が高いですが)、「NLP と瞑想」ワークショップの方は「NLP ヨガ」と名称を変更するつもりです。「NLP ヨガ」は、私と「身体的ヨガ」のティーチャーとのコラボ ワークになる予定です。
Q74 (141): 催眠に関して知識がないのですが、催眠は仕事や人間関係の改善などの日常生活に役立つのでしょうか?
A74 (141): この質問は、最近の私の Meta Mind Work に関連して、ある方からいただいたものです。
私は、この方がどういう背景をおもちであるかわからなかったので、以下のように答えさえていただきました。
「催眠、さらに言うと、NLP は、まさに『仕事や人間関係の改善などの日常生活に役立つ』もので、そのことを目的としています! 少なくとも、本来的には、催眠等は、本来的には、『人を操作する』ものではないですね。」
この方からは、その後、「自分の現在の 催眠に対するイメージですが、恐怖症やトラウマを取り除く療法や自己暗示、脳の配線を変えることなどに活用するものなのではないかと思っています。実際の コミュニケーションの時に使うというより家で一人で、もしくは他人に対しては屋内の静かな所で行うイメージです」というメッセージをいただいたので、もち ろん、この方のご興味は「人心操作」ではなく「セラピー・自己変革」の方にあることが判明した次第です。私は、さらに以下のようにコメントさせていただき ました。
「私の NLP、催眠ワークは、そういう人間の『内的改革』の外側への反映として、『仕事や人間関係の改善などの日常生活に役立つ』ものとして教えさせていただいています。この二方向は、補完することはあっても、対立することはない、というのが私の意見です。」
いずれにしても、いわゆる精神異常者の 頭の中で何が起こっているかを研究して 1975 年に生まれた NLP が、その後、その分析結果が正常人、および個人的天才の頭の中で起こっていることを発見しながら、1980 年頃に、人間一般のコミュニケーション心理学として変容してきていることは、本メルマガでも、何度か指摘させていただいているかと思います。