以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 137 号 (2010.3.2 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「Meta Mind Work I (1 月末開催) の参加者からの感想」、「北岡新 NLP FAQ、その二十八」のトピックがカバーされています。


1) 「Meta Mind Work I」 (1 月末開催) の参加者からの感想

1 月末に開催された「Meta Mind Work I」の参加者から感想をいただいていますので、以下に引用させていただきます。

「北岡先生の Meta Mind WorkⅠに参加しました。左脳的理解と右脳的落し込み両方を売りにしていると聞いていましたが、まず、その左脳的講義のクリアカットさに驚きました。様 々な質問に対する答えも明快、論理的であるのみならず、右脳的な腑に落ちるレベルにも導いてくれました。

私はかつてラージャヨーガを学んだことがあります。それが自己を知る最善、最強力な方法と信じていました。しかし、その師は、私の 投げかける質問にほとんど満足な答えを返してくれませんでした。師は各自が自分で熟考することを期待したのかもしれません。しかし傲慢との指摘を恐れずに 言えば、その師が教示された様々な説教は、二極対立のレベル・概念にとどまり、アウフヘーベン (止揚) されていませんでした。無意識やノーマインド、そしてサマタ瞑想を強く否定する一方、実際に行い説いているレベルは、決して超意識やメタマインドではな く、単なるマインド、意識のレベルにとどまっていたように感じられました。

AかBか、二者択一の選択を迫られたとき、高いスピリテュアリティーの持ち主が、そのどちらかのみを安易に選ぶことはありません。 その問題の解決点は、それらを統合、アウフヘーベンした所にあることが多々あります。現在でも、少なからぬ精神的指導者が、マインド、ノーマインドの片方 のみを絶対視しているのを見ると、たいへん失望します。

医学においては、最近、心の影響や心身相関の重要性が注目されることが多くなってきました。しかし、如何にしたらそれを人の健康増 進に用いられるのか、その具体的方法については発展途上です。病気をはじめとするこの世のあらゆる苦悩は、突き詰めれば全て心の深いレベルの葛藤、無意識 と意識の不調和から来ると言われています。北岡先生のワークには、その葛藤解決のための具体的方法がありそうです。少なくとも日本において、それを的確に 伝えられる師を、私はまだ他に見つけていません。近い将来、北岡先生によってNLPが医学の一手段として取り入れられる日が来るかもしれません。

21世紀に入り10年になる今、世界は様々な分野で二極化が進んでいるとされます。スピリテュアルな世界においてもそうです。仏教 では、現代は末法の世、つまり仏の真の教えが失われ、その力が及ばなくなる時代であるとされますが、時代を経て変質してしまった教えに盲従する人々と、自 分の足で立ち、メタマインドを見出し、それに従って自己決定することの大切さに気づき始めた人々への二極化も起こっています。ただし後者であっても、如何 にしたらメタマインドを見いだせるのか、多くの人々はその方法を知ることができない焦燥感を覚えているのも事実です。北岡先生は、二極対立の世界を脱却し た世界へのアウフヘーベンを明確に指し示しており、目覚めの時代にふさわしい指導者であると感じました。

北岡先生のワークは、ヨーガ、特にギャーナヨーガ(ジャニーナヨーガ: 知識のヨガ)やラージャヨーガ (メンタル コントロール ヨガ) を一度は学んだものの腑に落ちるレベルに至れなかった人々や、無意識と意識の不調和による様々な不幸の最中にいる人々、そして何らかの心理療法を受けたも のの満足する結果の得られなかった人々に、大きな満足感と肯定的な変化、強力な進化を与えてくれるのではないでしょうか。今後の受講が楽しみです。」

(M.E.さん、男性、医師、都内在住)


2) 北岡新 NLP FAQ、その二十八

Q65 (137): (先週末に開催された「Meta Mind Work II」についてコメントしていただけますか?)

A65 (137): 「Meta Mind Work II」の副題は「エリクソン催眠 (ミルトン モデル) 習得ワーク」で、私の「自信作」のワークです。ミルトン H エリクソンの肉声を聞きながら、エリクソン催眠技法の「すべて」を習得することができると自負しています。

今回は、少数精鋭的な場になりましたが、皆さん、覚醒法であるメタモデルと催眠法である ミルトンモデルを使い分け、カリブレーションを通じて、コミュニケーションの相手が覚醒していればミルトンモデルを使ってトランスに入れ、トランスに入っ ていればメタモデルを使って覚醒させる方法のノウハウを身につけられたものと思っています。

一点、このワークショップで、私は、次のような、催眠の定義について言及しているとき、「灯台下暗し」的なことに気づきましたので、報告したいと思いました。

この催眠の定義は、以下の本メルマガの第 70 号等での言及と関連しています。

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私は、本メルマガの第 48 号で以下のように書きました。

「(『小悪魔』と訳せるであろう) 『デーモン』とは、「個人的天才になるための必要条件」で使われている用語で、ゲシュタルト等の心理療法で使われる『(無意識の) パーツ』とほぼ同じ意味をもっています。私は、個人的には、この用語を、ユングのコンプレックスまたは『原型』、アーネスト L ロシの『SDMLB (状態依存の記憶、学習、行動)』、チャールズ タルトの『d-ASC (個別の変性意識)』と『d-SoC (個別の意識状態)』、スタニスラフ グロフの『COEX システム (凝縮経験システム)』といったさまざまな概念と等価と見なす場合もあります。」

すなわち、私は、上記の「デーモン」、「パーツ」、「(劣等感等の) コンプレックス」、「(ユングの) 原型」、「SDMLB」、「d-ASC」、「d-SoC」、「COEX システム」だけでなく、「(NLP の) アンカーリング」、「(パブロフの) 条件反射」、「(コンピュータの) プログラミング」、「(印哲の概念の) サムスカーラ」、「(ゲシュタルト療法の) アンフィニシュド ビジネス (未解決の問題)」、「(仏作家のプルーストの) 特権的瞬間」等も、すべて、多かれ少なかれ同じ意味をもっていると、見なすことがあります。(この点については、本メルマガの第 9 号の「1. アンカーリング」の項で用語説明がさらに詳しくされています。)

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以上の用語はすべて「変性意識」とほぼ等価であると、私は私のワークで述べてきていますが、これらのすべての定義は、さらに、私の中では、「催眠 ≠ 今ここ」の図式における「催眠」のバリエーションとなっています。

以上のことを前提にして言うと、先週末に開催された「Meta Mind Work II: エリクソン催眠 (ミルトン モデル) 習得ワーク」で、私は、思わず、「『ラポール = 催眠』と言えますね」と叫んでしまい、その後、(言質の意味合いを噛みしめている間) 30 秒くらい沈黙してしまいましたが、確かに、今、上記の催眠の定義のバリエーションの中に「ラポール」、さらには「カリスマ」といった語を含めることは可能 である、ということを再確認している次第です。

ちなみに、上記の催眠の定義のバリエーションの羅列は、言ってみれば、(特に、本メルマ ガ上では) 「奥義的知識の無料の『垂れ流し』」となっていますが、よく、ワーク中に、参加者から「なぜ先生は、そこまで重要な、場合によっては危険にもなりえる知識 を、そこまで惜しみなく開示するのですか?」と聞かれます。

このことについては、現在かなり有名な「自己啓発系ファシリテータ」等は、ワーク参加者 に「守秘義務」を負わせる書類に署名させた上で、ワークを受けさせるということを聞きましたが、私自身は、今まで、自分のワーク参加者に守秘義務を負わせ たことは、一度もないですね。これには、以下の理由があります。

1) 私は、自分の師匠や NLP 四天王から「奥義中の奥義」を伝授されまくってきているという自己認識がありますが、これらの私がすばらしい教師と思う人々の誰も私に守秘義務を負わせた ことはないので、私自身、今までの恩を後世の人々に返したいので、このような秘密主義にするつもりはまったくないですね。

2) この「奥義中の奥義」ですが、仮に参照機構のない人々に渡っても、「猫に小判」、「豚に真珠」であって、真の意味は、あくまでも「口頭伝授」的な手段に よって「解読法」も同時に身につけないと、「わかったつもりでも、まったく的外れな理解しかできていない」状態しか生まれ得ないので、結局は何も不必要に 盗まれることはない、と私は考えてきています。

3) 秘密主義のニュアンスを醸し出すことで、市場の顧客の心理をくすぐり、集客するという、マーケティング法を、私はよしとしていないですね。


Q66 (137) 先生は、コースやワークショップ中、参加者のグループ演習の際に、彼らに直接的にはほとんど何も指示や批評やコメントを与えることはしませんが、これはどうしてですか?

A66 (137): これは、私自身の今までの「独学法」と、NLP 四天王の教え方から来ていると思います。

すなわち、私は、1988 年以来 NLP を学んできていますが、すべて、四天王の講義を何百時間にも渡って目に穴が開くほど観察 (= モデリング) し続け、何も見逃すまいという覚悟で四天王のやり方を目に焼き付け、試行錯誤の上で、独学で自分自身の方法を確立してきていますが、私は、四天王を含め誰 からも演習のやり方について指示や「だめ出し」をもらったことはないですね。

言い換えれば、私は、同じことを参加者に要求していて、私の演習デモを「モデリング」できない場合 (= 私が何をしているか見逃した場合) は、それは、本人の責任とさせていただいています。

この方法は、巷によく見られる、生徒のやり方に一から十まで口を出し、手取り足取り教えようとする、「権威主義」的な教師とは まったく正反対の極にあるやり方です (過去のメルマガで指摘したように、これは、「5 + 2 = □」というふうに、型にはまった一つの手順でしか思考しないように教える日本式の教育と、「□ + □ = 7」というふうに、個々人自由自在にプロセスを考えさせるように教えるオーストラリアを含む欧米式の教育の違いだと認識しています。どちらの教育法が結果 的に数十万人規模のニートを作り出しているかは火を見るよりも明らかです)。

ただ、この私の「放任主義」については、「この先生は演習を生徒に『丸投げ』できるが、『唯我独尊』的なので、他人についていっさい批評もできないのでは」と思う人がいるらしいことが最近判明しました。

すなわち、最近終了した私のプラクティショナー コースでの参加者の査定演習セッションに対する私自身の査定の意見を見聞きして、各参加者のセッションの初めから終わりまでについてかなり包括的な批評と 意見を述べることができることを知って改めて驚いた、という方がいた事実に、私は逆に驚いた次第でした。

事実はまったくの逆で、仮にもし自分のプリゼンテーションまたはセッションについて私に「本格的」な批評をさせることを許した としたら、おそらく、普通の方はおそらくその辛辣さには耐えられないと思います。事実、過去にトレーナー レベルの方から辛口の批評を求められたので、実際にそのようにしたら、その方はその次から私を避け始めました。

私にとって、この種の批評は「All or Nothing (すべて、さもないとゼロ)」で、通常は、いっさい金輪際何も言わないことを決めています。

この件については、私がいつも引き合いに出している、「仏語を喋れないから喋らない」 vs 「喋れるのにあえて喋っていない」図式が当てはまりますね。たぶん、この違いを認識するためには、たとえば、私が同じ一つのデモ演習をいかに一人一人のク ライアントに合わせて微妙に変えているか、を実際に見てみる、といったことが必要になるのだと思います。(ちなみに、この毎回毎回の微妙なパフォーマンス の調整ができる能力と、他の人の演習に対してありとあらゆる指摘ができる能力は、私の中では、等価ですね。) そうでないと、私が、一つの演習に関して同じ内容で機械的に繰り返して、「流す」ことしかできないと思ってしまう人がいる可能性について、初めて知った次 第です。

仮に私から「ガチンコ」の批評を受けたいと思ったら、よっぽどのコミットメントをしていただかないと、受け止めることは不可能だと思いますね。

ちなみに、このコミットメントは、世阿弥の「守破離」と関係しています (「守」とは、師の教えを守りながらひたすら基本を身につけることです。次に、「破」とは完全習得した師の教えを基礎として自分の個性を活かし、自分自身 のものを創造する段階です。最後に、「離」とは、自由自在に行動しながら、今までの師の教えを超越していく段階です)。

私は、人生において、私の師匠である精神世界的な導師を含めて、二人に対して「守破離」 を行ってきた、と「豪語」することができます。この「守」は、「完全自己放棄」と言い換えることができると思いますが、通常、自分の世界地図 (マインド) を、一時的にであれ、完全に棚上げにすることは、並々ならないことです (普通は、モデリングする対象の「コンピュータ キーボード」のこの部分は好きなので受け入れるが、ここから向こうは嫌いなので、受け入れません」というふうに、完全受け入れはできないようです。本来 は、キーボードは、全体の配列を無条件に受け入れる必要のあることは火を見るより明らかです)。

そういう完全な自己放棄をする用意のある方が、水平的思考から垂直的思考への移行を含め、ありとあらゆる創造性を獲得し、場合によっては、世の中をリードするような人材になっていくことは、究極的な逆説のように私には思えます。

作成 2024/2/11