以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 135 号 (2010.2.20 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その二十六」のトピックがカバーされています。
1) 北岡新 NLP FAQ、その二十六
Q61 (135): 日本人向けの NLP トレーナーズ トレーニング認定コースにはどういうものがあるのでしょうか?
A61 (135): 国内の NLP トレーナーズ トレーニング コースはいくつかありますが、日本人でこのレベルの資格コースを教えているのは、唯一私北岡だけであると自負してきていましたが、改めてこの質問を受けた 後、インターネット検索をしてみると、以下の興味深いサイトに行き当たりました。
このサイトによると、日本人向けのトレーナーズ トレーニング コースを開催しているのは、リチャード・バンドラー、ジョン・グリンダー、クリスティーナ・ホール、サンタフェ、タッド・ジェームス、北岡泰典の 6 人で、このうち日本人は私一人となっています。(このうち、バンドラーのトレーナーズ トレーニング コースは米国開催で、また、「サンタフェ」とは個人名ではなく、米国の団体名です。さらに、これらのコース以外にも、カリフォルニア州サンタ クルーズの NLP ユニバーシティでロバート・ディルツとジュディス・ディロージャがトレーナーズ トレーニング コースを共同開催しています。)
私自身、このサイトの運営者が誰であるか知識をもっていませんが、私の名前がこのように第三者によって独立した形で「トレーナーズ トレーナー」として認められ、紹介されていることは、誠に喜ばしいかぎりです。
このサイトの運営者が本メルマガの読者である場合は、ぜひとも北岡にメールでコンタクトしていただきたいと思います。感謝の念を直接お伝えしたいと思っています。
なお、私は、次期のプラクティショナー コース (本年 4 月~ 6 月開講) とマスター プラクティショナー コース (本年 9 月~ 11 月開講) がフルタイムとしての私の最後の認定コースになる予定であると告知してきていますが、その後に、もう一度だけトレーナーズ トレーニング認定コースを開講する意思があります。
このトレーナーズ トレーニング コースの後は、私は、他団体で認定を受けた NLP トレーナーで、資格はもっているがテクニックを使いこなせていない方々に対する「技能ブラシュアップ ワーク」を提供することに特化したいと考えています。特に、今後、NLP 市場は国内の各地方にもどんどん拡大していくことが見込まれていますが、その各地方市場で教える NLP ファシリテータもしくはトレーナーで、(都会から離れているため) NLP 研修を受ける機会にあまり恵まれていない方々に集中的な技能向上ワークを提供したいと考えています (場合によっては、一定数の方々向けの技能向上ワークを行うために私が地方出張をすることも可能かと思います。)
Q62 (135): 最近の日本人、特に若者の活字離れについて、「異文化コミュニケーション コンサルタント」の立場から何かコメントはありませんか?
A62 (135): このことについては、2002 年に帰国してから今まで、若者の活字離れについて私には信じられない話を聞いてきていましたが、つい最近、それに輪をかけて「驚愕」すべきことをある人から耳にしました。
その方の知り合いがアニメーション研究の専門家の女性で、この女性がこの私の知人に「最近、若い子供たちに漫画そのものを読めない子供たちが増えてきて、困った事態になっている」とおっしゃったそうです。
この意味合いは、この子供たちは、一コマ一コマの「静止画像」が連続しているコミック漫画を前にして、そのコマとコマの間の「ミッ シング リンク」を頭の中の想像世界でつなぎ、ストーリー性をもたせることができなくなっている、ということだと思いますが、いずれにしても、この状況は、由々し き事態を越えて、もはや「破局的事態」であるように私には思えます。
この事態に対する私の「仮説」は以下のようなものです。
すなわち、私には、漫画を理解するには、ある程度の論理性、ストーリー性を理解できていることが前提になっていて、このためには、ある程度の左脳的な文章の読解力が必要とされているように思えます。
最近の若者は、そのような「教養の基礎的基盤」となるべき文章読解力を養うことは放棄してきている傾向にあるようですが、その若者 に続く若い子供たちの中には、おそらく文章を読んだこともない子供たちがいて、連続する静止画像を前にして、どのように理解していいかわからなくなってい るのだと思えます。
仮に以上の私の仮説が正しいとしたら、今後の日本の文化は崩壊の一途を辿るように思えます。
思うに、今のこの活字離れの日本の状況は、たぶん、1960 年代の中国で毛沢東が指揮した、中国語の漢字体系を (戦後の日本の漢字簡略化制度を模倣した上で、さらにその度合いを押し進める形で) 極度に略字体化することで、民衆が昔の中国の文献と知識にアクセスできないようにした文化革命運動以上に危険な「マインド コントロール」の状況にあるように私には思えてなりません (この文章を書き上げた後、文化革命の主目的が中国民衆に昔の文献を読ませないようにすることであったという歴史的事実自体が今の若い世代の人々に伝わっ ていないことを知り、唖然としました!)。
このような私の「過激な意見」に対して、「いえいえ、西洋では、日本のコミックの芸術性は高く評価されていて、西洋人で日本のコミックを文化的芸術作品として学んでいる人もたくさんいます」といったコメントをもらうことがあります。
たしかに、この反論そのものは正しいでしょうが、一点だけ、西洋人は「隣の家の芝生は、常に、自分の家の芝生よりもっと青く見える」という観点から日本の文化に対して「自分にないものねだり」をしていることを忘れることは絶対できません。
つまり、「日本のコミック崇拝」は、あくまでも、デカルト/ニュートンの還元主義以来、左脳的な 知識を押し進めてきていて、そのあげくに「デジタル」の頭でっかちの左脳的世界にどんづまって入り込んでいる人々だからこそできる右脳的な世界に対する 「憧れ」的な評価であって、私は、「日本のコミック崇拝者」の西洋人が日本に来て、今の国内の若者の活字離れの実態を実際に体験すると、大きな失望を覚え るだろうと、確信しています。
さらにいうと、最近の私のワークショップで、その年の東大入学 試験が中止となる原因となった 1969 年の東大の「安田講堂事件」について言及すると、30 歳代の参加者の女性が「そのことを私は知りません」と答えましたが、たとえば、フランスで今の若者が 1968 年のパリ市西岸で起こったパリ革命のことを親から伝え聞いていない人はいないだろうこと、または、英国で、60 年代にフリーセックス、ウーマンズ リブ運動に参加していた女性たちがその後母親となり、その子供に「昔私たちはまっ裸で愛し合ったのよ」というふうに後世の人々に文化的遺産を継承していこ うとしていることと比較すると、あまりにも残念な状況が日本では起こってきていると思います。
このような「マインド コントロール」を通じて、いったい誰が得をしているのかは私には不明ですが、私は、団塊の世代の人々が、ニートに象徴される今の若者の状況を作り出してい ると主張してきています。このことについては、本メルマガの第 115 号の FAQ で以下のように書かせていただいています。
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Q22 (115): 先生は 2018 年までにニートをなくす運動を立ち上げたようですが、どのようにしてニートをなくそうとしているのですか?
A22 (115): この点につきましては、「北岡泰典メ-ルマガジン」の第 4 号 『カウンターカルチャーについて』で以下のように書かせていただいています。
「しばらく前に、あるテレビの番組で、元プロ野球選手で元参議院議員の江本孟紀氏 (彼自身団塊の世代です) が、団塊の世代の自己矛盾は、その前の世代が軍国主義から民主主義に一夜で転向したことを見てしまったためだったのではないかといった議論がされていると きに、『団塊の世代は確かに「言行不一致」だった。彼らは、今後、退職してから死ぬまでに 10 年から 20 年の余生の人生があるが、その間に何らかの「落とし前」を取ってもらう必要がある』という意味のことを発言していました。
私は、個人的には、江本氏に同意します。このことについては、以下の私自身の文を再引用したいと思います。
『ひょっとしたら、私は、団塊の世代の人々が私に教えた、学生運動、ロック ミュージック、ドラッグ カルチャー、カウンター カルチャー、精神世界等に関連した生き方を、当の世代の人々は、その後企業に就職することで「アンフィニッシュド ビジネス (未解決の問題)」として頭の片隅に残してきたままでいる一方で、「彼らにみごとに踊らされてしまった」私は、まさしく大江風に「遅れてきた青年」とし て、その後の人生で、すべて、実践、実験、体験してきた、という究極の逆説を示唆しているのかもしれません。(その意味で、私は、今後急増していく団塊の 世代の退職者の方々に対して、彼らの求める最も適したライフ コーチング (生き方のオリエンテーション) を提供できるという、絶対的自信をもっています。)』
非常に僭越な言い方になるかもしれませんが、団塊の世代の最善の落とし前の取り方として、まず、カウンターカルチャーの落とし子である現代心理学の NLP を右脳的に学ばれて、その後その NLP が土台としている思想的潮流を、これも体験的に、遡及的にさかのぼっていくという方法が幸運にも存在している、と提案させていただきたいと思います。」
私自身、1970 年代初頭の高校時代に、団塊の世代の人々が私に焚きつけた「学生運動、ロック ミュージック、ドラッグ カルチャー、カウンター カルチャー、精神世界等に関連した生き方」が私の「原体験」となっていて、国内でできなかったこのような生き方を、25 歳で大学を卒業してサハラ砂漠に渡った時代から、言ってみれば、今の歳まで、首尾一貫して求め、かつ実践してきていて、そして、その生き方の最終到達点が NLP であったわけですが [北岡注: このことをもとに、私は自分自身を「永遠のヒッピー」と自己定義することもあります]、この生き方を極めた後、2002 年に帰国したとき私が発見したことは、私にこのような生き方を煽動した張本人である団塊の世代の方々は、象徴的な事件としての安田講堂占拠事件の後、(長 髪を切り) 大企業に就職して、いまや大挙して引退退職の途中で、その「言行不一致」の過程の中で、60万人のニート族という「負の遺産」を残していた、ということで した。
思うに、グレゴリー ベイツンの「ダブル バインド」理論の観点から言っても、団塊の世代の「言行不一致」により、その子供もしくは孫の人々が「自閉症ぎみ」もしくは「引き篭もりぎみ」になって、 世界でも類を見ないニート族の社会現象を起こしているのは自明の理のようにも思えます。
もちろん、どの世代の方々にも「言行不一致」が見られることは事実で、団塊の世代の人々だけを悪玉視することには不合理性もあるで しょうが、私個人としては、この方々が私を「代替の生き方」を求めて長期の海外生活をするようにプッシュした、という思いが強いので、この方々の負の遺産 であるニート族をなくすことで、彼らの「尻拭き」をさせていただき、さらに「落とし前」を取っていただくことの支援をさせていただきたい、と思っている次 第です。
「自閉症ぎみ」もしくは「引き篭もりぎみ」のニート族を支援する最高の方法論として NLP が使えることは、言わずもがな、です。