以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 129 号 (2010.1.10 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その二十」のトピックがカバーされています。
1) 北岡新 NLP FAQ、その二十
Q49 (129): (これは、前号のメルマガの FAQ47 内容を引用転載した mixi の北岡の日記に投稿された質問です。本メルマガで「逆引用掲載」させていただきます。質疑応答が二度繰り返されています。) NLPは初心者なので的外れかもしれませんが、質問よろしいでしょうか?
ユングが秘教を研究していたことなどは有名ですが、NLPにも魔法という言葉が頻繁にでてきます。
私は、古来の「魔法」は深層心理等を扱う領域だと思っているのですが、そういう「オカルト」とNLPの接点が、よくわかりません。
NLPにも秘教の影響はあるのでしょうか?
A49 (129): これは、いい質問ですね。
「オカルト = 秘教 = 神秘主義または超能力」の観点から言うと、私は、メルマガの第 8 号で以下のように書いています。
「A14: 私には、NLP が 70年代にカリフォルニア サンタクルーズで生まれたのは、必然であったと思われます。当時西海岸は、サンフランシスコで生まれたヒッピー文化の後を継いで、カウンターカルチャー、催眠/瞑想/ドラッグ等による変性意識の実験が最盛期を迎えていました。私が見るかぎり、サンフランシスコやサンタクルーズの地域に当時いわゆるわけのわからない学派が無数に存在していたと思いますが、統計的な確率の観点から見て、その無数の偽物じみた学派の中で『たまたま』一つか二つ本物の学派が生まれても何ら不思議はなかったと思いますが、まさしくその砂漠の中の一粒の砂のような本物の学派が NLP だったということになると思います。また、なぜ NLP が本物でありえたかの大きな理由として、その理論的背景に 20 世紀の偉人、ベイツンがいたことが挙げられると思います。」
つまり、当時、60 年代後半から 70 年代前半にかけて「カリフォルニアのサンタクルーズ」(!) で、ドラッグの実験をしていない若者など一人もいなかったでしょうし (このことについては、私が長期滞在していた英国でも、80 年代以降も (「ハード ドラッグ」は別にして)「ソフト ドラッグ」を試したことのない若者はいない、という状況でした)、ビートルズがヒッピーとなり、インド人導師に弟子入りした後を追って、皆「ドラッグと悟り」の実験を競っていた時代でした。
その中で、私が推測するに、NLP 創始者の二人が、数千年前の「ウパニシャッド」の哲学書等を書いたインドの聖者が得ていた境地に「たまたま」アクセスしてしまい、そこからもう一度日常生活に戻ってきて、その世界を「言語化」、「公式化」したのが NLP だという理解を、私は以前からもってきていました。
一点、最近のメルマガ (第 116 号) で、私は「70年代初めのカリフォルニアでドラックの実験をしていた変性意識の研究家のほとんどは、その後インドの修行系の実践に走ったが、グリンダーとバンドラー (例外として唯一彼らだけは、と言っても、あながち誇張ではないと思います) は催眠に走った」と示唆しましたが、当時のヒッピーはほぼ全員「インドの瞑想」に走った中で、「催眠」に走った二人だけが、ある意味で心理学の歴史に生き残り、これだけ空恐ろしい方法論を残せている事実は、精査してみる価値はあると、私には今思えます。
以上は、方法論としての NLP についての私の見解ですが、「私は、古来の『魔法』は深層心理等を扱う領域だと思っているのですが、そういう『オカルト』とNLPの接点が、よくわかりません」については、1995 年にドイツのミュンヘンでバンドラーのトレーナーズ トレーニング コースを受け、彼にホテルの部屋に招待されたとき、彼は「『世界で最も有名な魔術師』の生まれ変わりです」と (冗談で?) 言っていて、部屋の中には、今思えば、その魔術師が描くような絵をたくさん描いて飾っていたくらいなので、また、最初の NLP の本が『魔術の構造』であることを鑑みても、これまでは、私は、インド人導師の弟子として、NLP と数年前のインドの聖者との「マッピング」をしてきていましたが、NLP とたとえばユダヤ密教とのマッピングができないはずはないと考えています。
いずれにしても、私は、NLP の創始者二人は「向こうの、神秘主義の世界」に「無意識的」に出てしまい、その後、日常生活に戻った後、「ボックスの出方と入り方の明示化」に成功したと見ていて、その偉業を私はとても超えることはできないが、どのようにしてそのことが可能になったかの NLP の外側からの NLP の「歴史的位置付け」はできるのではないかと思い、日夜研究を続けてきているつもりです。
直接的な回答になったかどうかわかりませんが、また、別途、メルマガの FAQ でこの後の論議を続けたいと思っています。
なお、一点だけ、以下に付記します。
質問の意図は、「行動心理学である『底の浅い』 NLP がはたして『深層心理』を扱えるのか」ということも含蓄されていると思いますが (ところで私は「NLP は行動心理学である」ことは否定しませんが、共同創始者、特にグリンダー氏のあれだけ左脳的な本が何冊もあるかぎり、「底の浅い」ことはないと思いますが)、その私の答えは以下のものです。
「NLP は、茂木健一郎等の言うメタ認知を扱う『メタ心理学』であり、それ自体は深層心理学ではないかもしれないが、メタ心理学者がその研究を深めるために使うことができ、かつ極めて有益であることが判明する『認識論』的方法論である。」
いかがでしょうか?
Q: ご回答ありがとうございました。
特に「世界でもっとも有名な魔術師」(クロウリーだと思いますが)のくだりは、入門書には書かれないNLPのバックグラウンドを暗示しているようで、私は非常に興味深く思いました。
NLPは使い方次第で、人を操作する黒魔術にも、人を解放する白魔術にもなるように思います。
私が何か別の意識に入り、それを追ってダンスと瞑想の旅に出てインド人師匠を得、いまNLPに興味を持っていることは、偶然ではなく必然の流れだったのか、と感得致しました。
インドへ師匠に会いに行くため 1 月 11 日の「NLP と瞑想」ワークショップは参加できませんが、そのうち学ばせて頂きに伺おうと思っています。
ありがとうございました。よろしくお願い致します。
A: このメッセージに感謝します。
固有名詞等については、この場は「公開質疑応答」の場なので、ノーコメントとさせていただきますが、また、このような「センシティブ」なトピックはパーソナルな質疑応答の方がよろしいかと思いますが (これは、この「世界でもっとも有名な魔術師」は、ある一部の人にとってはキリストの再来とも言われているようなのに、世間では誤解されまくっているように、誤解の対象にしかならないと思うからですが)、次のことだけ言えるかと思います。
すなわち、私は 1983 年 10 月に西海岸でインド人師匠に弟子入りして以来、(私が当時知っていた他の弟子は、その後師匠を何人か「渡り歩いて」きているようですが) 私はたった一人の師匠を自分の「糧」として、(師匠自身が言ったように、「道で師匠に会ったらその師匠を殺せ」を実践しながら (これは、単に世阿弥の「守破離」の比喩バージョンでしかないと思いますが) ) いわば「ラージャ ヨガ」、「ジュナーナ ヨガ」の道を極めてきているつもりです。
その中で、当然の流れとして、私は、数千年前のインド人聖者 (主に、ヴェーダンタ哲学の三種類の「聖典」の一つである「ウパニシャッド」哲学書の著者たちを指していますが) と NLP のマッピング ワークを続けてきていました。(私のその研究の集大成が、2000 年に英国で出版された CD-ROM 本の『Cyberbook: An Integral Epistemology for Enlightenment』(『サイバーブック: 悟りのための統合的認識論』) ですが。)
しかし、その後、三年くらい前から、ある助言者から「先生は、あまりにもインドよりの方向性に行きすぎています。仮にもしその方向性の中で『真理』を達成したのであれば、真理はすべてに普遍的なので (確かに、世界の宗教の (顕教ではなく) 密教はすべてほぼ同じことを言っていることは、私、北岡も確認することができます)、その真理から降りてきて、他の方向性も広く包含し始めるべきです」というような、非常に的を得たアドバイスをいただき、それまでは興味のいっさいなかった、該当の魔術師 (非常に興味深いことに、あれだけ多岐にわたって、世界中の宗教と解脱者と導師について語った私の師匠の口から殊この魔術師の名前だけは出た記憶は、私の知るかぎり一度もないですね。これには、何らかの深遠な理由が隠れていると思えます) および彼と関連するユダヤ密教を研究し始めている次第です。
ちなみに、今後の私の研究の過程で、私は、場合によっては、金輪際 NLP を捨てさる可能性は十分あります。というのも、私は、この日記のタイトルとも関連することとして、首尾一貫して、「私は、究極の懐疑主義を貫いてきていて、すべてを否定した上で、現時点で、唯一 NLP を否定できないので、しかたなく NLP を教えていますが、もし仮に明日 NLP 以上のものを発見したら、躊躇なくNLP を即ゴミ箱に捨てて、それ以降はいっさい語らないつもりでいます」と言い続けてきています。
ということで、今後の「永遠なる内なる旅」を続けられることをお祈りしています。
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以上が、上記の質問者との mixi の日記上での質疑応答ですが、ここで、以下の追記ができます。
すなわち、最近までの私は、「非常に興味深いことに、あれだけ多岐にわたって、世界中の宗教と解脱者と導師について語った私の師匠の口から殊この魔術師の名前だけは出た記憶は、私の知るかぎり一度もないですね」ということもあってか、「魔術」という言葉は、どちらかというと「忌み嫌って」いました。
このため、私の最初の訳書である『Magic of NLP』の後書きでは、「三点目は、『Magic』の訳に関してです。これは、『魔法』とも『魔術』とも訳せますが、NLP共同創始者のグリンダーとバンドラーは、創始時にモデリングした卓越した心理療法の大家フリッツ・パールズ(ゲシュタルト・セラピーの創始者)、ヴァージニア・サティア(家族療法医)、ミルトン・H・エリクソン等を『Therapeutic Wizards(療法の魔法使い)』と形容しているので、わたしは『魔法』という訳を使っています」と書かせていいただほどでした。
現在は、私は「魔術」という言葉を、むしろ好んで使うようになっています。誤解を恐れずに言うと、インド密教系の「マジック」を「魔法」と呼び、ユダヤ密教系の「マジック」を「魔術」と呼び別けてもいいのかもしれません。さらに、幸いなことに、上記の魔術師自身の造語として「Magick」がありますので、「Magic」を「魔法」とし、「Magick」を「魔術」と呼ぶことにすれば、各用語の定義が非常に明快になるのかもしれません。
以上のことを、最近の私の主張を交えて、図式化すると、以下のようになるかもしれません。
60 年代のヒッピー → 瞑想 → インド密教 → Magic
↓→ 催眠 → ユダヤ密教 → Magick
すなわち、こぞって「化学的に誘発された変性意識」の実験をしていた 60 年代後半、70 年代初頭のヒッピーたちは、ビートルズのジョージ・ハリソンが超越瞑想のグル、マハリシ・マヘーシュ・ヨギに弟子入りしたことに象徴されるように、ほぼ全員がインド密教系 (上記の「Magic」、「魔法」系) の瞑想に走った一方で、グリンダーとバンドラーだけは、(ここでも誤解を恐れずに言うと) ユダヤ密教系 (「Magick」、「魔術」系) の催眠に走り、その後 NLP が生まれた、という仮説 (あくまでも「単純化のための仮説」ですが) は、(場合によっては、誤解を生むという意味で、危険であるが) 興味深いかもしれませんね。
(さらにまた、60 年代のヒッピーのアイコンだったビートルズはインド密教系だったことは周知の事実として、その一方で、当時のもう一つのビッグ ロック グループだったローリング ストーンズは、該当の魔術師にも影響を受けたユダヤ密教系だった、という定義づけは、もしかしたらさらにまた非常に興味深いかもしれません。)
なお、以上とは別の方との mixi 日記の質疑応答の中で、私は、以下のように答えさせていただきました。
「『NLP と瞑想』ワークのエリアは、おそらく日本でも本格的にタッチできる人は極めて少ないと思っています。
おかげさまで 1 月 11 日開催の「NLP と瞑想」ワークショップは 現時点で (1 月 9 日現在) ほぼ満席に近く、市場にはこの種のワークに興味をもたれている方々はまだまだいらっしゃると思えるので、このワークショップは『定期的』にリピート開催していきたいと思っています。
今後、私は、特に『他の NLP 団体の資格保持者で、ブラッシュアップが必要な人々』や『精神世界の人々で、「前自我への退化」ではなく「超自我への進化」を求めている人々』向けに特化したワークを提供していきたいと思っています。(これらの人々は『その道の玄人ではないが、すでに素人でもなく、一定の試行錯誤をすでに経てきていて、もう一皮剥きたい、「もうワンランク上」を求めている人々』と定義できるかもしれません。) 」
Q50 (129): 先生はよく、「外側の『日常』の世界よりも内側の NLP 等の『実験』の場所の方が『現実度』が高い」とおっしゃっているように思いますが、この意味合いを説明してください。
A50 (129): この質問は、私のワークを受けられた一部の参加者からいただくことのある「(他の団体で NLP を学んできていた) 今までは、NLP のアンカーリングは、NLP ワークのクローズドの「実験」の場所で起こるものでしかないと思ってきていましたが、普通の日常の場所 (「娑婆」) で起こるとは思ってもみなかったです」というふうな、私にはまったくの「事実誤認」のコメントとも関係しています。
すなわち、NLP を学ぶ側の方々の中で、NLP は「実験的で、仮説的な、左脳的学問であり、その実験の場で学んだテクニックは、普通の社会生活の場所で、機能するかもしれないし、しないかもしれない」と思い込んでいる、または、そのようなものであると NLP の講師から思い込まされている (国内の NLP 業界のレベルを鑑みると、もしかしたら NLP を教える側の方々でも、そのような事実誤認をされている方がいることも否定できないと思いますが、仮にもしそうであれば、状況は悲惨、破局的以上ですね) ことがあるようです。
真の「本物の NLP」は、すべて普通の日常生活、社会生活で起こっている人間の脳の機能をモデリングしたもので、私の知るかぎり、娑婆の世界で起こっている人間の行動パターンを変えないような NLP テクニックは皆無ですね。さらに、NLP には、理論も、仮説もなく、あるのは、人間の脳がどう機能しているかについての「モデル」だけですね。
ですので、本物 のNLP は、娑婆 (日常生活) の世界で、たとえば、アンカーリングでないものはない、と提唱します。
思うに、最近のメルマガでも書きましたが、以下の図のように、人間の脳は、意識化できる部分である「入力」(知覚器官に入力される五感のデータ)と「出力」(人間の外的行動または (いわゆる「思考」と呼ばれている) 内的行動) と、無意識のままとどまる「ブラックボックス」的な「プログラミング」の部分から成り立っています。
NLP が成し遂げるのは、まさしくこのプログラミング (すなわち、アンカーリング) の変更なので、「実験の場」で変えられたアンカーリングがそのまま「娑婆の世界」で機能して、同じ入力があったとしてもまったく以前とは異なる出力が達成されるのは、ごく当たり前で、このような NLP の根幹にかかわることが達成できない、もしくは、NLP 学習者にこのことを実感させることのできないような NLP は、NLP という名に値しないと見なすべきです。
さらに言うと、「現実」と思われている日常生活は、そもそも一から百まで、上記の「ブラックボックス アプローチ」の図式に基づいて、営まれているのであり、このため、私たちが現実と見なしている現象界である出力は、ブラックボックスの中のプログラミング次第では、どのように変わることも可能である、という意味において、出力よりもプログラミングの方がより「現実性」が高いのは、論理的帰結となります。
ということで、「外側の『日常』の世界よりも内側のNLP等の『実験』の場所の方が『現実度』が高い」」という結論が導き出されてもしかるべきです。
ちなみに、私は、本メルマガの 第 124 号で、以下のように記しています。
「[私が久しぶりにお会いしたジョン グリンダー氏は] 相変わらずとてもお元気そうでしたが、この会話の中で一点、非常に私の心に残った同氏の言質があります。それは、
『NLP は状態と文脈の出会いである。 (NLP is a clash between a state and a context.)』
というものです。
これは、非常に深遠な言質で、グリンダー氏からこの言質をお聞きしてからずっと、その意味合いについて考えてきていますが、以下のことが結論づけられるかと思います。
1) この言質は明らかに『文脈 vs 内容』の観点を念頭に置いていますが、もしかしたら、『現実的実体』として対処すべきなのは『状態』と『文脈』だけで、ある状態をもった人がある特定の文脈に入ることで、瞬間から瞬間にかけて『仮想現実』としての『内容』が現れるように見えているだけにすぎない。
2) 人間が経験する『問題』は、相対的な『仮想現実としての内容』にすぎないので、 NLP 的命題である『リフレーミングできない問題は存在しない』の妥当性が裏打ちされる。
極めて重要な金言だと思います。 」
以上の「NLP は状態と文脈の出会いである」の表現について、「状態」を「プログラミング」、「文脈」を「入力」と置き換えると、「外側の『日常』の世界よりも内側のNLP等の『実験』の場所の方が『現実度』が高い」と「NLP は状態と文脈の出会いである」のパラレル性が確認できるのではないでしょうか?