以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 125 号 (2009.12.16 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その十六」のトピックがカバーされています。
1) 北岡新 NLP FAQ、その十六
Q41 (125): 最新の北岡先生のプラクティショナー コースの雰囲気等についてコメントしていただけますか?
A41 (125): そうですね、私の印象としては、以前の会社を離れ、完全独立した後は、私の「独自色」を今まで以上に出せるようになってきているせいもあってか、私の最近の「資格」 (「認定」と言うべきでしょうが) コースの内容はますます中身の濃いものになってきている印象があります (そのような意味のことを現コース内で発言したところ、以前のコースにも参加されていた方から「どのコースでもそういう『お世辞』を言っていますよね」というふうなコメントをいただきましたが、これは、実際に私の正直な印象ですね。おそらく、この方が以前に参加されたコースも含めて、「ますます中身の濃いものになってきている」のだと思えます!)
この理由として、主に二つことが考えられます。一つ目は、他団体のコース修了生の編入参加が増えてきている点です。私がいつも指摘しているように、私のワークおよび教え方の優れている点と劣っている点は、他の NLP トレーナーと比較することによってしか、わかるはずがありません。二つ目は、私の、非常に「微細なマインドの動き」の分析のし方を、真の意味で評価できるだけの参照機構 (右脳に落とし込まれた左脳的知識) をおもちの参加者がだんだん増えてきている点だと思われます。
この一点目について、私自身、欧米で NLP を学んでいるときに、同様に、ありとあらゆる高質および低質の NLP トレーナーのワークに顔を出し (たとえば、最近、日本でトレーナーズ トレーナニング コースを教えている「VIP」の米人トレーナーのワークにも、英国ロンドンで参加してみましたが、正直のところ、私にはまったくピンと来なかったですね)、その後にしか、私は四天王に行き当たっていません。
その右脳にも落とし込まれた参照機構と評価基準をもとに、私は、国内には、極めて残念なことに、「欧米と比べると」良質のトレーナーはほとんどいないと結論づけているわけで、本メルマガの読者で、「本物の NLP」を模索されている方々は、ぜひ、一つの団体の枠に縛られることなく、さまざまなレベルの NLP をいろいろなトレーナーから学んで、真の眼識力を付けていただきたいと心から思います。
私自身、私のコースやワークの冒頭で、「私が言うことはいっさい信じないでください。左脳的に興味深いことをたくさん言うかもしれませんが、そんなことだけで人が変わったりすることはいっさいありえません。私の言うことを、すべて疑う『懐疑主義者』として聞いて、私の『左脳』的なレクチャーの後の NLP 演習に『実際』に参加して、その右脳的な落とし込みの『体験』だけを信頼してください。『究極的な懐疑主義者が動かせない岩が一つだけあります。それは「体験」という岩です』という諺もありますので。その自分自身の体験の後、私の言っていることが『嘘』だとわかったら、それは、ご本人の経験なので、私はそれを尊重いたします。どうか、その場合は、世間に出ていって、『北岡は嘘つきだ』と触れ回っていただくようお願いします」というふうに言うことを常としています。
私は、長期の英国滞在から 2002 年に帰国した後、自分自身のワークにそれだけの自信をもってしか NLP を教えてきていないつもりでいて、また、以上のような「究極の懐疑主義者」にしか私のワークの真の醍醐味は理解、評価されるはずはない、という立場を首尾一貫して貫いてきています。
ですので、国内には、自分のところで参加者を「囲い込んで」いる団体も多いと聞いていますが、それによって、「近親相姦」的状況が作り出され、「異文化コミュニケーション」性が否定されるという意味で、真の NLP が発展する土壌が阻害されていると思います。あるいは、それらの団体は、他の団体と比較されることを恐れるだけの何か隠れた理由があるのでしょうか?
結論としては、NLP は、それを教える側の資質に応じて、文字通りピンからキリまでの質の違いがある事実は、実は、「実際に」ピンからキリまでのレベルのトレーナーを実際に見てみないと絶対にわからない、ということになります。このことは、本メルマガの前号でも示唆した「ボックスの中の内容は、ボックスの外に出てみないと絶対にわからない」ことと関連してもいます。(「NLP = ボックスに出ること」とも定義できます!)
Q42 (125): FAQ41 の回答にある「非常に『微細なマインドの動き』の分析のし方」とも関連してくると思いますがが、先生のワークで、生徒さんに「目から鱗」の体験をもたせたことがあるかと思いますが、その例を教えてくださいませんか?
A42 (125): 私自身、私のコースに実際に来ていただけたら、初めから終わりまで「目から鱗」の体験をもっていただけているとは思ってはいますが (NLP そのものが「目から鱗」ですので)、たとえば、今回のコースでは、これまでの私のコースと同様に、特に「メタモデル」の説明の際に、コース参加者にその体験をもっていただけたと自負しています。
すなわち、私は、「メタモデル」について説明をする際、以下のように発言させていただきました。(「メタモデル」質問群は、NLP の代表的な演習テクニックですので (実は、歴史的に、メタモデルが一番最初に開発された NLP テクニックでした)、本紙では、その説明自体は割愛させていただきます。)
「通常は、『メタモデル』質問は、一休さんの頓知のように、あるいは数学の因数分解のドリル問題のように、意味のない、無機質な『単なる傾聴のための質疑応答例』として教えられているようですが、 実は、非常に大きな意味合いが、私の見るところ、三つあります。
一つ目は、以下の図式が、私の訳した『Magic of NLP』にありますが、この図では、人間は、世界から自分自身の『世界地図』 (『世界についてのモデル』とも言われ、以下の図式では『深層構造』に対応しています) を構築するとき、『一般化』、『削除』、『歪曲』の三原則を使ってこの『モデリング』を行いますが、この際、『ある特定の割合』の三原則の組み合わせが使われるので、出来上がった深層構造としての地図 (モデル) は、以下の図式にあるように『歪な』形をしていることが示唆されています。
ここで興味深いことは、さらに、人間は、自分自身の世界地図を『モデリング』して自分自身の言語活動 (以上の図式では『表層構造』に対応しています) を作るわけですが、この際、同じパーセンテージの組み合わせの三原則を使いながらそのモデリングがなされるので、出来上がった表層構造 (言語活動のパターン) も、必然的に、深層構造と相似形の形をしていて、『歪さ』も同じ形になっています。
メタモデル共同開発者である NLP 共同創始者によれば (実は、NLP 創始当初は NLP 共同創始者の数は、メタモデル共同開発者だった『Magic of NLP』の共同著者のフランク ピューセリックを含め、三人だったということは NLP 業界内でもあまり知られていない事実です)、ファシリテータは、クライアントの無意識の部分である深層構造 (地図またはモデル) の歪な部分を直接矯正したり、拡張することはいっさいできず、できることは、単にクライアント本人の言語活動パターンにおける歪さを矯正もしくは拡張することができるだけです。
まさに、このクライアントの言語活動パターンにおける歪さを矯正もしくは拡張するための質問群が『メタモデル』であって、最も興味深いことは、表層構造の歪さと深層構造の歪さは『強制的に連動』しているので、クライアントが表層構造の『限界拡張』を行うことを支援するまさにその行為によって、対応するクライアントの深層構造 (無意識、世界地図) の限界拡張が達成されることが (初めて) 可能になります。
つまり、メタモデルは、クライアントの目に見える部分 (言語活動) を『直接』変えることで目に見えない部分 (無意識) を『間接』的に変える『空恐ろしい』テクニックなのです。
通常、NLP 学習者は、以上のようなテクニックの非常に重要な意味合いを教えられないまま、ただ『技を行う』ように指導されますが、これでは、意味のわからない『拷問』にただただ耐えることを強いられるだけで、演習に対するやる気が薄れてしまったり、『NLP 演習は苦痛だ』という思いしかもてないようになってしまっています。
一方で、上記のような、極めて重要な意味合いが NLP テクニックの裏にあることが (左脳的に) わかったとき初めて、そのテクニックを地道に演習して、習得しようと思う気持ちが沸いてくるのではないでしょうか?
メタモデルの二つ目の重要点は、実は、メタモデルは、クライアントがトランス (催眠状態) に入っているときに、そのトランスから目覚めさせる『覚醒法』であるという点です。
すなわち、たとえば、メタモデル質問の一つに『単純削除』がありますが、これは、クライアントが『私は憂鬱です』と言ったとき、自動的に『特に何について憂鬱なのですか?』と聞くべき質問法です。
この場合、聞き手がこのメタモデル質問をしない場合、その人自身の世界地図で判断して『この相手の人は、配偶者と喧嘩して、憂鬱なのだな』と思ってしまう可能性がありますが、このメタモデル質問への答えが『昨日死んだ飼い犬についてです』というものである場合は、その『読心術』が間違っていたことが判明します。
さらに、場合によっては、クライアント自身、憂鬱である対象物があまりにも長い間意識から落ちていることも考えられます。この場合は、本人は、何について憂鬱であるかさえわからずにいて、このメタモデル質問に答える過程で初めて『50 年前に亡くなった父親』について憂鬱であることが判明することもありえます。
この場合、『私は憂鬱です』の状態は、何についてかもわからないような『催眠またはトランス状態』に近いものですが、このメタモデル質問をされることで、それまでは無意識化されていたものがはたと意識化される過程の中で、本人は催眠状態から覚醒状態に覚めることが可能になります。
メタモデルの逆パターンのテクニックはミルトンモデルですが、これは、言語表現を曖昧に曖昧にすることで、聞き手をトランスに入れる『催眠法』です。
ちなみに、私自身が企画し、パッケージ化した『エリクソン催眠』ワークショップでは、その覚醒法と催眠法の両方が学ばれ、しかも、聞き手の表情やしぐさをカリブレーションすることで、聞き手がトランスに入っていれば、メタモデルを使って覚醒させ、覚醒していれば、ミルトンモデルを使ってトランスに入れるプロセスを自由自在に操れる技法を学ぶことになります。
メタモデルの三つ目の重要点は、実は、メタモデル質問が、機械的に、自動的にできるようになれば、それだけでクライアントとの、いわば『自然な会話』が成り立つので、普段は会話の内容の構築に費やされている時間と労力をすべて、クライアントの表情、しぐさ等のカリブレーションに回せる、という決定的な利点があります。
この場合、メタモデル質問群を機械的に使えば、確かに、ある意味『口からでまかせ』的な対応になり、クライアントの問題の内容に注意を払わなくなることは事実ですが、しかし、NLP 以前のコンテンツ志向の、感情移入的なアプローチが、クライアントに井戸端会議的な一時的解決法を与えるにしろ、ほとんど抜本的な解決法を与えることができないでいることが判明している以上、『ファシリテータがクライアントの話を具体的に聞かなければ聞かないほどクライアントに変化がもたらされ、クライアントに具体的な助言をしなければしないほどクライアント自身が解決法を見つけることができる』方法論である NLP を選択すべきかどうか、という問いへの答えは自明のように思えます。
以上のような三つの重要な意味合いがわかった上で、極めて有効的なメタモデルを学び始めるべきであり、それらの意味を知らずに闇雲に学び始めるのは、私には『自殺行為』そのものですね。」
以上のことを私が言った後、今まで複数の他の団体で NLP を学んで来られている、あるコース参加者の方は「こんな説明は、他のどこでも聞いたことは一度もないです。北岡先生は、武術の技の説明のように NLP の技をありとあらゆる形で説明できるのですね」という意味合いの感想を述べられました。
私にとっては、上記のような NLP の特定のテクニックについての左脳的説明は、四天王、特にグリンダー氏の NLP の教え方をモデリングした結果、達成できてきているものです。
国内においては、NLP は、単に体感的に、右脳的に学ぶべきである、という、私にとっては「似非の NLP」が横行していますが、この右脳的なアプローチでは、最近の苫米地英人が言う「スコトーマ (盲点)」を克服することは、 原理的に不可能で、私の言う水平的学習を垂直的学習に変えて、深めていくことはまったく不可能になっています。
これは、スコトーマの説明の際に苫米地が示唆するように、「人間は、あらかじめ概念化したもの (= 私の表現では『自分自身の参照機構としてあらかじめ知っているもの』) 以外はそもそもいっさい認知できない」からです。
意識的に認知、概念化できない場合は、苫米地が言うように、概念化されていないことが実際に現実に起こっていたとしても、そのことに気づかないままで終わってしまうことが指摘されます。さらに、それ以外にも、残念ながら、この場合は、全プロセスが無意識下で行われてしまい、人間は、無意識で行われていることに影響を与えることはできない (= つまり、無意識的にそのことをやり続けることしか選択肢はない) ことを指摘することは、極めて大事です。
すなわち、人間は、自分が無意識的に行っていることを「一度」でいいので意識化したとき、初めて、1) そのことを今までのようにそのままやり続ける、2) そのことを金輪際止める、3) そのことを後で行う、の三つの選択肢が生まれ、その組み合わせによって、非常に微細な行動上の「パターン中断」を達成し続けることが可能になります。このような微細な行動上の変革、成長は、その行動が無意識にとどまっているかぎり、いっさい不可能です。
ところで、私自身の師匠の弟子の多くは、私のワークを「左脳的な、頭でっかち」な「マインド ワーク」であると、完全曲解しているようですが、実は、私の左脳的分析ワークは、上記の意味合いにおける、右脳的な行動様式の洗練化、微細化のためだけにあるので、実は、私のワークは、「マインド vs ノーマインド」の二律背反を超えたワークです。この点は、今後、さまざまな形で、実際的に証明していきたいと思っています。
結論としてですが、最近の私のメルマガ (今号も含めて、と私は願っていますが) には (その内容を理解できるだけの参照機構をもった方にとっては) 「かなりやばい内容」が書かれている、という指摘を一部のコース参加者から個人的に受け、また「本来であれば、このような内容は無料で公にすべきではない」という助言も受けました。
これに対して、私は、「私は、使いようによっては、核エネルギー以上に危険になりうるテクノロジーである NLP を公にしてしまった NLP 共同創始者をモデリングして、(またインターネットの精神に習って) 私の『やばいノウハウ』を無料で公にさせていただいています。確かに、内容は非常にやばいですが、それを真の意味で理解するためには、それ相応の参照機構が必要で、それをもっている人々の数は極めて少ないので、『猫に小判』的に、私の真の知識が漏れる可能性もそれに比例して少なくなります。さらに、『本当に、本当にやばい』内容は、まだまだメルマガには書いていなくて、これは、私と面と向かった形で、口頭伝授的にしか伝えることしかできないので、『座学学習者』が私の真のノウハウを盗むことは、原理的に不可能で、仮に私からノウハウを盗めていると思い込んでいるとしたら、それはその方の単なるまったく根拠のない幻想ですね」と答えさせていただきました。