以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 124 号 (2009.12.8 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡泰典の会社、雑誌で紹介される!」、「北岡新 NLP FAQ、その十五」のトピックがカバーされています。


1) 北岡泰典の会社、雑誌で紹介される!

北岡泰典の会社 (株) オフィス北岡が2010年1月号の「カンパニータンク」(国際情報マネジメント社刊) という雑誌で紹介されることになりました。

この紹介記事の中では、私自身も若い頃あこがれたモデル (脚に 1 億円の保険をかけられたことで有名のようですが) で、女優の秋川リサさんにインタビューを受けました。

同記事の PDF バージョン入手しましたので、以下のページにアップロードさせていただきました。

https://www.office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/kitaokataiten/promotion/companytank_2010jan.pdf

参考にしていただけたら幸甚です。


2) 北岡新 NLP FAQ、その十五

Q39 (124): NLP は「コンテント フリー (内容とは無関係) の方法論」であると言われ、コンテント (内容) を作り出しているコンテキスト (文脈) もしくはプロセスを扱うことで、コンテントを変えるので、「ブリーフ セラピー (短時間療法)」のような劇的な効果を発揮する、と言われていますが、この点についてさらに説明してください。

A39 (124): まず、NLP の上級者でも、まだ、コンテントはコンテントのままとどまり、コンテキストはコンテキストのままとどまると、曲解している人がいるのは非常に興味深いです (もちろん、NLP を「コンテント押し付けセラピー」として使っている「NLP ピアもどき」の人々ではなく、コンテントとコンテキストを明確に分ける訓練を経てきている、まともな NLP ピアのことを、ここでは差していますが)。

このことについては、すでに、本メルマガの第 95 号で、私は以下のように書かせていただいています。

「[2008 年に開催された暫定] トレーナーズ トレーニング コースでも発言しましたが、NLP ピアの中には、内容はいつまでたっても内容であり続け、プロセス (または文脈) はいつまでたってもプロセス (または文脈) であり続けるというふうに、完全な誤解をしている人も多いようです。

真実は、ある内容は、高次のプロセスにとっては内容であっても、その内容より低次の内容にとってはプロセスになります。同様に高次のプロセスも、さらに高次のプロセスにとっては内容となります。この、プロセスと内容が「串刺し』のように綿々とつながっていくメカニズムは、アーサー ケスラー著の『ホロン革命』で詳しく解説されています。」

要するに、「内容対文脈」の問題は、まったく相対的なもので、視点を変えれば、内容が文脈になり、またその逆も真であるということです。

このことと、「ボックスの外に出る」ことは密接につながっています。すなわち、内容を作り出している「絶対的」な文脈 (ボックス) と思っていたものも、実は、もっと大きな文脈 (ボックス) から見れば、コンテント フリー化の対象にできる「相対的」な内容にすぎない (!) と認識できること自体が、ボックスから出ることに他ならないからです (!)。

さらに、私が最近、私の「独創的」なモデルである「アメリカン クラッカー モデル」について頻繁に語っている「無意識的有能性に達する右脳的学習過程は、コンピュータでファイルを『最終化』して、(私たちの無意識に相当する) ハードディスクに保存することに対応しています。この『チャンク化』されたファイルと他のチャンク化されたファイルを自由自在に結び付けることが左脳的機能です」という点とも密接に関連しています。

つまり、「ファイル化」もしくは「チャンク化」するという行為は、ある対象との自己同一化を解除して、その対象をその外から見ることと等価ですが、この過程は、「ボックスの中で内容に絡み取られている状態」から「コンテントフリーの対象化もしくは客体化ができている状態」への移行の過程そのものだからです (!)。

このトピックについて、さらに二点を追記することができます。

まず、最近、私の過去のあるコース参加者の方が以下の質問をされました。

「例えば、ニューロ・ロジカル・レベルなどは、5つの鞘やチャクラなどの魂レベルで考えると、私は『プロセス・モデル』だと思いますが、北岡先生はどうお考えでしょうか?(認識論の問題と言えばそれまでですが・・・)」

これに対して、私は以下のように返答させていただきました。

「この件ですが、私は、グリンダー氏の、心身論理レベル (ニューロ・ロジカル・レベル)は『コンテント押し付けモデル』という定義に同意はできますが、同氏に、

『これは、確かに、コンテント押し付けモデルでしょうが、このコンテント モデルが、たまたま、人間の脳の機能をうまく表出する的確なモデルであることが判明したら、どうなりますか?』

と質問したら、『それはそれでいい』とおっしゃっていました。

ゆえに、同氏の気に食わないのは、モデルを作るときに、現実の現象を帰納法的、試行錯誤的にモデリングして、その後に公式を抽出することが生命線で、その過程を経ない、左脳的な始めに公式ありきの態度が許せないだけだと思われます。」

ちなみに、私には、確かに、ディルツは心身論理レベル モデルを開発している際に「帰納法的、試行錯誤的にモデリングして、その後に公式を抽出する」ことはしていないと思えますが、ディルツが強く依存していると私には思える古代インドの「五つの鞘」のモデルを開発している際は、古代インドの賢人たち (主に、ウパニシャッドと呼ばれている純粋哲学書を著した哲学者たちですが) は、究極的な徹底的自己内省の研究 (瞑想のことです) を続ける中で、自分自身の内的世界を「帰納法的、試行錯誤的にモデリングして、その後に公式を抽出する」ことで、このモデルに至った、と私には思えてなりません。

二つ目の点は、ジョン グリンダー氏の名言「NLP は状態と文脈の出会いである」についてです。

この点につきましては、本メルマガの第 107 号で、次のように紹介させていただいています。

「[本年の] 5 月のゴールデン ウィーク中に NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏が来日されていましたが、来日中の同氏から突然「(2 年前の離日時にあなたに預けた) 金魚はどうなりましたか?」という 1 行だけの非常にシュールな電子メールをいただき、『その件については、私は金魚を他の人に預けたので、情報をもっていません』と返信したところ、来日している旨を伝えられ、旧交を温めるために、同氏から宿泊ホテルで会うように招待されました。

そういうことで、グリンダー氏と同氏のスイートルームでお会いしました。

[北岡注: 歴史的事実を指摘しておくために、ここで明記しておきますが、私は、たぶんグリンダー氏から正式にトレーニングを受けた初めての日本人として 1988 年に同氏と英国、米国でお会いして以来、同氏とは友人関係を続けてきています。

(ちなみに、このことはグリンダー氏とカルメン ボスティック女史から直接お聞きした話ですが、1990 年代初めに、何人かの日本人の方々がカリフォルニアのグリンダー氏を「表敬訪問」して、一緒に日本で NLPの ビジネスをしませんか、とオファーしたということですが、グリンダー氏は、「私のような『気違い』の世界を理解できる日本人はたった一人なので (その数年前に同氏と会っていた北岡のことです)、お断りさせていただきます」とおっしゃってくださっていた、ということです。このことは、本当にありがたいことだと思いました。

ちなみに、この日本人の方々とは、現在、国内でコーチング ビジネスで大成功されている方々のことだと聞いています。歴史とは、皮肉なものだとも思われます。)

1988 年当時から、私は、同氏を日本に招聘したいと思い続けてきていましたが、2002 年に帰国して初めて提携した会社の協力を得て、2005 年に同氏を初めて NLP 共同創始者として日本招聘することに成功しました。その後の 2007 年までの同氏の日本招聘のコーディネート役を私は果たしました。

2007 年に私はこの会社を離れ、同社はグリンダー氏と「ビジネス契約」を継続してきています。

あるとき、来日されるグリンダー氏のワークショップに参加されるというカウンセリングの学校の生徒さんと会ったとき、この方は、私とグリンダー氏の関係についての知識をもっておらず、グリンダー氏を初めて日本に招聘したのは私です、と言ったら、驚愕されていましたので、このような「市場の誤解」を払拭したいと思った次第です。]

[同氏は] 相変わらずとてもお元気そうでしたが、この会話の中で一点、非常に私の心に残った同氏の言質があります。それは、

『NLP は状態と文脈の出会いである。 (NLP is a clash between a state and a context.)』

というものです。

これは、非常に深遠な言質で、グリンダー氏からこの言質をお聞きしてからずっと、その意味合いについて考えてきていますが、以下のことが結論づけられるかと思います。

1) この言質は明らかに『文脈 vs 内容』の観点を念頭に置いていますが、もしかしたら、『現実的実体』として対処すべきなのは『状態』と『文脈』だけで、ある状態をもった人がある特定の文脈に入ることで、瞬間から瞬間にかけて『仮想現実』としての『内容』が現れるように見えているだけにすぎない。

2) 人間が経験する『問題』は、相対的な『仮想現実としての内容』にすぎないので、 NLP 的命題である『リフレーミングできない問題は存在しない』の妥当性が裏打ちされる。

極めて重要な金言だと思います。 」

Q40 (124): NLP は、「閉じたループ」としての学問なのでしょうか、それとも、今後発展していく可能性のある「オープンな体系」なのでしょうか?

A40 (124): この質問は、興味深いです。私は本メルマガの第 116 号で以下のように書かせていただきました。

「ところで、この『NLP 前派』 (1975 年~ 1981 年) と『NLP 後派』 (二人の共同創始者が袂を分かった 1981 年以降、現在まで) を分ける一里塚は、1981 年に発行された、唯一四天王全員の共著書である『NLP 第一巻』です。[北岡注: 『NLP 第一巻』の出版年を記憶違いしていました。正しくは、1980 年でした。いずれにしても、共同創始者が袂を分かった年は 1981 年だったと、私は理解しています。]

思うに、真の意味で NLP とは何か、そしてその革命性は何か、を知りたいと思うのであれば、1975 年の『魔法の構造』から『NLP 第一巻』までの共同創始者のすべての本を (できるかぎり、原書で) 徹底的に研究すべきです。

この時期の NLP に『すべて』があり、それ以降の NLP は、単なる、『NLP 第一巻』以前の NLP のエッセンスを焼き直したり、応用、適用した『希釈バージョン NLP』に過ぎないというのが、私の個人的見解です。

この観点から言えば、NLP に関して、ルーツよりも派生系の NLP の方が、(新しいので) 優れている、といった見方は単なるナンセンスということになりますし、さらに、『第三世代、第四世代、第五世代 NLP』なるものを定義している NLP ピアもいるようですが、これは、単なる『NLP 後派』の NLP ピアの世代の形式的定義としては便宜上有効でありえても、何も新しいものは作り出されていない、という意味では、単なる『マーケティング ギミック (小細工)』に過ぎないように、私には思えます。」

ここで、派生系のものよりもルーツが優れていて、そのルーツが何千年もの間、いっさい古くなることなく生き延びてきている例の一つとして、2,500 年前に書かれたパタンジャリの『ヨガ ストラ』を挙げることができます。

過去 25 世紀に渡って、「瞑想」の名の付くものすべての方法論は、座って行う瞑想は現代人に合わないという理由から、たとえばバグワン シュリ ラジニーシが開発した、ダイナミックに体を動かす瞑想を含めて、例外なく、この『ヨガ ストラ』に著された方法論を超えてきていないことを知ることは、驚き以外の何ものでもありません。

古いものほど劣っていて、新しいものほど優れているというのは、非常に危険な幻想以外の何ものでもないですね。

また、最近、ある方から以下のコメントをいただいたので、

「NLPが学問として確立していない以上、派生、かつ変化していくことは、避けられないとも思っています。すべての物事は、時間の経過と共に原形から遠ざかっていくとするならば、NLPは実に素直に、その真を実行しているような気もします。(学問でないが故に、そのスピードは加速度的ですが。)」

私は、以下のようにお答えさせていただきました。

「私は、逆に、NLP は学問として確立してきている (= すでに完成された「閉じたループ」である) と思っています。

ただ、学会や、大学レベルでの明示的に学問として発展してきてないだけで、1975 年から 1981 年までの創始者二人の共著本を原書で徹底的研究すれば、それがわかるはずと考えています。

それができていないのは、研究者側の怠慢を表していたとしても、NLP の学問性を否定するものではないと考えています。」

いずれにしても、私は、以下に挙げる、NLP 創始時の 1975 年から 1981 年までに刊行された NLP 共同創始者の共著を原書で熟読すれば、NLP はすでに確立した「クローズした体系」であることが判明すると確信しています。

– Bandler, Richard & Grinder, John. The Structure of Magic I. Palo Alto: Science and Behavior Books, 1975.
– Bandler, Richard & Grinder, John. Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson M. D. I. Cupertino: Meta Publications, 1975.
– Grinder, John & Bandler, Richard. The Structure of Magic II. Palo Alto: Science and Behavior Books, 1976.
– Grinder, John; DeLozier, Judith & Bandler, Richard. Patterns of the Hypnotic Techniques of Milton H. Erickson M. D. II. Cupertino: Meta Publications, 1977.
– Bandler, Richard & Grinder, John. Frogs into Princes. Moab: Real People Press, 1979.
– Dilts, Robert; Grinder, John; Bandler, Richard & DeLozier, Judith. Neuro-Linguistic Programming I. Cupertino: Meta Publications, 1980.
– Grinder, John & Bandler, Richard. Trance-formations. Moab: Real People Press, 1981.
– Bandler, Richard & Grinder, John. Reframing. Moab: Real People Press, 1982.

(ただし、このうち、「 Frogs into Princes」、「Trance-formations」、「Reframing」の三冊は、著書ではなく、共同創始者の共同ワークショップの録音転記本です。また、「Reframing」のワークショップは 1981 年頃開催されたと推測されます。

また、ここで原著名を引用させていただいている最大の理由は、『ミルトン H エリクソンの催眠技法のパターン』と『NLP 第一巻』以外の上記本は日本語に翻訳されていますが、北岡の見るところ、個人的な意見としては、ほぼ大半は、抄訳であったり、その他の理由から原著を正確に反映していない点にあります。)

これらの本の中に「すべてがある」と私は考えています。

なお、この FAQ の質問者に質問の引用掲載の許可を求めたところ、承諾の返信メールに「一つお伝えしたいのは、あの時私が書いた学問という意味は、学会大学レベルの話でした。広義の意味で言えば、先生がおっしゃるとおりNLPは学問だと思っています」と書かれていたので、私は、以下のように返答させていただきました。

「貴方のこのご指摘に関してですが、NLP が学界的な学問になる可能性は初めから終わりまでゼロでしたね。この点は、言わずもがな、と理解していました。

あるとき、グリンダーさんに、NLP が UCSC (州立カリフォルニア大学サンタ クルーズ) 大学をベースにアカデミックに発展する可能性はなかったのですか、とお聞したら、そのお答えは、『その可能性は初めから論外だった。もしアカデミックに大学内で活動していたら、そもそも NLP といったものなどが生まれる余地などいっさいなかった』というものでした。

これほど非慣習的で、因習打破的で、革命的で、逆説的で、シュールで、アバンギャルドで、ポッシュ (「洒落た」を意味する posh) で、『やばい』実践的な『人間改革』の方法論が、(たとえば、日本で言えば、最も保守的な職場環境は、相撲部屋と大学院と言われているようですが、その) 保守的な大学の中で生まれ、発展する可能性は、初めからなかった、ということです。」

作成 2024/1/29