以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 121 号 (2009.11.16 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「大阪マインドワーク I についての報告と第3期プラクティショナー コースの会場」、「北岡新 NLP FAQ、その十二」のトピックがカバーされています。
1) 「大阪マインドワーク I」についての報告と第3期プラクティショナー コースの会場について
先週末に開催された「大阪マインドワーク I」のワークショップでは、二十余名の前で「変性意識系」の話が満載で、「北岡ワールド」を参加者の皆さんに如実に示すことができたと思いました。
参加者のお一人には、その後 mixi で以下のような私の紹介を書いていただいています。
「本物のNLPのすごすぎる境地をお教えいただいております
もうせつないくらい強烈な・・・
もはや霊長類を超えるいきおいを感じます
勝手に弟子入り宣言
いやいやモデリング宣言してしまいます」
今週末開始に開始されるNLP インテグラル アソシエーション主催の第3期プラクティショナー「資格」コースは、最近のメルマガでも説明したように、本当はプラクティショナー「認定」コースとでも言うべきもので、本来は、資格とは関係なく NLP を全体的に知り、体験を深めるための最良の機会であるべきものです。
さらに、私がどのイブニング、デイ ワークショップを行ったとしても、原則的には、私の「資格コース」の内容を希釈して、「小パッケージ化」したものなので、私のワークにご興味のある方は、今からでも、私のワークの中枢であるプラクティショナーの「資格コース」への参加を検討していただきたいと思っています。
特に、他団体の資格保持者の方々の「技能のブラッシュアップ」としての編入参加 をお待ちしています。過去の私自身のコースの修了生の方々の再受講も歓迎いたします。(編入者の特別編入割引参加費と私のコースの修了生の再受講費に関しましては、nlp@jnlpa.jp のメールアドレスまでメールでお問い合わせください。)
私は、本コースの内容をさらに充実したものにすべく切磋琢磨するつもりでいますが、その意味合いもこめ、よりよい学習環境が望めるような会場設定 (国際ファッションセンター&仏教伝道センター) にもしました。
今週末に始まる本プラクティショナー コースの詳細は、下記の「4」の「A」の項目にあります。
2) 北岡新 NLP FAQ、その十ニ
Q33 (121): 特に国内では、NLP トレーナーの質が悪く、ざっと広く見ても、 業界の内外からの NLP に対する評価は「自己啓発系の一テクニック」といった感じのもので終わっていると思います。特に、最近の先生のメルマガにも記されているように、「個人的天才になるためのノウハウ」として NLP を教えている、あるいは、教えることができるトレーナーは皆無のように見えます。
その中で、なぜ、先生は、他の「賢い」コーチ、カウンセラー、コンサルタントのように、NLP をばんばん使っていても、あえてその名前を使わずに活動するといった道を選ばずに、NLP の名前にこれほどまでに固執しているのでしょうか?
A33 (120): そうですね、その理由は、主に二つありますね。
一つ目は、私は、心底から、NLP は、真の意味で歴史的に革命的な意味をもった心理学であると信じている点にあります。このことについては、私は、CD-ROM 本の『サイバーブック: 悟りのための統合的認識論』の「認識論」のページで以下のように書かせていただいています。
「20 世紀の科学的技術は多くの量子的飛躍を遂げてきましたが、人間心理学もまた、とうとう継続的に量子的飛躍を経る段階にまで来ざるを得なかったと言うことができます。このためにこそ、現代人がその内側と外側の生活を調和させる可能性が生まれています。人間はやっと唯物主義と精神主義の間のギャップを埋める可能性に達したとも言うことができます。この文脈で、(グレゴリー) ベイツンは (死後出版の著、「天使恐れる」で) 2,500 年前にアリストテレスによって提言され、デカルトが複雑化した諸問題 (たとえば、心体二元論) は、 彼自身と (バートランド) ラッセルの認識論によってすでに解決されたとまで言っています。」
つまり、ベイツンの「申し子」である NLP は、2,500 年間世界中の哲学者がどれだけ喧々諤々してもいっさい解けなかった問題を解いてしまったラッセルとベイツンの (左脳的な) 認識論を、実際に人間行動に変化をもたらせる方法論として (右脳的に) 落とし込んだもので、これを革命性と言わなければ、何をそう言えばいいかわからないと思います。
このレベルの NLP ワークに接すると、実は「やばいものを見た」といった経験までもつことがあります。(私自身、21 年前のグリンダー氏のワークにはまさしくそういう印象をもちましたし、私も、それに身習って、自分のワークの参加者にそう思っていただける機会ももたさせてきています。)
ただ、このような革命性を真の意味で理解するためには、ベイツン、ラッセル (特に、ラッセルがアルフレッド・N・ホワイトヘッドとともに著した『数学原理 (Principia Mathematica)』 (1910 年~1913 年) )、さらに、その思想的基盤に私には思える、17世紀の英国経験論者のロック、バークリー、ヒューム等を、徹底的に研究する必要があります。
ですので、とても、現代の、活字離れの漫画一辺倒の若者が圧倒的に多い日本で、現状のままではとうていこの NLP 等の革命性が理解されるとは思えません。
ただ、フロイトとユングが大衆の口にのぼるまでに何十年もかかってきているので、私には、心理学の歴史上、フロイトとユングを超えていると私には思えるグリンダーとバンドラーの名前も、後数十年したら、同じように大衆の日常的な会話のトピックになっているだろうと期待しています。(そのときでも、もちろん、現在の大衆がおそらく Wikipedia 程度の情報しかフロイトやユングに対してもっていないのと同様に、グリンダーとバンドラーの革命性についても、何が革命的なのかは理解されないまま終わるのは必須でしょうが。)
とにかく、このレベルでの NLP のすごさ、おもしろさを国内で伝え切れている NLP トレーナーは皆無でしょうし、NLP 業界外の大学教授のレベルの方々でも NLP の革命性が理解できている人もそう多くないと思います。
ですので、国内では、「NLP = ちょっと毛の生えた営業テクニック」という図式が成り立っているのも、当然すぎるくらい当然です。
二つ目の理由は、NLP によって、私は、「真の人間革命」を達成することができてきているので、このような「信じられない方法論」を生み出した二人の共同創始者に対して、私は「絶対的恩義」を感じていて、そのために、二人への感謝の念を示すために NLP という枠の中で活動することを選択してきています。
ちなみに、私は、NLP の内側ではいっさいクリエイティビティを出すつもりはないですが、どのような認識論的な背景から NLP が生まれたのか、といった NLP の外側からの、歴史的なスタンスの分析に関しては、私には非常にユニークな特異性があると考えています。
ところで、上記のこととも関連しているかもしれませんが、先号のメルマガの FAQ 32 の「先生はこれまで誰をモデリングしてきましたか?」の質問の中で、グレゴリー ベイツンと 8 世紀のインド人哲学者のシャンカラチャリヤの名前を挙げることを忘れていました。
特に、シャンカラチャリヤは、自分の中にある真我 (アートマン) と外側の世界を作り出している神 (ブラーマン) はまったく同一である (梵我一如) と説いた「アドバイタ (非二元論的) ヴェーダンタ」哲学の創始者でした。
私にとって「究極の認識論者」であるこの歴史的におそらく最も重要な哲学者については、英国に滞在していたときに、原著のサンスクリット語から英訳されている彼の二十何冊かの著作はほぼすべて読破しました。
また、同じ FAQ で、私は、「2002 年に帰国した後、特にモデリングしていると言える人は、コメディアンのタモリですかね。特に、彼の、コメントが会話の内容ではなく、服装やしぐさに自由自在に飛ぶ『コンテントフリー』のスタイルは、NLP 的にも非常に参考になってきています」と書きましたが、タモリのこのスタイルは、「パターン中断」として、非常に興味深いと思います。
さらに、この FAQ の回答を書いた後、最近、私の資格コース、イブニングおよびデイ ワークショップ等ほぼすべてに参加することに興味のある方がいらっしゃることに気づきました。
通常は、お金と時間の投資の問題があるので、たとえば、私の複数のワークのコンテンツがお互いに被っている場合、普通は、どれか一つのみに参加することを決められると思いますし、私自身も、「どのワークを受けるべきですか?」という質問を参加希望者から受けると、 いずれかを選んでください、といった助言をしています。
しかし、このことについて熟考してみると、私は、同じコンテンツを異なった場所で繰り返して教える傾向があったとしても、その教え方は、私の該当の場所の参加者のカリブレーションに基づいているので、常に微妙に異なってきているはずです。
思うに、過去の私自身の四天王のモデリングのし方も同じだったと思いますが、「一番効率のよいモデリングのし方」は、あるモデリング対象のできるだけ多くのワークに参加して、該当の人がどのような参加者に対してどのように対応しながら微妙にそのプレゼンのし方を変えているか、その微細な差異自体をモデリングすることではないか、と思えます。
Q34 (121): 先生は、英国で、7 年間毎日 10 個の NLP 個人編集テクニックを自己適用して、自分のトラウマを完全完治させたということですが、このことについてもっと説明してください。
A34 (121): このことについては、まず、私は、Q12 で以下のように回答しています。
「NLP では、『顕在意識』は使わず、『意識』に含めます。また、『潜在意識』は『無意識』に含めます。
このため、NLP では、『意識』と『無意識』の用語しか使わないシンプルな形になっています。
また、ある本では、『潜在意識』という用語を使うのはフロイト派で、『無意識』という用語を使うのはユング派である、とありました。この意味では、NLP はユング派ということになります。」
さらに、私は、しばしば、しばしば、「この部屋全体があなたの無意識で、あなたの意識は、その暗い部屋を照らしている懐中電灯のようなものであり、意識の割合は、おそらく無意識の何万分の一以下ではないでしょうか。また、今懐中電灯で照らされている個所は、その直前または直後は、再度暗闇になってしまいます。ここで興味深いことは、暗闇にもともとないものは、いくら懐中電灯を使っても決して照らすことはできない (= 一度無意識で考えたことのないことは、決して意識化できない) 点です。さらに、この部屋は、ドアを通り、廊下を通じて、他の部屋ともつながっています (= 『集合的無意識』を通じて個々人の無意識は相互につながりあっている)」という比喩を使うことがあります。
以上のことを前提にしていうと、我々自身の無意識について語る場合は、「ブラックボックス アプローチ」を取った方が賢明であるということになります。
「ブラックボックス アプローチ」とは、戦時中、敵陣に落ちていた電気機器を解体して中身を調べたかったとき、そのまま分解すると罠として自己爆破してしまう危険性があったので、分解せずに、単に入力の電圧と電流を変えることで、どのように出力の電圧と電流が変わるかという比較分析をすることで、中がどういうものであるかを推測する方法でした。
つまり、電気機器の中身は「ブラックボックス (= チャンク) 化」され、詳細はまったく問わないような分析方法でした。
私は、「ブラックボックス アプローチ」を自分の脳機能にも適用し、「入力 –> ブラックボックス –> 出力」の図式として簡略化しています。
この「入力」は知覚経路から自分の中に入ってくる知覚入力で、「ブラックボックス」は自分の中で起こっている自分が意識化していること以外のものすべてのことで、「出力」は、入力がその無意識によって処理された後に自分の意識にのぼる思考および行動のことです。
この際、意識化できるのは、ブラックボックスとしての自分の脳 (無意識と言っていいです) に入る入力情報と、脳が処理した後に出力する行動 (外的行動と 4T と定義できる内的行動) のみで、脳内で何が起こっているかはいっさい問題にしません。
このメカニズムは、コンピュータにおいて、意識化できるのはあるキーボードを押すこと (入力) と、コンピュータのハードディスク (これが無意識と完全対応しているように私には思えます) のプログラミングが処理した後に映し出すモニタ (仮想現実) 上のデータ・画像・映像等のみで、コンピュータの内部で起こっていることを意識することはほぼ不可能で、また、無意味でもあることと見事に対応しています。
以上のことを前提にして、私は、英国で、7 年間毎日 10 個の NLP 個人編集テクニックを自己適用していたとき、それ以前は、どのようないい入力があったとしても、出力は、自分の満足のいかない最低のものしか出すことができていなかった状態が何十年も続いていたのですが、この NLP テクニックの継続的な自己適用の過程において、どれだけ悪い入力があっても、自分の無意識が「かってにうまく」処理して、ますます自分の満足のいく出力が出せるようになっていきました。
「完全主義者」の私としては、どのような入力があっても、常にほぼ 100% (つまり 99.999……999%) 満足いく出力を出せるように「自分の無意識を再教育する」のに 7年かかった、という次第でした。
このようにして自分は過去のトラウマ的フラッシュバックをゼロにして、完全完治させたのですが、あるとき、ワークショップ中にこのことに言及すると、ある女性が「NLP では 7 年もかかるのですか? 私の方法では 2 年でした」とおっしゃいましたが、私の見るところ、彼女の言う、2 年で達成できたことは、おそらく、NLP のテクニックでは 1 回 (10 分間) で達成できたと思えます。私が 7 年かかって達しえたものは、たぶん彼女の方法では、何万年かけても達成できないものであると確信しています。
この「ブラックボックス的 NLP 自己編集」によって、以下のメカニズムが可能になります。
すなわち、通常は、私たちは、子供時代に起った自分自身の経験をファイルとしてハードディスク (= 無意識) に保存した後、同じ未編集のファイルに何度も再アクセスして、同じ退屈なテキストを読み直して、同じファイルをそのままハード ディスクに保存し戻すプロセスを何度も繰り返して続けています。
NLP による自己編集後は、そのようなファイルにアクセスした後、子供時代に起こったことではなくて、今ここで起こっていることを反映するような形にそのファイルを編集して、その新たに編集したファイルをハード ディスクに保存することができるようになります。もちろん、私たちは、後で、この新たに保存されたファイルにアクセスして、再度編集することができ、このプロセスは、私たちが自分自身に満足するまで、いつまでも継続することが可能です。(ここにもまた、仮にアクセスされたファイルがうまく機能している場合 (すなわち、現実を満足がいく形に反映している場合) は、私たちは必ずしもファイルを編集する必要はなく、未編集ファイルをそのまま (意識的に) 保存し戻すことを選ぶことができる、という美しさがあります。)