以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 119 号 (2009.10.28 刊) からの抜粋引用です。
* * * * * * *
今回は、「北岡新 NLP FAQ、その十」のトピックがカバーされています。
1) 北岡新 NLP FAQ、その十
Q29 (119): 先生には、「理論的に最短」の「催眠」の定義をおもちのようですが、同様に、「瞑想」についての明快な定義をお聞かせください。
A29 (119): 私は、おそらくこれ以上簡単な「催眠」の定義はないだろうと思われるものを、私の講義等で提示してきています。これは以下のとおりです。
「催眠 ≠ 今ここ」
これは、「アップタイム」(今ここで起こっていることを体験するためにだけ全知覚経路を開いている状態を意味する NLP 用語です) にいる以外は、白昼夢を見ていても、本を読んでいても、テレビを見ていても、友人と会話していても、心身のリラクゼーションを感じていても、すべて、「催眠的意識状態」または単純に「催眠」と呼ばれるべきである、ということを意味しています。
この定義によれば、軽い日常的なトランスから夢遊病者的な状態まで、程度の差はあれ、「今ここ」を体験しているとき以外は、すべて、人は「催眠状態」にいるということになります。
ちなみに、この催眠の定義によれば、通常、人は、起きている間のおそらく 90% 以上の時間は、「催眠状態」にいるに違いない、という恐ろしい結論が導き出されます。
同様に、「瞑想とは何か?」についても、私は私なりの簡略化した定義をもっています。
バグワン シュリ ラジニーシ (Osho) の本に『Pscyology of the Esoteric (秘教の心理学)』というものがあり、これは、私が二十数年前に瞑想の修行を始めたときの「バイブル」でしたが、この中で、バグワンは、「今部屋の中から、外を見ていると考えてください。窓の外には、今、人々が忙しく行きかっていて、人と人の間にはまったくギャップが見えません。しかし、その人々の歩く速度が遅くなれば、だんだん人と人の間に何もないギャップが見えてくるようになります。これと同様に、通常は、忙しく行き来している思考と思考の間にギャップはありませんが、瞑想によって自分自身の思考を見つめ始めると、だんだん思考の速度が遅くなり、最終的には思考と思考の間の何もないギャップがますます見えてくるようになります。そのギャップこそがあなたの『本当の自分』です」という意味のことを言っています (逐語引用ではありません)。
また、トランスパーソナル心理学者のケン ウイルバーは、英国時代通った催眠の学校の卒業論文として私が研究した『アートマン プロジェクト』で、「(印哲のヴェーダンタ心理学によれば) 人間の真の自我は、肉体、エネルギー、記憶、知性、至福の『五つの鞘』に囲まれているが、この五つの鞘の一つ一つはビルディングの 1 階から 5 階までの各フロアのようなものだが、真の自我は、それらの基盤となるビルディングの外壁そのものだ」という意味のことを言っています (これも逐語引用ではありません)。
(ちなみに、数千年前の「肉体、エネルギー、記憶、知性、至福」の五つの鞘の印哲のモデルは、NLP No. 3 のロバート ディルツが提唱する「環境、行動、能力、信念、アイデンティティ」の五つの「心身論理レベル」のモデルと完全マッピングされることは、極めて興味深いことです。 (言い換えれば、環境があるから肉体があり、エネルギーがあるから行動があり、記憶があるから能力があり、知性があるから信念があり、本当のアイデンティティは至福です。)
2002 年にカリフォルニア州サンタクルーズの NLP ユニバーシティでトレーナーズ トレーニング コースに私が参加したとき、世界中から来ていた 200 人以上の参加者の前で、私はディルツに「印哲の『五つの鞘』のモデルについて知っていましたか?」と聞いたところ、「知りませんでした」という公けの回答をもらいましたが、ディルツの当時の口述筆記者の女性が、最近亡くなった、超越瞑想の創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨギの元の口述筆記者だったということが判明しているので、この回答には大きな疑問符がつくかと思われます。)
さらに、インドの瞑想の方法を意味するサンスクリット語として「ネティ ネティ (これでもない、あれでもない)」というものがあります。これは、瞑想の内省の過程で、本当の自分は「これでもない、あれでもない」というふうに否定していって、最終的に残るものは、タマネギの皮をむいていった後に何もない芯のようなものですが、これこそ本当の自分である、という考え方です。
以上の諸観点を鑑みると、私には、「瞑想とは、五つの鞘 (もしくは五つの心身論理レベル) の各レベルにおいて、自分がもっている『思考の癖』との自己同一化を解除していくことである」と定義できると思います。ということで、
「瞑想 = 自己同一化の解除」
という図式を使ってもいいかと思います。
もちろん、この自己同一化の解除のプロセスと NLP でいう「メタ (観察者)」の立場にいくことは、まったく等価であるということは、言わずもがなです。
ここに、「NLP と瞑想の親和性」のエッセンスがあると思います。 図式としては、さらに以下が成り立つかもしれません。
「瞑想 = 自己同一化の解除 = (NLP の) メタ ポジションの保持」
私の NLP ワークは、以上の立場に基づいて行われてきていますが、この領域に興味のある方向けに、今週の土曜日 (10 月 31 日) に北岡による「NLP と瞑想」一日ワークが開催されます。
参加費は、初回特別キャンペーン価格の 2万5千円です。
参加に興味のある方は、以下のページに参加してみてください。
http://www.kitaokataiten.com/nlp_meditation/
Q30 (119): 欧米と日本では、「資格コース」の意味合いがずいぶん違うと聞きましたが、本当ですか?
A30 (119): これは、そのとおりだと思います。
数日間、場合によっては数十日のトレーニングだけでまともなトレーナーになれるという思いで、NLP の資格コースを受けられる日本人の方々が多くいるかもしれず、また資格コース開催者も、そのような参加者の思いを「搾取」する傾向にあるのかもしれませんが、そのような (私のとっては) 「自殺的な」思いをもっている、ナイーブすぎる NLP ピアは、欧米には、あまりいないと思います。
私の見るところ、欧米では、まずワークショップや資格コースに参加することで「自己成長」することが先で、また最重要な点で、初めから資格ビジネスを行うことを明示的な目的として資格コースに参加するという図式は、おそらく、華道、茶道の家元制のある日本くらいではないかと思われます。
(思うに、ここで言う「資格コース」の原語は「Certification Course」ですが、これは、厳密には (たとえば、「プラクティショナー」として認定します、といった) 「認定コース」であり、日本語の意味に近い「Diploma Course」または「Qualification Course」ではないことに、この、日本と欧米の理解の違い (および国内の「大いなる誤解」!) が如実に象徴されているのかもしれません。)
さらに、欧米では、NLP はあくまでも「Personal Development」のツールですが、この語は「自己啓発」と訳さざるをえないことに、国内での NLP の受け入れられ方に関する「悲劇」があると思います。
つまり、私が日本にいなかった 80 年代、90年代にある団体が「自己啓発」の名前で「催眠商法」的なビジネスを広範囲にわたって行い、それがもとで、日本では、いまだに「自己啓発」の語がタブー視されていると聞いています。
この「Personal Development」は、英語では、ほぼ「自己成長」 (英語の「Personal Growth」に対応しています) と同義語だと私は考えていますし、欧米では、自己を成長させるために NLP を学ぶ人が大多数で、人を操作したり、即資格コースを開講する資格を取得するために NLP コースを受ける人は、私自身の今までの経験と常識では、ほぼ皆無でした。
ですので、日本の状況で、NLP 資格コースは主に「ある流派に属して家元の分家を開くため」にある、という図式は、私 (資格コースを数年間開講してきている本人ですが!) にはいまだに理解できていません。
過去に、日本では、どのトレーナーからどのような内容の NLP を学ぶか、よりも、コースの価格 (場合によっては時間数) と開講場所の方が、コースを選ぶ基準として最重要になることがあることを知って、驚愕したことがありますが、ひょっとしたら、コース開講の資格を得るためにコースに参加するというメンタリティが、このような、欧米では考えられない事態を引き起こしてきているのだと思います。
結論としては、NLP のトレーナーになるためには、本メルマガの先号でも示唆したように、以下のこと (引用内容) が最小必要条件となることを知った上で、それなりのコミットメントをもつ必要があると考えています。
「最近ある方から、『NLP の場合もそうですが、ピアノのような音楽的な学習を含めて、どの分野においても、最低 1 万時間の学習と練習を費やさなければ、その分野のトップになれないですね』といった意味のことを聞きました。
私はこの方に完全に同意します。1 万時間とは、 1 日 8 時間計算で約 3 年半ですが、これくらいの時間と労力は最低限必要になると思います。
私は、個人的には、上述のコミットメントがあれば、この時間と労力はまったく許容範囲だと思いますし、これだけの時間かけたら凡人が天才にならないはずはないと思います。まさにトーマス エジソンが言ったように『Genius is 1% inspiration and 99% perspiration (天才は 1% のインスピレーションと 99% の汗からできる)』ということになります。」
ということで、もし本メルマガの読者で、私が開講する、「家元制度」のためにあるのではない「中身が濃い」プラクティショナー コースに興味がある方がいれば、以下のサイトにアクセスしてみてください。
http://www.jnlpa.jp/nlp/post-29.html
この第三期プラクティショナー コースは、11 月 21 日に開始されますが、特別処置として、11 月 9 日の北岡ワーク合説明会 (http://www.kitaokataiten.com/kitaoka_work/intro.htm) に参加されるプラクティショナー コース参加希望者の方々は、すでに期限が過ぎた「参加費早期割引 (通常価格 45 万円から 5 万円オフ)」の特典を特別に受けることができるものとします。
また、他団体の資格コース修了者には「編入割引制度があります。詳しくは「お申し込みフォーム」 (http://www.jnlpa.jp/contact2/bussiness.html) を使ってお問い合わせください。
ところで、欧米と日本の NLP の理解のされ方で、最近非常に驚いたことがあったのでご報告しておきます。
私は、自社の (株) オフィス北岡を通じて、たとえば、会社の (新入社員を含む) 社員教育業務サービスを他社に提供しようとしているところですが、ある会社の人事担当者にお会いする機会があったので、この方に「欧米では、NLP が社員教育にごく当たり前のように取り入れられています」と伝えたところ、この方にとっては初耳だったらしく、非常に驚いていらっしゃいました。
このことの証明になると私が思う一つのイベントは、私が参加した、1990 年代初めに英国で開催された「英国全国 HRD 大会」 (HRD とは「Human Resources Development」で「人材育成」の意味です) でした。
この大会には、たぶん 5 千名くらいの人事担当者が英国全土から参加していましたが、私が見たところ、当時で、この大会に参加されている方で NLP の名前を知らない人は一人もいないくらいでしたし、また、NLP 関連の出店ブースも最低数店舗出されていました。
このように、いろいろな点で、欧米と日本では NLP の状況が著しく異なっていますが、資格コースを数年にわたって開講してきている身であっても、いまだにことあるごとに驚かさせることが続いてきているのは、非常に興味深いことです。