以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 116 号 (2009.10.3 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その七」のトピックがカバーされています。
1) 北岡新 NLP FAQ、その七
Q23 (116): NLP は、「催眠の進化バージョン」呼ばれているようですが、このことについて説明してください。
A23 (115): 確かに、NLP の共同創始者のジョン グリンダーとリチャード バンドラーは 1970 年代前半、1975 年に NLP を創始するまで、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で、その「生徒たち」とありとあらゆる催眠現象について実験していたようです。 (この辺の話については、 Terrence L. McClendon 著の『Wild Days NLP 1972-1981』に詳しく出ています。)
当時のカリフォルニアというと、60 年代後半にヒッピーが始めた「カウンター カルチャー」の真っ最中で、若者たちはありとあらゆるドラッグの実験をしていて、その一部は、インド系の精神世界の道に深く入っていったことは周知の事実です。(代表的に一人挙げるとしたら、1960 年代にハーバード大学で、後に「LSD の導師 (グル)」となるティモシー リアリーとともに LSD の実験をして、大学から追放され、その後インドでインド人導師に弟子入りして「ラム ダス」と名前を変えたリチャード アルパート等が念頭に浮かびます。)
この路線の人々は、ドラッグで得られた「悟り」の世界を、外的化学物質に依存せずに、インド的なハタヨガ (国内では、この「身体的ヨガ」だけがヨガとして認識されていますが、これは大いなる誤解で、日常生活の行動を通じたヨガもあれば、愛と献身のヨガもあれば、知識と哲学のヨガもあります)、断食、瞑想、といった身体的、精神的修行を通じて、日常生活で再生 (再アクセス) したいと思ようになったのは、 当然の成り行きでした。どれだけすばらしい、「あちらの世界」をドラッグによって得られるとしても、所詮、LSD でさえ、効果は 8 時間しか持続しないわけですから。
思うに、グリンダーとバンドラーが、このインド的修行の路線を取らずに、いわば非常に西洋的な「ジュナーナ ヨガ」 (上で述べた、「知識と哲学のヨガ」) の路線を取ったのは、極めて興味深いことです。 この路線を彼らに取らせた最大の要因は、彼ら二人の先生だった「認識論の巨人」のグレゴリー ベイツンであったことは間違いないとも思われます。
特に、この二人に「気違いの催眠療法家がアリゾナ州フェニックスにいるので、 その人を研究 (モデリング) するように」と勧めて、ミルトン H. エリクソンの元に送ったのは、ほかならぬベイツンでした。
もちろん、このとき、グリンダーとバンドラーは、『Wild Days』等によれば、すでに 1970 年代初頭には催眠現象についてはあらゆる実験をし終えていたはずですが、「催眠の大家」であるエリクソンをモデリングすることで、催眠誘導のプロセスの非常に洗練された、明示的手順を確立することになりました。
ちなみに、1975 年に『魔術の構造』で創始された NLP は、当時まだ NLP という名前も使われていなくて、方法論的にも、「精神的狂人を正常に戻す」ことが主眼のセラピーの一派と見られていたと言っても、あながち的外れではないと思います。
NLP という名前が使われ始めたのは、グリンダーとバンドラーが互いの独自の道を歩み始めた 1980 年前後で、私は、(単なる偶然とは思えませんが) この頃から、NLP がセラピーの代替学派から、人間の心理一般に適用できる汎用的方法論に変容していった、と理解しています。
そして、この頃から、NLP は、エリクソン的な夢遊病者的な深い催眠状態を必ずしも使わなくても、ごく日常的な軽いトランス状態を利用しても、それと同じくらい、もしくはそれ以上の催眠的効果が達成できる方法論に変わっていった、と私は見ています。
言い換えれば、それまでは、催眠は非日常的な状態と思われていたのが、それ以降は、日常生活そのものが催眠的要素に満ちていて、むしろ、催眠状態そのものであることが発見されていったわけです。
同時に、「麻薬」で達成できる状態は、外的化学物質に依存しなくても、NLP という「脳内麻薬」で、自由自在に再生、再アクセスできるという洞察も広く定着していった、と私は見ています。
ところで、この「NLP 前派」 (1975 年~ 1981 年) と「NLP 後派」 (二人の共同創始者が袂を分かった 1981 年以降、現在まで) を分ける一里塚は、1981 年に発行された、唯一四天王全員の共著書である『NLP 第一巻』です。
思うに、真の意味で NLP とは何か、そしてその革命性は何か、を知りたいと思うのであれば、1975 年の『魔法の構造』から『NLP 第一巻』までの共同創始者のすべての本を (できるかぎり、原書で) 徹底的に研究すべきです。
この時期の NLP に「すべて」があり、それ以降の NLP は、単なる、『NLP 第一巻』以前の NLP のエッセンスを焼き直したり、応用、適用した「希釈バージョン NLP」に過ぎないというのが、私の個人的見解です。
この観点から言えば、NLP に関して、ルーツよりも派生系の NLP の方が、(新しいので) 優れている、といった見方は単なるナンセンスということになりますし、さらに、「第三世代、第四世代、第五世代 NLP」なるものを定義している NLP ピアもいるようですが、これは、単なる「NLP 後派」の NLP ピアの世代の形式的定義としては便宜上有効でありえても、何も新しいものは作り出されていない、という意味では、単なる「マーケティング ギミック (小細工)」に過ぎないように、私には思えます。
以上が、NLP は催眠の進化バージョンであることについての、私自身の説明です。
Q24 (116): NLP と瞑想の関係について説明してください。
A24 (116): 私は、最近、「催眠、NLP、瞑想」の三位一体説を唱えていて、これらは、究極的な意味では、すべて、同じ意識の状態を指している、と考えています。
NLP は催眠の進化バージョンであることは、FAQ 23 で説明しましたが、もう一点、グリンダー氏の、非常に興味深い定義が思い出されます。
同氏によれば、NLP と催眠を比較した場合、意識状態としては、催眠は NLP を含む (すなわち、超越している) が、モデリング方法論としては、NLP は催眠を含んでいる (すなわち、超越している)、ということです。
私は、個人的に、同氏に同意します。主な理由は、催眠は、もともとモデリングのツールであるわけではない、ということにあります。
NLP と瞑想の関係については、私は、最近、以下のような関連性を指摘してきています。
まず、以下を、私のメルマガ第 77 号その他から引用します。
「私が 1983 年にアメリカで弟子入りしたインド人の師匠は、『瞑想は男性的で、左脳的です。一方、催眠は女性的で、右脳的です。これは、瞑想は (男性的に) ただ一人でその精神状態に入っていける一方で、催眠は、(女性的に) 他の催眠家の支援を借りてその精神状態に入っていくからです。しかし、その行き着く先の瞑想状態と催眠状態は、実は、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態です』と述べていましたが、私の過去 25 年の体験と実験から言って、(この言質が正しいという結論が出てきていないかわりに) 間違っているという結論もいまだに導き出されていないので、私は、現時点では、おそらく、私の師匠の主張は正しいと考えています。」
以下の引用は、最近のバンドラー氏の著書からです。
「人々は、『催眠』と『瞑想』の差異について混乱している場合があります。私は、二つともよく似た状態だと思います。ただし、催眠には方向性、始める前に決めた目的がありますが、瞑想はもっと『無定形』です。個人的には、変性意識に入る場合、私は何かをしたいと思いますし、いつその状態に入っているか、いつ出てきているか知りたいと思いますし、その状態で何をしているか知っていたいと思います。瞑想には充分な方向性がありません。[このため、私は催眠の方を好みます。] しかし、要は、個人的な好みです。」
ということで、催眠状態と瞑想状態は、まったく同一ではないとしても、極めて相互関連性の深い状態という結論が導き出されると思います。
ここに、「瞑想 = 催眠 (= NLP)」の公式が成り立つと、北岡は見ています。
その意味で、FAQ 23 で、70年代初めのカリフォルニアでドラックの実験をしていた変性意識の研究家のほとんどは、その後インドの修行系の実践に走ったが、グリンダーとバンドラー (例外として唯一彼らだけは、と言っても、あながち誇張ではないと思います) は催眠に走ったことを示唆しましたが、私自身、バグワンの弟子として、瞑想系の精神世界の方法論から (偶然の成り行きとして) NLP を研究、実践することになったわけですが、もう一度ループを閉じる意味で、「NLP と催眠」についてのワークを継続してもいいと思っています。
こういう背景もあって、上述の「NLP と瞑想」ワークショップを 10 月 31 日に開催することになりました。
私自身、「昔取った杵柄」で、非常に興味深いワークを紹介できると自負しています。
ちなみに、私は、本メルマガの第 97 号等で、「今後、ことさら私が瞑想そのものを人に教えることはない、と今考えています」、「今後私は、『瞑想と NLP の統合ワーク』は行わないと思いますが、『催眠と NLP の統合ワーク』は継続していくつもりでいます」と述べていますが、自分自身のこの「連続的首尾一貫性の欠如」は非常に興味深いと思います。(もちろん、この見解の変遷は、その後の、「日本人には瞑想を始めとした『内省』力が欠けている」といった、日本市場に対してもった私自身の洞察を前提にしていますが。)