以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 115 号 (2009.9.26 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「エリクソン催眠 (ミルトンモデル) 完全習得ワークショップ終了報告」、「北岡新 NLP FAQ、その六」のトピックがカバーされています。


1) エリクソン催眠 (ミルトンモデル) 完全習得ワークショップ終了報告

先週末からのシルバーウィークに開講された 4 日間の「エリクソン催眠 (ミルトンモデル) 完全習得ワークショップ」が無事終了しました。

この無意識・催眠ワークは、私が特に自信をもっているワーク パッケージで、開講のたびに参加者の方々から高い評価を受けていると、個人的に自負しています。

このワークは、しいて言うと、「無意識ワーク」と「エリクソン催眠ワーク」の二つのセクションに分けることができますが、特に後者のワークでは、実際に参加者にミルトン H エリクソンの肉声を聞いてもらって、NLP の「ミルトン モデル」の観点からエリクソン自身の誘導法を完全分析するという、世界的にも他に類を見ないのでは、と私が思っている私の「自信作」です。

実は、現在、グリンダーとバンドラー著の『催眠誘導―エリクソン・メソード決定版』という本が市場に出ていますが、この原題は『TransFormation』です。私の知り合いの方々は、この訳本はけっこう興味深いといった感想をもたれていますが、実は、私の知っているかぎりにおいて、この訳本は原書のせいぜい半分程度しかカバーされておらず、他はみごとに削除されています。表現も、人為的に編集されて原文とはずいぶんかけ離れている印象があります。(ちなみに、国内には、こういう原書とはかけ離れた訳本が数多く横行しています。そうでないと、活字文化から乖離した国内市場では売れないそうです。原文に忠実な訳書は、私自身の翻訳書も含めて、一般的に「難しい」という評価を受けるようです。個人的には、極めて嘆かわしい状況だと思います。)

さらに、重要なこととして、原書の最後に 10 ページ前後の「ミルトン モデル概要」があるのですが、そしてこの概要はミルトン モデル習得には最重要と思われますが、これが訳本では落ちています!

国内の催眠と NLP 市場で、このことは、私は個人的には、致命的に残念なことだと思います。

この訳本は、実は、以前、20 年以上前に大陸書房 (その後倒産しました) から出版されていた『瞑想誘導』と同じ内容で、当時私は、グリンダー氏に、翻訳の内容の不備をすでに伝えており、その後同氏と再会した数年前にも再度アドバイスさせていただいたのですが、そのままの状態になってきています。

ということで、この最重要なミルトン モデル概要を、私は、自分のマスター プラクティショナー コースや催眠ワークで国内の NLP ピアにも教え、実践してきていただいているという次第です。

今回の「エリクソン催眠 (ミルトンモデル) 完全習得ワークショップ」も、非常に大きな、場合によっては劇的な効果を参加者の方々にもたらせることができた、と自負していて、(一度は封印したという経緯がありましたが) 今後も定期的に開講していきたいと思っています。

今後のこの種のワークの開講のし方についてですが、今回の 4 日間のエリクソン催眠ワークを、今後は、以下の二つの二日間ワークショップ シリーズに分けてみたいと思いました。

「マインド ワーク I: 無意識ワーク」 (2 日間)
「マインドワーク II: エリクソン催眠」 (2 日間)

マインド ワーク I では、無意識と交信して、全開に活性化する方法が学ばれ、マインド ワーク II では、覚醒法であるメタ モデルと、その逆転モデルである、催眠法であるミルトン モデルの自由自在な使い分け方の完全習得が目指されます。

現在、このワークショップ シリーズの続編も企画中ですが、「マインドワーク Ⅲ」としては、

「マインドワーク Ⅲ: シャーマニスティック NLP」 (2 日間)

を開講しようと思っています。この第三弾では、私がまだトレーナーズ トレーニング コース等の特殊な場所でしか教えていない「禁断のテクニック」を開示したいと思っています。

さらに、「マインドワーク Ⅲ」の参加者は、以下の方々に限定したいと考えています。

A) 私の過去の無意識ワークまたはエリクソン催眠ワークショップ参加者
B) 私の過去のマスター プラクティショナー コース修了生
C) 他団体で類似のワークを学んだ方の参加希望の場合は、面接合格者

ということで、第一回目の「マインドワーク Ⅲ: シャーマニスティック NLP」 (2 日間) は、11 月 28 日、29 日に開講することを決定しました。

2) 北岡新 NLP FAQ、その六

Q21 (115): NLP で学ぶ演習テクニックの現実への落とし込み方がよくわからないのですが。

A21 (115): この質問は、よく国内の NLP ピアから受けますが、おそらく、欧米では、質問にもあがらないトピックだと思います。

私は、よく、NLP は「a + b = c」のようなもので、「問題 + NLP 演習 = 問題解決」の公式がなりたち、原則的に、ほぼあらゆる問題とあらゆる NLP 演習を組み合わせることが可能だと、言っています。

また、以下のような図式を示すこともあります。

上記の図で、「アンカー」とあるのは、NLP 演習のことである「個人編集テクニック」と置き換えても OK です。

すなわち、自分の好きな一つの個人編集テクニックを多くの問題に適用することも、複数の個人編集テクニックを一つの大きな問題に適用することも可能です。

最後の③の図式では、「汚れた服」 (問題) を何台かの洗濯機 (個人編集テクニック) の中の一台に入れて洗濯しますが、綺麗になった服 (自分の新たな行動パターン) がそれで満足であれば、それで止めておいてもいいですが、さらに綺麗にするためには、同じ洗濯機にもう一度入れても、あるいは別の洗濯機で洗濯してもよく、この「自分をさらによくする個人編集」の過程はエンドレスに続くことが可能です。

このような NLP の演習の「落とし込み方」は、完全に NLP 学習者の一人一人に任されていて、演習手順の学習そのものには個人的な自由はあまり許されていませんが、どの問題をどの演習に入れるかは、100% 自由で、ここにこそ、独創的な NLP の学習法があり、本来では「楽しくて楽しくてかなわない」はずなのに、国内の NLP ピアでその自由が楽しめない人が多くいることに、私は個人的に極めて驚いてきています。

思うに、普通は、NLP 学習者は NLP ワークの中で学ぶパターンは、日常生活とはかけ離れた特殊な実験の場で学ぶ例外的パターンであると「誤解」している点と、おそらく、演習の問題への適用のし方には、決まったただ一つの「正しい答え」が教える側の頭の中にあるものだというような間違った考え方を、日本の教育で叩き込まれてきていて、また、そのような教え方を NLP の教師もするので、自分が自由奔放に新しい適用法を開発してもいいといったことは、たぶん、思いもつかない点が、この状況を作り出してきていると思われます。

この点は、FAQ18 (114) でも指摘したように、日本では、「5 + 2 = □」というふうに、型にはまった一つの手順でしか思考しないような教育がなされていることと関係していると思われますが、極めて危険な、戦後教育の歪であると、私は個人的に考えています。

結論を言うと、NLP 演習の現実の落とし込みは、非常に楽しい、数学の公式問題の練習問題の実践のようなもので、落とし込めないということは、単に練習問題を継続していないことを意味するだけです。


Q22 (115): 先生は 2018 年までにニートをなくす運動を立ち上げたようですが、どのようにしてニートをなくそうとしているのですか?

A22 (115): この点につきましては、「北岡泰典メ-ルマガジン」の第 4 号 『カウンターカルチャーについて』で以下のように書かせていただいています。

「しばらく前に、あるテレビの番組で、元プロ野球選手で元参議院議員の江本孟紀氏 (彼自身団塊の世代です) が、団塊の世代の自己矛盾は、その前の世代が軍国主義から民主主義に一夜で転向したことを見てしまったためだったのではないかといった議論がされているときに、「団塊の世代は確かに『言行不一致』だった。彼らは、今後、退職してから死ぬまでに 10 年から 20 年の余生の人生があるが、その間に何らかの『落とし前』を取ってもらう必要がある」という意味のことを発言していました。

私は、個人的には、江本氏に同意します。このことについては、以下の私自身の文を再引用したいと思います。

「ひょっとしたら、私は、団塊の世代の人々が私に教えた、学生運動、ロック ミュージック、ドラッグ カルチャー、カウンター カルチャー、精神世界等に関連した生き方を、当の世代の人々は、その後企業に就職することで『アンフィニッシュド ビジネス (未解決の問題)』として頭の片隅に残してきたままでいる一方で、『彼らにみごとに踊らされてしまった』私は、まさしく大江風に『遅れてきた青年』として、その後の人生で、すべて、実践、実験、体験してきた、という究極の逆説を示唆しているのかもしれません。(その意味で、私は、今後急増していく団塊の世代の退職者の方々に対して、彼らの求める最も適したライフ コーチング (生き方のオリエンテーション) を提供できるという、絶対的自信をもっています。)」

非常に僭越な言い方になるかもしれませんが、団塊の世代の最善の落とし前の取り方として、まず、カウンターカルチャーの落とし子である現代心理学の NLP を右脳的に学ばれて、その後その NLP が土台としている思想的潮流を、これも体験的に、遡及的にさかのぼっていくという方法が幸運にも存在している、と提案させていただきたいと思います。」

私自身、1970 年代初頭の高校時代に、団塊の世代の人々が私に焚きつけた「学生運動、ロック ミュージック、ドラッグ カルチャー、カウンター カルチャー、精神世界等に関連した生き方」が私の「原体験」となっていて、国内でできなかったこのような生き方を、25 歳で大学を卒業してサハラ砂漠に渡った時代から、言ってみれば、今の歳まで、首尾一貫して求め、かつ実践してきていて、そして、その生き方の最終到達点が NLP であったわけですが、この生き方を極めた後、2002 年に帰国したとき私が発見したことは、私にこのような生き方を煽動した張本人である団塊の世代の方々は、象徴的な事件としての安田講堂占拠事件の後、(長髪を切り) 大企業に就職して、いまや大挙して引退退職の途中で、その「言行不一致」の過程の中で、60万人のニート族という「負の遺産」を残していた、ということでした。

思うに、グレゴリー ベイツンの「ダブル バインド」理論の観点から言っても、団塊の世代の「言行不一致」により、その子供もしくは孫の人々が「自閉症ぎみ」もしくは「引き篭もりぎみ」になって、世界でも類を見ないニート族の社会現象を起こしているのは自明の理のようにも思えます。

もちろん、どの世代の方々にも「言行不一致」が見られることは事実で、団塊の世代の人々だけを悪玉視することには不合理性もあるでしょうが、私個人としては、この方々が私を「代替の生き方」を求めて長期の海外生活をするようにプッシュした、という思いが強いので、この方々の負の遺産であるニート族をなくすことで、彼らの「尻拭き」をさせていただき、さらに「落とし前」を取っていただくことの支援をさせていただきたい、と思っている次第です。

「自閉症ぎみ」もしくは「引き篭もりぎみ」のニート族を支援する最高の方法論として NLP が使えることは、言わずもがな、です。

この点については、二点関連することがあります。

まず、最近、カウンターカルチャーのことも知っているある方から「北岡先生は、稀有なヒッピーの本物の生き残りですね。他に、ここまで徹底して、ヒッピー文化を突き詰めてきた日本人はたぶんいないですね」という意味のことを言っていただきました。

私自身、自分はヒッピー文化の落とし子だと自己規定しています。

ちなみに、この方からは私の最近のワークを高く評価していただいていますが、この方に「21 年前の 1988 年に私はジョン グリンダー氏のワークショップに触れ、心底驚愕しました。そのとき Grinder at his very best (最高のパフォーマンスを発揮しているグリンダー氏) を見ました」と言ったところ、この方には、「確かに 21 年前はそうだったかもしれませんが、2009 年の今年は、私たちは Kitaoka at his very best のパフォーマンスを見せていただいています!」といった言葉をいただきました。本当にうれしいかぎりです。

二点目としては、同じく、「北岡泰典メ-ルマガジン」の第 4 号に書かせていただいたのですが、

「天外司郎氏が茂木健一郎氏との対談 (講談社ブルーバックス『意識は科学で解き明かせるか』、2000 年) の中で (茂木氏の、日本の問題点は、本当の意味のカウンターカルチャー革命を経験していない点にある、アメリカ人は基本的な教養として、カウンターカルチャー体験を持っている、日本にはそれがなくて、意識の変性状態のようなテーマを研究するときの非常に大きな欠落になっている、という内容の発言に対して) 「日本の社会の大きな問題点は、カウンターカルチャーを経験していないことです」と述べています」

この点については、たとえば、最近エコ車、エコ機器、エコ エネルギー資源、エコ バッグ等が日本では非常にはやっていますが、これらはほぼ商業ベース上の (場合によっては、プロモーションの意味合いが強いと思います) トピックであると言っていいと思います。

欧米で、ここまで来るまでには、ヒッピー -> パンク ロッカー -> ニューエイジ トラベラー -> 自然保護主義者といった経路を経る必要がありましたが、日本では、そのような文化的背景・哲学がまったく入らないまま、最終的産物としての目に見える商業的社会現象だけが輸入されているように見えてなりません。

ということで、国内には、ヒッピー文化の象徴であったドラッグ解禁運動も、ウーマンリブ運動も、菜食主義も、最近の国際サミットでよく問題になる反資本主義運動も、ほぼ完全に輸入されてきていません。

特に、私は 1983 年以来 (魚は食べる) 菜食主義者ですが、国内のコンビニで「ベジタブル サンドウィッチ」を買うと、「必ず」肉が入っている現象は、まさに笑止千万です。

このような中途半端な海外文化の輸入のし方が、こと NLP の受け入れ方にも当てはまっているような気がします。

作成 2024/1/20