以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 114 号 (2009.9.18 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「トレーナーズ トレーニング コース第二モジュール報告」、「北岡新 NLP FAQ、その五」のトピックがカバーされています。


1) トレーナーズ トレーニング コース「第二モジュール」報告

先週末に私のトレーナーズ トレーニング コースの「第二モジュール」が終了しました。

本モジュールでも、非常に興味深い「無意識・催眠ワーク」が紹介、実践されました。

たとえば、最近リチャード バンドラー氏が頻繁に使っていると私が聞いている「ネスティッド ループ」や、先号のメルマガでも示唆したような「オカルト的」ワークに近い「サブモダリティの変更を通じて相手の精神状態を自由自在にコントロールする方法」が実践されました。

特に、「ネスティッド ループ」の演習は、私が 20 年以上前に、英国ロンドンの催眠学校に 2 年間通ったときに学んだ催眠技法でしたが、私の意見では、バンドラー氏の最近のワークの元になっている技法であり、同氏からネスティッド・ループという「最新のテクニック」を学んだという感想をもたれている同氏のコース受講生も多くいらっしゃるようですが、これは非常に古くからある定番の古典的催眠テクニックなので、この意見は妥当ではない、ということになります。

さらに、今回このネスティッド ループ テクニックを教えているときに私自身がもった洞察ですが、非常にフォーマルな形の催眠状態で学習した「生」のパターンは、いわば、テンプレートまたはマトリックスを形成する基本型のパターンとなり、そのパターンが日常生活で、「希釈」され、汎用的にさまざまな形の行動に拡散していくように思えます。

このことが意味することは、たとえば、NLP を教える場合、あくまでも NLP は催眠パターンが日常生活において拡散されて顕在化した行動を扱っているので、真の意味で、効果的な NLP を教え、かつ右脳的にも左脳的にも真の NLP を他の人に伝えるためには、深い夢遊病者的な催眠状態を誘導できる能力をもっていることが不可欠になるように思えます。(残念ながら、通常は、国内の NLP トレーナーは、NLP だけの経験はもっていても、深い催眠 (さらに言うと、瞑想も含めた自己内省) の経験はもっていないようなので、ごく浅いレベルの NLP しか教えられなくなっているようです。)

ここにこそ、最近のグリンダー氏の NEW コード NLP の「催眠回帰」の方向性の意味合いがあるのではないでしょうか?

全般的に言うと、通常「下級」コースでは私とコース参加者との質疑応答は、せいぜい 1 時間弱程度で終わりますが、先週末の第二モジュールでは、ゆうに 2 時間から 2 時間半程度に及んでおり、私自身、非常に高レベル的な「左脳的な芸術作品ワーク」を見せられたと自負しています。

これにつきましては、最近、ある人から、ロバート ディルツの NLP ユニバーシティ等では MBA 保持者等が ハーバード ビジネス レビュー級のプリゼンをするので (ちなみにこのことは、私の経験からも、事実です)、日本の NLP 市場の顧客とまったく層と質が違うという指摘を受けました。

私個人は、仮にこういうレベルの顧客が私のワークに来ても充分耐えうる講義をしてきているという自負がありますが、今回のコースの第二モジュールでも、「実は、国内で、(欧米がそうであるように) プラクティショナー コース、マスター プラクティショナー コースのときからこのレベルの質疑応答の場をもちたかった」という思いを強くもちました。

欧米ではごく当たり前の左脳的な質疑応答が国内でできない理由の一つは、コース参加者で「私はそう思いません、なぜなら~です」と言えるだけの人がほとんどいないことにあります。(このことについては、後述の FAQ 18 の回答を参照してください。)

ちなみに、私の NLP は「左脳的にも説明でき、右脳的にも体感させることができる NLP」と自負していますが、このことについては、以下の図式が当てはまると思います。

1) 左脳的に説明でき、右脳的に体感させることができる
2) 右脳的に体感させることができるが、左脳的に説明できない
3) 左脳的に説明できるが、右脳的に体感させることができない
4) 右脳的に体感させることができず、左脳的に説明できない

もちろん、この図式でレベルを上にいけばいくほど高質な NLP ということになりますが、国内に蔓延している NLP は、2) の「右脳的に体感させることができるが、左脳的に説明できない NLP」にとどまっているように思われます。(ちなみに、この傾向はバンドラー氏の傾向であると言っても、過言ではないと思います。)

おそらく、欧米で見られるような非常に高質の「左脳的に説明でき、かつ、右脳的に体感させることができる NLP」についての参照機構が日本人の側にないので、仮にたとえ私が (その両方を統合的に達成していると私が見ている) グリンダー氏に習った NLP を提示しても、たぶんその NLP は 3) の「左脳的に説明できるが、右脳的に体感させることができない」としてしか見られることができない土壌が国内に出来上がっているように思えてなりません。

他にも、今までの私のコースでは思いつかなかったような興味深い「発見」がいくつかありましたので、以下にご報告します。

1) 私は、NLP を有効に活用したり、現実世界に落とし込んだりするためには、当の本人の「参照機構」がなければならない、と言い続けてきていますが、今回コース モジュールで改めて「この参照機構は、あくまでも、左脳的知識すなわち 4Ti ではなくて、実体験的に右脳の体感覚としての経験すなわち 4Te です」と指摘したとき、驚かれたコース参加者がいたことに、私は逆に驚きました。

ここで改めて、想像上 (4Ti) の参照機構は、自分や他人を変えうる真の参照機構にはならないことを指摘する必要があるのかもしれません。真の参照機構は、「五感を通じた、『今ここ』で起こっている生の経験」である 4Te である必要があります。

2) 私のワークは、「線状」ではなく、「立体的」です。マニュアルの内容の順序にしても、最初から終わりまで順序立てて教えることは、私のワークでは単にありえません。

いろいろなページを常にランダムに前後に行き来し、演習の手順ページもマニュアルの本文にあったり、付録資料にあったりして、秩序がまったくありません。毎回毎回のコースの各モジュールにしても、必要に応じて内容の順序を変える場合があり、これによって補講生が前回ミスした内容と同じ内容を受講できない場合もあります。

私は、脳内のシナプスの発火のし方は、局所的ではなく、非局所的に、脳全体に波及していると信じているので、線状に教えることは局所的効果にとどまる一方で、脈絡のない全体的な教えをすることがシナプスの全脳的発火に一番近いモデリングになっているという前提で、このような教え方をしています。

極端なマニュアル作成の例として、何時何分にどの程度参加者を笑わせる、といったように分刻みでコンテンツを規定している場合もあるようですが、これは私には「自殺行為」と思えます。これでは、場に対応していけるプリゼンターではなく、しゃべるロボットを養成することになります。

このことと関連して、私が私のワークで一番エキサイティングなのは、(左脳的説明の際ではなく) 「直感」的に選んだ演習被験者との「一期一会」的な「真剣勝負」のデモ演習です。これは、文字通り、その場で何が起こるか (私も含めた) 誰も予測できないので、これほど楽しいことはありません。

しかしながら、国内の非常に有名な NLP トレーナーの中には、デモ演習をしない、あるいはお弟子さんに任せる人がいると聞いて、私は度肝を抜かれました。(世界的にも、上級 NLP トレーナーのスティーブ ギリガンや、最近来日されたアーノルド ミンデルも、一定の同じデモ演習被験者を事前に選ぶ傾向にあるようですが、これは私のスタイルではないですね。) トレーナー自身が真剣勝負の生の演習を楽しめないようなら、「NLP 演習は苦痛でたまらない」といった、NLP の精神に真っ向から反するような生徒さんを生み出してしまうのも、さもありなんかなとも思います。

私の場合は、ラポールさえ築けていれば、自分の「失敗」も、生徒さんにとって、この上ない学習の場になりえる、という絶対的自信をもってデモ演習を行っていますが、失敗を恐れる、おそらくセルフ イメージのレベルが低い「上級トレーナー」も少なからずいるようです。


2)
北岡新 NLP FAQ、その五

Q17 (114): 先生の NLP を習得する過程における「before とafter」について語っていただけませんか?

A17 (114): これは、非常に興味深い質問ですね。

私の中では、NLP を学んだ前後の「before とafter」の私の間には、文字通り「雲泥以上の差」がありますが、どうも、そのことをいくら口酸っぱく他人に伝えても、(実際に before の私を見たことがないので) 私は生まれたときから今のような「楽観主義者」として生まれてきたというふうにしか写らないようです。

しかしながら、つい最近、そういう方々の (無意識) マインドを劇的に変えるかもしれない「名詞化」的な自己形容語を発見しました。これは、「カミングアウト」の例になるのかもしれませんが、実は、私は「身体障害者手帳」の保持者で、かつ障害者年金の受給権利をもっています!

そういう人間が、真の意味で、自分の外姿的要素に鈍感になり、文字通り人前で「へらへら」しながらプリゼンテーションを続けてきていますが、これは、20 歳前までの私にとっては、まさに不可能な夢物語的な状況でした。

以前大阪の方で私の紹介ワークに参加していただけた「養護施設の教員」の方がおられましたが、この辺のこと (= 不可能性) がよくわかっておられるので、私を見て「信じられない」と思われた、ということでした。

そういう人間をここまで変えた NLP は、個人的には、底なしの効果をもっていると思います。

Q18 (114): 日本の教育と NLP について語っていただけませんか?

A18 (114): 前述しましたが、国内の NLP コース参加者でトレーナーに対して「私はそう思いません、なぜなら~です」と言えるだけの人がほとんど見当たらないのは、欧米とはまったく違う状況になっています。

日本では、「5 + 2 = □」というふうに、型にはまった一つの手順でしか思考しないような教育がなされ、オーストラリアを含む欧米では、「□ + □ = 7」というふうに、個々人自由自在にプロセスを考えさせるような教育がされる、と言われていますが、国内では、個人の独自な考え方がほとんど助長されていないように見えます。(もちろん、このことが 60 万人のニート族を生み出している一因であるようにも思えます。国内の戦後の教育は破綻してきている、と言うのは誇張でしょうか?)

いずれにしても、日本の教育は人々を「ボックスの中」に入れることには非常に長けてきていると思います。ボックスの外に出る方法として NLP が最高の方法論であることは、言わずもがなです。

Q19 (114): 先生は、今後 NLP 業界の外に出て行こうとしているようですが、そのことについて一言ください。

A19 (114): 私は、2002 年以来、国内で全レベルの NLP 資格コースを教えてきていますが、ある助言者から「NLP トレーナーの方々は、業界内の資格ビジネスは強いでしょうが、生のビジネスの現場でどれだけ効果を示されるかについては疑問がありますね」と言われたことがあります。

私自身、NLP 資格ビジネスは、究極的には「井の中の蛙」ビジネスで、その井戸の外では大きな効果を示すことができるトレーナーは数多くないと考えています。この助言者は、私もその一人だと思われて、このような助言をしていただけたと思いますが、そうではないことの理由を二つだけ述べたいと思います。

1) 私自身、2002 年の帰国後、自分の NLP ファシリテータの場所を資格ビジネスに限定したことは一度もないですね。私は、首尾一貫して、自分は学者肌で、自分を市場化するプロモータが必要と考え、複数の会社と提携してきましたが、今振り返ると、そのすべてのプロモータは、私が NLP で何が達成できるかについての参照機構がなく、そのため、彼らの世界地図にある形で私をプロモートすることしかできなかったので、結果的に、私は資格コースしか開講してきていませんでした。

その後、独立して自分の会社を作った以上、私は、資格コースにこだわる理由はなくなっています。

この点については、いつも私が言っていますが、ある人がある場所と時点でフランス語をしゃべっていない場合、1) 他の場所と時点ではフランス語をしゃべれるが、たまたまそのときにしゃべっていない、と 2) もともとフランス語自体がしゃべれないので、そのときにしゃべっていない、の違いがあるのですが、私は、常に自分は前者だと思ってきているので、この助言者に後者であるかのように思われたのは、心外でした。

2) 上述したように、私が自分のワークで一番エキサイトするのは、デモ演習被験者との「一期一会」的な「真剣勝負」であり続けてきています。

ということで、私の中には、おそらく延べ何千例という生きた人間とのケース スタディの経験がすでにあり、NLP 業界外のどのような方を相手にするにしても、類型的に、今までに相手にしたことがないタイプで、行動パターンも今までと異なる方はいないであろう、という自信を深めてきています。

ということで、今後、自由に NLP 業界の外に羽ばたいていきたいと思っています。方向性としては、ビジネス業界も興味深いですが、最近の私のシャーマン的、巫女的無意識ワークを元にして、「精神世界」の業界にも進出していきたいと思っています。

Q20 (114): 先生にとって、NLP を学ぶ (あるいは、教える) にあたって最重要な要素は何だと思われますか?

A20 (114): 私にとって、それは少なくとも、お金ではないですね。もしそうであるとしたら、このような Web その他の見せ方をしていないですね。私の見せ方は、知らない人が見たら「とっつきにくい」と思うでしょうが、実際に講義に参加すると、こんなにおもしろいことはない、と言ってもらえますが、これは、私としてはある意味、意図的ですね。実は、そこまでしても私を求めてやってくる人を探している、と言ってもいいと思いますよ。

バンドラー氏は「NLP は態度である」と言いましたが、私にとって NLP を学ぶ (あるいは、教える) にあたって最重要な要素は、能力でも、柔軟性でも、やる気でもなく、実は、「コミットメント」だけですね。

私の精神的師匠は、「自分にとことん絶望して、今の自分から何が何でも変わりたい人だけがヨガ (悟りの道) に入るべきで、それ以外の (中途半端な) 人はヨガの道に入るべきではない」という意味のことを言っていますが、確かに、あれだけ効果的な療法を達成したミルトン H エリクソンでさえ、クライアントに対しては「ありとあらゆる精神科医とセラピストにかかって、それでも治らず、藁にもすがる気持ちで『あのやぶ医者』にかかろう、と思った人しか受けつけない」という条件を課したと言われていますし (もうこれで 90% 以上のセラピーは終わっているとも言えるかと思います)、最近のバンドラー氏も、パニック障害から自然治癒した人々の共通点に「パニックしている自分自身に対して『Enough is enough (もういい加減に飽きた)』と思った」ことがあった、と指摘しています。

同様に、NLP に関しても、ありとあらゆる方法を試行錯誤してきた後に、その真のよさが評価されるのであり、他の何の方法論も経ずにたまたま NLP に出会った人々には「何だこんなものか」としか写らないかと思います。

私の場合も、大学時代に「自分を助けてくれる方法論に出会ったら、命を懸けてもいい」と思ったコミットメントの末に発見したのが NLP でした。

逆説的に、それくらいのコミットメントがもてる方々が最終的に何を見つけようと、それはその人のかけがえのない財産になるので、それはその人にとっては NLP 以外のものであってもいいと思います。

私は、自分の究極のコミットメントの後手に入れたものが NLP で、かつ、25 年以上懐疑的に否定しようとして否定できずにきている方法論が「たまたま」 NLP だったと報告しているにすぎないですね。

作成 2024/1/19