以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 111 号 (2009.7.31 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、「欧州紀行」のトピックがカバーされています。
1) 欧州紀行
私は、7 月に私の英国の会社の用件で出張の用があり、約 3 週間ヨーロッパに滞在してきました。英国、フランス、オランダに足を運んできましたが、「文化人類学」的見地から紀行文を書いてみたいと思いました。
1. 「自立性」について
いつも英国 (および他の欧州の国々も含まれますが) に行って (象徴的に) 極めて驚くことは、地下鉄 (ちなみに、ロンドンの地下鉄の初乗り料金は 4 ポンド (現在はポンドが安いので 600 円程度ですが、以前は 1,000 円以上していました) です!) に乗ってみると、ほぼ「二種類」の人種にしか出会わない、という事実です。
一種類目の人種は、パンクっぽい (といっても、パンク ロックを演奏する、頭に「とさか」をつけたミュージシャンのタイプというよりも、「ニューエイジ トラベラー」と形容した方がいい)、ラフなジーンズ姿の、比較的若いお兄ちゃん、お姉ちゃんの方々です。
私は、いつも、この方々は、どのように暮らしているのか、と思ってきていますが、おそらくは、失業者も多いのかと思われます。
いずれにしても、この方々は、「フリーランス」か「自営業」 (もしくは日本で言う「プータロー」) の人々で、日本風のサラリーマンでないことは一目瞭然です。
二種類目の人種は、ロンドンのシティー (日本の兜町) に勤めている、ダブルのスーツをぴっしと着こなした「上級ビジネスマン」です。
この二番目の人種には、当然のことながらシティーを通る地下鉄の路線上でしか出会いませんし、数もごく少数です。
ということで、いわゆる日本で言う「鼠色の、よれよれのスーツ」を来た「中級もしくは下級ビジネスマン」に出会うことはまずほとんどありません。
この印象は、私だけのものではなく、日本から来ていた他の日本人にも確認しましたが、同意してもらいました。
以上のことは、私には、日本では、会社という組織に属し、その看板を背負わなければ、生きていけない、という「会社中心」の考え方がある一方で、西洋では、個々人は、まず、自分の自己責任で生きていて、「たまたま」利害が共有できる人々と「たまたま」会社組織を作る、という「個人中心」の考え方が優勢であることを象徴しているように思えてなりません。
さらに、欧州では、人間関係において、(たとえ、相手が東洋人であっても) 適度な (= 大人の) 距離を保ってくれる傾向があります。
象徴的に言うと、ショップに入ってウィンドウ ショッピングする場合、日本では、客に密着セールスする店員が多いですが、欧州では、非常に適度な距離を置いて、「近からず、遠からず」の態度を取ってくれるので、非常に心地よい気分になれます。何も買わなくても、店から出るときには、「Thank you」という声をかけてくれもします。
2. 過去の戦争に対する見方
日本では、「第二次世界大戦以前は軍国主義で『悪』」 vs 「大戦後は民主主義で『善』」という見方が大勢を占めているようで、戦時中のことに関してあまりとやかく言わない (= 封印する?) 傾向が強いようですが、英国、フランス等では、世界大戦中に起こったことを詳細に記録に残し、民衆も、個々人が個々人のやり方で「清算」を行っているように思えます。
たとえば、ロンドンの「帝国戦争博物館」では、戦時中の戦闘機、戦車等を常時展示していますし、私が英国滞在中には「ナチス ホロコースト展」が開催されていて、戦時中に起こったことの記録をできるだけ詳細に残そうとしている西洋人の姿勢が伝わってきました。(オランダにも、「アンネフランク博物館」や「ユダヤ歴史博物館」があります。)
思うに、西洋では、戦時中に起こったことをそのまま伝えることで「過去の過ちを繰り返させない」というメッセージを伝えているようである反面、日本では、戦時中に起こったことを「あたかも起こらなかった」かのように封印することで、同じメッセージを伝えようとしているように思えます。
いずれにしても、日本では、「帝国戦争博物館」といえば、おそらく右翼系の方々が訪れる場所であるという印象を与えるでしょうが、欧州では、右翼系の方々も左翼系の方々も「過去の歴史の研究」に訪れるという印象があります。
また、同博物館の一部に、英国首相官邸の近くに位置する「チャーチル博物館」および「内閣戦時執務室」があり、戦時中の戦争内閣の記録を詳細に残し、一般公開しています。
以前、90 年代に私が英国滞在しているときにも、私の英国の会社の名誉会長である、ウィンストン チャーチルの親族の方とともに、この内閣戦時執務室を訪れたことがありますが、このとき、この方が私に対して、戦時中に昭和天皇や東条英機が何をしたかについて、事細かに述べたのを聞いて、驚愕したことがあります。
一般的に、欧州人は、歴史を、場合によっては、千年単位で見ているようで、第二次世界大戦以前にはあまり目を向けようとはしていないように思える日本人とは雲泥の差があるように思えてなりません。欧州では、日本のように、「最後の世界大戦」で自国がどの国と戦ったか知らない若者が増えてきているといった、「自国の歴史の冒涜」のような状況は、単に考えられないと思います。
この違いは、何千年も持続する石でできた家屋と、すぐに建て替えのきく木造の家屋との違いに如実に現れていると言ったら、言いすぎでしょうか?
3. オランダのセックス & ドラッグ事情
今回は、私は、オランダまで足を伸ばしましたが、首都のアムステルダムでの「ドラック解禁」状況には改めて驚きました。
オランダでは、(私の言う「ソフトドラック」である) 大麻等は、完全解禁されていて、アムスのカフェではさまざまな国産の大麻が販売されていて、カフェ内での吸引が許可されています。
驚いたことは、大麻用の吸引場所では、逆にアルコールや煙草の摂取が禁止されている (!) 点です。
いわば、アルコール、煙草、(オランダでの合法) ドラッグの「分煙制度」が徹底していることになります。
さらに、有名な赤線地区では、「飾り窓の女」が何百人もいて、世界じゅうからの観光客がひしめく中、お客と娼婦が交渉するのも、お客が部屋の中に消えていくのも、公に見ることができます。
以上のオランダのドラッグ & セックス事情については、二点追記できます。
一点目は、オランダでは、(大麻等の)「ソフトドラッグ」と (コカイン、ヘロインを始めとする) 「ハードドラッグ」の区別が明確にされていて、前者の個人的使用は完全に合法的である反面、後者は非合法である点です。
オランダ国内での一般の人々の反応は、ハードドラッグに対しては、日本人の (十把一絡げの) 「薬物」に対する「アレルギー反応」に近いもので、否定的ですが、日本のテレビのニュースキャスターがよく言う「大麻のような『極めて危険』な麻薬に若者は絶対に手を染めないようにしなくてはいけません」といった言質は、(オランダでは) 「笑止千万」ということになります。
私個人としては、(依存症のない) 「ソフトドラッグ」と (禁断症状のある) 「ハードドラッグ」を区別していることは、「すべてを十把一絡げにしてパニくる」よりも、非常に大人の態度だと思います。
二点目は、このようにドラッグとセックスを国で管理しているオランダでは、「悪の温床」ともなりかねない麻薬の売人等がいないので、暴力、強盗、強姦といった犯罪の発生率が逆に減ってきているように思える点です。
オランダのドラッグ & セックス事情を隣国は注視してきていますが、オランダのリベラルな国策が犯罪率を下げるということがわかれば、同じような国策を取る国が今後増えていくというように予想されます。(事実、ソフトドラッグの「個人的な使用」を黙認する国は多くなっています。)
いずれにしても、オランダは、過去において、「海洋国のパイオニア」として世界を制覇しましたが、私には、どうも、現在は、オランダは、「変性意識のパイオニア」として、斬新的な実験を行うことで、21 世紀以降、「精神的な覇権国」になろうとしているようにも思えてなりません。
以上、「欧州紀行」として、三項目書きましたが、共通点は「欧州の人々は大人の考え方をしている」という点です。
NLP もしくは文化人類学的に言うと、以上のような西洋の状況は、実際に現地に行ってみないと「右脳的に体感する」ことは不可能ですし、そのようにしてしか、「自分自身のボックスの外」に出ることは不可能のように、私には思えます (この言質は象徴的なもので、このため、「西洋の状況以上」のことを、日本にいながら体験できる可能性を必ずしも否定するものではありません)。
私自身の立場は、日本の状況を糾弾することでも、オランダ等の状況を神聖化するものではありません。私の立場は、「自分自身のボックスの外に出たことのない人は、そのボックスの中にあるものを客観的に価値判断することはできない」というものだけです。つまり、他の文化圏のことを体感しないかぎり、自国のよさ、悪さを客観的に判断することは不可能だと、私は考えているだけです。