以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 110 号 (2009.7.9 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡 NLP FAQ、その二」のトピックがカバーされています。


1) 北岡新 NLP FAQ、その二

前号のメルマガから始まった新 FAQ シリーズの続編です。

A5 (110): いい NLP の先生と悪い先生の見分け方についてアドバイスください。

Q5 (110): 私自身、「ファシテータ (「クライアントに変化をもたらせる人」という意味です) は、自分の「参照機構」 (あることを理解する際に自分が拠り所とする、自分自身の実際の体験内容のことです) のない領域については、クライアントを変えることはできない」というスタンスを、過去 30 年以上貫いてきています。これは、「自分を変えずして、人を変えることは不可能である」という表現に言い換えることもできます。

(最近、このことをある方 (セラピストの方ですが) に伝えたら、その方は「驚愕」され、「私は、先生が NLP は『コンテント フリー (内容とは無関係)』の方法論だとおっしゃっていて、先生自身、クライアントの世界地図の詳細を知る必要がないので、誰を相手にすることもできる、と私は思ってきていて、そのためにこそ私は NLP の可能性を信じてきていましたが、その信念が今崩れました」とまでおっしゃいました。

私自身、過去に「ありとあらゆる変性意識体験」を実験し、個人的には、たとえばどういう精神病の方も NLP を使って対処できるという自信をもっていますが、いかんせん、そういう「倫理観」をもってきてしまっています。

ちなみに、この倫理観をもった最大の理由は、約 20 年前に英国で催眠療法の学校を卒業したとき、まわりのセラピストの質のあまりの低さに愕然としたことでした。その人たちを「反面教師」にして、自分だけは「無責任」なワークだけは絶対しまい、と心に誓った次第でした。

ちなみに、以上のことは、私自身の倫理観の問題であり、NLP の限界性の問題ではないことは、強調しておく必要があります。)

ということで、世界中場所を問わず、他人と同じ (といっても、あくまでもまったく「同じコンテント」という意味ではなく、「同じカテゴリー」の」という意味ですが) 参照機構ももっていないのに、人を変えれると主張しているセラピー、NLP 関係者が多々いると思いますが、個人的には、極めて危険な状況だと思います。

NLP 的に言うと、私自身は、欧米で数多くのセラピスト、NLP トレーナー、「精神的指導者」その他に実際に触れて、多くの参照機構を蓄積した上で、試行錯誤の末に「NLP 四天王」に行き当たったわけですが、同様に、いい先生と悪い先生を見極める唯一の方法は、数多くの種類の、数多くの質のいい、および悪い先生から直に学ぶことしかないと思います。

ちなみに、私自身の最大の判断基準の一つは、ある先生が「該当の学問分野の創始者のルーツにいかに近いか」でしたが、特に国内では、そういう判断基準がそれほど強調されていないようであることは、個人的な驚きになってきています。


A6 (110): NLP の革新性について語ってください。

Q6 (110): NLP の革新性は、まず第一に、心理学の歴史の観点から言うと、ありとあらゆる 60 年代、70 年代の西洋心理療法の学派を超越統合した点にあります。

この超越統合の過程で、NLP は「コンテント (内容) 志向」方法論を超えた「コンテント フリー (内容とは無関係)」の方法論を生み出すことになりました。

この面での NLP の偉大性、革新性は、直前の FAQ でも指摘したように、「ありとあらゆる 60 年代、70 年代の西洋心理療法の学派」についての実際的 (右脳的) 参照機構がない場合は、NLP がどれだけ偉大で、革新的かについての真の評価はできないと思います。

すなわち、私のメルマガでも指摘してきているように、NLP 以前に瞑想、催眠、セラピーその他の変性意識を作り出す方法論を通じて「自己観察」、「内省」をしてきていない人がいきなり NLP を始めても、「何だこんなものか」としか認識できないと思われます。

これは、たとえば、PC コンピュータ操作において、ユーザは、コンピュータ言語を知らずとも、マウス操作だけできれば、デスクトップ上のショートカット アイコンをクリックし続けることで、「ある程度」のコンピュータ操作が可能になりますが、以前のテキスト コマンド式のコンピュータ操作時代の人々にとっては、このような GUI (グラフィック ユーザー インターフェイス) のシステムは「奇跡」に近い一方で、新参者コンピュータ ユーザにとってはごく当たり前にしか思えないという状況と似ています。

この NLP の革新性を知るためには、試行錯誤としての「自己観察」、「内省」が必要だと私は考えていますが、このような「ヴィパサナ (自己観察) 経験」をもつことを促進させる方法として、私は、将来「NLP 資格コースを超えた最上級コース」を開講することを考えています。このような最上級コースについては、私のメルマガ第 108 号で書かせていただきました。

http://www.creativity.co.uk/creativity/jp/magazine/backnumbers/108.htm

第二に、NLP の革新性を、「認識論」の観点から語ると、NLP の共同創始者は、NLP 創始当時、何らかの方法で、自分自身の「ボックス」 (「フレーム」、「枠組み」、「マインド」、「世界地図」、「既成概念」、「前提」、「蟻地獄」等と言い換えることができます) から外に出て、その立場から再度ボックスへの入り方を「マッピング」 (「明示化」) した、という点を強調することができます。ボックスの入り方を明示化した、ということは、すなわちボックスからの出方を明示化したということと等価です。

上で、NLP の共同創始者は、NLP 創始当時、何らかの方法で、自分自身の「ボックス」から外に出た、と書きましたが、この方法に関しては、私は、私のサイトから特別ダウンロード可能な『誰も書かなかった NLP 創始者についての裏話!』のエッセイで以下のように書かせていただいています。

「グリンダー氏は、当初 [NLP 創始以前は] 自他共に認める『チョムスキーの後継者』でしたが、ある日 LSD を摂取して、その『保守的な世界観』が一挙にしてがたがたと崩れ、そのことが NLP 創始につながったということでした (60 年代、70 年代のヒッピー文化全盛のカリフォルニアでは、ほぼすべての若者がそのようないわゆる『非合法』ドラッグの実験をして、変性意識の研究を行っていました。この背景が、外的化学物質に依存しない『脳内麻薬』としての NLP 体系の構築につながったことは疑うことはできません)。」

このような特殊な変性意識の実験の後、催眠状態でもそれらの特殊な変性意識状態を「再現」 (この表現は極めて意味があります) できることを発見したことが、グリンダーとバンドラーの NLP 創始につながったことは間違いない、と私は見ています。事実、NLP 共同創始者は、1970 年代前半から 1975 年の創始までの数年間、UCSC (カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校) で、彼らの生徒グループとありとあらゆる催眠の実験をしていたようです。この辺のことは、『The Wild Days, NLP 1972-1981』 (Terrence L. McClendon 著) に比較的詳しく書かれています。

ちなみに、このドラッグを通じた変性意識の実験の過程で、共同創始者が「ありとあらゆる変性意識体験を実験し、個人的には、たとえばどういう精神病の方も NLP を使って対処できるという自信」をもったことは間違いないことのように思えますし、このことが、精神病の方々と「同じカテゴリ」の参照機構をもっていた二人が、通常のセラピスト、精神科医等が治せない重度の精神病患者をも (プロセス志向のエリクソン催眠技法を使いながら) 治癒させることで NLP 体系を築いていったことの基盤になっていると、私は考えています。

第三に、NLP の革新性は、ロバート ディルツが『NLP のルーツ』の中で優雅に説明している点と関連しています。

「NLP のような認識論的モデルは、私たちの経験についてのモデルであると同時に、このようなモデルについて考えるというまさにその行為を通じて私たちの経験の一部になるという意味において、ユニークなモデルである。」

私は、これを以下のように言い換えています。

「NLP のような認識論的モデルは、私たちの経験についてのモデルであると同時に、このようなモデルに基づいた NLP 演習を行うというまさにその行為を通じて、演習を行っている私たち自身の主体そのものを変えてしまうという意味において、極めてユニークなモデルである。」

すなわち、私にとって、目に見える詳細レベルの NLP のテクニックを演習実践することによって、目に見えない抽象的なレベルの主体としての行為者その人の、いわば、「存在のあり方」を変えることを可能にした NLP は、どの意味から言っても、「恐ろしい化け物」以外の何物でもありません。


Q7 (110): NLP は左脳的学問ですか? それとも右脳的方法論ですか?

A7 (110): この質問は、極めて興味深いと思います。個人的には、この二つの質問の答えの中に、なぜ NLP は西洋で爆発的なブレークをしている一方で、国内では「誤解」され続けているのかの回答があるようにさえ思えます。

まず、最近ある人と話をしていて、気づいたことを述べたいと思います。

左脳的知識と右脳的体験 (すなわち、参照機構) については、私自身、以下のような順序で優越レベルを付けています (1 が最低レベルで、 4 が最高レベルです)。

1) 左脳的経験も右脳的体験もないレベル
2) 左脳的経験があって、右脳的体験がないレベル
3) 右脳的体験があって、左脳的知識がないレベル
4) 右脳的体験と左脳的知識と両方があるレベル

このレベル順位付けについては、私がこの話をした相手の方は、2) と 3) が逆ではないかと、かなり驚かれました。確かに、過去に蟻地獄にいた当時の私は、そういうふうに考えていましたが、NLP を通じてその蟻地獄から外に出られた後は、「左脳的経験があって、右脳的体験がない」状態は何の役にも立たないと考えるようになっているという意味において、この順序が妥当と言い切れます。

国内の NLP 業界の最大の問題点は、2) の「左脳的経験があって、右脳的体験がない」 (つまり、あることについて語れるが、実際には、自分と他人に実際的な変容をもたらせることができない) トレーナーか、 3) の「右脳的体験があって、左脳的知識がない」 (つまり、自分と他人にある程度の変容をもたらせることができるが、そのことについてどのようにその変容が起こっているかについての左脳的分析ができない) トレーナーのいずれかしかなく、本来は理想的な 4) の「右脳的体験と左脳的知識と両方がある」 (つまり、自分と他人に変容をもたらせることができ、かつ同時に、そのことについてどのようにその変容が起こっているかについての左脳的分析ができる) トレーナーが「ほぼ皆無」である点です。

このことは、極論を言うと、NLP の文化的、認識論的基盤となっているセラピー、催眠、瞑想、ドラッグ等のいずれについても、参照機構としての実際的右脳的体験のない日本人の方々が NLP を実践していることに起因していると思われます。このことについては、私の『北岡泰典メ-ルマガジン』第 4 号でも述べたように、天外司郎と茂木健一郎も、その対談で、以下のように指摘しています。

「天外司郎氏が茂木健一郎氏との対談 (講談社ブルーバックス『意識は科学で解き明かせるか』、2000 年) の中で (茂木氏の、日本の問題点は、本当の意味のカウンターカルチャー革命を経験していない点にある、アメリカ人は基本的な教養として、カウンターカルチャー体験を持っている、日本にはそれがなくて、意識の変性状態のようなテーマを研究するときの非常に大きな欠落になっている、という内容の発言に対して) 『日本の社会の大きな問題点は、カウンターカルチャーを経験していないことです』と述べています。」

この辺の、「左脳的経験があって、右脳的体験がないレベル」と「右脳的体験があって、左脳的知識がないレベル」にいる人々をどのようにして「右脳的体験と左脳的知識と両方があるレベル」に引き上げるかが、私が今構想している将来の「NLP 資格コースを超えた最上級コース」の課題になる、と言い切っていいと思います。

ちなみに、私は、個人的には、たとえば、瞑想家でさえも、NLP を学べば、非常にすばらしい瞑想ワークができるようになると確信していますが、瞑想家は、概ね、「瞑想は頭で考えるのではなく、感じるもの」なので、(「頭で考えるだけ」の) NLP は瞑想の妨げになる、というふうに大いなる事実誤認をしているようです。この意見をもっている瞑想家は、上述のレベルでは「3) 右脳的体験があって、左脳的知識がないレベル」にとどまっていることになります。

さらに、「4) 右脳的体験と左脳的知識と両方」の交流が起こると、両脳の真ん中の「脳梁」が太くなると思われますが、この交流と、私の主張する「アメリカンクラッカー モデル」は密接な関係性があります。(「アメリカンクラッカー モデル」については、私の著書『一瞬で新しい自分になる30の方法』その他を参照してください。)


A8 (110): 先生は、NLP を学ぼうとしたそもそものきっかけは何ですか?

Q8 (110): このことについては、私はメルマガ『これが本物の NLP だ!』の第 4 号で、以下のように書かせていただいています。

「私は、生後 4 ヶ月で脳性麻痺を煩い、現在も左半身に軽度の神経的麻痺が残っています。幼児期に 2 度、5 歳と 10 歳のときに (心身障害児収容の) 施設体験をしたのですが、このとき、いわゆる強度の精神的外傷 (トラウマ) 的体験をもちました。中学校から普通校に戻りましたが、私の中では、それ以来『社会再適応』がまったくといっていいほどうまくいかず、この状態は、二浪後大学に入学し、卒業するまで続きました。(ちなみに、高校時代に私が一番好きだった小説家は大江健三郎でしたが、特に彼の『芽むしり仔撃ち』は、ある閉ざされた空間に閉じ込められた子供たちの疎外感とその経験がみごとに象徴的に描写されていると思いました。)

私の NLP のような心理学的方法論を求める『原体験』になったのは、大学の構内に広いコンクリートのスロープがあり、私は『視線恐怖症』で学生がたくさん往来するこのスロープがまともに歩けず、いつも脇の階段を利用していたのですが、そのとき心の中で叫んだ『これほどきつい神経症を治せる心理学はおそらく世の中に存在しないであろうが、もしも見つけられるようであればそれに命をかけてもいい』という決意でした。」

この後、1981 年に大学を卒業した直後にサハラ砂漠に行き、仏語通訳の仕事をして (81 年から 85 年にかけ通算 3 年滞在)、その間 83 年にアメリカ西海岸でインド人師匠に弟子入りして、瞑想修行を続けたり、ありとあらゆる変性意識の実験をした後、88 年に英国ロンドン市でグリンダー氏の NLP と衝撃的な出会いをしました。それ以来、NLP による自己変容が止まることはありませんでした。

以上のことについて二点追記できます。

一点目として、私は、自分の子供の頃の病についてあまり語ることはありませんが、たとえば、「生後 4 ヶ月で脳性麻痺を煩ったとき、40 度以上の高熱が 3 日間続き、両目とも白目を向いたままで、私の両親は医者から『この子は助からない、助かっても痴呆症になるでしょう』と言われ、最終的に、脊髄から髄液を抜くことで脳圧を下げ、結果的に頭は無事でしたが、その一方で左半身が不随になりました」と語ったり、5 歳と 10 歳のときの心身障害児収容施設のトラウマ体験の詳細について語ったりすることがまれにあり、このときには、聞き手から「そういう苦しかったときの話をもっと聞きたいと思いました」と言われたりします。

私自身は、自分のトラウマの体験内容はコンテンツにすぎないので、そういう話はあまりしないことにしていますが、そのことにより、どうも、私は、子供のときから今の私のような状態のまま「のほほん」と生き続けてきているのでないかと誤解されることが多いようで、NLP 以前の私と今の私には「雲泥の差」 (奇跡以上の変革) があることは、他の人々には左脳的には伝わっても、なかなか右脳的に理解されていない気がしています。

いわば、NLP 以前以後の私自身の「Before」と「After」を伝えることができたら、NLP の真のすごさを伝えることがさらに容易になるのでしょうが、Before の自分を今の私を知っている人々に直接お見せできないもどかしさが常にどこかに残っています。

二点目としては、最近、上記引用箇所をあるワークショップで語ったのですが、そのとき私は、どうも間違えて、「私は『視線恐怖症』で学生がたくさん往来するこのスロープがまともに歩けず、いつも脇の『長い』階段を利用していたのですが」と発言したらしいのですが、そのときのワークショップ参加者の方から「学部キャンパスの階段より、スロープのほうがぜんぜん長いんですけど、なんか騙されたような気がしてなりません」という非常に不可思議なメールを受け取りました。

どうもこの方は、該当の階段の方がスロープより長いと私が発言した (または、ご本人が誤解した) ことで、私がそもそもでたらめの作り話をしていると考えたらしかったので、この方には以下のようにメール返信させていただきました。

「私が過去の詳細の話をするときは、コンテンツではなくプロセスの話を『象徴的』に話しているだけに過ぎないので、実際は、『対人視線恐怖症で長いスロープを歩けず、右横の階段を使う必要があった』ですが、これは、たまたまのコンテンツの話なので、別に

* 使う必要があったのは階段ではなくスロープだった
* スロープの方が階段より長かった
* 私の当時の問題は対人視線恐怖症だった
* 私が該当の大学の文学部生だった

といった諸点は、いわば、『どうでもいい』ことだと思います。

この話はメタファー (比喩) として伝えているだけで、このメタファーを通じて私が伝えたかった『高次の意図のメッセージ』は、

『当時、こんな精神的問題を抱えている私を癒してくれる心理学 (療法) は世界にないだろう、今後もしそれを見つけたら、私は自分の命をかけてもいい、と思った (そして、その後のありとあらゆる試行錯誤の末、NLP を見つけた)』

という点だけで、個人的には、他の詳細はどうでもいいと思います。

究極的には、(私個人としては、作り話を語らないという、個人的倫理観をもっていますが) 仮にこれが作り話であったとしても、メタファーの価値はまったく下がらないと思います。

論点は明確になったでしょうか?」

この、いまだに不思議な質疑応答こそ、私がいつも言っている「水平的学習」と「垂直的学習」の違いを如実に象徴しているような気がしてなりません。(この二つの学習の違いは、私は「run three miles」という英語の表現で象徴化していますが、この点については、私の著書『5 文型とNLPで英語はどんどん上達する!』その他を参照してください。)

すなわち、私が該当の表現で意味したかったことは、「私には世界で最も癒すことが難しいと思えた自分自身の精神的問題をも解決してくれる心理的方法論を、その後のありとあらゆる努力と学習の試行錯誤の末見つけ、それがたまたま NLP だった」ということで、これを表現するために、この意味を一番適切に表している過去の体験を探したら、たまたま上記の「学部スロープ事件」だっただけの話なので、聞き手も、私が過去の詳細の話をするときは、常に、私が口にする話の事実確認を逐次考えるのではなく、自分自身の過去の体験 (参照機構) に照らし合わせた「水平的学習の理解」をしようとすべきだと思います。

このようなコンテンツに固執する嫌い (これは、上記の「2) 左脳的経験があって、右脳的体験がないレベル」での理解に固執する傾向性、と言い換えることができると思われます) が日本人に強くあるのではないか、と思えた出来事が他にもありました。

数年前ですが、私は、ある方に、1975 年の NLP 創始の時点でグリンダー氏とバンドラー氏がどこで何をしていたかについて、できるだけ詳細の情報を知りたいのですが、とリクエストを受けました。私は、NLP の奇跡的な効果性と有効性が確かめられる限りにおいて、創始者の誰がいつどこで何をしていたか等はごく二次的なことで、重要性などないのではないですか、と「ごく普通の回答」をさせていただいたのですが、この方は「いいえ、日本人は、新しい学問を受け入れるとき、創始者の誰がいつどこで何をしたか、についての情報が最重要となりますので、何とか調べられませんか?」と言われ、私は、正直唖然としました。

ちなみに、この情報を一番「正確」に記している書物が、前述の『The Wild Days, NLP 1972-1981』であると思ったので、Amazon.com から入手し、この方にもこの本を参照するように進言した次第でした。

ただ、このような歴史の記録本があるからと言って、書かれている内容に信憑性があるとは誰も言えないので、鵜呑みすることはできず、事実、グリンダー氏にこの本についての意見を求めたところ、この本の内容にかなりの異議を申し立てているようでした。

結論としては、過去の記録については、誰も 100% 正確に確定することは不可能で、そのような事実かどうかもわからないような (あるいは、どうでもいいような) 情報に、価値判断基準を求めることは、かなり危険な行為だと私には思えます。

このことは、私に、「NLP は、過去の問題の存在するかもしないかもわからない原因を特定しようとする不毛な『過去志向』の努力を排して、現在の時点でその問題がどのように発生しているかのメカニズムとプロセスを特定し、それを変えることで問題を根こそぎ根治する『現在志向』の方法論である」ということを改めて想起させます。

NLP ピアがこういう「愚問」をすることは極めて興味深い逆説です。

作成 2024/1/15