以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 105 号 (2009.4.24 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「『NLP/催眠/瞑想』三位一体説/北岡の最後の NLP トレーナーズ トレーニング コース」、「瞑想家に NLP は効果的か?」のトピックがカバーされています。


1) NLP/催眠/瞑想」三位一体説/北岡の最後の NLP トレーナーズ トレーニング コース

私は、本メルマガの第 77 号その他で、私の精神主義的師匠は、あるとき、「瞑想は男性的で、左脳的だ。一方、催眠は女性的で、右脳的だ。これは、瞑想は (男性的に) ただ一人でその精神状態に入っていける一方で、催眠は、(女性的に) 他の催眠家の支援を借りてその精神状態に入っていくからだ。しかし、その行き着く先の瞑想状態と催眠状態は、実は、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態だ」と述べていて、私の過去 25 年の瞑想体験と実験から言っても、この言質は正しいという確信をますます深めている、ということを示唆してきています。

(実際、上には「私の過去 25 年の瞑想体験と実験から言っても、この言質は正しいという確信をますます深めている」と書きましたが、さらに正確に言うと、「私の過去 25 年の瞑想体験と実験から言っても、この言質は正しいという肯定的証拠に出会っているというわけではないが、正しくもないという証拠にもまだこの時点ではいっさい出会ってきていないので、おそらく正しいのであろうという確信をますます深めている」という表現になります。

ちなみに、この「否定して、否定して、否定しても、どうしても否定できないものを、その時点でおそらく正しいものとして (しかたなく) 選択する」という「絶対的懐疑主義」的なスタンスは、私の 1980 年代初めから首尾一貫してきている、セラピー、瞑想、催眠、「化学的に誘発された変性意識」 (今改めて思うに、私の変性意識の研究の分野はこの四分野に NLP を加えた五分野に集約されると言い切っても間違いではないですね!) を通じた「内的真理の探究の旅」の根本的原則になってきています。

この原則を貫いた結果、他の四つの方法論は、私の徹底的検証の過程で、何らかの限界があるものであることが判明しましたが、どれだけ疑って疑ってもすばらしい効果があることがどうしても疑えない方法論として、最終的に NLP が唯一残っているだけです。私は、首尾一貫して、NLP 以上のものが今見つかれば、即 NLP をゴミ箱に入れて、明日から違うことをしています、と主張してきています。

これに関連して、最近の私のコースの授業中に、同じようなスタンスから、私は、「欧米で、私は、主に四天王に集約される、目玉から目が飛び出すくらいすごいと思った、本当にすばらしいトップ級の NLP トレーナーに出会ってきていますが、日本に 2002 年に帰国してから国内で、左脳的にも右脳的にも融合した NLP を教えられる、すばらしい NLP トレーナーがいるかどうか、アンテナを張り続けてきていますが、非常に残念ですが、NLP 業界内には一人も見つけられていません。そういう人がいれば、私は、即、自分のやっていることをすべてやめて、その人に弟子入りする気がありましたが、そういう人はいないので、『しかたなく』 現在も NLP も教えているだけです」と発言させていただいています。)

ということで、「催眠 = 瞑想」という図式が成り立ちますが、もちろん、NLP は催眠の進化バージョンであることは、「周知の事実」なので (このことがわからず NLP を教えているトレーナーは、はっきり言って「業界のもぐり」と見なしても OK です)、今後、私は、「NLP/催眠/瞑想」三位一体説を唱えていくことにしたいと思います。

おそらく、このラインの本を執筆することになるとも思います。

ということで、私自身、2002 年以来「本物の NLP」を教えてきていますが、そして、実際に私の資格コースを受けてくださる方々からは、「こんなに NLP が驚異的で、おもしろいものとは知らなかった」という評価を受けてきていますが、それが市場全体および市場外に伝わっていないことは、非常に残念なことですね。

極端な話をすると、数人の方からは、「市場外からは、NLP はあまりにも悪いイメージを受けているので (主な理由は、NLP トレーナーの質にあると思われます)、北岡先生も同類に見られるので、『NLP』という名前を使わずに活動するか、市場外で活動する方が得策ですよ」というアドバイスを受けてきているくらいです。

この状況にいて、現在、 NLP マスター プラクティショナー コースが 5 月 9 日から始まりますが、プラクティショナー、マスター プラクティショナー等の資格コースの私の活動は、今後頻度を落とすことにしたいです。

特に、9 月 5 日から開講される予定のトレーナーズ トレーニング コースにつきましては、今後開催の予定はないものとしたいです。私は、「同時的首尾一貫性」の観点から、今まで「頻繁」に自分自身の言質を翻してきていますが、今回は翻らないと思います。

幸いなことに、私のマスター プラクティショナー、トレーナーズ トレーニング コースについては、他団体で資格を取得した方々の編入を認めていますので、どうか、この機会を利用して、私の「本物の NLP」を、できるだけ多くの人に、直に皮膚で感じていただきたいです。

マスター プラクティショナー、トレーナーズ トレーニング コースについての情報は以下にあります。

http://www.jnlpa.jp/licenseprogram/

現在、特別編入割引参加費が適用されています。

なお、私の今後の NLP 資格コースが数少なくなることにつきましては、既存の私のコース参加者の方々に「資格取得後の今後のご自身の活動に対する不安」を感じる方もおられると思いますが、

1) (特に、トレーナーズ トレーニング コースでは) 非常に効果的なプリゼンターになる技能を教えるので、今後の資格保持者の活動と業績に大きな影響が出る。

2) 私自身、NLP 市場の外で活動する場合、「北岡 NLP」のネームバリューを強調するつもりなので、今後、私の資格をもっている方の評価も、市場外の私の知名度に比例して、高まると考えられる。

3) 今後、私の元で NLP ファシリテータが必要になるとき、私のコースを受けた方々に協力を求める可能性の方が、論理的に、そして倫理的に、高い。

といった理由から、私の側からの「責任」は充分果たせると考えています。

以上よろしくお願いします。


2) 瞑想家に NLP は効果的か?

最近、ある瞑想会に参加して、「NLP/催眠/瞑想」の三位一体説の観点から見て、非常に興味深いことが起こったので、ここに報告します。

この瞑想会は、前半部は「整体」的な、身体に起こっていることに気づくボディー瞑想で、後半部は、誘導瞑想でした。

まず気づいたこととしては、前半のボディー瞑想のおかげで、「マインド」が静まり、ほぼ「ノウナッシングステート」状態の、内的対話がなく、周辺視野の広がった、いいトランスに入りました。

そして後半部に、瞑想リーダーが口頭で誘導する瞑想に移りましたが、まず、この瞑想誘導といわゆる「催眠誘導」の間にはいっさい何の違いもないことを改めて認識しました。事実、NLP 共同創始者のバンドラーも以下のように述べています。

「人々は、『催眠』と『瞑想』の差異について混乱している場合があります。私は、二つともよく似た状態だと思います。ただし、催眠には方向性、始める前に決めた目的がありますが、瞑想はもっと『無定形』です。個人的には、変性意識に入る場合、私は何かをしたいと思いますし、いつその状態に入っているか、いつ出てきているか知りたいと思いますし、その状態で何をしているか知っていたいと思います。瞑想には充分な方向性がありません。[このため、私は催眠の方を好みます。] しかし、要は、個人的な好みです。」

(実は、このようにして、毎回毎回、上述した私の師匠の「瞑想状態と催眠状態は、実は、一つの全体の半球どうしで、一枚のコインの裏表のようなもので、同一の状態だ」の言質の「正しさ」を再確認してきています。)

その意味で、瞑想家が NLP を学べば、さらにすばらしい誘導ができるようになると確信しました。

さらに、この後半部の「瞑想誘導」では、音楽が流されていましたが、瞑想家の言葉は、淡々としていて、音楽のスピードとその呼吸も合っていなかったし、いわゆる「その場の人たちと一緒にいない」印象を与える、左脳的な誘導でした。

私自身、この左脳的誘導とマインドを沈める効果のある音楽との乖離に「疲れ」、座った姿勢から大の字に寝そべり、 左脳的思考を止めて、右脳的な深いトランスに向かったとき、極めて深い瞑想状態 (= 催眠状態) に入り、意識が一時的に飛びました (このとき、いびきをかいたらしく? 主催スタッフに肩を触られて、再び意識が戻りました)。

私は、この「三重誘導」テクニックの効果にも似た「左脳を黙らせる」方法を、瞑想家は、わざと狙ったのでは、とも思いましたが、後のフィードバックから、そうではなかったことが判明しました。

瞑想後に瞑想家との意見交換の場がありましたが、ある参加者の方が、自分の感想として、「本日の瞑想誘導では、瞑想している方の自由な内的体験を阻害していて、あまりにも限定している内容が聞こえてきました」とおっしゃったので、思わず、私は、1) 話す内容を明確にしすぎるメタモデル的な誘導ではクライアントがトランスから覚めてしまう傾向がある一方で、曖昧、曖昧にするエリクソン式のミルトンモデル的な誘導を取った方が、この感想を述べた方の言う「自由な内的体験」 を各人にもっていただくことが可能である、2) しかし、逆に、意図的に、左脳を黙らせて深い右脳的なトランスに入れることを目的とするのであれば、この「左脳的」な方法を取ることが賢明な場合がある、3) いずれにしても、その場その場の各クライアントの反応を見ながら、効果を考えながら、メタモデルとミルトンモデルの使い分けができたら、すばらしい瞑想誘導 (= 催眠誘導) ができる、といった点を指摘させていただきました。

この私の発言をあまりにも「テクニカル」で、本質から離れていると思われたのか、瞑想家の方は、「私が行っているのは、上からのエネルギー (最近の私のワークでは、「審神 (さにわ)」の「下級神ではない、上級神の声」にほぼ相当しますが) を私のマインドと体で、何の意識的な介入、操作もなしに、そのまま流れるまま表現することに主眼があります」と「反論」されました。

私は、その際に「再反論」の機会を自ら放棄して黙っていましたが、私は、そういうふうにおっしゃっている方の「自然なしゃべり方」自体、生まれたときからのありとあらゆる試行錯誤の末に習得した、非常に「人為的」な表現方法にすでになってしまっているのでは思いました。

すなわち、この方は、日本語で「上級神のチャネリング」をされていたわけですが、もし同じ人が英語しかしゃべれない場合は、いわゆる「霊媒」の表現の形態に雲泥の差が出てしまうわけです。

さらに言うと、「霊媒」の側で (人為的に獲得された) 一つの表現しかもっていないときは、上級神も必然的に一つの表現しかできないわけですから、その表現が万人に伝わる可能性を制限しているという霊媒側の「責任論」も生まれるとさえ思います。

私には、霊媒側が非常に柔軟なコミュニケーション能力を身につけておいた方が、上級神も、その場その場で、「該当の表現方法を使う」、「いっさい使わない」、「後で使う」の (霊媒の意思と責任を超えたレベルでの) 選択ができるわけですから、こういう地道な努力をしないことは、逆に上級神に対して、失礼なことをしているのかもしれない、とも思いました。

こういう形で、瞑想家の方々にも、私の NLP を学んでいただきたいですね。

作成 2024/1/10