以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 57 号 (2015.11.20 刊) からの抜粋引用です。
* * * * * * *
今回は、以下のトピックがカバーされています。
1.「レモンの味を知らなくてもレモンの味を創出できる方法論:完全解説」
書き下ろしエッセイ配布開始!
2.「現実という名のロール プレイング ゲーム」ワーク Q&A III
//////////////////////////////////////////
1.「レモンの味を知らなくてもレモンの味を創出できる方法論:完全解説」
書き下ろしエッセイ配布開始!
先号のメルマガでお伝えした「神の体験を創出できる認知論的な方法論」を完全解説した書き下ろしエッセイ (26 ページで、約 2 万字) の配布が開始されました。
現時点では、北岡の半日ワークに申込され、参加費を支払った方に PDF 形式で恩典配布されます。「将来の半日ワークに参加の予定」のお申し込み者も恩典配布の対象になります。詳しくは、前々号のメルマガを参照してください。
ちなみに、このエッセイの中で、私は、半年前の、「神の体験を創出できる認知論的な方法論」 (固有名詞は、エッセイで開示されています) の発見は、私の人生上、1983 年のインド導師バグワン シュリ ラジニーシ (OSHO) への弟子入りと 1988 年のグリンダー氏との出会いに次ぐ「ヒーローズ ジャーニー」的大出来事であることを示唆させていただきました。
私は、最近の大発見後、NLP を否定し始めたわけではなく、逆に、この発見である「神の体験を創出できる方法論」と「一度体験した神の状態を、いつでも自由自在に再現できる方法論 (NLP)」の両輪を獲得したわけで、さらに、この二つの「完全止揚統合」の方法について、エッセイで語らせていただいています。
なお、私は、このエッセイの内容に基づいて、最近、「究極と思われるモデル」 (「現実という名の RPG ゲーム」) を独自開発していますが、このモデルにより、「『現実』の日常の人生」において、a) 三日坊主が克服できる、b) 永続的変化を達成できる、c) 現実を仮想現実化できる、d) その仮想現実としての「実際の人生の場」で NLP を「リアルタイム」で実践し続けることができるようになる、e) 実際の現場での「仮説/実行/検証サイクル」の継続的実践者になる、f) 自分でものを考えるようになる、g) 一を聞いて十わかるようになる、ことが可能になったと私は確信しています。
(上に列挙したもののうち、「a) 三日坊主が克服できる)、「b) 永続的変化を達成できる)、「f) 自分でものを考えるようになる」、「g) 一を聞いて十わかるようになる」 については、私が、長年にわたって答えを捜し求めてきていて、最終的な答えが見かっていなかったものでしたが、「現実という名の RPG ゲーム」モデルで、一挙に克服法が見つかってしまいました。)
//////////////////////////////////////////
2.「現実という名のロール プレイング ゲーム」ワーク Q&A その3
先号のメルマガに引き続き、「『現実という名のロール プレイング (RPG) ゲーム』ワーク Q&A III」を掲載いたします。
Question 6: 「選択点」において、どのようにしたら行動選択肢を増やすことができますか?
Answer 6: NLP の「基本中の基本」は、「実際の人生上、選択点があることに気づき、その選択点で、複数の行動選択肢を適所適材に選ぶこと」 (「複数の行動選択肢」の「複数」は、三つ以上七つ以下の意味です) にあって、それさえ実行できれば、別に行動選択肢は NLP のテクニックでなくてもいっこうにかまいません (!)。
ですので、この基本のメカニズムを「実際の現場」でリアルタイムに使えるようにしてくれるのが「本物の NLP」なので、この意味で、経営、スポーツ、学問、工芸、芸能、その他専門職において身につけ、積み上げた経験則の多くのノウハウを行動選択肢として「すでにもっている」人が「実際の人生上、選択点があることに気づき、その選択点で、複数の行動選択肢を適所適材に選ぶこと」さえできるようになれば、NLP のテクニックを学ぶ必要はありません (!)。
ですので、おそらくですが、その道の専門家に私の「メタ NLP」と形容してもいい「現実という名の RPG ゲーム」モデルさえ身につけていただけたら、その方はその業界で「大化け」するはずです。
(仮にもし、これまでの私のワークに触れて、「大化け」した人があまりいないとしたら、その唯一の理由は、私がこれまで「現実という名の RPG ゲーム」のモデルを明示化 (= 人に口で左脳的に説明する) できてきていなかっただけだと思っています。)
ただ、そうは言っても、NLP 業界に来るのはその道の専門家だけではなく (特に、国内では、この業界に来る専門家はほとんどいないように思われます (笑) )、いわゆる「素人の方」、「人生の初心者」が多いので、その方々は、当然のことながら、「選択点で「天才 (卓越した人のことです)」の方が頭の中で何をやっているかをモデリング」した上で公式化した、数多くの NLP テクニックを身につける必要があります。
私自身、NLP を学び始めた 1988 年以前は、「人生の初心者」だったので、徹底的に NLP 演習を自己適用して、自分自身を、それなりに「限られた分野」での「個人的天才」にしてきたわけです。
ですので、これまでの私のワークで開示してきていた NLP テクニックと演習は、あくまでも、「実際の人生上、選択点があることに気づき、その選択点で、複数の行動選択肢を適所適材に選ぶ」ことができるという「目的」のための「手段」であって、多くの NLP 学習者の最大の問題は、その手段が目的化されてしまっていることだと、今、私は思います。
私は、現在、私が独自開発した「現実という名の RPG ゲーム」モデルをひろく世に広めることで、できるだけ多くの方々に NLP の真髄 (すなわち、天才になるための真髄) を短時間で身につけていただき、それを自分で「実際の現場」で実行して業績を上げ続けるなり、他の人が同じことができるように支援してあげるなり、してほしいと思っています。
その際、「(仮想) 現実の人生を生きるにあたって、もっとも重要なコツ」はわかったが、肝心要の行動選択肢の「ツール」が自分にはない、という場合は、「優秀な NLP トレーナー」に学ぶなり、私の個人セッションを受講するなりする必要があります。私個人として、1988 年に NLP にハマった理由は、(これまで明示化できてきていなかった) 「選択点」の存在を知ったことと、行動選択肢として NLP があまりにもキレのよすぎるツールであることを発見したことでした。
Question 7: 「選択点」において、自分が正しい行動選択肢を選択しているかどうかは、どのようにしてわかるのですか?
Answer 6: この質問は、非常に大きな意味をもっていると思います。
この質問を聞いて、私が最初に思うことは、「選択点に入れるべき行動選択肢に関しては、『正しい』も、『間違っている』も、『適切』も『不適切』もない」というものです (!)。
思うに、NLP が開発された背景を見てみると (国内のほとんどの NLP 学習者が NLP や NLP のもとになったセラピーその他の分野について、ほとんど左脳的、右脳的知識をもっていない事実は、西洋人とか私とかにとってみたらまさに驚愕することです。そういう背景のチェックも検討もまったくしないまま、ただ盲目的に (いい先生かどうかもわからないまま) 何十万円、何百万円の投資をするのは、ある意味私には「自殺行為」にさえ思えてなりません。何かが間違っていると思います)、共同創始者のグリンダーとバンドラーが NLP 創始時にやったことは、「NLP には理論がない。あるのはモデルだけだ」という精神で、いわば「仮説/実行/検証」反復サイクルを回しまくって、徹底的な試行錯誤をすることでした。
私自身、1988 年の NLP 学習開始以降、継続的に、首尾一貫して、(仮想現実としての) 実際の人生における各選択点で、「仮説/実行/検証」反復サイクルに基づいた行動選択肢の選択しかしてきていなかったことに、この質問に触れて、改めて気づきました。
私は、つまるところ、過去 27 年間、「実際の現場での『仮説/実行/検証サイクル』の継続的実践の専門家」だったのです (!)。
この意味においては、「仮説/実行/検証サイクル」において、自分自身で考える試行錯誤はあっても、「『正しい』も、『間違っている』も、『適切』も『不適切』もない」のは、自明のことで、あるのは、選択点で「さしあたって (『見る前に跳べ』的に) 何かを行動に起こし、『仮想現実には失敗はなく、ただ結果があるだけ (!)』なので、起こった結果にどういう対処すればいいか、自分自身で考え、その仮説に基づいて、次の同様な選択点で別の行動を起こし、その結果を検証する」という「作業」を繰り返し続けていくことだけです。
思うに、日本人は、70 年前の戦後直後の GHQ に選択点を奪われ (戦前にはあったと私は考えています)、それ以降、自分で考えること (= 結局は、「各選択点で複数の行動選択肢を選ぶこと」という定義が可能です) をやめ、教師や親や政治家の言うことが絶対的に正しいと思い込み、その人々たちから「レディーメイド」の答え (最近の私のメルマガで言う「魔法の杖」) だけを求めるように (洗脳) 教育されてきているというメカニズムが、ここでみごとに露わになってきます。
私は、この日本の状況を変えるために 2001 年に日本に戻ってきましたが、「ジグゾーパズルの最後のピース」 (「現実という名の RPG ゲーム」モデルのことです) が私には欠けていたので、市場からは「one of them」の先生としか見られてきていなかったようです。
私自身、本メルマガの第 50 号以降の「コペルニクス的転換/現実という名の RPG ゲーム」シリーズの内容は、NLP の領域を超えた、私自身の「比較文化論的な社会への提言」だと思っています。
今後、この内容を、NLP 業界外のメディアでも広く社会に発信し直したいと思っていて、来年 1 月に還暦を迎えるにあたって、今後は、自らを「文化評論家/哲学者/心理学者/比較文化人類学者」、特に「意識の研究家/精神科学者」としてポジショニングしていきたいと思っているところです (実は、私のモデルの一人は植草甚一氏です!)。
ということで、今後、私は NLP 業界をはるかに超えて、社会全般への影響者、貢献者にならんと思っているところです。
作成 2022/12/27