以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 49 号 (2015.9.20 刊) からの抜粋引用です。
* * * * * * *
今回は、以下のトピックがカバーされています。
1.北岡徒然考 (認識的考察)、その一
//////////////////////////////////////////
1.北岡徒然考 (認識的考察)、その一
以前、「旧編 新・これが本物の NLP だ!」で「NLP 徒然考」(『その 1』から『その 73』まで) を執筆していましたが、本新編でも、新たに「北岡徒然考」として、「認識論」的に重要なさまざまな話題について語ってみたいと思いました (本号では、特に、以下の 3) の項目が、非常に興味深い認識論的考察になっています)。
最近、私が発見した「『雲を排除した後の青空を磨く』ための『プログラミング解除』の方法論」を提示した本につきまして、私は、現時点では、イブニング チャリティ ワーク以外では公けに語ってきていませんが、本紙面上で、この本に関連した話題について、以下何点か書かせていただきます。
1) まず、該当の本は、「カール プリブラム式」ホログラフィーと「デイビッド ボーム式」量子力学等に影響を受けていますが、特に、Michael Talbot 著の『Holographic Universe』 (翻訳本『投影された宇宙』がありますが、訳文が難しいと聞きました) への言及が何度かされています。
Talbot は、1992 年に 38 際で夭折した、まわりからアイコンのように見られていたゲイのジャーナリストです。私は、この本を含め、彼の他の著書を読み込んできていますが、特に、彼は、ホログラフィーと量子力学の組み合わせで、ポルターガイスト、サイコキネシス、テレキネシス、サイコメトリ、臨死体験、幽体離脱、未来予知、遠隔透視その他の「神秘的現象 (超常現象)」 (および、私の見るところ、「神の存在」も) は、すべて、ホログラフィー、量子力学等の観点から「科学的に証明できる」という立場を取っている点が、非常に興味深いと思っています。
ただ、上記の Talbot の 1991 年刊の本 (翻訳本は 1994 年と 2005 年刊) については、ネットによれば、「トンデモ本として葬り去られている」的な評価しか受けていないようです。
思うに、Talbot もそうですが、フリッツチョフ カプラ、ルーパート シェルドレイク、スタニスラフ グロフ等の「ニューサイエンス」系の本は、80 年代、90 年代に、故吉福伸逸氏等も関係しながら、工作舎その他から大量に出版されていたと記憶していますが、現在は、市場では「ニューサイエンス」の「ニュ」の字も語られなくなっているので、「栄枯盛衰」の感があります。個人的には、極めて残念に思います。
2) ちなみに、「『雲を排除した後の青空を磨く』ための『プログラミング解除』の方法論」を他の人に勧めるにあたって、自分自身がその効果を証明していないと、話にならないのは言わずもがなですが、先日のイブニング ワークでは、この方法論を自己適用することを始めて以来、私の中に「とんでもないこと」が起こってきていることについての概要をお伝えさせていただきました。
これは、今後私が遂行していくことになるプロジェクト (詳細については、今後、決定次第、本紙面上でも発表させていただきます) に関連していますが、このプロジェクトによって、セラピー的に米国より 50 年、60 年遅れている (私個人は、60 年どころではない、と見ていますが) と言われている国内で、カプラ、シェルドレイク、グロフ (さらに言えば、ジョン リリー、ティモシー リアリー、ラムダスその他) 等系の「ニューサイエンス」を含む「昔取った杵柄」の世界を国内で「リバイバル」させていきたいと思っているところです。
3) 上記の「『雲を排除した後の青空を磨く』ための『プログラミング解除』の方法論」は、「レモン (悟り) の味」を知らない人」にも「レモン (悟り) の味」をもたらせる方法論であると、私は主張してきていますが、悟りに関連して、最近、ある方 (私の上級 NLP コース修了者です) にエックハルト トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』を勧めさせていただいたのですが、この方から非常に興味深い「途中感想」をもらいました。
(ちなみに、世界的に各国でミリヨンセラーになっている、この非常に重要な良書の原書名は、ごくまともな『The Power of Now』ですが、Amazon の書評では、タイトルと内容の日本語への訳し方について「総スカン」を受けているようで、どの業界を見ても、ちゃんとした翻訳書が出ていないのは同じ状況か、と思いました。)
この方によれば、同書を途中まで読んで、「『意識』と言われているものも、多次元的な意味合いがあることがわかりました。今まで、たとえばですが、思考が『意識』で、感情が『無意識』というふうに、非常に簡略的に捉えていましたが、それだけでは割り切れないことがあることがよくわかりました。私自身、これまで北岡先生から学んだことを、エックハルト トールの書の観点から、振り返って再検討してみると、理解しきれていなかった点が多くあることが、今、わかりますし、また、今、腑に落ちる点が多くあります」ということでした。
私は、「思うに、私の師匠 (バグワン シュリ ラジニーシ/OSHO) はともかく、(バグワンの『今ここ』の教えを凝縮していると私が理解している) トールの本等を左脳的にだけでなく、体感的に理解した上でしか、私の『精神世界から見た NLP』を本当に理解することはできないだろう、という思いで、今まで教えてきています」と答えさせていただきましたが、この感想で、その思いが証明されたような気がしています。
ちなみに、この方の感想は、実は、通常、「Consciousness」と「Awareness」の二つの英語の単語は両方とも「意識」という日本語に訳せる事実とも関連しています (興味深いことに、私の弟子名は Swami Prabodh Guhen ですが、Prabodh の意味は「Awareness」です。なお、Swami の意味は「Mr」で、Guhen は「Depth (深遠)」です)。
通常「意識」と訳される「Awareness」は、実は、「気づいていること」もしくは「覚醒していること」という意味の方が近く、英語では、「Conscious awareness」、「Unconscious awareness」、「Conscious unawareness」、「Unconscious unawareness」という 4 つの別個の表現が論理的に充分ありえますが、これらは、通俗的に訳すと、「意識的意識」、「無意識的意識」、「意識的無意識」、「無意識的無意識」となってしまい、まったく意味をなしえませんが、これらは、厳密には、「意識的覚醒」、「無意識的覚醒」、「意識的非覚醒」、「無意識的非覚醒」とでも訳すべきものです。
(ちなみに、このことは、認識論的に極めて重要な指摘になるのかもしれませんが、私は、首尾一貫して、「Consciousness」は人間の脳機能の産物としての現象である (!) が、「Awareness」は脳機能に依存していない (!) という解釈をしてきています。本メルマガの冒頭に書いた「ポルターガイスト、サイコキネシス、テレキネシス、サイコメトリ、臨死体験、幽体離脱、未来予知、遠隔透視その他の『神秘的現象 (超常現象)』」は、(脳機能に依存している)「Consciousness」ではなく、(脳機能に依存していない) 「Awareness」 (誤解を恐れずにあえて訳すと「覚醒意識」) と密接に関係した現象ということになります。)
さらに言うと、私は、「無意識的無能性 → 意識的無能性 → 意識的有能性 → 無意識的有能性」という「四段階の有能性」のプロセスや、これに対応する「無意識的 4Ti (過去意識) → 意識的 4Ti → 意識的 4Te (現在意識) → 無意識的 4Te」という「4T」についてのプロセスについて語ることがありますが、この二つのプロセスは、さらに「無意識的非覚醒 → 意識的非覚醒 → 意識的覚醒 → 無意識覚醒」の順序の「覚醒」プロセスに対応していることが判明します。
もちろん、この場合の「無意識的覚醒」は、私の講義で頻繁に言及されてきている「アップタイム トランス」と対応していることになります。
(以上の定義から言うと、「非覚醒 (Unawareness)」と「トランス」と「4Ti」は、ほぼ同義語ということになります。)
私自身、両方とも「意識」と訳しうる「Consciousness」と「Awareness」の二つの英語の単語について、以上のように、ある特定の方のコメントに答える形で定義を明示化したことは、(これまで誰も私に明示化を求めた人はいなかったので) 過去一度もありませんでしたが、しかし、私の側からしてみれば、首尾一貫して、この定義の違いに基づいて、講義等を行ってきていました。
言い換えれば、私が講義等で「意識」という用語を使う場合、もちろんのこと、文脈に応じて「Consciousness」の意味で使う場合と「Awareness」という意味で使う場合があったはずで、その違いは、上記の定義の違いに基づかないかぎり、聞き手が判定することは不可能で、かなり混乱することだったと思われます。
ここに、私が「トールの本等を左脳的にだけでなく、体感的に理解した上でしか、私の『精神世界から見た NLP』を本当に理解することはできないだろう、という思いで、今まで教えて」きていたことの象徴的な一例があります。
* * * * * * *
トールの本について感想をくれた方は、以上のような議論について、「目から鱗がたくさん落ちました」というコメントをされましたが、本メルマガの読者の方々にも、上記の私の「認識論的再発見」を通じて、そういう方々が一定数出てくることを切に願っているところです。
この種の認識論的考察を次号のメルマガでも「北岡徒然考、その二」として続けさせていただく予定です。
以上のメルマガの内容に興味をもった方は、ぜひ以下を検討してください。
1) 現在 250 号以上が現在未公開になっている「旧編 新・これが本物の NLP だ!」の全 270 号が、現在、特別販売価格でダウンロード版の購入が可能です。
http://www.office-kitaoka.co.jp/newsletter/
作成 2022/12/19