以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 48 号 (2015.9.10 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、以下のトピックがカバーされています。
1.北岡マンツーマン トレーニングについて
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1.北岡マンツーマン トレーニングについて
私は、NLP 資格コース業界から離れた後は、個人セッションを含む、独自のワークを行ってきています。
その中、個人セッションについては、「エグゼキュティブ向け個人セッション」と「NLP 学習者 (初心者を含む) に対する包括的マンツーマン トレーニング」の 2 タイプのワークを開講してきていますが、最近、興味深いことが起こったので、そのケーススタディを本紙面上でシェアリングさせていただきたいと思いました。
現在の私のマンツーマン トレーニングのクライアントの一人は、「中級以上の NLP 学習者」ですが、「派遣社員としていろんな会社に派遣されているが、いつも失敗して、解雇される」という、私には「NLP 以前の問題」とも思わる問題を抱えている方です。
セッション中は、ごく普通の方ですが、「過去の幼児期のトラウマ」を抱えた方で、会社のようなある特定の状況に行くと、「頭が真っ白」になってしまうということです。
私自身は、そういう「現実」の状況にこそ、アンカーリングを含む NLP テクニックを適用する格好の対象とは思いましたが、それができてきていない、という状態です。
この方は、特に「青空 (純粋意識)」の体験をもったことがない、ということでしたので、(いくら NLP である状態をアンカーしようと思っても、そのアンカーリングする対象の「レモンの味」は、残念ながら NLP では新たに創出できないので) 本メルマガの最近号 (第 44 号、第 45 号) で紹介させていただいた「『雲を排除した後の青空を磨く』ための『プログラミング解除』の方法論」をこの方に伝えさせていただいています。
その中で、通常の NLP テクニックを伝えても、すでに学習済みであり、かつ、「効果が少ない」ようにも思えたので、特別に、「前世療法」を含む、本格的な「催眠療法」を施術してきています (私自身、(催眠の進化バージョンである) NLP は、当然のことながら、催眠を扱えない人が教えてはいけない、とずっと思ってきていますが、この辺も、まったく国内の NLP 業界の常識にはなっていないと思います)。
私自身、該当のクライアントの方には、(私にとっては、80 年代に関わり続けた、「昔取った杵柄」である) 催眠療法がかなりの効果を上げてきていると思えているので、最近販売してきている、私の過去のワークとコースのビデオ収録 DVD だけでなく、今後は、「自己を拡張する催眠」、「リラクゼーション」、「トランス誘導」、「催眠誘導」、場合によっては「前世療法」、その他の催眠療法の「音源 CD」を製作して、販売したいと思っているところです。
このマンツーマン トレーニングを通じて、ある意味、「普通の NLP 学習者」がなぜ大化けしないかの理由が明確になったので、以下に、私とこのクライアント間のメール交信内容を引用させていただきたいと思いました。
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北岡:いろいろ「アップダウン」があるようですが、「万事塞翁が馬」と考えた方がいいですよね。
ちなみに、「万事塞翁が馬」の表現は、通常思われているような「辛い現実の見方を表面的に一時的に変える方便」としてのリフレーミングではないと思います。
私は、この中にこそ現実そのものが隠されていると思います。
「できの悪いクライアント」 (すみません、この表現を使って (笑) ) を見てわかりましたが、普通は、NLP 学習者は NLP 自体を「辛い現実の見方を表面的に一時的に変える方便」としてのリフレーミング法と見ている嫌いがあるようですよね。
これは、まったくの事実誤認かと思います。
NLP は、「辛い現実の見方を表面的に一時的に変える方便」ではなく、「辛いと捉えている現実そのものは、実は、無条件的に自分が作り出している幻想であることをわからせてくれる至高の方法論」だと思っています。
クライアント:いつもありがとうございます。
実は、NLP のことを、確かに先生がおっしゃっているように、誤解していました。
いくら物の見方が変わっても、物事の本質は変わらない。だからワークをやれば一時的には好転したように思えるけれど、長年培った性格がそんなに簡単に変わらないのではないかと投げ出していました。
先生から最近教わった「プログラミング解除の方法論」のアファメーションも、心のどこかで、念仏を唱えるのとどう違うのか、と思うところがありました。
しかし、無意識にアクセスできるようになると、該当の方法論をやり続けると、不可能だと思って諦めていた性格改善も可能になるのだと、今、希望を抱けるようになりました。
まだまだ時間はかかると思いますが、希望を捨てずに頑張りますので、よろしくお願いいたします。
北岡:貴メッセージ内容は、これまでで最大級の無意識ちゃんの変化なのではないでしょうか? ただ、
「希望を抱けるようになりました。」
とあるので、「まだ完全確信まで至っていない = 今後まだブレる可能性がある」とは思いますが (笑)。
私が、英国滞在時代、80 年代の NLP 学習開始当初、何百万円も NLP に投資したのは、「不可能だと思って諦めていた性格改善も可能」と「100% 以上確信」していたからですが (実際にそうなりました)、仮に完全確信に至っていないような人が何百万円も NLP に投資する場合は、
1) 資格が欲しい
2) 人生の苦しみから一時的に解放されたい
3) 同じような境遇の人と会って、癒しがほしい
といった理由に還元されてしまう、と言っても言い過ぎではないように思えます。
ここに、国内では、「本質を教える北岡 NLP」が完全曲解され、上記のニーズを満たすことに特化した「大衆向け NLP」が蔓延っている背景があるのでは、と改めて思いました。
すみません、また辛口で。
これくらい言わないと、貴方の無意識ちゃんは納得してくれないと思ったので…
以上よろしくお願いします。
クライアント:「辛口」のアドバイスに感謝いたします (笑)。
確かに、今あるスクールはその傾向が強いと思います。
結局は、簡単に資格がもらえる。卒業さえすればいいのですから。そして、回りはお手手つないで、ちいぱっぱ (笑)。
私も含めてですが、NLP の真髄を体感的に理解していないのに、卒業できるのは不条理にも思えました。
結局、社会に戻れば厳しい現実?に戻るだけだったのです。
話題が変わりますが、「自我」と「超自我」の関係を教えていただけないでしょうか?
北岡:お世話になっています。
こういう確認を貴方からいただくことは、逆説的に非常に「うれしい」ことです。感謝いたします。
「『自我』と『超自我』の関係を教えていただけないでしょうか?」につきましては、この質問に答えるためには、「自我」と「超自我」を定義してもらう必要があります。私は、基本的には、「自我」という用語を使いませんので。
ただ、「超自我」で、トランスパーソナル心理学の言う「超個 (Transpersonal)」のこと意味しているのであれば、「超個 = 神性」なので、以下のことが言えます。
「超個 (純粋意識) のまわりに不純物としての自我 (= アイデンティティ、信念、能力、行動、環境) がある。」
ちなみに、上の段落の内容は、「現実をそのまま映し出していないが、極めて効果的なモデルである」のですが、一点、理解できたことがあります。
「現実をそのまま映し出していないが、極めて効果的なモデルである」と聞くと、「表面的なものしか見えていない人」は、
「ああ、なんだ、NLP なり、北岡モデルは、『現実を語っていない』ので、『いくら物の見方が変わっても、物事の本質は変わらない』ということなのか。『だから』 (この部分、非常に大事です)『ワークをやれば一時的には好転したように思えるけれど、長年培った性格がそんなに簡単に変わらない』。」
と思ってしまう、ということが判明します。
私自身、NLP 以前の方法論 (モデル) に関しては、この反応は当てはまるが、NLP だけは「モデルが実際に現実を変える」 (= 現実は幻想であると完全確信させてくれる) 方法論だとこれまでいつも講義中に口酸っぱく言ってきていましたが、その NLP 以前の方法論についての参照枠のない人には、意味をなさず、「モデルが現実を変えるわけがない」という前提で NLP を学び始めるかぎり (= 初めからボタンを掛け違えています!)、「何も変わらない」という非常に不幸な状況が生まれているのだと思います。
もしかしたら「土地 (現実) は地図 (モデル) ではない」という、非常に重要な (逆説的な) 意味のある、代表的な NLP 前提そのものが、人々をして、「『モデルが現実を変えるわけがない』という前提で NLP を学び始め」させてもいるのではないかという空恐ろしいことにも気づきました!!!
実は、この極めて重要な NLP 前提は、NLP の限界性を意味しているのではなく (その要素が完全否定されているわけでもないとも思いますが)、むしろ、
「NLP は、自らモデルにすぎない、ということを自己規定した上で、『そのモデルに従うことで (いわゆる) 現実が変わりますよ!』という、ありえないことを主張している。」
ということを意味していることになります。
これが、ディルツが以下のように言っていることの意味ですが、
「NLP のような認識論的モデルは、私たちの経験についてのモデルであると同時に、このようなモデルについて考える [著者注: 言い換えれば、このような NLP 個人編集テクニックを実践する] というまさにその行為を通じて私たちの経験の一部になるという意味において、ユニークなモデルである。」
(意味合いは、「幻想の中で幻想を変えたら、(そもそも幻想である) 現実が変わる」というものです!)
普通、誰も、このすごさには気づいていないと思います。
ちなみに、今度、この通常「不可能」なことがなぜ可能になっているのかを説明する北岡モデルのビジュアル ディスプレーをお見せすることもできます。
また、もともとまったく相対的で、恣意的で、幻想であるものが、ある特定の「フレーム」の中に入ったとたん、絶対的な「現実」と見なされ始めてしまう好例の一つとして、通貨があります。国際為替相場の中で、他の国際通貨に対して、常に相対的価値しかもつことができない「1 円」の単位は、日本国内では、絶対的な価値しかもつことしかできません! (国内で絶対と見なされている通貨を、国際的な観点から、相対化して捉えることができるプロセスと、自分自身の世界地図の中で、今まで現実そのものだと思っていたものが、実は、その世界地図の外では、単に相対的な幻想にしか過ぎないことを知り始めるプロセスは、まったく等価だと思います!)
以上のことは、非常に興味深いです。
なお、本返信メールの特に後半の部分は、向こうの世界 (純粋意識) を見ている人なら意味をなすが、そうでない人には、単なる「頭の体操」に終わると思います。
だからこそ、私は、最近、「レモンの味を知らない人」にも、向こうの世界 (純粋意識、レモンの味) を見せてくれる「プログラミング解除の方法論」に関わり始めたわけです。
では、今後とも、「現実は幻想でしかない」ことを完全確信できるように指導させていただきたいと思っていますので、何卒よろしくお願いします。
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なお、上記の「『雲を排除した後の青空を磨く』ための『プログラミング解除』の方法論」につきましては、私は、これまで公けに語ってきていませんが、以下の「3.9/14 開催『一流から超一流へ』イブニング チャリティ ワーク」にある第十回目ワークで、特別に情報開示させていただきます。
以上のような非常にユニークな北岡ワークに興味のある方は、ぜひ以下を検討してください。
1) 「9/14 開催『一流から超一流へ』イブニング チャリティ ワーク」への参加
2) 以下にある「2015 年 GW 『NLP シークレットセミナー”The Truth”』動画ビデオの閲覧
3) 北岡マンツーマン トレーニングの受講 (特別価格「体験セッション」の受講が可能です。お問い合わせは info@office-kitaoka.co.jp までメールを送ってください。)
作成 2022/12/18