以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 38 号 (2015.2.27 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、以下のトピックがカバーされています。

1.慶應義塾大学大学院での北岡ワーク開講される

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1.慶應義塾大学大学院での北岡ワーク開講される

昨年の 9 月に引き続き、2 月 25 日に、慶應義塾大学大学院SDM研究科ヒューマンラボ(前野研究室)主催の私のワーク「固定概念と自分の限界を外すWorkshop【ABCゲーム体験】」が開講されました。

今回は、イメージワークによって【他人の目を気にしなくなる】という効果が出るかどうかを調べることを通じた、「トランス状態におけるイメージワークが、人に行動変容を起こすか」の検証実験が行われました。

参加者数は、40 名強となりました。

本紙面で、このワークについて、概要報告をさせていただきたいと思いました。

まず、ワーク前、冒頭で、私は、以下の二点をワークの背景として、述べさせていただきました。

1) 日本の NLP からは、それが生まれるもとになった「カウンターカルチャー (対抗文化)」の背景が完全欠如している。その意味で、国内には「本物の NLP」は存在していない。北岡は、今後、「NLP + ZEN」である DFT の方法論を提唱していくが、この「ZEN」には、カウンターカルチャーの真髄であるセラピー、催眠、瞑想の要素が含まれるので、DFT こそ本物の NLP に匹敵すると考えていただきたい。

2) NLP は、「主観的体験の構造についての研究」と定義されることがあり、本来的には、あくまでも内省、内観等に基づいた「主観的科学」であるが、それゆえにこそ、学術的に定着してきていないかもしれないので、このようなワーク参加者のアンケートに基づいた学術的な検証実験は歓迎すべきものである。

その後、「NEW コード用変化フォーマット」に基づいて、「ABC ゲーム」のデモ演習が行われた後、グループ演習がなされました。

デモ演習の前に、人目を気にして、人前で通常できない行為を 10 個アンケート用紙に書いてもらい、ABC ゲームによって、トランス (フロー状態、変性意識状態) に入った後、自分の既成の枠 (ボックス) から外れた状態で、先ほど人前でできないと思われた行動が、はたして、人前でできるようになったかどうかの実験が行われました。

私自身、アンケート結果に目を通していませんが、ワーク中の参加者の「乗り具合」と、ワーク後の質疑応答から、かなりの効果があったように思えました。

講義中とその後の懇親会で、参加者から一連の質問が提示されたのですが、以下に一部の質疑応答を編集引用して、かつ、補足説明を加えさせていただきたいと思いました。

まず、グループ演習後の質疑応答時に、「今、状態がまったく違うのですが、演習中に、いったい、何が起こったか理解できません」というコメントがありました。

これにつきましては、私は、「無意識と交信できるようになったのです。人は、無数の意識のスペクトラムの中で生きていますが、普通、通常意識と、本日皆さんがアクセスできた変性意識 (トランス) の間には相互の交流がなくて、いわば、『多重人格症』的な状況が生まれています。このメカニズムは、アーネスト ロシが提唱した『SDMLB (状態依存の記憶、学習、行動)』という用語によってもっともよく説明がつきます」という意味の回答をさせていただきました。

さらに、本紙面での追記として、「我々人間は、『入力→ブラックボックス→出力』の図式の、入力部分 (演習前の自分の状態) と出力部分 (演習後の自分の状態) は意識化できるが、ブラックボックス (演習中のプログラミングの書き換え) で何が起こっていたかは、いっさい意識化できません」という指摘をしておくことができるかと思いました。

さらに、演劇団体に関与している方を始めとして、複数の方から「この演習の後得られる状態は、演劇をしているとき、あるいは『ランナーズハイ』の状態とよく似ていて、違いがあまりわかりません」といった意味合いの指摘を受けました。

これに関しては、私は、実は、デモ演習の前、冒頭で、「本日の演習から得られる精神状態は、お酒の酩酊状態やランナーズハイと似ているという指摘はよく受けてきていますが、決定的な違いとしては、ABC ゲームでは、VAK (視覚、聴覚、触覚) のコンビネーションが、今までもったことのない形で、生まれるので、その意味合いでは、他のどの方法でも達成できない状態を達成できます」という事前の指摘をさせていただいていました。

グループ演習の後に、まさに「『ランナーズハイ』の状態と違いがあまりない」旨の指摘を受けたのですが、私は、今、「確かに、得られる状態は類似しているが、その状態を獲得するまでのプロセス (つまり、新しい VAK のコンビネーションが生まれることによる脳回路の活性化と新規生成) は、他の方法では得られないもので、ただ、その事前のプロセスが意識化されていないので、違いがわからなくなっているだけである」という見解を提示することができます。

また、懇親会等で「今得ている結果は、もしかしたら、参加者全員が一斉に演習していることから生じる『集団心理、グループ洗脳』から来ているかもしれないので、正確で、客観的な科学的検証にはなりえないのではないですか」といった指摘を受けました。

これに対しては、私は、「我々は皆、元々大衆操作の催眠状態の中で洗脳されて生きているので、本日のように、一つの信念から別の信念に移ったとしても、結局は、一つの洗脳状態から別の洗脳状態に移っているにすぎないですね。本日の講義中に指摘できませんでしたが、NLP は、むしろ、通常の洗脳状態から『脱洗脳』されることを可能にする方法論です」と答えさせていただきました。

この最後のトピックについては、たとえば、ユング等は、夢判断を最重要視しているようですが、私は、夢判断も大事だが、それよりもむしろ、覚醒時に見る夢 (トランス、変性意識) の分析の方がより重要なのではないか、という立場を常々もってきているのですが (主な理由は、精神分析的な夢判断には、どうしても、先験的であまりにも恣意的な要素が見られすぎると思われる点にあります)、もしかしたら、NLP は「覚醒時の夢を自由自在に操作できる方法論」である、と定義できるように思えます。

(ちなみに、このことの意味合いは、覚醒時の夢の操作は、睡眠中の夢の操作に繋がることは言わずもがなにしても、それ以外にも、最近私が興味をもってきている「アストラル ジャーニー」 (幽体離脱、遠隔操作等のオカルト (隠秘学) の現象の一つ) の操作にも繋がりえる、と思っています。

さらに言うと、このことは、先号のメルマガで指摘させていただいたように、NLP は「『目に見える部分 (現象界)』を触りながら、『目に見えない部分 (向こうの世界)』を変えてしまう、『とんでもない内なる科学』」であることと関連しています。)

作成 2022/12/8