以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 22 号 (2014.4.24 刊) からの抜粋引用です。
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今回は、以下のトピックがカバーされています。
1.本物の NLP が国内で定着しない理由/「内的表出の書き換え」について
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1.本物の NLP が国内で定着しない理由/「内的表出の書き換え」について
私は、2001 年に英国から帰国して 12 年間、欧米で学んだ「本物の NLP」を国内で教えてきていましたが、最近の私自身のワークを通じて、「本物の NLP」が国内で定着しない理由がやっとわかった気がします。
すなわち、最近の私のメルマガと特別無料メール講座で、私は、「6 ステップ リフレーミング」の「改良バージョン」として、高次の意図と代替手段の「一部」を意識化することで、極めてディープな深層心理ワークを達成する「パンドラの箱」テクニックを開発したことをお伝えしてしてきています。
(「6 ステップ リフレーミング」では、本来 (「本物の NLP」) 的には、高次の意図と代替手段は意識化されるべきではありませんが、国内の、特に、バンドラー派の NLP では、ほぼ常に、これらは意識化され、「問題の意図が意識的に認知されないままで、どのようにして人間の行動変化が起こりえるのか?」といった、私には「非 NLP 的」としか思えないスタンスが常識としてまかり通っているようです。本来の NLP は、無意識的な行動変化を引き起こす方法論です。)
ということで、私は、2001 年から首尾一貫して、「コンテントフリー (内容は無関係)」の方法論として、NLP ワークを施してきていましたが、最近私が開発した「パンドラの箱」テクニックのワークを通じて、この方法論は、以下の理由から日本人向けではないかもしれないという結論に達しました。
1) 西洋で「コンテントフリー」の方法論が生まれたのは、歴史的に言って、(言ってみれば、「お涙頂戴」的な) 内容ばりばりのセラピーをやりまくった人々が、それでは何の抜本的、永続的な変化が達成できない、という反省に立って、コンテントフリーの「ブリーフ セラピー (短時間療法)」や NLP が生まれたのですが、そのような「自己内省」と「感情のカタルシス的表現」のセラピー的な場をもつ機会がほとんどない日本人には、そもそも「コンテントフリー」の意義を適切に評価できない。
2) 私自身は、80 年代に自己内省と感情のカタルシス的表現のセラピー的な場を 7 ヶ月間 (2,000 時間) 以上もった上で、どろどろした話をクライアントから聞くことに「辟易」したので、いわば、「『邪気』をいっさい受けない」、フィルタリングができる驚愕的なツールとして「コンテントフリー」の方法論を採用し、かつ、私から学ぶ NLP ファシリテータにも、そのクライアントから邪気を受けない方法を体得させる目的で「コンテントフリー」のワーク スタイルを貫いてきたが、これらの NLP ファシリテータも、本来的には、まず「どろどろしたセラピー漬け」のプロセスを経ていない場合は、表面的なワークしか達成できない可能性がある。
3) 私自身、幼児期の施設体験から来ていた極度のトラウマ群を完全克服するために、最終的に NLP に行き当たったが、国内では、私の知っているかぎり、たとえば、故吉福逸一氏レベルのセラピー、カウンセリングができる NLP トレーナーは一人もいないように思える。吉福氏は (私は誤解だと思っているが) NLP を否定していたが、逆説的に、同氏レベルのワークができる人でないと真の「コンテントフリー」のワークはできないように思われる。
(私自身は、高レベルのセラピー ワークができるという自負のもと、2001 年に帰国しましたが、どうも対外的には、私の「セラピー性」は「コンテントフリー性」の陰に隠れてしまってきていたようです。今後は、私のセラピストとしての能力が明示化されていくと信じています。
私が、以前、完全なるコンテントフリーの方向性を捨てるかもしれない、と言ったとき、「それは、オリジナリティを捨てることになるので、やめてください」とおっしゃった方 (私が認定したトレーナー) がいました。この方は、ご自身でカウンセリングを長くされてきていた方でした。)
4) 国内には、真のセラピーは存在してきていないので、NLP も「毛の生えたビジネスの裏技ツール」で終わってもいいように思われるし、かつ、NLP を学ぼうとする人も、物質的な「プチハピネス」を達成するために NLP を使おうとしているようである。特に、私は、これまで、コンテントフリー ワークを施している相手が非常に浅いワークをしているのかディープな深層心理ワークをしているのかわからないままできていたので (たとえば、「6 ステップ リフレーミング」は、トラウマやフォビアや、鬱病、統合失調症等の精神病的症状や、場合によっては、癌等の重篤な身体的症状にも使うことができるのに、私の同テクニックのクライアントが、たとえば、地震の精神的外傷を癒すために使っているのか、単に甘いものを食べ過ぎるのを止めるために使っていたのかがわからない場合があったので)、本来的には、自分の人生最大の問題に対して NLP を適用すべきなのに、(たぶん、ビジネス志向の NLP は精神疾患には効かない、と洗脳されているので)深い問題を触らないままで、ごく浅薄な問題だけを解決するだけに終わっている可能性がある (もちろん、このことは、国内で流行っている、コンテントばりばりの NLP なら深い問題を解決できると示唆しているわけではないが)。
以上により、今後は、私なりに、日本人に一番合った形に NLP を適応していくことを考えています。この NLP は、西洋式のコンテントフリーの (本物の) NLP と国内のコンテントばりばりの NLP の「折衷形」であり、この「折衷 NLP」を、私が商標を取得している「DFT (Deframing Facilitation Technonogy、フレーム解除支援テクノロジー)」と称していきたいと考えているところです。* * * * * * * *
ちなみに、私は、以下の「3.北岡泰典特別無料メール講座定期的配信中!」にあるように、メール講座を発信していますが、最新号の「内的表出の書き換えについて」のトピックは、上記の内容とも直接的、間接的に関連していると思いますので、以下に引用掲載したいと思いました。
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「内的表出の書き換え (Rewriting of Internal Representation)」は、私の表現ですが、たとえば、苫米地英人氏は、「内部表現の書き換え」と言っているかと思います。
また、「内的表出の書き換え」こそ、他者の洗脳だけでなく、以下に示すように、「三日坊主」を止めて、自分の「習慣を変える」ことにも深く関係しているように思えます。
今、たまたま、苫米地氏のある DVD を視聴していますが、「内的表出の書き換え」に対する同氏の見解とテクニックは、非常に興味深いと思います。
その DVD では、同氏は、「部分関数 (私は、単に『フィルタリング』と言ってきています) としての自我」、「自己評価関数 (『部分関数』と同じ意味のようです)」、「スコトーマ (盲点)」、「コンフォート ゾーン」、「ホメオスタシス (恒常性維持機能)」、「ハイパーラポール」、「R (物理空間としてのリアリティ) の揺らぎ」、「変性意識」、その他の興味深いコンセプトについて解説しています。
この中で、特に興味を引いた点は、「自己評価関数を移動させる (NLP 的には『フィルタリングを変える』)」 ことで、従来のスコトーマがなくなり、自分がなりたい自分になれるが、ただし、このプロセスにはホメオスタシスが働き、自己評価関数 (「世界地図」と同義でしょう) が元に戻ってしまうので、固定化する必要がある、という解説です。
この指摘は、本メール講座の最近の号のテーマである「Personal Development」の「成功哲学性」と密接に関係していると思いますし、さらに、第 3 号その他で示唆した「習慣の力」のメカニズムを使って、どのように三日坊主その他の「元の自分に戻す力」に抗って、新しい習慣を「定着化」できるか、という永遠のテーマにも繋がっているトピックでもあります。
言い換えれば、「自己評価関数を移動させることで、自分がなりたい自分になれるが、ただし、このプロセスにはホメオスタシスが働き、自己評価関数が元に戻ってしまうので、固定化する必要がある」ことが可能になれば、「三日坊主」が克服されるはずですが、それと同時に、「一を聞いて一しかわからない」人が「一を聞いて十わかる」人に変容することも可能ではないか、とも思えます。
私には、「一を聞いて十わかる」人は、幼児期 (「世界地図」を形成し終えるまでの期間) に、「自己評価関数を移動させ、かつ、それを固定化するノウハウ」を、試行錯誤の末、身につけた人だと思えますが、そういうプロセスをたまたま経てこなかった「一を聞いて一しかわからない」人が、大人になって (= 世界地図が固着した後)、「一を聞いて十わかる」人になるためには、自己評価関数の移動の固定化を達成する必要があり、そのためには、ある意味、「洗脳」される必要があるのではないか、と、今、思えます。
私自身、1983 年に弟子入りした私の精神的導師の「サイキックあるいはオカルト パワーを絶対に自分から求めてはならない。自分から得ようとする者は、(年代的にもっと後に出現した) 麻原彰晃のように堕落する」という教えを固く守り、これまで、催眠/洗脳にかからないように自己防御するためにだけ、「洗脳テクニック」を教えてきていましたが、もしかしたら、国内の「自己啓発者」は、自己評価関数の移動の固定化の洗脳を必要としていて、無意識的には、積極的にそのような洗脳を求めているかもしれない、と思えてきました。
追伸:本メール講座の草稿を書いた後、私のイブニング ワークが開講されました (私自身、最近、このようなワークでは、従来の講義スタイルを変えて、何人かの参加者相手に、私の個人セッションのデモを披露してきています)。
今回も、初めての参加者の方がいらっしゃったので、「恒例」の「パンドラの箱を開ける」テクニックを施術させていただきました。私としては、今回も、極めてディープな深層心理ワークになったと思いました (特に、Yes と No の無意識シグナル (観念動作シグナル) として、いわば、ある意味「発作」にも似た、非常に強い反応が出てきました)。
今回の参加者のお一人とお話ししたときに、「『自己評価関数を移動させることで、自分がなりたい自分になれるが、ただし、このプロセスにはホメオスタシスが働き、自己評価関数が元に戻ってしまうので、固定化する必要がある』ことを本当の意味で可能にさせるような方法論を開発できている人はまだいないように思われるのですが、ひょっとしたら北岡氏の『パンドラの箱を開ける』テクニックが、その機能を果たすかもしれませんね」といった意味合いの指摘を受けました。
私は、「自分自身は、そのような方法論をパッケージとして開発するには、もう少し時間がかかるかもしれませんが、『パンドラの箱を開ける』テクニックは、少なくとも、その方法論のパッケージの一部にはなりえると思います」と答えさせていただきました。
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以上が、メール講座からの引用掲載ですが、上記の「自己評価関数を移動させることで、自分がなりたい自分になれるが、ただし、このプロセスにはホメオスタシスが働き、自己評価関数が元に戻ってしまうので、固定化する必要がある」ことを可能にさせるような方法論が、DFT であると理解していただけたらうれしいです。
作成 2022/11/23